熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

山中伸弥・益川敏英著”「大発見」の思考法”追記

2011年08月05日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   山中教授が、高校生のお嬢さんから、勉強を教えてと言われて、困ったと言う話をしている。
   一つは、「お父さん、微分積分を教えて」と言われて教科書を見た瞬間、高校時代にはすらすら解けたのに、さっぱりわけがわからなくて、「なんでこんなことせにゃあかんねん!」と口走ったこと。
   もう一つは、生物のことを聞かれて、わからなくて、「こんな難しいことをする必要はないんじゃないか」と思ったと言うこと。
   「お父さん、京大の教授じゃないの」と言われたと言うことだが、2年になると生物は選択科目になっていてすごく難しくなり、医学部の学生でも履修しなかった人が居て、習った人と習っていない人では、大分差があるような気がすると言う。

   確かに、例えば、数学など、私のビジネス・スクールや娘のインターナショナル・スクールなど外国での経験から言っても、微分積分よりも統計・確率と言った実務と言うか実利に直結した勉強に重きを置いていたような気がするが、大人になって解けないようなことでも、勉強は勉強であるから、高校の授業くらいは、実利から離れた純粋の学問を教えることは必要だと思っている。
   英米の学者でさえ、まともに回答の出来ないようなクイズ紛いの英語の入試が多いと言うようなことは、これは、入試の問題と言う以前に、日本の英語教育そのものに問題があるのであろう。
   このような教育の本質を忘れた、振り落とすための瑣末な拘りに徹した入試傾向は、英語だけではなく、子供たちから学ぶ喜び楽しさを奪い去った、教育そのものの本質的な問題でもあり、重大な人的資源の浪費でもある。

   少し前に、必須の世界史を、入試には邪魔になるので端折ると言う高校が沢山出て問題になったことがあるのだが、以前にも論じたように、日本では、プロ育成の大学院教育に力を入れずに、欧米では教養コースに過ぎない大学を、あたかも、最終の専門教育機関のように扱っているのであるから、リベラル・アーツ教育を充実するためにも、前段階の高校教育のカリキュラムとその教育方法については、細心の注意を払うべきではないかと思っている。
   リベラル・アーツと言うことに加えて、出来るだけ幅広い科目を勉強することが大切ではあるが、生物を取らずに医学部や薬学部に入るとか、数学の入試を受けずに経済や経営学部に入学すると言ったことは、大いに疑問とすべきで、大学での専門教育に必須である基礎知識は、少なくとも、高校で履修すべきだと思う。

   尤も、以前に、中学の数学の問題を東大生に解かせたら、非常に成績が悪く、最近では、高校程度の学力さえ十分ではない入学生が多いので、補習授業を行っている大学がかなりあると報じられていたのだが、これなどは問題外であるとしても、占領政策で歪められた歴史や道徳教育などの抜本的見直しも含めて、高校、大学、大学院と言った義務教育以降の教育について、グローバリゼーション社会に適応した教育システムに改編すべく検討する好機ではないかと思っている。

   さて、話は変わるが、第2章の「無駄」が私たちを作ったと言うところで、直線型の人生ではなく、フラフラ癖と浮気性の回旋型の人生が、世紀の大発見に結び付いたと言う話をされている。
   益川教授は、「フラフラ」のすすめで、色々な憧れが良いことだと「迷い」を肯定されている。
   山中教授の場合の方がiPS細胞に至る道へのフレが大きいように思っているのだが、回旋型のアメリカから直線型の日本へ帰って、息苦しさを感じて、利根川教授に、「日本では研究の継続性が非常に重視されるがどう思うか」と質問したら、「重要で面白い研究であれば何でもいいじゃないか」と言われてとても勇気づけられたと語っている。
   この本の帯に、山中「挫折や回り道を経験したからこそ、iPS細胞に出会うことが出来た」と写真入りで書かれている。

   この章の結びは、「一見無駄なものに豊かな芽が隠されている」と言うことで、いわば、セレンディピティを確実にキャッチした偉大な科学者の秘密が隠されているようで、非常に興味深い。
   以前に、某阪大総長が、グーグルを検索していると、不備故に全く関係のないような項目が出て来るのだが、これが、研究にインスピレーションを与えて非常に役に立つと語っていたのを思い出すのだが、発明発見のチャンスは、メディチ・エフェクトをスパークさせることだが、要するに、他人との関係ではなく、自分自身で知の十字路を創造して触発させようと言うことであろうか。

   ところで、山中教授の「セル」での、ヒトiPS細胞の発表が、トムソン教授と同時だったようだが、ライバルに先を越されてはと、超特急で論文を仕上げたと裏話を語っているが、この本の後半で、欧米での学会や科学雑誌などとの付き合いや、プレゼン力と発信力が如何に大切であるかを熱を込めて語っていて面白い。
   最後の「神はいるのか」と言う終章で、益川教授が語っている「積極的無宗教」のすすめが、また、興味深い。
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