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スティグリッツ教授の「不平等と民主主義 Inequality and Democracy」
適切な政治改革を行えば、民主主義は、より包括的で国民への反応が良くなり、現在財布の紐を握っている企業や富裕層への反応を悪くする可能性がある。 しかし、民主政治を救うためには、広範な経済改革も必要となる。と言う。
近年、民主主義の後退と権威主義の台頭について多くの議論が巻き起こっている。 ハンガリーのオルバン首相から元ブラジル大統領ボルソナロ、そして、ドナルド・トランプに至るまで、奇妙な形の右翼ポピュリズムを誘導する権威主義者や独裁志望者のリストは増え続けている。 彼らは一般市民を保護し、長年にわたる国家的価値観を維持すると約束しているにもかかわらず、強力で埃を被った積年の規範を保護する政策を追求しているだけである。
多くの説明の中で、際立っているのは不平等の拡大であり、これは現代の新自由主義資本主義に起因する問題であり、多くの点で民主主義の浸食にも関連している可能性がある。 経済的不平等は、国によって程度の差はあれ、必然的に政治的不平等につながっていて、 米国のような国では、選挙活動への寄付金に事実上制限がないため、「1人1票」は「1ドル1票」に変化した。
この政治的不平等は自己強化的であり、経済的不平等をさらに固定化する政策につながっている。 税制は富裕層に有利であり、教育制度はすでに特権を持っている人に有利であり、不適切に設計および施行されている独占禁止法規制により、企業は自由に市場支配力を蓄積し搾取する傾向にある。 さらに、メディアはルパート・マードックのような金権政治家が所有する民間企業によって支配されているため、主流の言説の多くは同じ傾向を固定化する傾向がある。ごく最近では、超富裕層が管理する従来のメディアに、超富裕層が管理するソーシャルメディア企業が加わり、誤った情報を広める制約がさらに緩くなっている。
説明責任のない資本主義において、多くの人々が富の集中の増大を疑問視し、システムが不正に操作されていると信じており、民主主義が不公平な結果をもたらしたという感覚が蔓延しているため、民主主義への信頼が損なわれ、代替制度の方がより良い結果が得られるのではないかと結論付ける向きもある。現在、経済的、政治的不平等が極端になり、多くの人が民主主義を拒否している。
しかし、 これは権威主義、特にトランプやボルソナロなどが代表する右翼ポピュリズムの温床となっているのだが、そのような指導者たちは、不満を持つ有権者が求めている答えを何一つ持っていないことを示している。 それどころか、権力を与えられたときに彼らが制定する政策は事態を更に悪化させるだけである。
したがって、スティグリッツ教授は、次のように結論付けている。
代替手段を他に探すのではなく、私たちは自分自身のシステムの内側に目を向ける必要がある。 適切な改革を実施すれば、民主主義は、より包摂的で国民への反応が良くなり、現在権力を握っている企業や富裕層への反応を減殺させることが出来る。
尤も、現在の政治を救うには、同様に劇的な経済改革も必要となる。 そのためには、すべての国民の幸福を公平に増進し、ポピュリストの帆から風を取り除くために、新自由主義資本主義から脱却し、称賛に値する繁栄の共有を生み出す上でより良い仕事をしなければならない。
レーガノミクス以降支配的となった現代の新自由主義(modern neoliberal capitalism)の台頭によって、あらゆる場面で、経済格差が伸張し、不平等が拡大し、民主主義を危機に追い込んでいる。
しかし、まだ、民主主義は、新自由主義からの脱却など抜本的な経済改革を行って経済を正常な軌道に乗せるなど、適切な改革を行えば、より包摂的で国民への反応が良くなり、すべての国民の幸福を公平に増進させることが出来る。
と言うことであろうか。
さて、それでは、どうすれば良いのか。スティグリッツ教授は、短いこの論文では触れていないが、その著作や論文で多くの提言をしている。このブログでも紹介済みなので端折るが、
非常に示唆に富み興味深いが、やはり、学者の提言でありかなりドラスティックであるので、リベラルで相当地盤のしっかりした民主党政権の下でパワフルなリーダーが登場しない限り無理であろうと思われる。
適切な政治改革を行えば、民主主義は、より包括的で国民への反応が良くなり、現在財布の紐を握っている企業や富裕層への反応を悪くする可能性がある。 しかし、民主政治を救うためには、広範な経済改革も必要となる。と言う。
近年、民主主義の後退と権威主義の台頭について多くの議論が巻き起こっている。 ハンガリーのオルバン首相から元ブラジル大統領ボルソナロ、そして、ドナルド・トランプに至るまで、奇妙な形の右翼ポピュリズムを誘導する権威主義者や独裁志望者のリストは増え続けている。 彼らは一般市民を保護し、長年にわたる国家的価値観を維持すると約束しているにもかかわらず、強力で埃を被った積年の規範を保護する政策を追求しているだけである。
多くの説明の中で、際立っているのは不平等の拡大であり、これは現代の新自由主義資本主義に起因する問題であり、多くの点で民主主義の浸食にも関連している可能性がある。 経済的不平等は、国によって程度の差はあれ、必然的に政治的不平等につながっていて、 米国のような国では、選挙活動への寄付金に事実上制限がないため、「1人1票」は「1ドル1票」に変化した。
この政治的不平等は自己強化的であり、経済的不平等をさらに固定化する政策につながっている。 税制は富裕層に有利であり、教育制度はすでに特権を持っている人に有利であり、不適切に設計および施行されている独占禁止法規制により、企業は自由に市場支配力を蓄積し搾取する傾向にある。 さらに、メディアはルパート・マードックのような金権政治家が所有する民間企業によって支配されているため、主流の言説の多くは同じ傾向を固定化する傾向がある。ごく最近では、超富裕層が管理する従来のメディアに、超富裕層が管理するソーシャルメディア企業が加わり、誤った情報を広める制約がさらに緩くなっている。
説明責任のない資本主義において、多くの人々が富の集中の増大を疑問視し、システムが不正に操作されていると信じており、民主主義が不公平な結果をもたらしたという感覚が蔓延しているため、民主主義への信頼が損なわれ、代替制度の方がより良い結果が得られるのではないかと結論付ける向きもある。現在、経済的、政治的不平等が極端になり、多くの人が民主主義を拒否している。
しかし、 これは権威主義、特にトランプやボルソナロなどが代表する右翼ポピュリズムの温床となっているのだが、そのような指導者たちは、不満を持つ有権者が求めている答えを何一つ持っていないことを示している。 それどころか、権力を与えられたときに彼らが制定する政策は事態を更に悪化させるだけである。
したがって、スティグリッツ教授は、次のように結論付けている。
代替手段を他に探すのではなく、私たちは自分自身のシステムの内側に目を向ける必要がある。 適切な改革を実施すれば、民主主義は、より包摂的で国民への反応が良くなり、現在権力を握っている企業や富裕層への反応を減殺させることが出来る。
尤も、現在の政治を救うには、同様に劇的な経済改革も必要となる。 そのためには、すべての国民の幸福を公平に増進し、ポピュリストの帆から風を取り除くために、新自由主義資本主義から脱却し、称賛に値する繁栄の共有を生み出す上でより良い仕事をしなければならない。
レーガノミクス以降支配的となった現代の新自由主義(modern neoliberal capitalism)の台頭によって、あらゆる場面で、経済格差が伸張し、不平等が拡大し、民主主義を危機に追い込んでいる。
しかし、まだ、民主主義は、新自由主義からの脱却など抜本的な経済改革を行って経済を正常な軌道に乗せるなど、適切な改革を行えば、より包摂的で国民への反応が良くなり、すべての国民の幸福を公平に増進させることが出来る。
と言うことであろうか。
さて、それでは、どうすれば良いのか。スティグリッツ教授は、短いこの論文では触れていないが、その著作や論文で多くの提言をしている。このブログでも紹介済みなので端折るが、
非常に示唆に富み興味深いが、やはり、学者の提言でありかなりドラスティックであるので、リベラルで相当地盤のしっかりした民主党政権の下でパワフルなリーダーが登場しない限り無理であろうと思われる。