熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

新日本フィル定期公演・・・大野和士のショスタコーヴィッチ

2006年01月06日 | クラシック音楽・オペラ
   今夜、トリフォニーで大野和士が新日本フィルを振って、ショスタコーヴィッチのピアノ協奏曲と第4交響曲、そして、江村哲二作曲~武満徹の追憶に~”地平線のクオリア”の初演を演奏した。
   今年は、ショスタコーヴィッチ生誕100年の年で、それを祝う為のプログラムだと言う。

   ピアノ独奏は、マケドニア出身の天才ピアニスト・シモン・トルプチェスキで、大野の説によると、中国のランランと双璧だとか。
ランランは、一昨年ニューヨークで、マゼール指揮ニューヨーク・フィルのチャイコフスキーの1番を聴いて度肝を抜かれたが、トルプチェスキも、実に、激しく、時には、繊細にショスタコーヴィッチの、何処かモダンで戦争前のアールデコ調の香りがする協奏曲を華麗に弾いていた。
   一転して、アンコールは、ショパンのワルツイ短調、実に優しい。

   素晴しかったのは、第4交響曲で、100人を超す大オーケストラの管と打楽器の咆哮は、大変な迫力。
   とにかく、この曲は、説明書のとおり「躁と鬱、聖と俗、単純と複雑、極大と極小、両極端への移行が瞬時に起こる表現主義芸術の典型的な巨大交響曲、音による総天然色娯楽大河スペクタクル」。
   美しくもあり、グロテスクでもあり、とにかく悪く言えばハチャメチャ、実に凄い曲で、1時間、新日本フィルは、全力投球で奏する。
   木管、金管、それに、打楽器が実に上手くなった。
   ファゴット・ソロの女性奏者など秀逸である。
   それに、ハープ、チェレスタが綺麗な音色を響かせる。

   この曲は、ナチが台頭して風雲急を告げていた1936年の作曲で、作者が発表を取りやめ、戦後1961年に、キリル・コンドラシンが初演したとか。
   その時と同じ曲なのかどうかは分からないが、あの頃の、世界の息吹を色濃く伝えているような気がした。
   当時は、アメリカやヨーロッパ文化が、どっぷり、まだ、ソ連に入っていたのである。
   それから、ソ連はスターリンの独裁体制に、世界はナチに蹂躙されて不幸な戦争の時代に突入していったが、このショスタコーヴィッチの2曲は、その平和な頃のヨーロッパ文化の香りをまだ色濃く残しているのである。

   これまでに、何度か、大野和士の指揮を聴いているが、今夜ほど、大野が大きく見えたことはなかった。
   
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