
11月の初日に歌舞伎座に出かけて夜の部を楽しんだ。
中村富十郎の長男中村大改め中村鷹之助襲名披露公演「鞍馬山誉鷹」で、何となく華やいだ雰囲気であったが、吉右衛門の「日向嶋景清」、松本幸四郎・染五郎父子の「連獅子」、それに、中村梅玉や時蔵の「おさん茂兵衛大経師昔暦」、夫々意欲的な出し物で、やはり、顔見世だけはある。
今回は、まず、吉右衛門が、松貫四名で書いた「日向嶋」について書いて見たい。
あらすじは、次のとおり。
清盛の侍大将で勇名を馳せた悪七兵衛景清が、源平の合戦後捕らえられて、翻意して仕える様に頼朝に説得されるが拒否して、自ら両眼を刳りぬいて盲になって日向に流されて行く。
若かりし時、熱田神宮の大宮司の娘と契って生まれた娘・糸滝(中村芝雀)が、はるばる父を訪ねてくる。親子の名乗りを揚げて再会を喜ぶが、先のない世捨て人の自分に関わらせないように無碍に追い返す。
娘の残した書置を読んでもらって、娘が身売りして得た金を届けてくれたことを知って慟哭する。
監視していた頼朝の家来に、「忠臣が主を選んで奉公するのは世の道理、頼朝に従えば糸滝も身売りせずに済む」と諭されて、娘可愛さに、頼朝に帰順して鎌倉へ向かう。
文楽の「嬢景清八嶋日記」の日向嶋の段を歌舞伎用に吉右衛門が脚色したのがこの舞台で、今年、金丸座の金毘羅歌舞伎で初演された。
この演目は、実父先代松本幸四郎が、それまで禁じられていた文楽との共演を実現し、昭和34年に竹本綱大夫と竹澤弥七と組んで合同試演会で実現したもので、本人も土屋群内(今回は染五郎)で出演した。
吉右衛門が、歌舞伎の時代物をもっと高度なもののしたいと思った原点の芝居だと言うのだから、その取り組みかたは尋常ではない。
舞台上手から杖をついてとぼとぼと出てくる景清は、俊寛の姿そっくりだが、波間の岩の上に懐から取り出した重盛の位牌を置き、梅の枝を供えて菩提を弔う。頼朝の首を刎ね損ねた無念さに死に切れない自分の不甲斐なさを嘆く。
忠臣で無骨一途の景清が、3歳の時訳あって乳母に与えた我が娘に巡り会い、その優しさ健気さに吾を忘れて慟哭し、一変して、頼朝に帰順する。鎌倉への船の中、大事に持っていた重盛の位牌を海中に投じるのである。
あの当時、日向の国、いまの宮崎だが、もう地の果ても同然の遠国で、供1人伴っているとは言え、うら若き娘の旅としては至難の業、苦難を乗り越えて自分を訪ねて来てくれたと知った時の景清の心境はイカばかりであったか。
一度は知らぬ存ぜぬで追い返した娘が、村人に案内されて帰ってきて親子の対面をし、娘を掻き抱いて顔を撫ぜ擦りながら慟哭する。しかし、娘が心配なく暮らせると聞いて心を鬼にして追い返すが、姿が見えなくなると、今のは本心ではなかったと叫ぶ。
ところが、自分の身を売って得た金を届けてくれたと知って、七転八倒、地面に財布を叩きつけながら慟哭、髪を掻き毟って阿鼻叫喚の苦しみ、吉右衛門は、正に、生き地獄を彷徨うが如く嘆き悲しむ。村人の言葉も耳に入らない。
もうその時には、平家への忠義も武士としての面子もプライドも意識の中にはなくなって、ただの父親に戻って、娘糸滝が、愛しくて恋しくて堪らない。
景清の思いは、娘糸滝の幸せのみ、そのただ一点のみに集中し、放心したように頼朝の家来の説得に従う。
景清のこの大きな心境の変化・頼朝への恭順まで、舞台では畳み掛けるような展開で、ほんの僅かしか時間の余裕がない。
しかし、吉右衛門は、実に周到に感情を溜めに溜めて一気にクライマックスまで持って行き、頂点で爆発させて観客を感動の渦に捲込む。実に上手い。
父幸四郎が影清を演じた時には、糸滝を中村雀右衛門が演じたと言う。
今回は、この糸滝を、その息子の芝雀が、実に、初々しく感動的に演じており、歌舞伎の伝統の凄さを感じる。
ところで、近松門左衛門が、この嬢八嶋影清日記の前編とも言うべき「出世景清」で、人気戯作者としてのスタートを切ったが、通しで見てみたいと思った。
文楽では、この演目には、特別なかしら景清を遣うと言う。赤く目を塗りつぶしたかつらだが、吉右衛門もやや赤みがかった縁取りをしていた。
最後の幕、舞台正面にでんと据えられた船上に治まった吉右衛門の威風堂々とした晴れ姿が印象的であった。
中村富十郎の長男中村大改め中村鷹之助襲名披露公演「鞍馬山誉鷹」で、何となく華やいだ雰囲気であったが、吉右衛門の「日向嶋景清」、松本幸四郎・染五郎父子の「連獅子」、それに、中村梅玉や時蔵の「おさん茂兵衛大経師昔暦」、夫々意欲的な出し物で、やはり、顔見世だけはある。
今回は、まず、吉右衛門が、松貫四名で書いた「日向嶋」について書いて見たい。
あらすじは、次のとおり。
清盛の侍大将で勇名を馳せた悪七兵衛景清が、源平の合戦後捕らえられて、翻意して仕える様に頼朝に説得されるが拒否して、自ら両眼を刳りぬいて盲になって日向に流されて行く。
若かりし時、熱田神宮の大宮司の娘と契って生まれた娘・糸滝(中村芝雀)が、はるばる父を訪ねてくる。親子の名乗りを揚げて再会を喜ぶが、先のない世捨て人の自分に関わらせないように無碍に追い返す。
娘の残した書置を読んでもらって、娘が身売りして得た金を届けてくれたことを知って慟哭する。
監視していた頼朝の家来に、「忠臣が主を選んで奉公するのは世の道理、頼朝に従えば糸滝も身売りせずに済む」と諭されて、娘可愛さに、頼朝に帰順して鎌倉へ向かう。
文楽の「嬢景清八嶋日記」の日向嶋の段を歌舞伎用に吉右衛門が脚色したのがこの舞台で、今年、金丸座の金毘羅歌舞伎で初演された。
この演目は、実父先代松本幸四郎が、それまで禁じられていた文楽との共演を実現し、昭和34年に竹本綱大夫と竹澤弥七と組んで合同試演会で実現したもので、本人も土屋群内(今回は染五郎)で出演した。
吉右衛門が、歌舞伎の時代物をもっと高度なもののしたいと思った原点の芝居だと言うのだから、その取り組みかたは尋常ではない。
舞台上手から杖をついてとぼとぼと出てくる景清は、俊寛の姿そっくりだが、波間の岩の上に懐から取り出した重盛の位牌を置き、梅の枝を供えて菩提を弔う。頼朝の首を刎ね損ねた無念さに死に切れない自分の不甲斐なさを嘆く。
忠臣で無骨一途の景清が、3歳の時訳あって乳母に与えた我が娘に巡り会い、その優しさ健気さに吾を忘れて慟哭し、一変して、頼朝に帰順する。鎌倉への船の中、大事に持っていた重盛の位牌を海中に投じるのである。
あの当時、日向の国、いまの宮崎だが、もう地の果ても同然の遠国で、供1人伴っているとは言え、うら若き娘の旅としては至難の業、苦難を乗り越えて自分を訪ねて来てくれたと知った時の景清の心境はイカばかりであったか。
一度は知らぬ存ぜぬで追い返した娘が、村人に案内されて帰ってきて親子の対面をし、娘を掻き抱いて顔を撫ぜ擦りながら慟哭する。しかし、娘が心配なく暮らせると聞いて心を鬼にして追い返すが、姿が見えなくなると、今のは本心ではなかったと叫ぶ。
ところが、自分の身を売って得た金を届けてくれたと知って、七転八倒、地面に財布を叩きつけながら慟哭、髪を掻き毟って阿鼻叫喚の苦しみ、吉右衛門は、正に、生き地獄を彷徨うが如く嘆き悲しむ。村人の言葉も耳に入らない。
もうその時には、平家への忠義も武士としての面子もプライドも意識の中にはなくなって、ただの父親に戻って、娘糸滝が、愛しくて恋しくて堪らない。
景清の思いは、娘糸滝の幸せのみ、そのただ一点のみに集中し、放心したように頼朝の家来の説得に従う。
景清のこの大きな心境の変化・頼朝への恭順まで、舞台では畳み掛けるような展開で、ほんの僅かしか時間の余裕がない。
しかし、吉右衛門は、実に周到に感情を溜めに溜めて一気にクライマックスまで持って行き、頂点で爆発させて観客を感動の渦に捲込む。実に上手い。
父幸四郎が影清を演じた時には、糸滝を中村雀右衛門が演じたと言う。
今回は、この糸滝を、その息子の芝雀が、実に、初々しく感動的に演じており、歌舞伎の伝統の凄さを感じる。
ところで、近松門左衛門が、この嬢八嶋影清日記の前編とも言うべき「出世景清」で、人気戯作者としてのスタートを切ったが、通しで見てみたいと思った。
文楽では、この演目には、特別なかしら景清を遣うと言う。赤く目を塗りつぶしたかつらだが、吉右衛門もやや赤みがかった縁取りをしていた。
最後の幕、舞台正面にでんと据えられた船上に治まった吉右衛門の威風堂々とした晴れ姿が印象的であった。