今月の歌舞伎は、日生劇場が舞台で、七世松本幸四郎襲名百年記念と銘打って、その曾孫である染五郎と松緑と海老蔵の3人が、夫々主役を演じる縁の作品が上演されている。
梨園と称される血筋重視の閉鎖的な歌舞伎の世界ではあるが、この七世松本幸四郎は、歌舞伎とは関係のない素人の子供で、数え3歳のとき、振付師・二代目藤間勘右衛門の養子となり、1880年(明治13年)に、九代目市川團十郎の門弟となり、市川金太郎を名乗って舞台に立ったと言う歌舞伎界の名優である。
十一代目市川團十郎、八代目松本幸四郎、二代目尾上松緑と言う偉大な名優の実父と言うことであるから、その歌舞伎界に残した功績には計り知れないものがあり、その曾孫である、これも、今の歌舞伎界を背負って立つ若手のホープ3人が、顔合わせによって名舞台を披露するのであるから、会場も、若い女性ファンが詰めかけるなど華やいだ雰囲気に包まれている。
私が観たのは昼の部で、「茨木」は、渡辺源次綱(海老蔵)が、鬼退治で羅生門で切り落とした左腕を、茨木童子(松緑)が、伯母真柴(松緑)に化けて自分の腕を取り返しに来て、騙して腕を得て本性を現した鬼と、大立ち回りを演じると言う話である。
舞台が開くと、バックには能舞台を思わせるような一本の巨大な松が描かれていて、その前に、ずらりと、長唄連中が緋毛氈の雛段に居並ぶという河竹黙阿弥の松羽目物の舞踊劇である。
舞踊劇なので、殆ど謡で語られるのだが、トーンを落として野太い声で語りかける海老蔵の声音が、舞台がら、能狂言ともニュアンスの違った響きで面白いが、このような前半殆ど動きのないシーンでも、最後の大きく立ち回るシーンでも、海老蔵の見得や動きが様になっていて素晴らしい。
主役は、やはり、松緑の伯母真柴と茨木童子であるが、前半の、綱に対面を断られて引き下がる愁いを帯びた嘆き悲しむ仕種など、新境地だと思うのだが、丸顔で目がパッチリ開いた顔に、老婆らしく皺などの、或いは、鬼らしく熊取をしているのだけれど、どう見ても童顔だけに、化け猫のような雰囲気で、折角の押さえて切り詰めた芸の素晴らしさが、ストレートに来ないのが惜しいと思った。
この話は、平安時代だと言うことだが、当時は、盗賊など世間を荒らしまわる悪人たちを鬼と称していたようで、この茨木童子は酒呑童子の家来で、坂田金時(金太郎)など頼光四天王たちが、この鬼たちを退治している。
さて、興味深いのは、染五郎が演じる義経の忠臣佐藤忠信の『碁盤忠信』だが、七世松本幸四郎が明治44年11月の襲名披露興行で一度だけ上演した狂言で、それを百年ぶりに染五郎が復活させて演じると言うのである。
ところが、創作の手掛かりは、台本と、雑誌『演藝畫報』に掲載されていたモノクロの扮装写真と、舞台面については、帝劇に一枚だけ写真が残っていたということで、これらを参考にして創り上げたと言うのであるから、殆ど完全に古典歌舞伎の手法に則った創作歌舞伎である。
あの頃の歌舞伎は、シェイクスピア時代と同じように、演じられる度毎に演出や舞台が変っていたと言うのであるから、当然、決定版と言ったものではなかった筈で、染五郎が、自身の経験や習得した知識や芸術論を総合して作り出した舞台であって、観客が楽しめれば、上出来なのである。
私自身は、古典もの、特に、荒事の芝居は、話の筋などは二の次で、辻褄が合わず奇想天外であっても、魅せて見せれば良いと思っているので、今回のこの「碁盤茨木」の随所に視覚的な新境地を開いた舞台を楽しむことが出来た。
忠信が、多くの捕り手たちを相手に、碁盤を振り回して大立ち回りを演じるのだが、捕り手たちを使ってのマスゲーム的な群舞(?)やロープのすっぽ抜けなど現代的な手法を随所に取り混ぜて演じるなど、斬新な面白さがあったし、染五郎のイメージチェンジと言うか、線の細さを克服した荒事の典型的な派手でエネルギッシュなパーフォーマンスなどは、父の幸四郎や叔父の吉右衛門とは違った迫力があって、魅力全開であった。
上村以和於氏が、「『碁盤忠信』の大詰、同じ二本隈を取った相似形のような扮装で海老蔵とふたり並ぶと、睨んでご覧に入れるのが身上の海老蔵が浚ってしまうのは、気の毒だが仕方がない。」と書いているが、これは、定番の海老蔵とを比較するからの評論で、私は、成田屋とは違ったニュアンスの睨みや見得があっても良いと思っている。
それに、今回の「碁盤茨木」にも少し批判的だが、復活創作第一号バージョンであるから、最初から批判のない決定版などあり得ないのであるから、手垢のついていない新鮮な演出と舞台であっただけでも、上出来だと思っている。
ところで、この歌舞伎では、寝返った舅・小柴浄雲(錦吾)が酒で酔わせて忠信を殺害しようとするのだが、別には、忠信は京へ入り、四条室町の愛人かやをたずねて隠れ住もうとしたのだが、既に心変わりして敵に内通しており、酒に酔わせて襲わせるのだが、刀はかやに隠されてしまっていたので、近くにあった重い榧の碁盤を振り回して戦い、その場を逃れたと言う逸話が残っていて、碁盤忠信と言うことになっていると言う。
染五郎は、「今、新しい作品をつくろうとすると、どうしても面白いストーリーを、と考えます。でも、歌舞伎は物語だけによってあるのではない。むしろ目や耳、五感を楽しませてこその歌舞伎だという想いがありました。そういう歌舞伎が、『碁盤忠信』ならばできるのではないか。歌舞伎本来の時代な芝居がつくれるのではないかと思いました。」言っている。
碁盤忠信の意味は兎も角、碁盤を枕にして寝込む忠信の夢枕に、亡き妻小車(高麗蔵)が現れて、碁盤を写し出して、敵に囲まれているのを暗示させるなど結構面白くなっているし、これだけ、見せ場もあり楽しめる舞台を創り上げた染五郎の奮闘努力を多としたいと思っている。
梨園と称される血筋重視の閉鎖的な歌舞伎の世界ではあるが、この七世松本幸四郎は、歌舞伎とは関係のない素人の子供で、数え3歳のとき、振付師・二代目藤間勘右衛門の養子となり、1880年(明治13年)に、九代目市川團十郎の門弟となり、市川金太郎を名乗って舞台に立ったと言う歌舞伎界の名優である。
十一代目市川團十郎、八代目松本幸四郎、二代目尾上松緑と言う偉大な名優の実父と言うことであるから、その歌舞伎界に残した功績には計り知れないものがあり、その曾孫である、これも、今の歌舞伎界を背負って立つ若手のホープ3人が、顔合わせによって名舞台を披露するのであるから、会場も、若い女性ファンが詰めかけるなど華やいだ雰囲気に包まれている。
私が観たのは昼の部で、「茨木」は、渡辺源次綱(海老蔵)が、鬼退治で羅生門で切り落とした左腕を、茨木童子(松緑)が、伯母真柴(松緑)に化けて自分の腕を取り返しに来て、騙して腕を得て本性を現した鬼と、大立ち回りを演じると言う話である。
舞台が開くと、バックには能舞台を思わせるような一本の巨大な松が描かれていて、その前に、ずらりと、長唄連中が緋毛氈の雛段に居並ぶという河竹黙阿弥の松羽目物の舞踊劇である。
舞踊劇なので、殆ど謡で語られるのだが、トーンを落として野太い声で語りかける海老蔵の声音が、舞台がら、能狂言ともニュアンスの違った響きで面白いが、このような前半殆ど動きのないシーンでも、最後の大きく立ち回るシーンでも、海老蔵の見得や動きが様になっていて素晴らしい。
主役は、やはり、松緑の伯母真柴と茨木童子であるが、前半の、綱に対面を断られて引き下がる愁いを帯びた嘆き悲しむ仕種など、新境地だと思うのだが、丸顔で目がパッチリ開いた顔に、老婆らしく皺などの、或いは、鬼らしく熊取をしているのだけれど、どう見ても童顔だけに、化け猫のような雰囲気で、折角の押さえて切り詰めた芸の素晴らしさが、ストレートに来ないのが惜しいと思った。
この話は、平安時代だと言うことだが、当時は、盗賊など世間を荒らしまわる悪人たちを鬼と称していたようで、この茨木童子は酒呑童子の家来で、坂田金時(金太郎)など頼光四天王たちが、この鬼たちを退治している。
さて、興味深いのは、染五郎が演じる義経の忠臣佐藤忠信の『碁盤忠信』だが、七世松本幸四郎が明治44年11月の襲名披露興行で一度だけ上演した狂言で、それを百年ぶりに染五郎が復活させて演じると言うのである。
ところが、創作の手掛かりは、台本と、雑誌『演藝畫報』に掲載されていたモノクロの扮装写真と、舞台面については、帝劇に一枚だけ写真が残っていたということで、これらを参考にして創り上げたと言うのであるから、殆ど完全に古典歌舞伎の手法に則った創作歌舞伎である。
あの頃の歌舞伎は、シェイクスピア時代と同じように、演じられる度毎に演出や舞台が変っていたと言うのであるから、当然、決定版と言ったものではなかった筈で、染五郎が、自身の経験や習得した知識や芸術論を総合して作り出した舞台であって、観客が楽しめれば、上出来なのである。
私自身は、古典もの、特に、荒事の芝居は、話の筋などは二の次で、辻褄が合わず奇想天外であっても、魅せて見せれば良いと思っているので、今回のこの「碁盤茨木」の随所に視覚的な新境地を開いた舞台を楽しむことが出来た。
忠信が、多くの捕り手たちを相手に、碁盤を振り回して大立ち回りを演じるのだが、捕り手たちを使ってのマスゲーム的な群舞(?)やロープのすっぽ抜けなど現代的な手法を随所に取り混ぜて演じるなど、斬新な面白さがあったし、染五郎のイメージチェンジと言うか、線の細さを克服した荒事の典型的な派手でエネルギッシュなパーフォーマンスなどは、父の幸四郎や叔父の吉右衛門とは違った迫力があって、魅力全開であった。
上村以和於氏が、「『碁盤忠信』の大詰、同じ二本隈を取った相似形のような扮装で海老蔵とふたり並ぶと、睨んでご覧に入れるのが身上の海老蔵が浚ってしまうのは、気の毒だが仕方がない。」と書いているが、これは、定番の海老蔵とを比較するからの評論で、私は、成田屋とは違ったニュアンスの睨みや見得があっても良いと思っている。
それに、今回の「碁盤茨木」にも少し批判的だが、復活創作第一号バージョンであるから、最初から批判のない決定版などあり得ないのであるから、手垢のついていない新鮮な演出と舞台であっただけでも、上出来だと思っている。
ところで、この歌舞伎では、寝返った舅・小柴浄雲(錦吾)が酒で酔わせて忠信を殺害しようとするのだが、別には、忠信は京へ入り、四条室町の愛人かやをたずねて隠れ住もうとしたのだが、既に心変わりして敵に内通しており、酒に酔わせて襲わせるのだが、刀はかやに隠されてしまっていたので、近くにあった重い榧の碁盤を振り回して戦い、その場を逃れたと言う逸話が残っていて、碁盤忠信と言うことになっていると言う。
染五郎は、「今、新しい作品をつくろうとすると、どうしても面白いストーリーを、と考えます。でも、歌舞伎は物語だけによってあるのではない。むしろ目や耳、五感を楽しませてこその歌舞伎だという想いがありました。そういう歌舞伎が、『碁盤忠信』ならばできるのではないか。歌舞伎本来の時代な芝居がつくれるのではないかと思いました。」言っている。
碁盤忠信の意味は兎も角、碁盤を枕にして寝込む忠信の夢枕に、亡き妻小車(高麗蔵)が現れて、碁盤を写し出して、敵に囲まれているのを暗示させるなど結構面白くなっているし、これだけ、見せ場もあり楽しめる舞台を創り上げた染五郎の奮闘努力を多としたいと思っている。