近く佐渡に行く機会を得たので、佐渡の本を探していて、佐渡 世阿弥とインターネットを叩いていると、この藤沢周の「世阿弥最後の花」が出てきた。
文芸作品を殆ど読まないので、藤沢周の作品もはじめてなのだが、私自身、最近になって能狂言に興味を持って能楽堂にも通っているし、世阿弥関係の本も結構読んでいるつもりなので、非常に興味を持って読み始めた。それに、佐渡の世阿弥を主人公にした瀬戸内寂聴の「秘花」も非常に面白かった。
私に強烈な印象を残しているのは、梅原猛作 梅若実演出のスーパー能「世阿弥」。
世阿弥の京都での活躍の最晩年、すなわち、世阿弥・元雅父子が、将軍・足利義教に疎まれ完全に干された時期を舞台にして、元雅の客死を軸に、元雅の幽霊が現れて、死の真相を語り、世阿弥の能芸術の継承を願って、明日への能を願う舞で締めている。
将軍足利義満の庇護を受けた観阿弥・世阿弥親子は能の世界の頂点に立ち、世阿弥は「夢幻能」を大成して猿楽の進化を図り、能楽を芸術の境地に高めて絶頂期を迎える。
しかし、将軍義持は猿楽よりも田楽好みで、
将軍義教の代になると、世阿弥の能は疎んじられて、1422年、世阿弥は、観世大夫の座を長男の観世元雅に譲り、出家したのだが、義教は、元雅の従兄弟の音阿弥を重用して、世阿弥・元雅親子の仙洞御所への出入りを禁止し、醍醐清滝宮の楽頭職を罷免して、二人の地位と興行地盤を完全に奪う。
不可解にも、1432年、長男の観世元雅は伊勢安濃津にて客死し、不幸のどん底に落とされた世阿弥は、更に、義教の勘気に触れて1434年に佐渡国に流刑となる。
この藤沢周の小説は、この後からの世阿弥の佐渡での生活が舞台で、72歳の老翁世阿弥の若狭小浜を船出して佐渡への波頭を越えての船旅のシーンから始まっている。
殆ど、十分な史料や逸話が残っていないのだが、藤沢周は、感動的な世阿弥の最晩年を紡ぎだしている。
この小説で、佐渡での演能描写が3回描かれている、「黒木」と「西行桜」である。
プロの能楽師は、世阿弥と付き人で京都第一の笛の達人六左衛門だけで、素人の島民相手に、能楽師に仕立てて能を演じようとするのであるから、非常に面白い。
最初の能は、作者の創作だとは思うが、雨乞いのために創作した能「黒木」、これは、一度きりの能で、詞章も残さないと世阿弥が心血を注いで書いた能で、
世阿弥は、精進潔斎して臨み、「翁」の舞台をもして三番叟を舞い、神と化して観衆は合掌する
鎌倉幕府に弓引いた承久の乱によって佐渡へ流刑されて憤死した順徳帝をシテにした能であり、老骨にむち打って世阿弥が鬼気迫る舞いで、雨を降らせる。
正法寺の寺宝である世阿弥所有の「雨乞いの面」という鬼神面を、父親の形見である鬼神面に準えて、その面を厳かにかけて舞う世阿弥、
しかし、正月、正法寺での奉納能「黒木」の舞台の面は、侍から得度した了隠の打った会心の涙面だが、僅かに視界から浮かび上がるそばで見守るように座して老翁を見つめるその眼差しが、伊勢で急死し、逆縁となった元雅のものではないかと思えて、その刹那、闇の中を世阿弥が舞い、霊の元雅が寄り添って舞う。
この小説では、随所に、夢か幻のはざまで元雅が現われて、世阿弥の心象風景を語り続ける。
世阿弥が、ハナッタレ小僧で漁師の息子たつ丸を孫のように可愛がって、子供の頃の息子元雅とダブらせながら、寺小僧にして小鼓師に育てて行くほのぼのとしたヒューマンタッチの描写が清々しい。
また、藤沢周は、次のように語っている。
能を自らの身体に通したいと、観世梅若流の謡と仕舞を稽古するようになったが、ほんのわずかな動きにさえも森羅万象とつながっているのを体感する。また、全方位と自己とのぎりぎりの均衡そのものが、「在る」ということなのだとも。晩年の世阿弥が摑んだ到達点とは何か。老いという人生の鄙ひな、佐渡の地という鄙。都で一世を風靡した世阿弥が、配流の地で「まことの花」をいかに咲かすのか。
義教の暗殺で流罪が解けて帰郷を許されるのだが、脇目も振らずに、「まことの花」を求めて、能「西行桜」を、了隠をシテにして蝋燭能の舞台を作り上げて会心の舞いを舞う世阿弥、
幕切れ途中に舞台を離れて寺を出て、金の島佐渡の桜の気配に飛び込んで行く。能「隅田川」のように、すり抜けて行くのだが、元雅は、「父上、よう、花を、美しき、まことの花を、咲かせました」という。「佐渡の・・・桜・・・」とつぶやいた時に、一度も抱きしめたこともなく優しい言葉を掛けたことのない息子元雅の腕を感じ、肩を感じ、においを感じ、温かさを感じた。わが腕が確かに元雅を覚えていて、しかと抱いているのである。
遠くで、たつ丸や了隠殿の木霊する声が聞こえ、有り難さのうちに春の夢といざなわれた。
繪のように美しい描写で、世阿弥の佐渡の生活が終ろうとしている。
それに、佐渡の四季の移ろいや野山の風景描写、お寺の様子や庶民の生活などが丁寧に描かれていて、興味深い。
さて、佐渡の能楽だが、島民の暮らしの中に溶け込んだ民衆能で知られているが、世阿弥の影響ではなく、広がりを見せたのは江戸時代の初め頃だと言うから、ずっと後である。
能楽堂に随分かよって能を見ているし、田舎の古社寺なども歴史散歩してきているので、かなり、理解の助けになっており、久しぶりに一気に読んで楽しませて貰った。
文芸作品を殆ど読まないので、藤沢周の作品もはじめてなのだが、私自身、最近になって能狂言に興味を持って能楽堂にも通っているし、世阿弥関係の本も結構読んでいるつもりなので、非常に興味を持って読み始めた。それに、佐渡の世阿弥を主人公にした瀬戸内寂聴の「秘花」も非常に面白かった。
私に強烈な印象を残しているのは、梅原猛作 梅若実演出のスーパー能「世阿弥」。
世阿弥の京都での活躍の最晩年、すなわち、世阿弥・元雅父子が、将軍・足利義教に疎まれ完全に干された時期を舞台にして、元雅の客死を軸に、元雅の幽霊が現れて、死の真相を語り、世阿弥の能芸術の継承を願って、明日への能を願う舞で締めている。
将軍足利義満の庇護を受けた観阿弥・世阿弥親子は能の世界の頂点に立ち、世阿弥は「夢幻能」を大成して猿楽の進化を図り、能楽を芸術の境地に高めて絶頂期を迎える。
しかし、将軍義持は猿楽よりも田楽好みで、
将軍義教の代になると、世阿弥の能は疎んじられて、1422年、世阿弥は、観世大夫の座を長男の観世元雅に譲り、出家したのだが、義教は、元雅の従兄弟の音阿弥を重用して、世阿弥・元雅親子の仙洞御所への出入りを禁止し、醍醐清滝宮の楽頭職を罷免して、二人の地位と興行地盤を完全に奪う。
不可解にも、1432年、長男の観世元雅は伊勢安濃津にて客死し、不幸のどん底に落とされた世阿弥は、更に、義教の勘気に触れて1434年に佐渡国に流刑となる。
この藤沢周の小説は、この後からの世阿弥の佐渡での生活が舞台で、72歳の老翁世阿弥の若狭小浜を船出して佐渡への波頭を越えての船旅のシーンから始まっている。
殆ど、十分な史料や逸話が残っていないのだが、藤沢周は、感動的な世阿弥の最晩年を紡ぎだしている。
この小説で、佐渡での演能描写が3回描かれている、「黒木」と「西行桜」である。
プロの能楽師は、世阿弥と付き人で京都第一の笛の達人六左衛門だけで、素人の島民相手に、能楽師に仕立てて能を演じようとするのであるから、非常に面白い。
最初の能は、作者の創作だとは思うが、雨乞いのために創作した能「黒木」、これは、一度きりの能で、詞章も残さないと世阿弥が心血を注いで書いた能で、
世阿弥は、精進潔斎して臨み、「翁」の舞台をもして三番叟を舞い、神と化して観衆は合掌する
鎌倉幕府に弓引いた承久の乱によって佐渡へ流刑されて憤死した順徳帝をシテにした能であり、老骨にむち打って世阿弥が鬼気迫る舞いで、雨を降らせる。
正法寺の寺宝である世阿弥所有の「雨乞いの面」という鬼神面を、父親の形見である鬼神面に準えて、その面を厳かにかけて舞う世阿弥、
しかし、正月、正法寺での奉納能「黒木」の舞台の面は、侍から得度した了隠の打った会心の涙面だが、僅かに視界から浮かび上がるそばで見守るように座して老翁を見つめるその眼差しが、伊勢で急死し、逆縁となった元雅のものではないかと思えて、その刹那、闇の中を世阿弥が舞い、霊の元雅が寄り添って舞う。
この小説では、随所に、夢か幻のはざまで元雅が現われて、世阿弥の心象風景を語り続ける。
世阿弥が、ハナッタレ小僧で漁師の息子たつ丸を孫のように可愛がって、子供の頃の息子元雅とダブらせながら、寺小僧にして小鼓師に育てて行くほのぼのとしたヒューマンタッチの描写が清々しい。
また、藤沢周は、次のように語っている。
能を自らの身体に通したいと、観世梅若流の謡と仕舞を稽古するようになったが、ほんのわずかな動きにさえも森羅万象とつながっているのを体感する。また、全方位と自己とのぎりぎりの均衡そのものが、「在る」ということなのだとも。晩年の世阿弥が摑んだ到達点とは何か。老いという人生の鄙ひな、佐渡の地という鄙。都で一世を風靡した世阿弥が、配流の地で「まことの花」をいかに咲かすのか。
義教の暗殺で流罪が解けて帰郷を許されるのだが、脇目も振らずに、「まことの花」を求めて、能「西行桜」を、了隠をシテにして蝋燭能の舞台を作り上げて会心の舞いを舞う世阿弥、
幕切れ途中に舞台を離れて寺を出て、金の島佐渡の桜の気配に飛び込んで行く。能「隅田川」のように、すり抜けて行くのだが、元雅は、「父上、よう、花を、美しき、まことの花を、咲かせました」という。「佐渡の・・・桜・・・」とつぶやいた時に、一度も抱きしめたこともなく優しい言葉を掛けたことのない息子元雅の腕を感じ、肩を感じ、においを感じ、温かさを感じた。わが腕が確かに元雅を覚えていて、しかと抱いているのである。
遠くで、たつ丸や了隠殿の木霊する声が聞こえ、有り難さのうちに春の夢といざなわれた。
繪のように美しい描写で、世阿弥の佐渡の生活が終ろうとしている。
それに、佐渡の四季の移ろいや野山の風景描写、お寺の様子や庶民の生活などが丁寧に描かれていて、興味深い。
さて、佐渡の能楽だが、島民の暮らしの中に溶け込んだ民衆能で知られているが、世阿弥の影響ではなく、広がりを見せたのは江戸時代の初め頃だと言うから、ずっと後である。
能楽堂に随分かよって能を見ているし、田舎の古社寺なども歴史散歩してきているので、かなり、理解の助けになっており、久しぶりに一気に読んで楽しませて貰った。