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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場:十二月文楽・・・奥州安達原

2011年12月07日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   平安時代も末期、まだ、源氏が勢力を持っていた頃の話で、源頼義・義家父子が、奥州で勢力を誇っていた安倍頼時等一族を討伐するのだが、その子供たち兄弟が、義家を討とうとするストーリーが主題の浄瑠璃が、今回の「奥州安達原」である。
   やはり、今回の出色は、仇討の時代物と言うメインテーマからは離れるが、「環の宮明御殿の段」の悲痛な袖萩(勘十郎)とその娘お君(玉誉)の物語であり、哀切を極めた千歳大夫の語りと富助の三味線の音に乗って、勘十郎の遣う袖萩の慟哭しながら謡う懺悔の歌祭文の哀れさ悲しさが、聴衆の胸に迫る。

   今回は、その前に、「外が浜の段」と「善知鳥文治住家の段」があって、南兵衛(玉也)と偽って仮の姿の弟・安倍宗任が、義家にまみえるべく、罪人となって都へ引かれて行く経緯までが語られている。
   一方、兄の安倍貞任(玉女)の方は、桂中納言則氏に身を変えて、袖萩の父・平丈直方(玉輝)を見まいに来る。実は、この人物が、袖萩の実の夫なのだが、袖萩は、そうとは知らずに駆け落ちして子をなしたものの、出奔して行方知らずとなったので、今は盲目のにおちぶれて、歌祭文を謡いながら門付けして糊口をしのいでいる。
   預かっていた宮の弟・環の宮が、安倍兄弟の陰謀で誘拐されて、期限内に探し出せなくなったので、丈が切腹せざるを得なくなったのだが、父の身を案じた袖萩が、勘当のため人目を忍びながら、お君に手を引かれて御殿に来るのだが、突っぱねる両親と必死に縋り付こうとする母娘の悲しくも哀切極まりない対面が、簡素な枝折戸があたかも鉄のカーテンのように隔てて展開される。
   氏素性の分からぬ浪人と駆け落ちしたことを責められて袖萩は、安倍貞任と夫の名を明かしたのだが、敵であるから、尚更許せない丈。娘の変わり果てた姿と寄り添う幼い孫娘の哀れな姿を見て、激しい嗚咽を忍び知らぬふりをしながらおろおろする母・浜夕(勘彌)。
   門付けとして歌を謡えと言われて、袖萩は、お君が手渡した三味線を弾きながら、歌祭文に託して、親不孝を詫び、子を持って初めて知った親心の有難さを切々とかきくどくのだが、寄り添ってじっと聞き入るお君のいじらしさが堪らなく切ない。
   何の望みもないけれど、一言言葉をかけてくださいと、枝折戸に縋り付いて祖父母に訴えるお君の哀れさ健気さ。
冷たく突き放された袖萩が、持病の癪が起こり倒れ伏すと、お君は、雪を口に含んで溶かせて母に含ませ、自分の着物を脱いで母に着せて背をさするのだが、娘が裸同然で居るのに気付いた袖萩は、しっかりと抱きしめて泣き伏す、それを見て堪らなくなった浜夕は、せめてもと、垣根越しに打掛を投げ与える。
   武士道武士道と言う、何の値打ちがあるのかは知らないが、封建社会ゆえの悲しい性である。

   この袖萩を遣う勘十郎の素晴らしい芸は、正に、感動の極致である。
   以前、主役級とは言え、立役を遣う機会が多かった勘十郎が、折角、心血を注いで簔助から教えを受けた女形をやりたいと言っていたのだが、今回の舞台で本懐を遂げたであろうと思う。
   このような、人間の究極の辛さ悲しさ、悲痛な心情を表現するためには、生身の役者よりも、人形の方がはるかに適していて、命のない木偶が、正に、運命の悲哀を、慟哭しながら抉り出しているのである。
   簔助の芸を継承していて、勘十郎の遣う人形は、どんな境遇にあっても、実に優しく優雅で、それに、品格を保ちながら、時には、激しくのたうち、時には、激しく舞うのだが、今回の袖萩の全身から醸し出す運命の理不尽さ悲しさの表現が、正に、感動的であった。



   

   
   
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