
今三宅坂の国立劇場で、歌舞伎「絵本太閤記」が舞台にかかっている。
小学生の団体が入っていて、成駒屋、加賀屋、と言う可愛い掛け声が、時折場内を沸かせている。
太閤記と言っても、豊臣秀吉を主人公にしているのではなく、明智光秀が主役で、この歌舞伎では、信長から恥辱を受ける「二条城配膳の場」から、本能寺の場等を経て、「太十」で有名な「尼崎閑居の場」で、秀吉と光秀が、山崎の合戦場で相見えることを約して分かれるところまで演じられている。
歴史的には、明智光秀は、遺恨を種に謀反を起こして織田信長を本能寺で暗殺した悪人との評価がなされているが、こんな場合は、案外、歴史的には、後世の人間が都合の良いように書き換えていることが多くて真実が何処にあるのか分からない場合が多い。
従って、この場合も、豊臣秀吉に有利に、歴史が改ざんされている可能性が相当高いと思われるが、この歌舞伎は、その点では、比較的公平で、むしろ、光秀の悲劇を正面に押し出した心理劇に仕立てられている。
私自身は、インテリの光秀にとっては、やはり、スパイを縦横に放って的確に情報を摑み権謀術数・戦略に長けた秀吉に対して、殆ど、戦力も十分ではなく何の準備もせず、戦略戦術なく、大義名分だけで戦いに打って出た短慮が災いして負けたわけであるが、これは理の当然であると思っている。
ところでこの絵本太閤記、実際は、市川團十郎が光秀を演ずる予定だったのが、病気の為に、中村橋之助が代わってやっているが、結構、骨太の豪快かつ繊細な演技をしていて中々素晴しい舞台である。
成田屋の指南を仰いだようだが、本人曰く、「ニヒルでクールで、お肝の中にワイルドなものをもつ光秀像」を演じているとか、序幕の「二条城配膳の場」の大詰めで、恥辱を受けて花道を下がって行くが、苦渋に満ちた表情から不敵な笑みに変わって行くあの表情がそれであろうか、とにかく、その後の運命総てを表現する不気味な表情である。
橋之助の実父中村芝翫が演じる秀吉、中村我當が演じる信長だが、夫々、格調の高い演技で舞台を支えている。
今回、私が注目したのは、女形の中村魁春の武智十次郎光義(光秀の息子)と、片岡孝太郎の森蘭丸でそのうえ十次郎の許婚初菊まで演じる芸達者振りである。
魁春は、芝翫に女形の勤める役だと言われてやったとか、とにかく、立ち居振る舞いが優しくて実に美しく、それに、しっかりとした息子としての役割を果たして橋之助の光秀を支えている。
一方、孝太郎の方は、初菊の場合は、何時もの瑞々しくて健気な娘役であるが、森蘭丸の方は、派手な衣装に隈取した才知に長けた腹心振りで、光秀の家来相手に舞台狭しと大立ち回りまで演ずる。
一寸ひねたちびっ子ギャングと言った感じで、信長のプラトニック・ラブ相手とも目されている美少年の森蘭丸のイメージを完全に覆して面白い。
もう1人特筆すべきは、光秀の妻操を演じた中村東蔵で、太十で、光秀に母と息子を死地に追いやった短慮を攻め抜く愁嘆場など実に上手い。
光秀の母皐月を演じた中村吉之丞の品格のあるしみじみとした語り口も胸を打つ。
この太十だが、母皐月の計らいで死地に赴く十次郎と初菊の婚儀、秀吉の身代わりになって光秀に竹やりで刺される母皐月の換言、戦地から深傷を負って帰ってくる十次郎と母の死、操の口説き、秀吉と光秀との出会い、等々話題が豊富だが、とにかく、この部分は正に史実を無視した虚構の世界、人気が高く文楽でも歌舞伎でも上演されることが多い。
ところで、2年前の5月に、桐竹勘十郎の襲名披露公演で、同じ「太十」を観た。
勿論、勘十郎が光秀を遣ったが、人間国宝の3人・吉田玉男が十次郎、吉田簑助が初菊、吉田文雀が操を夫々遣っていた。
このことからも、魁春の演じた十次郎と秀太郎の演じた初菊が重要な役であることが分かる。
母皐月は、桐竹紋寿であったが、とにかく、素晴しい感動的な舞台であったことを思い出した。
小学生の団体が入っていて、成駒屋、加賀屋、と言う可愛い掛け声が、時折場内を沸かせている。
太閤記と言っても、豊臣秀吉を主人公にしているのではなく、明智光秀が主役で、この歌舞伎では、信長から恥辱を受ける「二条城配膳の場」から、本能寺の場等を経て、「太十」で有名な「尼崎閑居の場」で、秀吉と光秀が、山崎の合戦場で相見えることを約して分かれるところまで演じられている。
歴史的には、明智光秀は、遺恨を種に謀反を起こして織田信長を本能寺で暗殺した悪人との評価がなされているが、こんな場合は、案外、歴史的には、後世の人間が都合の良いように書き換えていることが多くて真実が何処にあるのか分からない場合が多い。
従って、この場合も、豊臣秀吉に有利に、歴史が改ざんされている可能性が相当高いと思われるが、この歌舞伎は、その点では、比較的公平で、むしろ、光秀の悲劇を正面に押し出した心理劇に仕立てられている。
私自身は、インテリの光秀にとっては、やはり、スパイを縦横に放って的確に情報を摑み権謀術数・戦略に長けた秀吉に対して、殆ど、戦力も十分ではなく何の準備もせず、戦略戦術なく、大義名分だけで戦いに打って出た短慮が災いして負けたわけであるが、これは理の当然であると思っている。
ところでこの絵本太閤記、実際は、市川團十郎が光秀を演ずる予定だったのが、病気の為に、中村橋之助が代わってやっているが、結構、骨太の豪快かつ繊細な演技をしていて中々素晴しい舞台である。
成田屋の指南を仰いだようだが、本人曰く、「ニヒルでクールで、お肝の中にワイルドなものをもつ光秀像」を演じているとか、序幕の「二条城配膳の場」の大詰めで、恥辱を受けて花道を下がって行くが、苦渋に満ちた表情から不敵な笑みに変わって行くあの表情がそれであろうか、とにかく、その後の運命総てを表現する不気味な表情である。
橋之助の実父中村芝翫が演じる秀吉、中村我當が演じる信長だが、夫々、格調の高い演技で舞台を支えている。
今回、私が注目したのは、女形の中村魁春の武智十次郎光義(光秀の息子)と、片岡孝太郎の森蘭丸でそのうえ十次郎の許婚初菊まで演じる芸達者振りである。
魁春は、芝翫に女形の勤める役だと言われてやったとか、とにかく、立ち居振る舞いが優しくて実に美しく、それに、しっかりとした息子としての役割を果たして橋之助の光秀を支えている。
一方、孝太郎の方は、初菊の場合は、何時もの瑞々しくて健気な娘役であるが、森蘭丸の方は、派手な衣装に隈取した才知に長けた腹心振りで、光秀の家来相手に舞台狭しと大立ち回りまで演ずる。
一寸ひねたちびっ子ギャングと言った感じで、信長のプラトニック・ラブ相手とも目されている美少年の森蘭丸のイメージを完全に覆して面白い。
もう1人特筆すべきは、光秀の妻操を演じた中村東蔵で、太十で、光秀に母と息子を死地に追いやった短慮を攻め抜く愁嘆場など実に上手い。
光秀の母皐月を演じた中村吉之丞の品格のあるしみじみとした語り口も胸を打つ。
この太十だが、母皐月の計らいで死地に赴く十次郎と初菊の婚儀、秀吉の身代わりになって光秀に竹やりで刺される母皐月の換言、戦地から深傷を負って帰ってくる十次郎と母の死、操の口説き、秀吉と光秀との出会い、等々話題が豊富だが、とにかく、この部分は正に史実を無視した虚構の世界、人気が高く文楽でも歌舞伎でも上演されることが多い。
ところで、2年前の5月に、桐竹勘十郎の襲名披露公演で、同じ「太十」を観た。
勿論、勘十郎が光秀を遣ったが、人間国宝の3人・吉田玉男が十次郎、吉田簑助が初菊、吉田文雀が操を夫々遣っていた。
このことからも、魁春の演じた十次郎と秀太郎の演じた初菊が重要な役であることが分かる。
母皐月は、桐竹紋寿であったが、とにかく、素晴しい感動的な舞台であったことを思い出した。