熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

男はつらいよ・寅さん映画の思い出

2011年12月25日 | 生活随想・趣味
   WOWWOWで、年末年始にかけて、「男はつらいよ」全編の放映が始まった。
   以前に、NHKBSで放映されたことがあったので、あの時も見たのだが、実は、私には、寅さんの映画には、大切な思い出がある。
   「男はつらいよ」の第1作は1969年だが、私が初めて見たのは、JALの機内か、アムステルダムのホテル・オークラか忘れたが、マドンナが竹下景子で、三船敏郎と淡路恵子の大人の恋を描いた第38作の「知床旅情」であったから、もう、20年くらい経ってからである。
   それまで、映画館には殆ど行かなかったし、海外勤務や海外出張が多かったので、映画を見るのは機内でくらいだったし、それに、人気とは裏腹に、どうせ娯楽映画であろうと言うくらいの認識しかなかったので、チャンスがなかったと言うことである。

   アムステルダムに居た時、娘が友達から寅さん映画のビデオを3本借りて来たので、Hi8に録画して、家族で楽しんでいた。
   沢山の日本のビデオも持ち込んではいたが、寅さんを何度も繰り返して見ているので、その後、東京へ出張する度毎に、4本5本とビデオにダビングして持ち帰り、途中、ガードがかかって録画できなくなってからは、市販のビデオやレーザーディスクを買って帰るなどして、ビデオで出ているすべての寅さん映画を、最初はオランダ、その後はイギリスで鑑賞した。
   最後の2巻くらいは、帰国して日本で見たのだが、家族全員が寅さんファンになってしまっていて、特に、娘二人などは、日本を離れて久しく、寅さん映画で日本を感じ、日本の空気を吸って生活して来たみたいなものであるし、それに、数年間で、寅さん映画を殆ど凝縮して見たのであるから、懐かしさも一入であろうと思う。
   ヨーロッパでは、学生時代に歌っていた歌の文句ではないけれど、私自身、「フィラデルフィアの大学(院)を出て、ロンドン・パリを股にかけて」ヨーロッパを走り回っていて殆ど留守をしていたので、寂しさを慰めるためにも、家族にとっては、寅さん映画は恰好の娯楽であり、私にとっては、願ってもない助っ人であったのである。
   娘二人とも、アガサ・クリスティの大ファンでもあったので、ヨーロッパ文化と日本文化とが、上手くバランスが取れていたのであろうと、海外生活で苦労させた罪滅ぼしでもないが、自分を慰めている。

   ところで、私の方であるが、娘と同じように、寅さんを見ながら、日本を感じ続けていたのだろうと思う。
   日本に帰ってから、その後、仕事の関係で、北海道の稚内から沖縄まで、全国を回るようになって、仕事の合間に、所々、歩きながら、寅さんの舞台を反芻することになったのだが、実際に現場に立つのと、異国で望郷の思いで「男はつらいよ」を見るのとでは、大分、感慨が違っていて、逆に、日本のふるさとの風景の中にどっぷりとつかりながら、何故か、異国での懐かしい思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡り胸を締め付けられるような気持になって茫然とすることがあった。
   寅さんのテーマ音楽を聞いただけで、丁度、パブロフの犬のように、私の心にスイッチが入って、懐かしい映画の日本風景が走馬灯のように脳裏を駆け巡って来て、一気に色々な思いや感情が湧き上がって来る。
   そんな、貴重な映画であった。

   当時は、ベルリンの壁の崩壊前後の10年間くらいであったから、ヴォ―ゲル教授が、Japan as No.1と持ち上げ、日本経済が最盛期の頃であり、我々海外で仕事をしている日本人は、正に、良い意味でも悪い意味でも、1等国の誇りと意気込みで働いていた。
   しかし、私自身は、それまでに、アメリカやブラジルで勉強し仕事を経験していたし、ヨーロッパとの付き合いも長かったので、日本の本当の姿なり立ち位置については、かなり冷静に見ていたので、ヨーロッパの文化や文明の素晴らしさは承知で、それを学ぶためにあっちこっち動き回っていた。
   その代り、昔、京都や奈良を頻繁に歩いて、曲がりなりにも日本の誇るべき歴史や伝統についても多少の知識があるとうぬぼれていたので、イギリスやヨーロッパの友人・知人たちに、日本を語って聞かせ、日本について議論することが結構あったし、ジャパン人気で、良く聞いてくれた。
   そんな私の話を、豊かに増幅してくれたのは、正に、寅さん映画で私の血肉となっていた日本への思いと日本の姿であった。
   サザエさんと同じで、日本の実際の姿より、少し、庶民感覚で脚色しているところはあっても、カレント・トピックスを適度にアレンジして、日本人の生活と心を、あれほどビビッドに鮮やかに描いている映画はないであろうし、何よりも心にしみる日本人の心を叩き込んだ追経験なり代理経験を味わえるのが堪らなかった。
   長い海外との付き合いで、結構、苦しいことも楽しいこともいろいろ経験して来たけれど、この寅さん映画のお蔭もあるのだが、結局、益々日本の良さと言うか素晴らしさを実感することになって、私自身、日本人であると言う思いを痛い程身に沁みて感じながら誇りを持って、生きているような気がしている。

   渥美清が、希代の名優であることは、誰もが認めるところであり、語れば蛇足になるので、止めるが、私は、一度だけでも良いから、渥美清の演じるシェイクスピアの戯曲を聴きたかったと思っている。
   悲劇も喜劇も断トツに上手い両刀使いの渥美清の、滔々と聴く人の心の奥底に語りかけて感動を呼ぶ語り口の素晴らしさは抜群であり、想像もできない程の舞台を創り上げてくれたであろうと思っている。

   多くの日本の素晴らしい女優との恋物語にワクワク、時にはほろりとしながら見ていたのだが、笠智衆を筆頭に倍賞千恵子など脇を固める助演陣が、又、実に素晴らしい。
   それに、替わりばんこに登場する日本の誇る素晴らしい名優たちが、感動的な舞台を見せてくれるのも大変な楽しみであった。
   志村喬の今昔物語の話、森繁久弥の島の老人、田中絹代の農家のおかみさんの語る渡世人の死、画家の宇野重吉と岡田嘉子との恋、陶芸家の仁左衛門、マドロス姿の島田正吾、知床の獣医三船と淡路の恋、小林桂樹と樫山文枝との恋、それに、柳家小さん、小沢昭一、宮口精二、嵐寛寿郎、小暮実千代、ミヤコ蝶々、京マチ子、松村達雄。私より古い世代の名優たちだが、夫々、実に感動的な芸を見せていていぶし銀のように光っていた。

   昨日、テレビを見ていたら、第15作の「寅次郎の相合い傘」を放映していて、船越英二が、家出して旅に出た小樽で、初恋の人を人目見たいばっかりに、彼女の喫茶店へ客として訪れるシーンが出て来て、一言も発せずに店を出るのだが、鞄を忘れて出て来たので、彼女が持って出て来て、玄関口で名前を呼ばれる。
   彼女・岩崎加根子が、入ってきた時から分かっていたと言って、お入りになったらと誘うのだが、電車の時間がありますからとか言って、その場を去って行く。
   夕暮れの港で、あの人と結婚しておれば幸せになれたのにと涙ぐむ船越に、女一人幸せにできない情けない奴と言った寅に、リリーの浅丘ルリ子が反発して喧嘩別れ。
   そんな話だが、寅さんの恋も面白いが、このようなサブテーマの恋物語に、先の三船や宇野の恋物語もそうだが、しみじみとした味わいがあって、好きである。
   私など、気の弱い方だから、船越のだらしなさが痛い程良く分かる。

   ところで、私も仕事や個人的にも、随分、あっちこっちを旅して来たが、残念ながらと言うべきか、寅さんのように、語れるような恋物語はなかった。
   確かに、随分、海外も国内も、一時は旅に明け暮れたような生活をしていたので、多くの美しくて魅力的な女性にめぐり逢って、それなりの思いを感じては来たものの、それだけで、すべて忘却の彼方である。
   ただ、旅に出ると非常に人恋しくなったり、人の人情の機微や温かさが身に沁みて、心が何となくハイになることは事実で、やはり、旅は、寅さんでなくても、非日常の特別なシチュエーションを作り出してくれるようである。
   
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