クレムリンと言うと、何となく、強大な権力の象徴のような印象が強いが、プーチン大統領の公邸や大統領府などが存在するにも拘らず、一般に公開されていて、観光客の人気スポットの一つになっている。
まず、クレムリンは、12世紀に基礎が築かれたほぼ三角形の堅固な赤茶色の2.2㎞の城壁に囲まれた区域で、赤の広場に隣接している。
グーグル・アースとウィキペディアの写真を借用すると、次の通りの眺望である。


高い城壁に囲まれているので、外周からは良く分からないのだが、赤の広場からやバスの車窓から垣間見た情景は、








鳥瞰図の中央右側上方の三角形の建物(壁を隔ててレーニン廟に隣接)が、元元老院の建物でプーチン大統領の公邸、その右下の方形の建物が、大統領府である。
大統領がいる時には旗が立っていると言う。
左側中央の長方形の建物は、クレムリン大会宮殿で、共産党時代に建てられた党大会や国際会議が開かれた所だが、モダニズムの建物であるため、ここだけ世界遺産から外されている。
あっちこっちに骨董の大砲がディスプレィされているのが興味深い。





鳥瞰図底辺中央のオープンスペース聖堂広場に、教会群の建物が残っている。
時々、セレモニーが行われるようだが、今は、博物館のようである。
共産党政府にとっては、王制や教会などは、革命の敵であり、否定の標的であった筈なのに、そして、権力組織の心臓部に存在しながら、何故、これ程までも完璧に保存されて来たのか、散策しながら驚異に感じていた。




時間の関係で、我々が入場したのは、ウスペンスキー大聖堂だけ。
1479年の再建建物のようで、かってはロシア帝国の国教大聖堂で、ロシア皇帝の戴冠式やモスクワ総主教の葬儀が催されてきたと言う。
イコンとフレスコ画で飾られた典型的なロシアの教会の雰囲気で、ロシア人は、これ程美しい世界はないと言うのだが、実際のミサなどが行われれば、そう見えるのであろうか。
出入り口横から見える宮殿の建物の屋根から飛び出たネギ帽子が面白かった。




鳥瞰図三角形の左下頂点の位置に、武器庫と称した博物館がある。
こので小1時間ほど鑑賞に時間を費やしたのだが、写真撮影が許されなかったので記録はない。
ロマノフ王朝の遺産と言うか宝物殿と言った位置づけの博物館で、13世紀から18世紀の武具・武器、14世紀から19世紀の王冠、宮廷衣装や宝飾品、ロマノフ家の馬車などが展示されているのだが、ガイドの説明では、ロマノフ王家が、外国から贈られた献上品やプレゼントや外国への発注品が大半のようで、MADE IN RUSSIAは少ない。
やはり、相当遅くまで、先進ヨーロッパ諸国やトルコから後れを取っていたのである。
まず、クレムリンは、12世紀に基礎が築かれたほぼ三角形の堅固な赤茶色の2.2㎞の城壁に囲まれた区域で、赤の広場に隣接している。
グーグル・アースとウィキペディアの写真を借用すると、次の通りの眺望である。


高い城壁に囲まれているので、外周からは良く分からないのだが、赤の広場からやバスの車窓から垣間見た情景は、








鳥瞰図の中央右側上方の三角形の建物(壁を隔ててレーニン廟に隣接)が、元元老院の建物でプーチン大統領の公邸、その右下の方形の建物が、大統領府である。
大統領がいる時には旗が立っていると言う。
左側中央の長方形の建物は、クレムリン大会宮殿で、共産党時代に建てられた党大会や国際会議が開かれた所だが、モダニズムの建物であるため、ここだけ世界遺産から外されている。
あっちこっちに骨董の大砲がディスプレィされているのが興味深い。





鳥瞰図底辺中央のオープンスペース聖堂広場に、教会群の建物が残っている。
時々、セレモニーが行われるようだが、今は、博物館のようである。
共産党政府にとっては、王制や教会などは、革命の敵であり、否定の標的であった筈なのに、そして、権力組織の心臓部に存在しながら、何故、これ程までも完璧に保存されて来たのか、散策しながら驚異に感じていた。




時間の関係で、我々が入場したのは、ウスペンスキー大聖堂だけ。
1479年の再建建物のようで、かってはロシア帝国の国教大聖堂で、ロシア皇帝の戴冠式やモスクワ総主教の葬儀が催されてきたと言う。
イコンとフレスコ画で飾られた典型的なロシアの教会の雰囲気で、ロシア人は、これ程美しい世界はないと言うのだが、実際のミサなどが行われれば、そう見えるのであろうか。
出入り口横から見える宮殿の建物の屋根から飛び出たネギ帽子が面白かった。




鳥瞰図三角形の左下頂点の位置に、武器庫と称した博物館がある。
こので小1時間ほど鑑賞に時間を費やしたのだが、写真撮影が許されなかったので記録はない。
ロマノフ王朝の遺産と言うか宝物殿と言った位置づけの博物館で、13世紀から18世紀の武具・武器、14世紀から19世紀の王冠、宮廷衣装や宝飾品、ロマノフ家の馬車などが展示されているのだが、ガイドの説明では、ロマノフ王家が、外国から贈られた献上品やプレゼントや外国への発注品が大半のようで、MADE IN RUSSIAは少ない。
やはり、相当遅くまで、先進ヨーロッパ諸国やトルコから後れを取っていたのである。