今日の日経朝刊の2ページ目の本の広告欄に、和田秀樹著「70代で死ぬ人、80代でも元気な人」と、五木寛之著「捨てない生きかた」、そして、3ページ目に、石原慎太郎著「「私」という男の生涯」が掲載されていた。いずれも、老境に達した人々の生き様や生き方に関する本である。
実際にこれらの本を読んでおらず、広告の能書きだけで云々するのも気が引けるのだが、私にとっても関心事であるので、若干思うところを記してみたい。
まず、最初の本だが、70歳から80歳までの「危険な10年」を乗り切る極意として、7項目のコメントが記されている。
健康については、●健診の数値を気にしない●ガン治療は慎重に決める
高血圧症なので、定期的に病院に通い続けているのだが、数値を気にするなと言われても、無関心でいるわけにも行かず、これは、すべて主治医の指示に従っていた。ガンについては、人並みに前立腺ガンを診断され、前立腺肥大もあったので、迷うことなく全摘手術を受けた。不幸にも再発したので放射線治療を受けたのだが、その後、問題なく推移しており、治ったのだろうと思っている。
今のところ、40年以上も抱えている高血圧症と軽度の脊柱管狭窄症くらいで、大きな入院や手術、大病からは免れており、病院へ行くのは、薬の処方と、歯医者へのメインテナンスくらいである。尤も、齢相応に、体力の衰えなどを感じ始めており、少しずつ歳を気にし始めてはいる。
●認知症になっても困ることはない は、私には関係はないし、●昼ご飯は外食にする は、私には無縁である。
●「夫婦単位」ではなく、一人の時間を楽しむ は、私の日常生活でもあり、他人との関係もその通りである。
●友人知人からの誘いは、二つ返事で乗ってみる これは事と次第によるのだが、社交的ではなく人づきあいが良い方ではないので、何とも言えない。
●遠慮せず、自由に生きる これは、私自身の人生訓でもあり、臆することはない。
日本人男性の平均寿命は、81.64歳だとか言われていて、私は、これを少しオーバーしていて、まだ、日に5000歩以上は歩けるし、経済や経営の専門書も読めるし、このブログも適当に書き続けられているので、元気な方であろう。
私の友人知人の多くは傘寿を越えた老人だが、やはり、歳には勝てず、亡くなったり故障者が多くて、元気な人は少ない。
私は、スポーツには縁がなくジムに通って体調を整えるなどと言ったこともなかったので、人並みの運動は不足していたと思うのだが、海外にも長く、退職後も、極めてアクティブな生活をしていたので、それが役立っていたのかも知れない。また、後期高齢者になってから、孫達の保育園や幼稚園の送り迎えで、アップダウンの激しい鎌倉の道を4キロ、時にベビカーを押して毎日歩いたのも幸いしているかも知れない。
東大の高齢社会研究機構の秋山弘子教授の研究では、
約2割の人が、70歳を迎える前の段階から寝たきりになり、その状態を10年ぐらい過ごしていると言うこと、大半の人が、70歳を超え始めたところから徐々に歩けなくなると言うこと、そして、80を過ぎても元気に働ける人は、1割程度しかいない、と言うことである。
80を越えた私の友人知人でも、病気などで日常生活がままならない健康寿命を保てない人が結構いる。大半は、肥満気味で要注意だった私よりも健康生活を維持していた優等生であったのにである。
故障を起している友人知人の多くは、定年なり退任なり何らかの形でアクティブな現役生活を離れて新生活に入った時、ソフトランディングが上手く行かなかったのではないかと思う。
それが人生の全てであるかのように、会社生活など仕事に全身全霊を打ち込んで人生を送ってきたのだが、突然、その組織との縁が切れると、それに関係する公は勿論プライベートな関係の多くまでが断ち切られてしまう。
人によって違うのだが、その人たちの第一声は、間違いなく、「毎日、退屈やなあ」である。
自由な身になった途端に、関係が切れて付き合いの輪が狭くなって、それに、真面な趣味も育てて来なかったので、何をどうしたらよいのか分からず、自分で自分の身を処する手段が見つけ出せなくて頭を打つ。
5時以降、毎日のように同僚たちと飲みに行ったり、休日にはゴルフや釣、金魚の糞のような同僚との付き合い、
滅私奉公(?)の日々の連続が自律心を蝕む。
舘ひろしが主人公の映画「終った人」の世界である、
”趣味なし、夢なし、仕事なし、そして、我が家に居場所なし”
”仕事一筋だったのが、翌日から時間を持て余してしまう。公園、図書館、スポーツジムなど時間を潰すために立ち寄った先は、至る所に老人ばかり。迂闊に恋をしても振られてしまう・・・。”
私は、会社人生とプライベートな生活とは一線を画する主義を守っていて、会社の誰との付き合いもこれを厳守して、必用な付き合いだけにしぼって、アフター5は、観劇など芸術鑑賞や書店巡りなどに費やしたり、早く切り上げられるときには、帰宅して趣味の時間を楽しんでいたり、とにかく、やりたいことが沢山あって、暇つぶしには困らなかった。
私の場合は、退任後、自分のプライベートライフを、再構築するだけで良く、時間の余裕ができた分、大げさな言い方だが、生きがいでもある「真善美」追求への意識に拍車がかかった。
後期高齢者に入った辺りから、少しずつアクティブ度を緩めてきており、やや晴耕雨読に傾いた感はあるが、案外、自分の意思で自由に趣味人生を生きる、この自己流の悠々自適生活が、元気の源かも知れないと思っている。
実際にこれらの本を読んでおらず、広告の能書きだけで云々するのも気が引けるのだが、私にとっても関心事であるので、若干思うところを記してみたい。
まず、最初の本だが、70歳から80歳までの「危険な10年」を乗り切る極意として、7項目のコメントが記されている。
健康については、●健診の数値を気にしない●ガン治療は慎重に決める
高血圧症なので、定期的に病院に通い続けているのだが、数値を気にするなと言われても、無関心でいるわけにも行かず、これは、すべて主治医の指示に従っていた。ガンについては、人並みに前立腺ガンを診断され、前立腺肥大もあったので、迷うことなく全摘手術を受けた。不幸にも再発したので放射線治療を受けたのだが、その後、問題なく推移しており、治ったのだろうと思っている。
今のところ、40年以上も抱えている高血圧症と軽度の脊柱管狭窄症くらいで、大きな入院や手術、大病からは免れており、病院へ行くのは、薬の処方と、歯医者へのメインテナンスくらいである。尤も、齢相応に、体力の衰えなどを感じ始めており、少しずつ歳を気にし始めてはいる。
●認知症になっても困ることはない は、私には関係はないし、●昼ご飯は外食にする は、私には無縁である。
●「夫婦単位」ではなく、一人の時間を楽しむ は、私の日常生活でもあり、他人との関係もその通りである。
●友人知人からの誘いは、二つ返事で乗ってみる これは事と次第によるのだが、社交的ではなく人づきあいが良い方ではないので、何とも言えない。
●遠慮せず、自由に生きる これは、私自身の人生訓でもあり、臆することはない。
日本人男性の平均寿命は、81.64歳だとか言われていて、私は、これを少しオーバーしていて、まだ、日に5000歩以上は歩けるし、経済や経営の専門書も読めるし、このブログも適当に書き続けられているので、元気な方であろう。
私の友人知人の多くは傘寿を越えた老人だが、やはり、歳には勝てず、亡くなったり故障者が多くて、元気な人は少ない。
私は、スポーツには縁がなくジムに通って体調を整えるなどと言ったこともなかったので、人並みの運動は不足していたと思うのだが、海外にも長く、退職後も、極めてアクティブな生活をしていたので、それが役立っていたのかも知れない。また、後期高齢者になってから、孫達の保育園や幼稚園の送り迎えで、アップダウンの激しい鎌倉の道を4キロ、時にベビカーを押して毎日歩いたのも幸いしているかも知れない。
東大の高齢社会研究機構の秋山弘子教授の研究では、
約2割の人が、70歳を迎える前の段階から寝たきりになり、その状態を10年ぐらい過ごしていると言うこと、大半の人が、70歳を超え始めたところから徐々に歩けなくなると言うこと、そして、80を過ぎても元気に働ける人は、1割程度しかいない、と言うことである。
80を越えた私の友人知人でも、病気などで日常生活がままならない健康寿命を保てない人が結構いる。大半は、肥満気味で要注意だった私よりも健康生活を維持していた優等生であったのにである。
故障を起している友人知人の多くは、定年なり退任なり何らかの形でアクティブな現役生活を離れて新生活に入った時、ソフトランディングが上手く行かなかったのではないかと思う。
それが人生の全てであるかのように、会社生活など仕事に全身全霊を打ち込んで人生を送ってきたのだが、突然、その組織との縁が切れると、それに関係する公は勿論プライベートな関係の多くまでが断ち切られてしまう。
人によって違うのだが、その人たちの第一声は、間違いなく、「毎日、退屈やなあ」である。
自由な身になった途端に、関係が切れて付き合いの輪が狭くなって、それに、真面な趣味も育てて来なかったので、何をどうしたらよいのか分からず、自分で自分の身を処する手段が見つけ出せなくて頭を打つ。
5時以降、毎日のように同僚たちと飲みに行ったり、休日にはゴルフや釣、金魚の糞のような同僚との付き合い、
滅私奉公(?)の日々の連続が自律心を蝕む。
舘ひろしが主人公の映画「終った人」の世界である、
”趣味なし、夢なし、仕事なし、そして、我が家に居場所なし”
”仕事一筋だったのが、翌日から時間を持て余してしまう。公園、図書館、スポーツジムなど時間を潰すために立ち寄った先は、至る所に老人ばかり。迂闊に恋をしても振られてしまう・・・。”
私は、会社人生とプライベートな生活とは一線を画する主義を守っていて、会社の誰との付き合いもこれを厳守して、必用な付き合いだけにしぼって、アフター5は、観劇など芸術鑑賞や書店巡りなどに費やしたり、早く切り上げられるときには、帰宅して趣味の時間を楽しんでいたり、とにかく、やりたいことが沢山あって、暇つぶしには困らなかった。
私の場合は、退任後、自分のプライベートライフを、再構築するだけで良く、時間の余裕ができた分、大げさな言い方だが、生きがいでもある「真善美」追求への意識に拍車がかかった。
後期高齢者に入った辺りから、少しずつアクティブ度を緩めてきており、やや晴耕雨読に傾いた感はあるが、案外、自分の意思で自由に趣味人生を生きる、この自己流の悠々自適生活が、元気の源かも知れないと思っている。