熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

豪快なドボルジャークのチェロ協奏曲とカザルスの鳥の歌・・・新日本フィル定期

2005年06月18日 | クラシック音楽・オペラ
   久しぶりに豪快かつ極めて繊細優美なドボルジャークのチェロ協奏曲を聴いた。    
   18日の新日本フィル・トリフォニー・ホールでの定期公演387の演奏会で、ロストロポーヴィッチの弟子ダヴィッド・ゲリンガスが、素晴らしいチェロを奏でた。

   私は、ロンドンで、ヨーヨー・マも、そして、ロストロポーヴィッチも、同じドボルジャークを聴いている。夫々、印象的で素晴らしかったが、今回は、日本のオーケストラとの共演、アルミンクは、巧手ゲリンガスを存分に歌わせ、どのようにオーケストラを引っ張ってゆくのか、興味があった。

   この協奏曲は、あまりにも有名で聴く機会も多いが、難曲中の難曲だと聞く。終楽章最後の何とも言えない美しいソロを、ゲリンガスは、ジッと聴衆を見据えながら感慨をじっとこらえながら弾き終えた。
   流石に大学教授、ヨーヨー・マやロストロポーヴィッチの様な演奏家然としたパーフォーマンスはないが、誠実な抑揚の効いた暖かい演奏が胸を打つ。
   確か、ロストロポーヴィッチは、小澤征爾がロンドンに来られなくなった時のLSOの演奏会で聴いたのだが、弟子のゲリンガスにどうのように受け継がれているのか、残念ながら私には良く分からない。

   熱狂的な聴衆に応えて、ゲリンガスは、カザルスの鳥の歌、と日本語で言って、静かにアンコール曲を引き始めた。
   国連演奏会で、パブロ・カザルスが、スペインでは、鳥は、ピース(peace)、ピースと鳴いて飛ぶんだと言って弾いた曲である。
   消え入るようにフェイドアウトして行く天の声のような美しいチェロの囁きが胸に迫る。
   
   後半は、ブリテンのアメリカ序曲とストラヴィンスキーの「春の祭典」。
   春の祭典を振って指揮台を下りたアルミンクは、コンサートマスターの崔文洙を激しく抱きしめていたので、久しぶりの入魂の出来栄えだったのかもしれない。
   しかし、私には、ドボルジャークの素晴らしい演奏の後の実にダイナミックで派手なストラヴィンスキーなので、気持ちの切り替えが出来ずに、十分に楽しめなかった。
   隣の人は、前半で帰ってしまったが、音楽ツウなのかもしれないと変に気をまわしてしまった。
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