熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ゲルバーのラフマニノフ・ピアノ協奏曲第3番・・・新日本フィル定期公演

2005年11月13日 | クラシック音楽・オペラ
   私にとっては、久しぶりのクリスティアン・アルミンク指揮の新日本フィルの定期公演であるが、今回は、ブルーノ・レオナルド・ゲルバーのピアノでラフマニノフの第3番、それに、アレクサンダー・ロクシンの交響曲第一番「レクイエム」の日本初演である。

   何でも初演と言うのは、期待以上であったり、期待を裏切られたりで、色々なのであるが、現代作品で、作曲者が演奏会当日会場に来ている場合には、現代的すぎて馴染めない場合が多いのだが、このロクシンの場合は、ソ連時代に政治的等で相容れなかった不遇の作曲家であったので、多少、違っていてそれ程違和感はなかった。

   ゲルバーは、天才ピアニストと言うべきか、芸歴が長く、一度演奏会で聴いているが、フィラデルフィアであったか、東京であったか、随分前の話で忘れてしまった。
   若くて美人だったマルタ・アルゲリッチと、まだピアニストだったバレンボイムとがアルゼンチンの3羽烏として有名で、3人のコンサートに出かけた。
   あの頃は、ゲルバーは、若い坊ちゃんと言う雰囲気であったが、今回は、足がずっと悪くなった感じで、それに、年を取ったのか、大分体重もついてゆっくり舞台に登場した時には、別人のような感じがした。

   このピアノ協奏曲は、ラフマニノフが渡米後の1909年に、本人自身の独奏で、ウォルター・ダムロッシュ指揮ニューヨーク・フィルで初演され、その後、グスタフ・マーラー指揮で、同じコンビで再演されたという。
   映画「シャイン」で有名になったと言うことだが、後でDVDをかけて見ようと思ってそのままになっている。
   
   私の好んで聴くのは、第2番のやや哀調を帯びたスラブの土の香りがする方のピアノ協奏曲で、第3番の方は、CDも持っていないので、聴く機会が少なかったが、今度のゲルバーの繊細かつ豪快な演奏を聴いて、改めてラフマニノフの音楽の豊かさを感じた。
   前回の来日時には、ベートヴェン演奏が主体だったようだが、ディスコグラフィをチェックしてもベートヴェンが多いが、技術的にも音楽的にも高度なものを要求される最難曲だと言われるこのピアノ協奏曲とがっぷり四つに組んで対峙する、ゲルバーの凄い気迫と迫力に圧倒されて聴いていたが、正統を追求し続けるピアニストの真摯な熱情が全開した感じの演奏であった。

   ロクシンの「レクイエム」であるが、冒頭から器楽のみの導入で、室内楽風の演奏が続くなど一寸違和感を感じながら聞いていたが、最後も、独奏ヴァイオリンが静かに消えていって終わるのだが、誰も知らない(?)ので、拍手が中々出なくて演奏者も聴衆も戸惑った感じであった。
   新日本フィルの演奏、そして、独唱者も含めて栗友会合唱団の歌声は素晴しかった。
   良いか悪いか、新日本フィルの場合は、比較的熱心なクラシックファンが多い筈なのだが、今回、演奏途中に退場する夫婦が居た。

   昨年、ニューヨークでロリン・マゼール指揮でニュヨーク・フィルを聴いたが、その時、全く信じ難いことだが、ランラン独奏のチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番の第1楽章終わりで拍手が出たり、次の現代曲アウグスタ・リード・トーマス作曲の「GATHERING PARADISE」では、休憩中に多くの客が帰ってしまい、演奏途中にも多くの客が退場するのを見たが、クラシック演奏会も歌舞伎並みに自由になったのであろうか。

   もっとも、その時期、来年来日予定のメトロポリタン・オペラが、プラシド・ドミンゴ出演の「ワルキューレ」を、最高のチケットが2万円で公演していたが、それでも売れ残っていた状態だから、ニューヨークのクラシック音楽市場に、何か変化が起こっているのかも知れない。

   
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