熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ウォルター・アイザックソン著「スティーブ・ジョブズ」Ⅱ~オープンかクローズドか

2011年12月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   このスティーブ・ジョブズ全編を読んでいて、最大の関心事は、ジョブズのイノベーション連発の発想と姿勢であった。
   まず、ジョブズのジョブズたる所以は、やはり、世界の潮流から逸脱したジョブズしか出来なかったであろう個性と製品を一つに纏める”統一場理論”とアイザックソンが指摘するハードウエアとソフトウエアとコンテンツを統一して一貫したシステムにする統合システムである。
   ジョブズは、完璧を求めるが故に、アップルの凄いソフトや完璧な製品が、勝手なアプリやコンテンツで汚されることを徹底的に嫌って、アップルの製品については神経質なほど、エンドツーエンドでコントロールしようとした。

   尤も、ジョブズは、一度だけ、マッキントッシュのオペレイティングシステムで、粗悪な製品が勝ってしまったんだと言って、ウインドウズが勝利したことを認めて、アップルの時と同じやり方をしようとしたのは間違いだったと言っている。
   しかし、その後のiPodやiPadなどでは、このクローズド・システムで勝利していて、ジョブズは、殆どオープンシステムには関心を示さなかった。
   このオープンかクローズドかと言うことについて、ジョブズとゲイツは、最後の会談で、お互いに成功したことを認め合っているのだが、その後、ゲイツは、「スティーブが舵を握っているあいだは統合アプローチがうまく行きましたが、将来的に勝ち続けられるとは限りません。」と言っている。
   このゲイツの見解をジョブズに伝えたら、そんなばかなことがあるかと笑ったようだが、それでは、エンドツーエンドの統合で凄い製品を作った会社はどこがあるかと聞いたら、考え込んで、「自動車メーカーだな」と言って「少なくとも昔はそうだった」と一言付け加えたと言う。

   私は、ジョブズのような完璧主義の全経営権を握ったカリスマイノベーターの場合には、ある特定の製品やシステムのイノベーションには成功できる場合があるとは思うが、ソニーのような権力や経営体制が分権化した大企業などの場合には、クローズドシステムでの統合システムが、成功することは殆ど有り得ないと思っているし、もし成功したとしても、アップルのように決定的な世界標準を握ることなどは有り得ないと思っている。
   非常に限られた特定の商品やサービスでの統合システムでのブルーオーシャン的なイノベーションは、あるかも知れないが、質やスケールの大きさ深さにおいて高度化複雑化して来た今日では、単一の企業が、技術ノウハウをブラックボックス化して価値あるイノベーションを生むのは至難の業で、オープンシステムやアウトソーシングによって外部の知識情報ノウハウ・テクノロジーを糾合しない限り不可能であるからである。

   アップルの見事なところは、以前にも書いたことがあるが、統合システムのイノベーションで断トツの利益を叩き出しているが、その殆どは、iPodにしろiPadにしろソフトなど周辺の魅力的なビジネスモデルではなく、製品の売り上げによると言うことである。
   コンピューター・メーカーがどんどんコモディティ化して行く中、アップルのPC市場における売上高では7%に過ぎないのに、営業利益の35%を占めていると言うことであり、ソフトの魅力も、コンテンツの魅力も、トータル・システムの素晴らしさも、すべからく、製品の魅力と利益アップの為なのである。
   プリンターやカメラを価格破壊でダンピングして売って、純正と銘打ってインクやペーパーの消耗品の売り上げで利益を叩き出そうともがいているどこかの国の製造業と大違いであるのが面白い。
コメント
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