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コロナウイルス騒ぎで、上演はならなかったが、国立劇場が、無観客の小劇場で録画した通し狂言「義経千本桜」を、youtubeで無料配信した。
まず、Aプロの二段目(鳥居前・渡海屋・大物浦)を観たが、菊之助が、渡海屋銀平と知盛を熱演する舞台で、実に清心で美しい舞台を楽しませて貰った。
最も最近観た渡海屋・大物浦の舞台は、仁左衛門だったと思うのが、どうしても、白鸚や吉右衛門や幸四郎と言った立ち役のベテラン歌舞伎役者の演じた銀平と知盛のイメージが強いのだが、どちらかというと女形で美しくて華麗な演技を見せてくれていた菊之助の銀平と知盛は、最も平家で居丈夫で豪快な知盛という雰囲気を匂わせながらも、爛熟した平安文化の雅さえ感じさせて、悲劇でありながら、美しくて華麗でさえあるのである。
義父吉右衛門の薫陶を受けての正統派の芸を継承しての銀平であり知盛であり、それに、音羽屋の美学と華麗さを合い交えての芸域の深化であるから感動を呼ぶのも当然であろう。
一敗血に塗れて手負い獅子の知盛が、苦悶しながら義太夫の悲痛な語りに応えて舞うように演じる仕草など、オリジナルの浄瑠璃に踊る文楽人形を観ているような異次元の美しさであった。
このシーンの終わりにかけて、義太夫を離れて、台詞で、清盛の傍若無人な悪行の報いを受けて平家が滅びてゆく悲哀を語るのだが、私は、この台詞など蛇足と言うか言わずもがなだと思っている。
元々、平家贔屓なので、平安時代で権力を欲しいままにしていた惰弱な藤原よりも、清盛の残した歴史上の貢献の方が、偉大だと思っている。
勝てば官軍負ければ賊軍で、歴史は歪んでしまってはいるが、平家物語の壮大な絵巻を展望しても、その桁違いのスケールの大きさが分かろうというものである。
この浄瑠璃の義経千本桜の中では、このAプロが、この後に演じられたBプロの三段目(椎の木・小金吾討死・鮓屋)や、Cプロの四段目(道行初音旅・河連法眼館)よりも、最も義経に関係がある芝居だと思う。
しかし、この部分でも、オリジナルの能「船弁慶」そのものが、例えば、平家物語のほんの断片を脚色して創作された曲なので、義経の人生とは殆ど関係はなく、義経のイメージを膨らませた芝居だと思って楽しめれば良いと言うことなのであろうか。
この「船弁慶」は、平家物語の「判官都落」の段に、京都から九州へ下向の途中の描写で、「門出よし」と悦んで、大物の浦より下りけるが、折節西のかぜはげしきふき、住吉の浦にうちあげられて、吉野のおくにぞこもりける。」の文章と、この段の後半の、「たちまちに、西の風ふきけることも、平家の怨霊のゆへとぞおぼえける。」とある僅かな叙述部分を元にして作曲されたのである。
興味深いのは、能「船弁慶」では、静が、吉野への同行を拒否したのは弁慶だと疑って義経に確かめるという芸の細かさを示しているが、流石に、この歌舞伎は、義経が静に直接諭していてすんなりしているが、実際には、義経は静を吉野へ帯同したというから面白い。
この菊之助の渡海屋・大物浦の舞台は、2015年7月のこの国立劇場の大劇場で既に観ていて感激した舞台の再演なので、その後の進境の著しさも加わって、凄い舞台であった。
このときも、銀平女房お柳実は内侍の局は梅枝が演じていて、しっとりとした味のある演技で、菊之助との相性の良さを見せていた。
今回、銀平娘お安実は安徳帝は、去年の團菊祭で「絵本牛若丸」で初舞台を踏んだ菊之助の長男丑之助であり、流石に、二人の人間国宝を祖父に持つ梨園のホープであるから、栴檀は双葉より芳しであり、将来が楽しみである。
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この舞台での重要な役割を演じるのは、義経の鴈治郎で、流石はベテランで、風格があって舞台を締めている。
静御前の米吉、弁慶の亀蔵の清新ではつらつとした芸が光っているが、やはり、菊之助あっての舞台であって、菊之助を堪能する舞台であることには間違いない。
これまで、舞台中継や録画で、観客の居る舞台のテレビやビデオなどを観ていたのだが、空席ばかりの劇場をバックにした芝居鑑賞は、やはり、一種独特の寂しさがあって、パーフォーマンス・アーツは、観客の重要さが、際立つ芸術のように思ったのである。
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まず、Aプロの二段目(鳥居前・渡海屋・大物浦)を観たが、菊之助が、渡海屋銀平と知盛を熱演する舞台で、実に清心で美しい舞台を楽しませて貰った。
最も最近観た渡海屋・大物浦の舞台は、仁左衛門だったと思うのが、どうしても、白鸚や吉右衛門や幸四郎と言った立ち役のベテラン歌舞伎役者の演じた銀平と知盛のイメージが強いのだが、どちらかというと女形で美しくて華麗な演技を見せてくれていた菊之助の銀平と知盛は、最も平家で居丈夫で豪快な知盛という雰囲気を匂わせながらも、爛熟した平安文化の雅さえ感じさせて、悲劇でありながら、美しくて華麗でさえあるのである。
義父吉右衛門の薫陶を受けての正統派の芸を継承しての銀平であり知盛であり、それに、音羽屋の美学と華麗さを合い交えての芸域の深化であるから感動を呼ぶのも当然であろう。
一敗血に塗れて手負い獅子の知盛が、苦悶しながら義太夫の悲痛な語りに応えて舞うように演じる仕草など、オリジナルの浄瑠璃に踊る文楽人形を観ているような異次元の美しさであった。
このシーンの終わりにかけて、義太夫を離れて、台詞で、清盛の傍若無人な悪行の報いを受けて平家が滅びてゆく悲哀を語るのだが、私は、この台詞など蛇足と言うか言わずもがなだと思っている。
元々、平家贔屓なので、平安時代で権力を欲しいままにしていた惰弱な藤原よりも、清盛の残した歴史上の貢献の方が、偉大だと思っている。
勝てば官軍負ければ賊軍で、歴史は歪んでしまってはいるが、平家物語の壮大な絵巻を展望しても、その桁違いのスケールの大きさが分かろうというものである。
この浄瑠璃の義経千本桜の中では、このAプロが、この後に演じられたBプロの三段目(椎の木・小金吾討死・鮓屋)や、Cプロの四段目(道行初音旅・河連法眼館)よりも、最も義経に関係がある芝居だと思う。
しかし、この部分でも、オリジナルの能「船弁慶」そのものが、例えば、平家物語のほんの断片を脚色して創作された曲なので、義経の人生とは殆ど関係はなく、義経のイメージを膨らませた芝居だと思って楽しめれば良いと言うことなのであろうか。
この「船弁慶」は、平家物語の「判官都落」の段に、京都から九州へ下向の途中の描写で、「門出よし」と悦んで、大物の浦より下りけるが、折節西のかぜはげしきふき、住吉の浦にうちあげられて、吉野のおくにぞこもりける。」の文章と、この段の後半の、「たちまちに、西の風ふきけることも、平家の怨霊のゆへとぞおぼえける。」とある僅かな叙述部分を元にして作曲されたのである。
興味深いのは、能「船弁慶」では、静が、吉野への同行を拒否したのは弁慶だと疑って義経に確かめるという芸の細かさを示しているが、流石に、この歌舞伎は、義経が静に直接諭していてすんなりしているが、実際には、義経は静を吉野へ帯同したというから面白い。
この菊之助の渡海屋・大物浦の舞台は、2015年7月のこの国立劇場の大劇場で既に観ていて感激した舞台の再演なので、その後の進境の著しさも加わって、凄い舞台であった。
このときも、銀平女房お柳実は内侍の局は梅枝が演じていて、しっとりとした味のある演技で、菊之助との相性の良さを見せていた。
今回、銀平娘お安実は安徳帝は、去年の團菊祭で「絵本牛若丸」で初舞台を踏んだ菊之助の長男丑之助であり、流石に、二人の人間国宝を祖父に持つ梨園のホープであるから、栴檀は双葉より芳しであり、将来が楽しみである。
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この舞台での重要な役割を演じるのは、義経の鴈治郎で、流石はベテランで、風格があって舞台を締めている。
静御前の米吉、弁慶の亀蔵の清新ではつらつとした芸が光っているが、やはり、菊之助あっての舞台であって、菊之助を堪能する舞台であることには間違いない。
これまで、舞台中継や録画で、観客の居る舞台のテレビやビデオなどを観ていたのだが、空席ばかりの劇場をバックにした芝居鑑賞は、やはり、一種独特の寂しさがあって、パーフォーマンス・アーツは、観客の重要さが、際立つ芸術のように思ったのである。
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