熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

企業の社会的責任・・・CSRは必須か? (その3)

2005年08月22日 | 経営・ビジネス
   日経ビジネスの記事の中に、CSR現場最前線の声「今のブームはここがおかしい」と言うページがあって、企業のCSR担当者のナマの声を伝えている。
   かってのTQCやデミング賞に狂奔した頃のブームと同じ様相を呈していて、全くの素人が担当者に祭り上げられて、コンサルタントや専門家の先生(?)の指導を受けながら、どちらかと言えば、使命感とインセンティブの欠如した業務として対応しているのがよく分かる。
   転ばぬ先の杖を持て、と煽る日経記事のタイトル自体が、「CSRで会社を守れ」であるから、どうしても後ろ向き。やりたくないのだが、世の中の流行だし、それに、先生方からは、企業価値の向上に資する為に極めて重要で、会社にとってもお得ですよと勧められる。

   チャールズ・J・フォンブランの「コーポレート・レピュテーション」では、CSRを推進し社会に貢献している優良企業は、評価が高く、会社のレピュテーションの向上に資しているとして、企業価値の向上の1要因として評価されている。
   しかし、CSR投資が、どれだけレピュテーションをアップさせて、それが、株価アップに繋がって企業価値の向上に貢献しているかの計量は難しい。

   ここで、岩本教授の「CSRバブル」に関する面白い指摘を披露したい。
   会社が社会的責任を果たすことは長期的には会社の利益につながる、CSRはお得ですよ、と言うブームに煽られて、CSRがバブル状態になれば、それが、株や土地のバブルと違って、ファンダメンタルになると言うのである。
   一般的に言って、今の企業のCSRに対する取り組みやCSR投資に関して言えば、どちらかと言うと、コスト要因となって企業競争の足を引っ張るが、みんながやり始めれば、CSRに投資する個別の会社の競争上の不利が消えて、それが社会のファンダメンタル(基本)となって、社会が進歩すると言うのである。

   そう言われてみれば、例えば、競争原理で熾烈な経済環境で進展してきた資本主義も、厚生経済学が生まれて、弱者に対する思いやりや平等の経済原則、そして人々の福利厚生が追加されるなど、人々の幸せをビルトインするようになって来た。
   CSR投資が増えれば、環境破壊も抑制され、メセナで文化の向上も図れると言うことであろうか。

   前回の議論に戻るが、まず、目的とすべきなのは、英国のGOOD CORPORATIONの様な、社会や環境も含めた総てのステイクホールダーに対して配慮した「良い会社」を目指すことであろう。
   企業の社会的責任の原点は正にここにある筈である。
   コーポレート・ガバナンスと遵法システムを確立したグッドシティズンになることが先である。その上に、CSR活動を置かない限り、付焼刃になって、その実行と効果は疑わしい。
   CSRが、会社の自主的かつ自発的なアクションだとするならば、ある意味では、ノブレスオブリージェ、企業に余裕がなければ充分に対応できない部分もある様な気がする。

   株価至上主義、利益至上主義のアメリカ型の企業行動と経営哲学が、CSR重視の経営が脚光を浴びることによって、企業環境が大きく変わって、日本やヨーロッパのステイクホールダー重視の経営に移行して行く兆候なのであろうか。
   それとも、CSRは、あくまで、利益向上の為の手段なのであろうか。

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