熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

スティーブ・ジョブズは「世界はひとつなんだ」と言う

2011年12月19日 | 生活随想・趣味
   スティーブ・ジョブズは、アップルを追われた直後のヨーロッパツアーが最高だと言う。
   メキシコや南太平洋、地中海などに家族旅行を楽しんだようだが、晩年、豪華なクルーザーの建造計画も進めていて設計に入れ込んでいたらしい。
   クルーズで、イタリアからアテネ、エフェソスを経て、イスタンブールに行った時、歴史学の教授の案内でトルコ風呂に行き、説明を聞いていた時に、若者のグローバリゼーションについて閃きを感じた言う。

   ジョブズは、本物の啓示だと言うけれど、何故、こんなことが閃きかと思うのだが、トルココーヒーを飲んでいる時に、教授は、トルココーヒーの淹れ方が他の地方と違うことをしきりに説明したのだけれど、トルコを含めて、どこの若者がコーヒーのうんちくを気にするのかと思ったと言う。
   イスタンブールを歩いて、沢山の若者を見たが、他の国の若い連中と同じ飲み物を飲み、同じような服を着て、携帯電話を持っており、しかし、トルコ電話なんてものもなければ、他の地域と違ったトルコの若者だけが欲しがる音楽プレイヤーなんてものもない。
   世界はひとつなんだ。と言うのである。

   世界はひとつだと言うニャンスと表現がよく似たのが、トーマス・フリードマンの「世界はフラットだ The World is Flat」と言う言葉だ。
   世界は本当にフラットかと散々非難を浴びたフリードマンは、「フラット化する世界」の改訂版を出して、
   「厳密にいえば世界はフラットではない。しかし、丸くもない。フラットと言う単純な概念を使ったのは、これまでになく平等な力を持った人々が、接続し、遊び、結びつき、協力し合うようになった、といいたかったからだ。」と書いている。
   昨日放映された「坂の上の雲」で、ロシアのバルチック艦隊が、対馬海峡か津軽海峡かどの方向からウラジオストックに入るのか分からず、日本海軍をどの位置で待機させるかが、まさに、戦略戦術の要諦であったと言うことだったが、ICT革命なった今日では、こんなことは、何の努力をしなくても先刻お見通しとなる。
   先の若者のグローバリゼーションも、フリードマンのフラット化も、まさに、デジタル革命によって引き起こされたICT技術とその影響による人類史上未曽有の大革命のなせる業なのである。

   この通信と情報の革命的な進歩によって、世界の片隅に起こったニュースが、一気に地球上、すなわち、グローブを駆け巡って地球の隅々にまで伝播して行く。
   20年以上前に起こったベルリンの壁の崩壊時は、無線やラジオ、或いは、TVで、鉄のカーテンに囲まれた地域の人々は、壁の向こうの西欧の民主主義と豊かな生活の情報を得て蜂起したのだが、今や、北アフリカや中東のアラブの春革命を見れば分かるように、ユーチューブ、ツイッター、フェイスブック等インターネットを通じて臨場感あふれる情報が世界を瞬時に駆け巡り、世界中が現実を等しく共有できる。

   昔は、先端を行く芸術やファッションや科学・技術など舶来情報は、殆ど、海外の書籍や雑誌、映画などから伝わり、その後、テレビに移ったのだが、今のICT革命による情報の瞬時の爆発的な氾濫は桁外れで、それ故に、仮想の世界ではあるが、世界はフラットになり、ひとつになる。
   フランスの少女たちが、「かわいい」と言って日本の少女の真似をし、アメリカの若者たちが、日本のアニメに殺到するなどジャパン・クールが世界中の若者たちの心を捉えているのも、やはり、ICT革命故である。

   さて、世界はフラット化して、若者たちはグローバル化したと言うのだが、日本の若者たちは、グローバリゼーションから取り残されて、殆ど成長が止まってしまって政治経済社会を変革できなくなってしまった日本の現状によって、閉じ込められてしまったのではないかと言う気がしている。
   今秋、幸いにも、二つの大学で、学生たちに講義をする機会を得て、主にブラジルなどBRIC'sの現状や新興国でのビジネス戦略などについて語ったのだが、私自身は、マイケル・サンデルが脚光を浴びていたので、アメリカのビジネス・スクール時代を思い出して、対話形式で講義を進めようと試みたのだが、学生たちは非常におとなしくて、殆ど反応がなくて出来なかった。
   学生たちは熱心に聞いていてくれたし、非常によく勉強して頑張っていると言うことだったが、やはり、知識を吸収して良い成績を取って良い会社に入ろうとしていた我々が学生であった頃の傾向がそのまま残っているのか、もう、40年以上も経っているのに、不思議な気がした。
   私の講義などは、実務者の話なので、成績云々には関係ないと思うのだが、徹頭徹尾、日本の若者たちは、おとなしくなって社会の激動にも反応しなくなってしまったのか。
   私などは、穏健な方だったと思うのだが、それでも、安保反対などと叫んで京都の河原町に繰り出していたし、いまだに、激しくデモを続けているフランスやアメリカの学生を見ていると、日本が成長したのかそうでないのか、良くなっているのかそうではないのか、分からなくなってしまう。

   私は、元々、いまだに権力を握って既得利権の維持に汲々としている老年のエスタブリッシュメントは、出来るだけ早く退場して、若者たちに道を譲って、日本の舵取りを任せるべきだと思っているので、いくら大人しくなっても日本の若者を信じている。
   知恵と経験に裏打ちされた発想やものの考え方には、老人に一日の長はあるだろうが、それは、あくまで参考にすれば良いだけで、権力は完全に若い世代に譲渡さなければ、明日の日本はないと思っている。
   それが、スティーブ・ジョブズが閃いた若者のグローバリゼーションであり、フリードマンの感じたフラット化した世界の本当の意味ではないかとと言うことである。
   
コメント
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