熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

柿葺落四月大歌舞伎・・・「盛綱陣屋」「勧進帳」

2013年04月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   第3部は、前2部とは違って、実質的な古典歌舞伎で、非常に充実した舞台であり、流石に柿落し公演と言う感じがした。
   何回も観ている歌舞伎なので、特別な感慨はないのだが、今回は、期せずして、義理人情に絆されてと言うか、どうしても自分の思いなり信念に生きればこうなると言う、意気に感じて、主を裏切る武士の情けを示す武将の話である。
   
   盛綱陣屋は、実際には、大坂冬の陣で、敵味方に分かれた真田信幸、幸村兄弟の話を、佐々木盛綱、高綱兄弟に置き換えて、兄高綱が、弟高綱の実子小四郎を自害させて逃れると言う切羽詰った巧妙な計略と小四郎の健気さに感じ入って、高綱の偽首を高綱だと偽って証言して、北条時政(実際には、徳川家康)を裏切ると言う筋になっている。

   仁左衛門の苦渋に満ちた風格のある凛々しい高綱が、実に感動的で、胸に迫る。
   吉右衛門の和田兵衛秀盛の貫録と豪快さは、まさに、地で行っている感じだが、舞台を圧する空気は、やはり、今回の柿落とし興行の立役トップの風格であろう。
   篝火の時蔵、早瀬の芝雀、微妙の東蔵、女形陣の素晴らしさも流石であるが、小四郎の金太郎の素晴らしい演技が秀逸であった。

   「勧進帳」の方は、安宅の関守である富樫左衛門(菊五郎)が、義経一行であると知りながら、武士の情けで見逃して関所を通して、頼朝の命に背くと言う話になっている。
   今回の劇場の筋書パンフレットに、”睨み合う双方の間に入った弁慶は、富樫たちが義経と疑う強力をこの場で打ち殺そうと言い放つ。その必死の様子に、一行が義経主従であると察した富樫であったが、主君を守ろうとする弁慶たちの忠義心に心を打たれ、関所の通過を許しその場を立ち去る。”と書いてあるのだが、これは、一寸、行き過ぎた解説だとしても、富樫が義経と見破ったかどうかを曖昧にしている能の「安宅」と違うところで、興味深い。
   
   この歌舞伎の勧進帳と能の安宅の違いや、富樫の義経に対する判断の差などについては、このブログで、既に触れているので蛇足は避けるが、富樫が、何時、弁慶が偽山伏であり強力が義経だと悟ったかは、歌舞伎役者も能役者も、夫々見解が分かれており、そして、それに従って演じ方も違っているので、その富樫役者が演じる心の葛藤、軌跡を追うことが重要で、私自身は、弁慶や義経はある程度一本調子で演じていても、様になるにしても、富樫は非常に難しいと思っている。

   私が最もあり得ると思うのは、どちらかと言えば、弁慶が力づくで富樫と対決して関所を突破すると言う見解に近い筈の能の立場から語っている観世清和宗家の考え方である。私のブログから、その部分を引用すると、
   ”富樫が、義経だと分かっていたかと言うことについて、観世清和宗家は、「一期初心」の”「安宅」の心理劇の項で、山伏の一行が到着した時から、それが義経主従であることを見破っていて、弁慶の読み上げる勧進帳がおかしいことも分かっていたと書いている。
   一方、弁慶も見破られていることに気付いていて、お互いに相手の心を読み、もうこの先は、刀を抜いて斬り合うしかないと言うギリギリのところでぶつかり合っている。表舞台で進む派手なやり取りの後ろで、もう一つのドラマが進んでいる。この二重構造が「安宅」の特徴であり、演者にとっての醍醐味だと言っていて、
   「安宅」が大曲と言われるのは、展開する舞台の華々しさによるのではなく、背後で同時に進んでいる緊迫した心理劇をどう表現するか、そこに演じるものの力が問われているからだ。と言うのである。”

    同じように、もうはなっから「あの強力は義経ではないか」疑っているのだと、惜しくも、柿落しの舞台に立てなかった團十郎が言っている。本物かどうかは弁慶を見れば、その問答の中で分かる筈で、これ程の人物がそばにいると言うことは只ものである訳がない、でも、富樫は家来の手前、義経だと知ってか知らずかの顔をせざるを得ない訳です。と言っていて、こう思うと、最後に見た團十郎の富樫の演技が良く分かり、幕切れで、弁慶たちを見送る姿に、万感の思いを込めていて感動的であった。

   幸四郎がどのように考えているのか、書き物で読んだことがないので分からないが、今回の舞台で、富樫に向かって武士の情けの有難さを肝に銘じて、感謝の一礼を残して足早に花道へ走り去り、幕が下りて、花道で飛六方で去る直前でも、舞台上手を凝視して感謝の思いを噛みしめていた。
   富樫が、頼朝の咎めを受けることは必定で、命を懸けて見逃してくれた武士の武士たる所以に対する激情の迸りであろう。
   幸四郎の弁慶は、今や、頂点と言うべきであろう。

 
   私は、勧進帳では、富樫が一番好きなキャラクターである。
   これまで、菊五郎が一番多いのだが、富十郎、吉右衛門、勘三郎、梅玉の富樫の舞台を観ていて、夫々に感激してきた。
   あのオセロと同じで、シェイクスピアが、イヤーゴを主役にしようと考えたことがあったと言うように、この勧進帳も、主役は、義経だと言われていながら、弁慶が一番突出しているのだが、芝居としては、富樫だと言っても成り立つような気がしている。

   話がわき道にそれてしまったが、梅玉の義経は、決定版の一つ。
   それに、四天王は、染五郎、松緑、勘九郎、左團次と言う豪華さで、ピーンと張り切った緊張感が格別であった。
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