
日経主催、政府関係省庁の後援で「日経シニア・ワークライフ・フォーラム エキスペリエンツの新たな時代」が、日本青年館で開かれたが、堺屋太一の講演「エキスペリエンツの創る黄金の10年」を聴きたくて出かけた。
途中、国立競技場前は、若者が溢れていた。
何か試合があるのかと警備員に聞いたら、アンゴラとのサーカーの試合だと言う。この長い列は当日券を買うためかと聞いたら、チケットなどとっくの昔に売り切れていて、これは入場を待つ客だと、さも軽蔑したような目で見られてしまった。
今時、日本代表とのサーカーの試合を知らないなど、アホとちゃうか、と言いたいのであろう。
こっちは、定年を前にした団塊の世代とシニアの集まる「青年館」に、シニアのワークライフについて聞きに行くのだ。えらい違いである。
堺屋太一の論点は、
これまでの失われた10年は、破壊の時代であったが、これから団塊の世代が定年を迎える10年は、戦後文化が終焉し、新しい世の中を創る大変革の時代となる。
戦後は、官僚主導、官僚統制による規格大量工業生産時代であり、職縁社会であったが、今後は、この価値観が大きく変わるので、企業もこの時代の変革を正しく理解して、事業政策や金融政策を打つことが重要となる。
戦後の終身雇用、年功、企業内組合などの労働慣行は大きく変わるが、団塊の世代が、再就職市場に入ると、経験もあり意欲もあり、それに、年金併用型なので安く働く為に、若年労働市場の脅威となる。
例えば、タクシーなど、若年運転手は駆逐されつつあり、開業医など、患者がシニアが多くなったので、老医に変わりつつある。
老年になると消費が激減するが、老齢人口の増加によって、マーケットが変われば、需要も生産も、同時に大きく変化する。
これから、団塊の世代のシニアは、大いに好きなように仕事をし、好きなように消費し、生活の面白さ、消費や投資の面白さを、実感できる人生を送るべきである。
好きかどうかは、そのことをいくら長くやっても疲れない、そのことを誰とでも話したい、と言うことである。
そのような団塊シニアの生き方が日本を変革し、次の黄金の10年を創りあげる事となる。
堺屋太一の指摘で面白かったのは、規格大量生産を志向した時代には、教育も、辛抱強い没個性で欠点のない人間を作り出して来たので、何が好きなのか分からなくなり、その時に有利だと言われるものばかりに向かっていた、ということである。
何も、日本の文部省が、規格大量生産型に向いたスペアパーツのような没個性で従順な若者になるように教育したとは思わない。
これは、はみ出し者を作らない島国農業国の日本の民族性そのものの価値観の具現化であって、それが、先進国を追っかけるキャッチアップの時代には上手く作用したに過ぎないと思っている。
何れにしろ、そのようにして育てられ、会社一途に勤め上げてきた団塊シニアが、どのようにして自分の好きなことを見つけて実りある第二の人生を歩むのか、そして、そのことが如何に日本の経済社会を変革するのか、興味のあるところでもある。
論点は兎も角、団塊シニアにとっては、少し兄貴分の堺屋太一の講演なので、同調者が多い感じで、熱心にメモを取る人も可なり居た。
私見だが、何時も不思議に思うことは、人口の年齢構成がいくら変わっても、例えば定年や労働慣行を時代に合わせて変革すれば、労働人口の減少など起こらない筈である。
労働条件さえ変えれば、例えば、役職定年制をビルとインして若年者に機会を与えるとかして、老年者に十分働く機会を与えて働いてもらえばよいのである。
出生率が減って人口が減少すると言う問題は、また、別問題ではある。
途中、国立競技場前は、若者が溢れていた。
何か試合があるのかと警備員に聞いたら、アンゴラとのサーカーの試合だと言う。この長い列は当日券を買うためかと聞いたら、チケットなどとっくの昔に売り切れていて、これは入場を待つ客だと、さも軽蔑したような目で見られてしまった。
今時、日本代表とのサーカーの試合を知らないなど、アホとちゃうか、と言いたいのであろう。
こっちは、定年を前にした団塊の世代とシニアの集まる「青年館」に、シニアのワークライフについて聞きに行くのだ。えらい違いである。
堺屋太一の論点は、
これまでの失われた10年は、破壊の時代であったが、これから団塊の世代が定年を迎える10年は、戦後文化が終焉し、新しい世の中を創る大変革の時代となる。
戦後は、官僚主導、官僚統制による規格大量工業生産時代であり、職縁社会であったが、今後は、この価値観が大きく変わるので、企業もこの時代の変革を正しく理解して、事業政策や金融政策を打つことが重要となる。
戦後の終身雇用、年功、企業内組合などの労働慣行は大きく変わるが、団塊の世代が、再就職市場に入ると、経験もあり意欲もあり、それに、年金併用型なので安く働く為に、若年労働市場の脅威となる。
例えば、タクシーなど、若年運転手は駆逐されつつあり、開業医など、患者がシニアが多くなったので、老医に変わりつつある。
老年になると消費が激減するが、老齢人口の増加によって、マーケットが変われば、需要も生産も、同時に大きく変化する。
これから、団塊の世代のシニアは、大いに好きなように仕事をし、好きなように消費し、生活の面白さ、消費や投資の面白さを、実感できる人生を送るべきである。
好きかどうかは、そのことをいくら長くやっても疲れない、そのことを誰とでも話したい、と言うことである。
そのような団塊シニアの生き方が日本を変革し、次の黄金の10年を創りあげる事となる。
堺屋太一の指摘で面白かったのは、規格大量生産を志向した時代には、教育も、辛抱強い没個性で欠点のない人間を作り出して来たので、何が好きなのか分からなくなり、その時に有利だと言われるものばかりに向かっていた、ということである。
何も、日本の文部省が、規格大量生産型に向いたスペアパーツのような没個性で従順な若者になるように教育したとは思わない。
これは、はみ出し者を作らない島国農業国の日本の民族性そのものの価値観の具現化であって、それが、先進国を追っかけるキャッチアップの時代には上手く作用したに過ぎないと思っている。
何れにしろ、そのようにして育てられ、会社一途に勤め上げてきた団塊シニアが、どのようにして自分の好きなことを見つけて実りある第二の人生を歩むのか、そして、そのことが如何に日本の経済社会を変革するのか、興味のあるところでもある。
論点は兎も角、団塊シニアにとっては、少し兄貴分の堺屋太一の講演なので、同調者が多い感じで、熱心にメモを取る人も可なり居た。
私見だが、何時も不思議に思うことは、人口の年齢構成がいくら変わっても、例えば定年や労働慣行を時代に合わせて変革すれば、労働人口の減少など起こらない筈である。
労働条件さえ変えれば、例えば、役職定年制をビルとインして若年者に機会を与えるとかして、老年者に十分働く機会を与えて働いてもらえばよいのである。
出生率が減って人口が減少すると言う問題は、また、別問題ではある。