7日のロシア旅であったが、機内泊や移動があったので、実質的なロシアでの観光時間は、正味4日と言うことで、サンクトペテルブルグとモスクワの2都市を、正に、駆け足で回り、あっという間に終わった。
しかし、15人の小人数の団体旅行で、JALパックのベテラン・ツアーコンダクターが全行程同行し、有能なロシア人ガイドが、アテンドすると言った体制であったので、かなり、効率的で充実した旅が出来て、期待以上の勉強が出来たので、喜んでいる。
まず、一番心配をしたのが、-4°C~-9°Cと言う厳寒の気候であった。
オランダでは、かなり、寒い冬を過ごしており、-21°Cとなって、凍って開かない車のドアーのカギ穴に熱湯をかけたら瞬時に凍りついた経験もしているのだが、毎日、日本では経験のないような氷点下の寒さを、どう乗り切れるのかであった。
結論から言うと、ロングのダウン・コートを買って持って行き、帽子を被れば、戸外はこれで十分であり、むしろ、美術館やレストランや劇場など室内では、日本での生活と殆ど変らないので、逆に、ヒートテックの下着が災いして、暑くて困るほどであった。
全日、晴天に恵まれた所為もあるのだが、持って行った沢山のホカロンは、一度も使うことはなかった。
ロシア人たちも、日本の東京で歩いているような普通の防寒具で街を歩いていて、-20°や-30°くらいになって、初めて、映画に出て来るような毛皮の防寒具になるようで、氷点下程度では寒い部類に入らず、今は、まだ、秋だと言っていた。
もう一つは、治安の問題だったが、ツアーを離れて、自由行動を取ったのは、サンクトペテルブルグのマリインスキー劇場とモスクワのボリショイ劇場でのバレイやコンサート鑑賞に出かけたその前後だけだったので、何とも言えないが、長年の海外生活から得た感じでは、それ程、心配はいらないように思った。
もっと危険だった頃のアメリカでも生活していたので、本人の注意次第だと思うのだが、とにかく、晩秋であり緯度が日本より北故に、朝夕長い間、外が暗いので、その間、自由がきかないと言う所にも問題があった。
それに、英語が殆ど通じず、ロシア語が分からないので、いざと言う時には、対応が難しいので、短期間の旅では、注意が肝要かも知れない。
また、現在なら、大変な経済危機で、物価の異常上昇や品不足などで国民生活にもかなり逼迫感や不安が広がっているようで、大変であろうと思う。
さて、食事だが、朝は米系ホテルのバイキングで、世界共通であり、ロシア料理を食べたのは、団体行動をした昼と夜で、ボルシチやピロシキ、キエフ風カツレツ、シチーと言った典型的だと言うロシア料理を頂いたが、パックツアーの限界でもあり、ツーリスト・メニューとは言わないまでも、それ程、高級なレストランでの食事ではないので、何とも言えない。
私は、これまで、ヨーロッパ各地を歩き回っていた時には、ミシュランの星付きのレストランを意識して廻っていたのだが、やはり、それなりの店で、それなりの地元料理を頂かないことには、その国の料理やエスニック料理については、大きなことは言えないと思っている。
その典型は、イギリス料理で、不味いと誰もが云うのだが、まともなレストランに行って食べると、びっくりするほど美味しいことに気付く筈である。
土産物だが、ルーブルが、年初から比べてかなり割安だったので、買い物にはよかったのかも知れないが、特に欲しいものもなく、孫に、ロシアの陶器製のチェスと、ムーミンのマトリョーシカなどを買ったくらいである。
ロシア陶器も、ロマノフ王朝窯だと言うのだが、これまで買ってきたマイセンやヘレンド、アウガルテンなどから比べれば、それ程でもないので止めた。
今度、もう一度、ロシアに行く機会があれば、やはり、マリインスキー劇場やボリショイ劇場で、じっくりとオペラを観、モスクワ芸術座などで、プーシキンやチェーホフなどのロシア演劇などを鑑賞したいと思っている。
今度の最大の収穫は、ロシアを実際に訪れたことによって、ロシアへの関心なり考え方なりが少し変わって来たと言うことであろうか。
ただ、大きな国であり人口が多いと言うだけで、BRIC'sをコインしたジム・オニールにのせられて、ブラジル、ロシア、インド、中国にアプローチしてきたが、突っ込めば突っ込むほど、その違いが見えてくる。
夫々、奥が深いので、おいそれと理解など無理な話だが、日本人の常として、アメリカ経由でものを見ているので、ロシアに対する見方が、一番、スキューしているように感じている。
何もロシアに限る話ではないが、ウクライナ問題。
例えば、日本と国境を接している某国に、日本人が住民の半数以上を占めている自治区があって、その某国が、住民の意向とは違った政策を推進しようとしていて、それに承服できない日系住民が某国を離れて日本に帰属したいと願って行動を起こしているとした場合には、日本、そして、我々日本人は、どう対応するのか。
ウクライナの場合には、ロシアには、政治的戦略的かつ意図的な思惑もあるであろうし、ソ連崩壊時に政策的に線引きされた国境なので、もっと、現実としては、熾烈な軋轢の渦巻きなどホットだとは思うが、そう言った視点も、時には、必要なのかも知れない。
ロシアへの経済制裁だが、利害関係の少ないアメリカは、自国の国益を優先してイデオロギー主体で押し通せるが、ヨーロッパ諸国は苦慮しており、これを見れば分かるが、日本としても、独自のロシアへの対応があるのではないかと思っている。
(完)
(追記)本ブログの左の欄のカテゴリーの中の「晩秋のロシア紀行」をクリックして頂くと、全16稿が、降順ですが、一覧表示されます。
しかし、15人の小人数の団体旅行で、JALパックのベテラン・ツアーコンダクターが全行程同行し、有能なロシア人ガイドが、アテンドすると言った体制であったので、かなり、効率的で充実した旅が出来て、期待以上の勉強が出来たので、喜んでいる。
まず、一番心配をしたのが、-4°C~-9°Cと言う厳寒の気候であった。
オランダでは、かなり、寒い冬を過ごしており、-21°Cとなって、凍って開かない車のドアーのカギ穴に熱湯をかけたら瞬時に凍りついた経験もしているのだが、毎日、日本では経験のないような氷点下の寒さを、どう乗り切れるのかであった。
結論から言うと、ロングのダウン・コートを買って持って行き、帽子を被れば、戸外はこれで十分であり、むしろ、美術館やレストランや劇場など室内では、日本での生活と殆ど変らないので、逆に、ヒートテックの下着が災いして、暑くて困るほどであった。
全日、晴天に恵まれた所為もあるのだが、持って行った沢山のホカロンは、一度も使うことはなかった。
ロシア人たちも、日本の東京で歩いているような普通の防寒具で街を歩いていて、-20°や-30°くらいになって、初めて、映画に出て来るような毛皮の防寒具になるようで、氷点下程度では寒い部類に入らず、今は、まだ、秋だと言っていた。
もう一つは、治安の問題だったが、ツアーを離れて、自由行動を取ったのは、サンクトペテルブルグのマリインスキー劇場とモスクワのボリショイ劇場でのバレイやコンサート鑑賞に出かけたその前後だけだったので、何とも言えないが、長年の海外生活から得た感じでは、それ程、心配はいらないように思った。
もっと危険だった頃のアメリカでも生活していたので、本人の注意次第だと思うのだが、とにかく、晩秋であり緯度が日本より北故に、朝夕長い間、外が暗いので、その間、自由がきかないと言う所にも問題があった。
それに、英語が殆ど通じず、ロシア語が分からないので、いざと言う時には、対応が難しいので、短期間の旅では、注意が肝要かも知れない。
また、現在なら、大変な経済危機で、物価の異常上昇や品不足などで国民生活にもかなり逼迫感や不安が広がっているようで、大変であろうと思う。
さて、食事だが、朝は米系ホテルのバイキングで、世界共通であり、ロシア料理を食べたのは、団体行動をした昼と夜で、ボルシチやピロシキ、キエフ風カツレツ、シチーと言った典型的だと言うロシア料理を頂いたが、パックツアーの限界でもあり、ツーリスト・メニューとは言わないまでも、それ程、高級なレストランでの食事ではないので、何とも言えない。
私は、これまで、ヨーロッパ各地を歩き回っていた時には、ミシュランの星付きのレストランを意識して廻っていたのだが、やはり、それなりの店で、それなりの地元料理を頂かないことには、その国の料理やエスニック料理については、大きなことは言えないと思っている。
その典型は、イギリス料理で、不味いと誰もが云うのだが、まともなレストランに行って食べると、びっくりするほど美味しいことに気付く筈である。
土産物だが、ルーブルが、年初から比べてかなり割安だったので、買い物にはよかったのかも知れないが、特に欲しいものもなく、孫に、ロシアの陶器製のチェスと、ムーミンのマトリョーシカなどを買ったくらいである。
ロシア陶器も、ロマノフ王朝窯だと言うのだが、これまで買ってきたマイセンやヘレンド、アウガルテンなどから比べれば、それ程でもないので止めた。
今度、もう一度、ロシアに行く機会があれば、やはり、マリインスキー劇場やボリショイ劇場で、じっくりとオペラを観、モスクワ芸術座などで、プーシキンやチェーホフなどのロシア演劇などを鑑賞したいと思っている。
今度の最大の収穫は、ロシアを実際に訪れたことによって、ロシアへの関心なり考え方なりが少し変わって来たと言うことであろうか。
ただ、大きな国であり人口が多いと言うだけで、BRIC'sをコインしたジム・オニールにのせられて、ブラジル、ロシア、インド、中国にアプローチしてきたが、突っ込めば突っ込むほど、その違いが見えてくる。
夫々、奥が深いので、おいそれと理解など無理な話だが、日本人の常として、アメリカ経由でものを見ているので、ロシアに対する見方が、一番、スキューしているように感じている。
何もロシアに限る話ではないが、ウクライナ問題。
例えば、日本と国境を接している某国に、日本人が住民の半数以上を占めている自治区があって、その某国が、住民の意向とは違った政策を推進しようとしていて、それに承服できない日系住民が某国を離れて日本に帰属したいと願って行動を起こしているとした場合には、日本、そして、我々日本人は、どう対応するのか。
ウクライナの場合には、ロシアには、政治的戦略的かつ意図的な思惑もあるであろうし、ソ連崩壊時に政策的に線引きされた国境なので、もっと、現実としては、熾烈な軋轢の渦巻きなどホットだとは思うが、そう言った視点も、時には、必要なのかも知れない。
ロシアへの経済制裁だが、利害関係の少ないアメリカは、自国の国益を優先してイデオロギー主体で押し通せるが、ヨーロッパ諸国は苦慮しており、これを見れば分かるが、日本としても、独自のロシアへの対応があるのではないかと思っている。
(完)
(追記)本ブログの左の欄のカテゴリーの中の「晩秋のロシア紀行」をクリックして頂くと、全16稿が、降順ですが、一覧表示されます。