NHK BSで、アガサ・クリスティの「ミス・マープル3」を放映していて、久しぶりに、花の咲き乱れる綺麗な庭を見て、イギリスの庭を思い出した。
日本では、イングリッシュ・ガーデンと言えば、一般的には、自然な植栽と自生植物を重視して自然風を装いながら色彩の調和を重視した、色々な花が美しく咲き乱れる色彩豊かな庭園を言うことが多く、実際にも、イギリス人たちがこよなく愛するガーデニングに明け暮れている自分たちの庭は、殆ど、この新しいイングリッシュ・ガーデンである。
新しいと言ったのは、本来のイングリッシュ・ガーデンと言うのは、広大な池や川を廻らせた自然の景観美を追求した立体的な風景式庭園を言うのであって、フランス庭園に代表されるような大陸型の平面的幾何学式庭園の対極にはあるが、背景には、ギリシャやローマ風の廃墟を思わせるような建物が散在するような古典的なイメージの強い壮大な庭園なのである。
私自身、5年間の在英中に、イングランドからウェールズ、そして、スコットランドと、多くの庭園を見て歩いたが、特に典型的な風景式庭園で印象に残っているのは、オックスフォード近くにあるチャーチルの生家でもあるブレナム・パレスやストーヘッドである。
私が、散歩道として楽しんでいたキュー・ガーデンなどは、もっと自然に近い荒削りのイギリス式風景庭園かも知れない。
イギリス各地に、古城や歴史的建造物が散在していて、実際に活用されている名所旧跡には、立派な庭園が併設されていて、立派に維持管理されていて、楽しめるのだが、トピアリーなどが幅を利かせる幾何学文様に造形された人工的な大陸ヨーロッパの庭園とは、全く雰囲気が違うのが面白い。
しかし、考えて見れば、ギリシャやローマへの憧れと同時に、自然風の風景を愛するイギリス人だが、徹底的に自然の景観を破壊しつくして、原始の大地を自分好みの風景に造形し直した結果だと言うところが実に面白い。
イギリスの何処を探しても、原始時代のイギリスの景観など、跡形も残っていないと言うのが、如何にもイギリス的であり、あれだけイギリスの田園風景が美しいのは、どこまでも人工的である故なのである。
私が、美しいと思った今様イングリッシュガーデンの一つは、記憶が定かではないが、ストラトフォード・アポン・エイボンで見たシェイクスピアの母の家メアリー・アーデンの家の庭だったような気がする。
イギリス人の友人に誘われて毎夏の夜長を楽しんだグラインドボーンでの、午後から真夜中にかけてのオペラ三昧も素晴らしい思い出だが、この広い庭園に散在するイングリッシュ・ガーデンも美しかった。
開演前と長い休憩の間には、気に入った庭園の芝生にシートを敷いて、ピクニック・スタイルのディナーとワインを楽しむのだが、少し、寒いくらいだが、美しい池畔や花々に囲まれての会食は実に楽しい。
庭園の向こうの方では、羊が草を食んでいる長閑な風景が展開されているのだが、これは、庭園と牧場の境界線に、見分けが付かないような細い空掘り(ハーハーと称する)が掘られていて、あたかも、一体の風景のように見えるのである。
さて、この口絵写真の庭は、私の年来の友人であるアブラハムズ夫妻のギルフォードの自宅の庭で、非常に広大であり、一寸した昔の公団住宅の敷地くらいはあると思えるほどなのだが、ジムが噴水や池のメインテナンスは手伝うにしても、主に、夫人のマーゴが一切の世話をしている。
かなりの部分は芝地としても、邸宅周りには、小さな回遊式イングリッシュ・ガーデンがあり、温室で、盆栽まで栽培しており、広い網を張った農場では、色々な果物を栽培しており、ジャムは総て自家製である。
時々、近くのロイヤル・ガーデンに出かけて、講習を受けたり園芸の勉強もしているのだが、結構、経験と知識は深い。
私のキュー・ガーデンの自宅にも、かなり広い庭があったが、多忙を極めていたので、全く手が回らず、庭のメインテナンスは、庭師や園芸助手などに世話をして貰っていた。
イギリス人は、庭付きの家を郊外に持って、多少遠くて不便であっても通勤したり、あるいは、田舎に邸宅を持って週末に帰って庭仕事をすると言うほど、ガーデニング好きだが、当時の私は、まだ、それ程ガーデニングには興味がなく、美しい花を写すと言う趣味に留まっていたのである。
さて、イギリスの住宅の庭だが、前庭が小さくて、家の裏側の後庭が、広大だが、大抵は、隣との境界は生垣などで遮蔽されていて外部から入れないし見えない。完全にプライベートな自分たちだけの世界が作り出されているのである。
ところが、同じ花好きの国民であるオランダだが、普通の家は、北海道のように、隣との境界があいまいな所為もあってか、チューリップなど季節の花は植えているが、イギリス人のようなガーデニングと言った感覚がないのが面白い。
ぼつぼつ、チューリップ公園として有名なキューケンホフがオープンした頃で、五月の最盛期にかけて、世界中から花好きを集めるのであろう。この公園だが、花に囲まれ続けているオランダ人が、殆ど、訪れないと言うのが面白い。
ヨーロッパも花のシーズンである。
日本では、イングリッシュ・ガーデンと言えば、一般的には、自然な植栽と自生植物を重視して自然風を装いながら色彩の調和を重視した、色々な花が美しく咲き乱れる色彩豊かな庭園を言うことが多く、実際にも、イギリス人たちがこよなく愛するガーデニングに明け暮れている自分たちの庭は、殆ど、この新しいイングリッシュ・ガーデンである。
新しいと言ったのは、本来のイングリッシュ・ガーデンと言うのは、広大な池や川を廻らせた自然の景観美を追求した立体的な風景式庭園を言うのであって、フランス庭園に代表されるような大陸型の平面的幾何学式庭園の対極にはあるが、背景には、ギリシャやローマ風の廃墟を思わせるような建物が散在するような古典的なイメージの強い壮大な庭園なのである。
私自身、5年間の在英中に、イングランドからウェールズ、そして、スコットランドと、多くの庭園を見て歩いたが、特に典型的な風景式庭園で印象に残っているのは、オックスフォード近くにあるチャーチルの生家でもあるブレナム・パレスやストーヘッドである。
私が、散歩道として楽しんでいたキュー・ガーデンなどは、もっと自然に近い荒削りのイギリス式風景庭園かも知れない。
イギリス各地に、古城や歴史的建造物が散在していて、実際に活用されている名所旧跡には、立派な庭園が併設されていて、立派に維持管理されていて、楽しめるのだが、トピアリーなどが幅を利かせる幾何学文様に造形された人工的な大陸ヨーロッパの庭園とは、全く雰囲気が違うのが面白い。
しかし、考えて見れば、ギリシャやローマへの憧れと同時に、自然風の風景を愛するイギリス人だが、徹底的に自然の景観を破壊しつくして、原始の大地を自分好みの風景に造形し直した結果だと言うところが実に面白い。
イギリスの何処を探しても、原始時代のイギリスの景観など、跡形も残っていないと言うのが、如何にもイギリス的であり、あれだけイギリスの田園風景が美しいのは、どこまでも人工的である故なのである。
私が、美しいと思った今様イングリッシュガーデンの一つは、記憶が定かではないが、ストラトフォード・アポン・エイボンで見たシェイクスピアの母の家メアリー・アーデンの家の庭だったような気がする。
イギリス人の友人に誘われて毎夏の夜長を楽しんだグラインドボーンでの、午後から真夜中にかけてのオペラ三昧も素晴らしい思い出だが、この広い庭園に散在するイングリッシュ・ガーデンも美しかった。
開演前と長い休憩の間には、気に入った庭園の芝生にシートを敷いて、ピクニック・スタイルのディナーとワインを楽しむのだが、少し、寒いくらいだが、美しい池畔や花々に囲まれての会食は実に楽しい。
庭園の向こうの方では、羊が草を食んでいる長閑な風景が展開されているのだが、これは、庭園と牧場の境界線に、見分けが付かないような細い空掘り(ハーハーと称する)が掘られていて、あたかも、一体の風景のように見えるのである。
さて、この口絵写真の庭は、私の年来の友人であるアブラハムズ夫妻のギルフォードの自宅の庭で、非常に広大であり、一寸した昔の公団住宅の敷地くらいはあると思えるほどなのだが、ジムが噴水や池のメインテナンスは手伝うにしても、主に、夫人のマーゴが一切の世話をしている。
かなりの部分は芝地としても、邸宅周りには、小さな回遊式イングリッシュ・ガーデンがあり、温室で、盆栽まで栽培しており、広い網を張った農場では、色々な果物を栽培しており、ジャムは総て自家製である。
時々、近くのロイヤル・ガーデンに出かけて、講習を受けたり園芸の勉強もしているのだが、結構、経験と知識は深い。
私のキュー・ガーデンの自宅にも、かなり広い庭があったが、多忙を極めていたので、全く手が回らず、庭のメインテナンスは、庭師や園芸助手などに世話をして貰っていた。
イギリス人は、庭付きの家を郊外に持って、多少遠くて不便であっても通勤したり、あるいは、田舎に邸宅を持って週末に帰って庭仕事をすると言うほど、ガーデニング好きだが、当時の私は、まだ、それ程ガーデニングには興味がなく、美しい花を写すと言う趣味に留まっていたのである。
さて、イギリスの住宅の庭だが、前庭が小さくて、家の裏側の後庭が、広大だが、大抵は、隣との境界は生垣などで遮蔽されていて外部から入れないし見えない。完全にプライベートな自分たちだけの世界が作り出されているのである。
ところが、同じ花好きの国民であるオランダだが、普通の家は、北海道のように、隣との境界があいまいな所為もあってか、チューリップなど季節の花は植えているが、イギリス人のようなガーデニングと言った感覚がないのが面白い。
ぼつぼつ、チューリップ公園として有名なキューケンホフがオープンした頃で、五月の最盛期にかけて、世界中から花好きを集めるのであろう。この公園だが、花に囲まれ続けているオランダ人が、殆ど、訪れないと言うのが面白い。
ヨーロッパも花のシーズンである。