今日の東京芸術劇場での都響の「作曲家の肖像」は、シベリウスで、来年4月から都響の音楽監督に就任する大野和士の指揮、大変な熱気である。
プログラムは、「レンミンカイネンの帰郷 op.22-4」
「ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.47」 ヴァイオリン:三浦文彰
「交響曲第5番 変ホ長調 op.82」
このシリーズのように、一人の作曲家の代表作品でプログラムを組むと、非常に鮮やかに、その作曲家の音楽イメージが浮き彫りにされて、どっぷりとその音楽にのめり込めるのが良い。
私など、クラシック音楽を聴き続けて長いのだが、音楽に対する基礎知識も希薄だし、聴いていて分かるかと言われれば、何も分からないと言うに等しく、ただ聴いていて、そのサウンドに感応して素晴らしい時間を楽しめると言うことが嬉しくて、コンサートに通っていると言うことである。
ブラボーと客席から声がかかっていた。
私には、あっちこっちで聴いて来たシベリウス節を、この東京で、久しぶりに上質な素晴らしい演奏で反芻することが出来た喜びであろうか。
大野和士が、非常にきびきびとした切れ味鮮やかなタクト捌きで、都響と言う良質な糸を縦横無尽に交差させて鮮やかな綾織に紡ぎ出す、それを聴きながら、私自身の心が、サウンドに合わせて躍動していたと言うことである。
ヴァイオリン協奏曲を弾いた三浦文彰は、2009年世界最難関とも言われるハノーファー国際コンクールにおいて、.史上最年少の16歳で優勝したと言う大変な逸材で、極めて高度な演奏技巧を求められる作品だと言われているこの曲を、殆ど表情を変えずに易々と弾いている感じで、非常にメリハリのはっきりした華麗なサウンドを披露して聴衆の盛大な拍手を浴びていた。
もう、半世紀ほど前になるが、私が最初にシベリウスを知ったのは、交響詩「フィンランディア」と交響詩「トゥオネラの白鳥」がカップリングされたレコードからである。
その後、シベリウスのヴァイオリン協奏曲や交響曲を聴いたのは、欧米に行ってからで、フィラデルフィア管弦楽団やコンセルトヘヴォーなどのコンサートであった。
やはり、私にとっては、先の2曲の交響詩と、今回演奏されたヴァイオリン協奏曲と交響曲第5番が好きな曲で、コンサートのプログラムに組み込まれると、出かけて行った。
何となく、ロンドン交響楽団などよりは、コンセルトヘヴォーのような重厚で渋い、逆に、艶やかな輝きを見せるサウンドの方が、シベリウスには合っているように思っていた。
ヴァイキングの北欧三国にも独特な神話や民話が残っていて、色々な芸術に色濃く影響を与えているのだが、このフィンランドでも、民族叙事詩「カレヴァラ」が国民に愛されていて、シベリウスの劇音楽や叙事詩に影響を与えていると言われている。
ヘルシンキで、どこかは忘れたが、公共建物に大きなカレヴァラの壁画が掲げられていた。
何しろ、フィンランドは、サンタクロースの国だし、トーベ・ヤンソンの「ムーミン」の国でもある。
シベリウスは、非常に愛国主義者で、ロシア空軍機が上空を飛ぶと、自動小銃で撃ち落とそうとしたと言う。
フィンランディアは、第2の国歌だと言われているし、交響曲第5番は、シベリウス生誕50年を祝して政府が依頼した祝賀演奏会曲で自身が指揮したと言う。
シベリウスは、フィンランドでは、大変な偉人なのである。
ヘルシンキと近郊を、夏に2回訪れたことがあるが、あの風土と気候に実際に接して見て、シベリウスの音楽が、少し良く分かったような気がした。
ところで、このフィンランドは、ハンガリーと同様に、モンゴル人が征西して支配した国なので、両国語ともモンゴル語の影響を受けていて、名前などは日本と同じで姓名順だし、そしてまた、蒙古斑が遺伝しているのだと言う。
ロシアを訪れた後だと言う訳ではないが、もう少し、ユーラシアに跨って版図を広げたモンゴルに対する歴史観を変えるべきかも知れないと思っている。
(芸術劇場前広場)

プログラムは、「レンミンカイネンの帰郷 op.22-4」
「ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.47」 ヴァイオリン:三浦文彰
「交響曲第5番 変ホ長調 op.82」
このシリーズのように、一人の作曲家の代表作品でプログラムを組むと、非常に鮮やかに、その作曲家の音楽イメージが浮き彫りにされて、どっぷりとその音楽にのめり込めるのが良い。
私など、クラシック音楽を聴き続けて長いのだが、音楽に対する基礎知識も希薄だし、聴いていて分かるかと言われれば、何も分からないと言うに等しく、ただ聴いていて、そのサウンドに感応して素晴らしい時間を楽しめると言うことが嬉しくて、コンサートに通っていると言うことである。
ブラボーと客席から声がかかっていた。
私には、あっちこっちで聴いて来たシベリウス節を、この東京で、久しぶりに上質な素晴らしい演奏で反芻することが出来た喜びであろうか。
大野和士が、非常にきびきびとした切れ味鮮やかなタクト捌きで、都響と言う良質な糸を縦横無尽に交差させて鮮やかな綾織に紡ぎ出す、それを聴きながら、私自身の心が、サウンドに合わせて躍動していたと言うことである。
ヴァイオリン協奏曲を弾いた三浦文彰は、2009年世界最難関とも言われるハノーファー国際コンクールにおいて、.史上最年少の16歳で優勝したと言う大変な逸材で、極めて高度な演奏技巧を求められる作品だと言われているこの曲を、殆ど表情を変えずに易々と弾いている感じで、非常にメリハリのはっきりした華麗なサウンドを披露して聴衆の盛大な拍手を浴びていた。
もう、半世紀ほど前になるが、私が最初にシベリウスを知ったのは、交響詩「フィンランディア」と交響詩「トゥオネラの白鳥」がカップリングされたレコードからである。
その後、シベリウスのヴァイオリン協奏曲や交響曲を聴いたのは、欧米に行ってからで、フィラデルフィア管弦楽団やコンセルトヘヴォーなどのコンサートであった。
やはり、私にとっては、先の2曲の交響詩と、今回演奏されたヴァイオリン協奏曲と交響曲第5番が好きな曲で、コンサートのプログラムに組み込まれると、出かけて行った。
何となく、ロンドン交響楽団などよりは、コンセルトヘヴォーのような重厚で渋い、逆に、艶やかな輝きを見せるサウンドの方が、シベリウスには合っているように思っていた。
ヴァイキングの北欧三国にも独特な神話や民話が残っていて、色々な芸術に色濃く影響を与えているのだが、このフィンランドでも、民族叙事詩「カレヴァラ」が国民に愛されていて、シベリウスの劇音楽や叙事詩に影響を与えていると言われている。
ヘルシンキで、どこかは忘れたが、公共建物に大きなカレヴァラの壁画が掲げられていた。
何しろ、フィンランドは、サンタクロースの国だし、トーベ・ヤンソンの「ムーミン」の国でもある。
シベリウスは、非常に愛国主義者で、ロシア空軍機が上空を飛ぶと、自動小銃で撃ち落とそうとしたと言う。
フィンランディアは、第2の国歌だと言われているし、交響曲第5番は、シベリウス生誕50年を祝して政府が依頼した祝賀演奏会曲で自身が指揮したと言う。
シベリウスは、フィンランドでは、大変な偉人なのである。
ヘルシンキと近郊を、夏に2回訪れたことがあるが、あの風土と気候に実際に接して見て、シベリウスの音楽が、少し良く分かったような気がした。
ところで、このフィンランドは、ハンガリーと同様に、モンゴル人が征西して支配した国なので、両国語ともモンゴル語の影響を受けていて、名前などは日本と同じで姓名順だし、そしてまた、蒙古斑が遺伝しているのだと言う。
ロシアを訪れた後だと言う訳ではないが、もう少し、ユーラシアに跨って版図を広げたモンゴルに対する歴史観を変えるべきかも知れないと思っている。
(芸術劇場前広場)

