熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

晩秋のロシア紀行(8)世界歴史遺産サンクトペテルブルグ

2014年12月02日 | 晩秋のロシア紀行
   サンクトペテルブルグは、ピヨートル大帝が建設した都市なので、たった300年の歴史しかない。
   しかし、街全体が、正に、パリやロンドンのように、ヨーロッパの街そっくりの印象を与える歴史遺産そのものである。
   短い滞在なので、歩いたのはほんの僅かで、バスの車窓から覗き見て、街の雰囲気を感じ取った程度だが、これが、ヒットラーの猛攻撃に堪えて生き抜いた歴史的な試練を潜り抜けた大都市だと思うと、正に、感慨無量であった。
   それに、とにかく、この街も、京都と同じで、キリスト教会が多い街で、宗教はアヘンだと豪語した共産党政権の破壊に堪えて、良く残ったものだと思う。

   私たちが入場して、かなり、長い時間を教会内で過ごしたのは、「血の救世主寺院」別名「血の上の救い主聖堂」など極限られていて、この教会も、今や、博物館として利用されている。
   何故、血の上の・・・と呼ばれるのかだが、農奴解放令を出して「解放者」と呼ばれた改革派の皇帝アレクサンドル2世が、1881年に、テロリストの爆弾で命を奪われた場所に、息子のアレクサンドル3世が建てたからである。
   赤の広場に面して建っている有名なワシーリィ寺院とよく似た恰好をしているが、完成は、1907年で、共産革命直前なので新しい。
   私は、ギリシャでギリシャ正教の寺院に入っていないので良く似ているのかどうかは分からないのだが、今回、ロシアで見た教会は、他の欧米の寺院と全く違って、柱は勿論のこと壁面は壁画などで覆われていて、立錐の余地もない程に極彩色に彩色されていて、綺麗いことは綺麗のだが、別の意味では、気が狂いそうなほど衝撃的なのである。
   ドイツやフランスの高いゴチックの教会のように、森の中にいるような静けさ静寂さは、微塵もないのが、不思議であった。
   それに、床面も一面のモザイクで荘厳されている。
   
   
   
   
   
   

    街の中心から、エルミタージュと旧海軍省の間に抜けているいるネヴァ川にかかる宮殿橋を渡って、対岸の2棟の燈台のたもとに行くと、ネヴァ川を挟んで、エルミタージュの長い冬宮が遠望でき、巨大な建物であることが分かる。
   そして、燈台の後方に、サンクトペテルブルグの基礎が築かれたうさぎ島のペトロパブロフスク要塞が、良く見える。
   ネヴァ川に落ち行く夕日が、北国の光そのものである。
   
   
   
   

   取って返して、旧海軍省の建物を右に見て、デカプリストの乱所縁のデカプリスト広場の外れに、エカテリーナ2世が建てたと言うピュートル大帝の騎馬像が、ネヴァ川の方向を向いて立っている。
   その公園越しに、巨大なドームを頂いたイサク聖堂が聳えている。
   ドーム外壁に展望台があって、サンクトペテルブルグの眺望を楽しめるようだが、我々は、公園を散策しただけで後にした。
   ここで面白かったのは、カラスの姿で、灰色と黒のツートンカラーの所為か、あの嫌な日本のカラスとは違って、何となく、鳩のような大人しい雰囲気を感じたことである。
   イサク聖堂を回り込んで反対側に出て、ニコライ1世像のある広場に立つと、聖堂を右に見て、右手に古風なホテルが見える。
   このホテルが、ヒトラーが凱旋入場した時に、記念大宴会を催そうとして果たせなかったと言うホテルで、ロシア人ガイドは、力を籠めてこれを説明していた。
   
   
   

   最後に案内されたのは、電光に映えて美しい小さな教会ニコライ聖堂で、ロシア革命後にも壊されずに残った数少ない現役のキリスト教会である。
   1753年に建てられたバロック様式とロシア伝統建築様式折衷の調和のとれた美しい建物で、殆ど真っ暗であったのだが、裏表で面白い写真が撮れた。
   誰もいない教会の敷地に入って、回り込んで教会内に入ったのだが、礼拝に来ていた何人かのロシア人信徒が、夫々の祭壇の前で祈りをささげていた。
   この教会の内部は、他のヨーロッパの教会に近く、ごてごてしたロシア風の教会の雰囲気はなく、堂内も静寂であった。
   
   
   
コメント
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