若いときには、出張も含めて旅に明け暮れたような生活をしていたのだが、歳を取ると出不精というか億劫になる。
しかし、数年前に計画をしながらコロナ騒ぎで諦めていたのだが、長女がレンタカーを、運転するというので、誘われて老夫婦で出かけることにした。
鎌倉を朝に出て新幹線ときにのり、新潟港から佐渡汽船のジエットフォイルで両津には、早い午後には着く。
佐渡に2泊、新潟に1泊の短い旅であったが、梅雨の合間ながら、天気予報が外れた感じで、天気に恵まれた。
東京は猛暑だと言うが、佐渡はかなり温度が低くて涼風が四六時中吹いているので、随分涼しくて気持ちが良かった。
さて、知床の不幸な船旅を思うと胸が痛むが、何故か、私には連絡船にのって島に渡ると思うと旅情ににた感慨を覚える。
汽車の旅とは大いに違うのである。
大学生の時に、礼文利尻、そして、兵庫県人なので、淡路島には何度か、他には、小豆島、因島、その程度なのだが、隠岐、壱岐対馬などにも憧れがある。
ところで、今回の旅は、佐渡そのものに興味があったのだが、順徳上皇、日蓮大聖人、世阿弥の流罪という暗い影を秘めた歴史を訪ねる興味もあった。
佐藤賢一「日蓮」、世阿弥に関する藤沢周「世阿弥最後の花」と瀬戸内寂聴「秘花」は、読んでブックレビューも書いている。
家を出るときにタクシーに慌てて乗って、用心にと思って持って行く筈だった杖を忘れてしまった。日頃使っていないので忘れたのだが、佐渡で古社寺歩きとなるとあった方が良いと思ったのである。
東京駅の売店で売っている筈はなく、新潟に着いて時間があったので、駅に連結しているビッグカメラに出かけた。
幸いにも10種類ほど列んでいて、喜んで適当なものを選んでレジに行ったら、これは見本で、全て注文品となっていて、予約して1週間ほど待てという。他で売ってないかと聞いたら調べてくれて、どこも在庫がない、いつ来るか分からないと言う。
介護器具と言われて、これらは全てそうで、在庫はないので売れないとの一点張り。
これが、今最も重要な施策である老人問題の最前線の実情だという、信じられないような日本の政治である。
結局、杖はあってもなくても良かった感じで、不自由はなかった。
佐渡は、期待に違わず、素晴しいところであった。
順を追って印象記を綴ろうと思うのがが、まず、風景などの一端を紹介するだけに留めて、今回は、グチついでに、佐渡の印象深い経済変化について書いてみたい。



矢島・経島

宿根木の世捨小径

相川の夕日

妙宣寺五重塔

大膳神社能楽堂
驚いたのは、両津港の佐渡汽船から北に向かってすぐの両津郵便局から350号線沿いに綺麗な商店街が数百㍍列んでいるのだが、完全にシャッター通りになっていることである。
最初は、気づかなかったのだが、レンターカーを返すためにガソリンスタンドを探したのだが、全て閉店であり、港の近くを走り回っても開いているスタンドがなく、よく見ればどの店も閉まっている。
日本レンターカーの人に、今日は日曜日なので商店街の店は休みなのかと常識外れの質問をしたら、ずっと毎日これだという。
昔は、港を下りた人が歩いて往来する駅前商店街だったが、客が消えたのだという。
この日、松ヶ崎経由で宿根木に出たので、島の南岸沿いに西端に向かったので、大半は、道も悪くて信号もなく車も殆ど走っていない。迂回路のない一本道なので、何か事故が起これば万事休す。
阪神間で生まれ育ち京都で学生生活を送り、大阪と東京、そして、米欧で、文明生活にどっぷりと浸かって生きてきた自分には、コンビニもない世界はまさに異次元で、どうして生きていこうか。
尤も、梅雨明けの木漏れ日に光り輝く佐渡の新緑や海原の青さ、その美しさは格別である。
さて、両津の客はどこへ行ったのか。
そう考えれば、実相寺へ行く途中、佐渡市役所近くから350号線に沿って河原田本町にかけて、ヤマダ電機やマツモトキヨシ、ジョーシンなどと言った大型量販店やショッピングセンターが軒を連ねていて賑わっている。
電車は走っていないし、バスの路線さえ完備しておらず、移動手段は全て車だと言うことになれば、店がどこにあっても良く、品揃いが豊富で全国価格であり、安ければ安い方が良いので、勢いここまで来る。
零細な個人商店が、太刀打ちなど出来るはずがない。
それに、前述したビッグカメラのように店でも買えないこともあれば、必ず何でも買える、今流行りのAmazonなどでネットショッピングするに限る。
もう何十年も前に、留萌駅前の広場からシャッター通りが続いているのを見てショックを受けたが、職がないので、毎年人口が1万人ずつ減っているのだと言っていた。
引退するまで、監査で全国を回っていたので、多くの中諸都市のシャッター通りを見てきたが、多くの県庁所在地都市でも、地方の中核都市を除いて、目抜き通りが閑散としていた。地方の銀座通りと銘打ったメイン通りの多くがそうなのである。
久しぶりに、シャッター通りの現実を目の当たりにして、日本の地方の疲弊衰退の深刻さに思い至って暗澹とした。
佐渡市は、この商店街救済のために、どのような町おこし対策を取ったのであろうか。
ヨーロッパの古い田舎町を歩いても、旧市街は綺麗に保存維持され生き続けてていて、その実に懐かしいアットホームな雰囲気が心地よいのだが、日本は、ブルドーザーを入れて無粋な乱開発をするのであろうか。
駅前取りの商店街は、日本人の息吹がムンムンする生活の憩いの場であり交流を育む格好の場でもあったと思うのだが、少しずつコミュニティが消えて行くようで寂しい。
しかし、数年前に計画をしながらコロナ騒ぎで諦めていたのだが、長女がレンタカーを、運転するというので、誘われて老夫婦で出かけることにした。
鎌倉を朝に出て新幹線ときにのり、新潟港から佐渡汽船のジエットフォイルで両津には、早い午後には着く。
佐渡に2泊、新潟に1泊の短い旅であったが、梅雨の合間ながら、天気予報が外れた感じで、天気に恵まれた。
東京は猛暑だと言うが、佐渡はかなり温度が低くて涼風が四六時中吹いているので、随分涼しくて気持ちが良かった。
さて、知床の不幸な船旅を思うと胸が痛むが、何故か、私には連絡船にのって島に渡ると思うと旅情ににた感慨を覚える。
汽車の旅とは大いに違うのである。
大学生の時に、礼文利尻、そして、兵庫県人なので、淡路島には何度か、他には、小豆島、因島、その程度なのだが、隠岐、壱岐対馬などにも憧れがある。
ところで、今回の旅は、佐渡そのものに興味があったのだが、順徳上皇、日蓮大聖人、世阿弥の流罪という暗い影を秘めた歴史を訪ねる興味もあった。
佐藤賢一「日蓮」、世阿弥に関する藤沢周「世阿弥最後の花」と瀬戸内寂聴「秘花」は、読んでブックレビューも書いている。
家を出るときにタクシーに慌てて乗って、用心にと思って持って行く筈だった杖を忘れてしまった。日頃使っていないので忘れたのだが、佐渡で古社寺歩きとなるとあった方が良いと思ったのである。
東京駅の売店で売っている筈はなく、新潟に着いて時間があったので、駅に連結しているビッグカメラに出かけた。
幸いにも10種類ほど列んでいて、喜んで適当なものを選んでレジに行ったら、これは見本で、全て注文品となっていて、予約して1週間ほど待てという。他で売ってないかと聞いたら調べてくれて、どこも在庫がない、いつ来るか分からないと言う。
介護器具と言われて、これらは全てそうで、在庫はないので売れないとの一点張り。
これが、今最も重要な施策である老人問題の最前線の実情だという、信じられないような日本の政治である。
結局、杖はあってもなくても良かった感じで、不自由はなかった。
佐渡は、期待に違わず、素晴しいところであった。
順を追って印象記を綴ろうと思うのがが、まず、風景などの一端を紹介するだけに留めて、今回は、グチついでに、佐渡の印象深い経済変化について書いてみたい。



矢島・経島

宿根木の世捨小径

相川の夕日

妙宣寺五重塔

大膳神社能楽堂
驚いたのは、両津港の佐渡汽船から北に向かってすぐの両津郵便局から350号線沿いに綺麗な商店街が数百㍍列んでいるのだが、完全にシャッター通りになっていることである。
最初は、気づかなかったのだが、レンターカーを返すためにガソリンスタンドを探したのだが、全て閉店であり、港の近くを走り回っても開いているスタンドがなく、よく見ればどの店も閉まっている。
日本レンターカーの人に、今日は日曜日なので商店街の店は休みなのかと常識外れの質問をしたら、ずっと毎日これだという。
昔は、港を下りた人が歩いて往来する駅前商店街だったが、客が消えたのだという。
この日、松ヶ崎経由で宿根木に出たので、島の南岸沿いに西端に向かったので、大半は、道も悪くて信号もなく車も殆ど走っていない。迂回路のない一本道なので、何か事故が起これば万事休す。
阪神間で生まれ育ち京都で学生生活を送り、大阪と東京、そして、米欧で、文明生活にどっぷりと浸かって生きてきた自分には、コンビニもない世界はまさに異次元で、どうして生きていこうか。
尤も、梅雨明けの木漏れ日に光り輝く佐渡の新緑や海原の青さ、その美しさは格別である。
さて、両津の客はどこへ行ったのか。
そう考えれば、実相寺へ行く途中、佐渡市役所近くから350号線に沿って河原田本町にかけて、ヤマダ電機やマツモトキヨシ、ジョーシンなどと言った大型量販店やショッピングセンターが軒を連ねていて賑わっている。
電車は走っていないし、バスの路線さえ完備しておらず、移動手段は全て車だと言うことになれば、店がどこにあっても良く、品揃いが豊富で全国価格であり、安ければ安い方が良いので、勢いここまで来る。
零細な個人商店が、太刀打ちなど出来るはずがない。
それに、前述したビッグカメラのように店でも買えないこともあれば、必ず何でも買える、今流行りのAmazonなどでネットショッピングするに限る。
もう何十年も前に、留萌駅前の広場からシャッター通りが続いているのを見てショックを受けたが、職がないので、毎年人口が1万人ずつ減っているのだと言っていた。
引退するまで、監査で全国を回っていたので、多くの中諸都市のシャッター通りを見てきたが、多くの県庁所在地都市でも、地方の中核都市を除いて、目抜き通りが閑散としていた。地方の銀座通りと銘打ったメイン通りの多くがそうなのである。
久しぶりに、シャッター通りの現実を目の当たりにして、日本の地方の疲弊衰退の深刻さに思い至って暗澹とした。
佐渡市は、この商店街救済のために、どのような町おこし対策を取ったのであろうか。
ヨーロッパの古い田舎町を歩いても、旧市街は綺麗に保存維持され生き続けてていて、その実に懐かしいアットホームな雰囲気が心地よいのだが、日本は、ブルドーザーを入れて無粋な乱開発をするのであろうか。
駅前取りの商店街は、日本人の息吹がムンムンする生活の憩いの場であり交流を育む格好の場でもあったと思うのだが、少しずつコミュニティが消えて行くようで寂しい。