熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

法化社会に向かって・・・コーポレート・ガバナンスか企業防衛か

2005年11月14日 | 政治・経済・社会
   この数日に、2回貴重な会社経営に関する法務セミナーを受講する機会を得た。
   一つは、早稲田大学の21世紀COEと内閣府の共催による「企業犯罪国際シンポジューム 企業の法的責任とコンプライアンス・プログラム コンプライアンスの国際基準と日本の企業法制」で、早稲田の井深大記念ホールで、米独と日本の専門家による講演とパネルディスカッションで、活発に、コンプライアンスに対する政府や企業の取り組みについて議論された。

   冒頭、法政大学の今井猛嘉教授が、シンポジュームと同じ演題で、日本の企業から集めたコンプライアンスに関するアンケート調査を踏まえた企業の法的責任の実態報告を兼ねて基調講演を行った。
   この報告を問題提起として、アメリカとドイツの学者や専門家が自国のコンプライアンスの現状と問題点などを報告し、午後になってからは、企業の法務担当者が加わり更に問題点を掘り下げて討論された。
   面白かったのは、ジーメンスや丸紅、富士ゼロックス等の実際的な報告であったが、アメリカ、ドイツ、日本と、夫々の経済社会や国情の差、或いは、歴史を背負っていてそのバリエーションが興味を引く。

   特に、ジーメンスは、チーフ・コンプライアンス・オフイサー(CCO)であったシェーファー博士が、生々しい実務上の経験から話し、企業にとってコンプライアンスが如何にリスクが高く、その防止に対して企業が命運をかけているのか熱っぽく語っていた。
   ドイツの場合は、監査役会が上部にあって、取締役会がその下にあるのだが、CCOは、公開委員会を通じて両役員会に直接ダイレクトに報告責任があり、内外の監視・監査システムにサポートされながら、企業のリスク回避の要となって機能する重要なポジションである。
   日本に比較的近い筈のドイツでも、グローバル企業になると、アメリカの法令やコーポレート・ガバナンス要求には振り回されているのが面白い。
   SECへの報告は、CCOが、すべてチェックするのだと言う。

   もう一つは、東京大学の21世紀COEプログラムで、デラウエア州催告裁判所裁判官ジャック・ジェイコブス博士の「日本の買収防衛指針へのコメント:「公正な」防衛策をめぐるデラウエア州法の経験から学ぶ」と言う演題での貴重な講演である。
   午後から、東大で、ライブドアや住友信託銀行のケースをデラウエア州法に照らせばどうなるのか講演されたようであるが、残念ながら、都合がつかずに聴講を逃してしまった。

   前回の上村達男早大教授の指摘をコーポレート・ガバナンスの時に触れたが、アメリカは連邦として統一商法典がないのだが、このデラウエア州法が、ある意味では、その一部の機能を担っていて、敵対的買収についても、この州法で解釈され、デラウエア州最高裁判所の判決がスタンダードになるようである。

   ジェイコブス博士の話は、今はやりのポイズンピルなどTOBに絡むあらゆる話に及んだが、話されたのは、正に、裁判所が直面した苦難の歴史で、如何にしてアメリカが艱難辛苦を克服しながら現在の法体系に至ったのかを、その進化の過程の克明な説明であった。
   英米法の根幹コモンローを実現する為に、そして、フェアである為に、急速に転変する経済社会の構造変化に合わせて、如何にこの面での法体系が進化してきたか、ここまで来るのに30年かかったのだ、と博士は言う。
   経済産業省が5月に発表した企業価値報告書に触れながら、日本は、現時点では、欧米の経験と知識を利用してキャッチアップできるかもしれないが、これからは、独自の経験を重ねて法体系を確立して進化して行かなければならないのだとも言う。

   企業経営において、場合においては適応しないと言われながらも、ビジネス・ジャッジメント・ルールやエンタイア・フェアネスの基本理念が、重要な判断の時の基準に顔をだすのを興味深く聴いていた。
   敵対的買収に対しても企業の防衛策が、果たしてフェアなのかどうか、アメリカの法体系はいつもこれを問いながら進化して来たのである。
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