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これまで、「双蝶曲輪日記」については、「引窓」を何回か見ているが、今回は、「井筒屋」から「難波裏」が上演されたので、「引窓」で、濡髪長五郎(左團次)が、追っ手のかかった身であり、暇乞いに、産みの母お幸(竹三郎)を訪れた経緯が良くわかる。
今回の舞台では、南与平(仁左衛門)が、父の死後、生活が荒んで大坂の色町に入り浸っていた放蕩息子であったことは描かれておらず、その時の遊女・藤屋都(時蔵)が、「引窓」では、甲斐甲斐しく義母と夫に尽くす妻お早となって、また、与平も代官の南方十次兵衛として登場してくるので、下世話な過去の生活を一切捨てての舞台であるから、非常に格調の高い話となっていて面白いのだが、仁左衛門の芝居には、その酸いも辛いも見知った遊び人としての雰囲気と田舎人としての世慣れた大らかさと俄か武士ながらも侍としての風格が綯い交ぜになって出ているのは、流石であり、見ごたえがあった。
この「引窓」は、実に良く出来た芝居で、いつ観ても感動する。
実子と継子への愛情の板挟みになる母とそれを思う兄と弟、義理の兄弟への思い、肉親への愛情の狭間に揺れ動く夫と妻の心の葛藤、とにかく、善意の人間が、肉親への愛ゆえに悩み苦しみ抜く物語である。
義理に駆られて殺人を犯した力士濡髪が、八幡の里に住む実母に別れを告げに来るのだが、そこへ、先妻の子供・与平が代官・南方十次兵衛に任命されて帰って来て、母妻ともども喜んだのも束の間、その初仕事が、濡髪逮捕と聞いて、母妻は慌てふためく。庭の手水鉢に眼を移すと、二階から見下ろす濡髪の顔が写っているので、十次兵衛は勇み立っつのだが、母と妻は理屈をつけて止め、母が爪に火を灯して貯めたお金を握りしめて濡髪の人相書きを売ってくれと頼むので、その濡髪が、幼き時に分かれた母の実子であることに気付く。
日暮れの鐘の音を合図(夜が任務)に、十次兵衛は、代官の任務に出かけるのだが、その前に、二階にいる濡髪にそれとなく聞こえるように、「河内へ越える抜け道は、狐川を左に取り、右へ渡って山越しに、・・・」と伝え、路銀をお早に渡して、外に出る。
自首するつもりの濡髪を、二人で必死に説き伏せて髪を刈って人相を変えようとするのだが、父親譲りの右頬のホクロがどうしても削ぎ落とせないのを、窓外から、十次兵衛の投げ入れた金包に当たって落ちる。
息子に義理が立たないとの濡髪の説得で、改心したお幸が、引窓の縄で濡髪を縛るのだが、帰ってきた十次兵衛が、涙を飲んで万感の思いを込めて、縄を解き、濡髪を逃がす。
濡髪の心情は、ストレートで誰でもが納得行くと思うのだが、非常に微妙なのは、お幸と義理の息子の十次兵衛との関係で、お幸が、なけなしの小銭を握りしめて濡髪の人相書きを売ってくれと拝むように泣きじゃくりながら頭を下げて頼んだ時の十次兵衛の心境で、この時ほど、血の通った実子でない悲しさ哀れさを感じたことはなかったであろうと思うと居た堪れないような気持になる。
母も、義理の息子への遠慮が高じて、「売って欲しい」と言う表現しか出来なかったのであろうが、何故、ずっと親子として苦楽を共にして暮らして来て、本当に親子と思っていたのに、正直に心情を吐露してくれなかったのか、あまりにも水臭い、実の親子なら・・・と言う思いを、仁左衛門は、「母じゃ人、・・・」と実に優しく悲しそうな顔でお幸に応えていた。このあたりの仁左衛門の表情は、実に感動的で、忘れられない程胸に響く。
お幸の実子濡髪に対する愛情も、半端ではなく、幼い頃に分かれて親として何一つしてやれなかった幸薄い子供が、追っ手に追われる身となり、正に懐に飛び込んで来た窮鳥の如くほんの束の間の逢瀬で、尽くしてやりたい助けてやりたいと言う思いに駆られるのも必然であろう。
義理でありながら、代官と言う重責を棒に振ってでも初めて会った弟を助けようとする兄の情に感涙した濡髪は、自主するとお幸を説得し、お幸も涙ながらに義理と道理を悟って、老骨に鞭打って濡髪を引窓の縄で縛って、与兵衛に引き渡そうとする終幕が実に良い。
この引窓だが、開け閉めして、夜と昼とを分ける小道具として最高の演出で、十次兵衛が、手水鉢に写る濡髪を発見して、勇み立つところを、お早が引窓を閉めて視界を遮るのだが、夜は、十次兵衛の任務と気づいて、「まだ、日は高い」と引き上げる。
最後も、引窓を上げて、月の光を入れて、身どもの仕事は夜ばかりと、濡髪を逃がす。
この引窓だが、古い旧家の建物には、まだ、見かけることができ、屋根に開けてあって、綱を引いて開閉する明かり取りや空気抜きなどとして使われている。
この舞台の八幡だが、淀川の支流三川合流地帯で小山が迫った地峡(?)にちかいところで、今なら数十分の距離だが、当時は京へも大坂へもあと1日。お軽勘平の山崎にも近いのだが、学生時代に電車で近くを通っていたので、実に懐かしい。
さて、今回は、仁左衛門の素晴らしい十次兵衛を鑑賞させて貰ったのだが、これまでには、勿論、当たり役の吉右衛門は当然として、菊五郎や三津五郎の舞台も観ており、いつも、感動しながら楽しませて貰っている。
左團次の濡髪も、二回目だが、実に貫録と威風堂々さが良い。
時蔵は、今回の文七元結の女房お兼とともに、芸域の広さと芝居の上手さは抜群で、まさに、立女形の貫録であろう。
母親のお幸を演じたのは、竹三郎で、実に感動的であり、昔観た田之助の舞台を思い出した。
顔見世興行の初日だったが、空席があった。(この口絵写真は、休憩時なので空席は当然)
今回の昼の部は、この後の「文七元結」なども、ベテラン揃いの定番の好舞台だと思うのだが、惜しいような気がする。
今回の舞台では、南与平(仁左衛門)が、父の死後、生活が荒んで大坂の色町に入り浸っていた放蕩息子であったことは描かれておらず、その時の遊女・藤屋都(時蔵)が、「引窓」では、甲斐甲斐しく義母と夫に尽くす妻お早となって、また、与平も代官の南方十次兵衛として登場してくるので、下世話な過去の生活を一切捨てての舞台であるから、非常に格調の高い話となっていて面白いのだが、仁左衛門の芝居には、その酸いも辛いも見知った遊び人としての雰囲気と田舎人としての世慣れた大らかさと俄か武士ながらも侍としての風格が綯い交ぜになって出ているのは、流石であり、見ごたえがあった。
この「引窓」は、実に良く出来た芝居で、いつ観ても感動する。
実子と継子への愛情の板挟みになる母とそれを思う兄と弟、義理の兄弟への思い、肉親への愛情の狭間に揺れ動く夫と妻の心の葛藤、とにかく、善意の人間が、肉親への愛ゆえに悩み苦しみ抜く物語である。
義理に駆られて殺人を犯した力士濡髪が、八幡の里に住む実母に別れを告げに来るのだが、そこへ、先妻の子供・与平が代官・南方十次兵衛に任命されて帰って来て、母妻ともども喜んだのも束の間、その初仕事が、濡髪逮捕と聞いて、母妻は慌てふためく。庭の手水鉢に眼を移すと、二階から見下ろす濡髪の顔が写っているので、十次兵衛は勇み立っつのだが、母と妻は理屈をつけて止め、母が爪に火を灯して貯めたお金を握りしめて濡髪の人相書きを売ってくれと頼むので、その濡髪が、幼き時に分かれた母の実子であることに気付く。
日暮れの鐘の音を合図(夜が任務)に、十次兵衛は、代官の任務に出かけるのだが、その前に、二階にいる濡髪にそれとなく聞こえるように、「河内へ越える抜け道は、狐川を左に取り、右へ渡って山越しに、・・・」と伝え、路銀をお早に渡して、外に出る。
自首するつもりの濡髪を、二人で必死に説き伏せて髪を刈って人相を変えようとするのだが、父親譲りの右頬のホクロがどうしても削ぎ落とせないのを、窓外から、十次兵衛の投げ入れた金包に当たって落ちる。
息子に義理が立たないとの濡髪の説得で、改心したお幸が、引窓の縄で濡髪を縛るのだが、帰ってきた十次兵衛が、涙を飲んで万感の思いを込めて、縄を解き、濡髪を逃がす。
濡髪の心情は、ストレートで誰でもが納得行くと思うのだが、非常に微妙なのは、お幸と義理の息子の十次兵衛との関係で、お幸が、なけなしの小銭を握りしめて濡髪の人相書きを売ってくれと拝むように泣きじゃくりながら頭を下げて頼んだ時の十次兵衛の心境で、この時ほど、血の通った実子でない悲しさ哀れさを感じたことはなかったであろうと思うと居た堪れないような気持になる。
母も、義理の息子への遠慮が高じて、「売って欲しい」と言う表現しか出来なかったのであろうが、何故、ずっと親子として苦楽を共にして暮らして来て、本当に親子と思っていたのに、正直に心情を吐露してくれなかったのか、あまりにも水臭い、実の親子なら・・・と言う思いを、仁左衛門は、「母じゃ人、・・・」と実に優しく悲しそうな顔でお幸に応えていた。このあたりの仁左衛門の表情は、実に感動的で、忘れられない程胸に響く。
お幸の実子濡髪に対する愛情も、半端ではなく、幼い頃に分かれて親として何一つしてやれなかった幸薄い子供が、追っ手に追われる身となり、正に懐に飛び込んで来た窮鳥の如くほんの束の間の逢瀬で、尽くしてやりたい助けてやりたいと言う思いに駆られるのも必然であろう。
義理でありながら、代官と言う重責を棒に振ってでも初めて会った弟を助けようとする兄の情に感涙した濡髪は、自主するとお幸を説得し、お幸も涙ながらに義理と道理を悟って、老骨に鞭打って濡髪を引窓の縄で縛って、与兵衛に引き渡そうとする終幕が実に良い。
この引窓だが、開け閉めして、夜と昼とを分ける小道具として最高の演出で、十次兵衛が、手水鉢に写る濡髪を発見して、勇み立つところを、お早が引窓を閉めて視界を遮るのだが、夜は、十次兵衛の任務と気づいて、「まだ、日は高い」と引き上げる。
最後も、引窓を上げて、月の光を入れて、身どもの仕事は夜ばかりと、濡髪を逃がす。
この引窓だが、古い旧家の建物には、まだ、見かけることができ、屋根に開けてあって、綱を引いて開閉する明かり取りや空気抜きなどとして使われている。
この舞台の八幡だが、淀川の支流三川合流地帯で小山が迫った地峡(?)にちかいところで、今なら数十分の距離だが、当時は京へも大坂へもあと1日。お軽勘平の山崎にも近いのだが、学生時代に電車で近くを通っていたので、実に懐かしい。
さて、今回は、仁左衛門の素晴らしい十次兵衛を鑑賞させて貰ったのだが、これまでには、勿論、当たり役の吉右衛門は当然として、菊五郎や三津五郎の舞台も観ており、いつも、感動しながら楽しませて貰っている。
左團次の濡髪も、二回目だが、実に貫録と威風堂々さが良い。
時蔵は、今回の文七元結の女房お兼とともに、芸域の広さと芝居の上手さは抜群で、まさに、立女形の貫録であろう。
母親のお幸を演じたのは、竹三郎で、実に感動的であり、昔観た田之助の舞台を思い出した。
顔見世興行の初日だったが、空席があった。(この口絵写真は、休憩時なので空席は当然)
今回の昼の部は、この後の「文七元結」なども、ベテラン揃いの定番の好舞台だと思うのだが、惜しいような気がする。