
7月13日、RACをチェックアウトして、タクシーでヴィクトリア駅に向かった。娘の大学院卒業式に参列する為に、列車でカンタベリーに向かうためである。
途中、バッキンガム宮殿の衛兵の交代に出っくわして宮殿前で、タクシーが動かなくなった。期せずして衛兵の行進を真近に見たわけであるが、爆破事故の所為か、観光客が少なかった。
ビクトリア駅からカンタベリー・ウエストまで、1時間半くらいで結構近いが、ケントの田舎を抜けてドーバーのすぐ側まで行く。
英仏海峡を繋ぐチャネル・トンネルが工事中の時に、現場を訪れて工事を視察したことがある。手前のフォークストンから急傾斜でトンネルが地中に潜り込み、右側にカーブしてドーバーの下からフランスに向かう壮大な工事であった。
ドーバーの真っ白な断崖絶壁はやはり壮観で、フランスに臨むドーバー城の何とも言えない牧歌的な雰囲気と絶壁に掘られた大戦中ヒットラーと対峙していたチャーチル司令部の佇まいとの対照が興味深かった。
ドーバーから、海岸よりに西に車を走らせると美しい田舎町ライに出る。少し走ると、完全な形を残したボウデイアム城があり、城壁の頂上から見るケントの田舎風景がどこか懐かしかった。
ここから、ブライトン辺りまで走る風景も変わって面白いが、ケントの田舎を車窓から眺めていると、急に車でイギリス中を走り回った頃を思い出した。
娘は、久しぶりに友人宅に投宿するので、私は、城壁の外れの古い邸宅を改装したチョーサー・ホテルにチェックインした。
チョーサーとは、あの巡礼達の話のカンタベリー物語の作者で英詩の父ジョフリー・チョーサーの名前である。
もう1人のカンタベリーの有名人トーマス・ベケット。12世紀、カンタベリー大司教として聖職者裁判を国家移管とするクラレンドン法に反対して王と対立、王の騎士に暗殺されたが、教皇に列聖されて、以後、聖地として敬虔な信者の巡礼が絶えない。
6世紀に起源を持つカンタベリー大聖堂だが、その後拡張・改修を経て今日の様な壮大なゴチック建築となり、英国国教会の大主教座が置かれている総本山である。
この大聖堂で、娘の大学の卒業式が毎年行われている。2年前に大学卒業の時にも列席したので覚えているが、実に荘厳で、正面壇上に上がって学長から一人一人卒業証書を受領する。
卒業生の家族や関係者がネーブで神妙に待っていると、学生達が入場して横の座席1列に前から後ろまで座る、正面のブラス主体の楽団が荘重な音楽を奏でると、背後の正面の大扉が開いて学長他関係者が威儀を正して入場、静かになると、来賓等関係者の一寸気取った大司教張りのスピーチが始まる。やはり、大聖堂の卒業式、何処までも荘重である。
世界各国からの留学生が多いので、大聖堂内は民族衣装で着飾った人々で華やか。イギリス人も家族や知人総出で来ており、卒業生の名前を呼ばれて登壇すると盛んな拍手。我々が大学を出た時は、全学連が激しい攻防を繰り広げていた時期で、親が卒業式に出るなど考えられなかった。
卒業式の前に、大聖堂敷地内のへンリー8世に由来するキングズスクールの建物に設置された事務局で、ガウンを受け取り着替えて記念写真を写す、広いグリーンコートを横切って大聖堂に向かう。
大学卒業時はグレイの、今回は大学院卒でオレンジイエローのガウンに変わっていたが、自分も何十年も前にフィラデルフィアで同じ恰好で写真を撮ったのを思い出した。
正門である16世紀の華麗なクライスト・チャーチ門からではなく、広々としたグリーンから大聖堂を遠望して大回廊に入り、中庭を見て歩廊を歩きながら、大聖堂の身廊に入るのも印象が違って良いものである。
このカンタベリー大聖堂は、1988年に文化遺産に登録されたとか、大分以前に訪れたことがあるが、後は娘の卒業式に来るだけなので、儀式で閉鎖されていて、残念ながら、まだ、古いトリニティチャペル等は見ていない。
私は、このカンタベリーの古い街並みが好きで、時間があると散歩に出る。何百年も経た実に風格のある建物が、そのまま現役として生活の場に使われている。
リトル・ヴェニスのような雰囲気で美しい川べりの500年前の床が傾いたレストランで食べる美味しくもないイタリア料理、1階が弓なりになって傾いている美術工芸の店、歪んでガタガタのガラスをステンドグラス風の窓にした老舗の骨董屋、美しい花の咲き乱れる中庭のある古い館、思い思いに趣向を凝らした家々のハンギング・フラワー・バスケット等など、そんな所を歩きながら、疲れると古風なパブに入ってギネスを煽る。
途中、バッキンガム宮殿の衛兵の交代に出っくわして宮殿前で、タクシーが動かなくなった。期せずして衛兵の行進を真近に見たわけであるが、爆破事故の所為か、観光客が少なかった。
ビクトリア駅からカンタベリー・ウエストまで、1時間半くらいで結構近いが、ケントの田舎を抜けてドーバーのすぐ側まで行く。
英仏海峡を繋ぐチャネル・トンネルが工事中の時に、現場を訪れて工事を視察したことがある。手前のフォークストンから急傾斜でトンネルが地中に潜り込み、右側にカーブしてドーバーの下からフランスに向かう壮大な工事であった。
ドーバーの真っ白な断崖絶壁はやはり壮観で、フランスに臨むドーバー城の何とも言えない牧歌的な雰囲気と絶壁に掘られた大戦中ヒットラーと対峙していたチャーチル司令部の佇まいとの対照が興味深かった。
ドーバーから、海岸よりに西に車を走らせると美しい田舎町ライに出る。少し走ると、完全な形を残したボウデイアム城があり、城壁の頂上から見るケントの田舎風景がどこか懐かしかった。
ここから、ブライトン辺りまで走る風景も変わって面白いが、ケントの田舎を車窓から眺めていると、急に車でイギリス中を走り回った頃を思い出した。
娘は、久しぶりに友人宅に投宿するので、私は、城壁の外れの古い邸宅を改装したチョーサー・ホテルにチェックインした。
チョーサーとは、あの巡礼達の話のカンタベリー物語の作者で英詩の父ジョフリー・チョーサーの名前である。
もう1人のカンタベリーの有名人トーマス・ベケット。12世紀、カンタベリー大司教として聖職者裁判を国家移管とするクラレンドン法に反対して王と対立、王の騎士に暗殺されたが、教皇に列聖されて、以後、聖地として敬虔な信者の巡礼が絶えない。
6世紀に起源を持つカンタベリー大聖堂だが、その後拡張・改修を経て今日の様な壮大なゴチック建築となり、英国国教会の大主教座が置かれている総本山である。
この大聖堂で、娘の大学の卒業式が毎年行われている。2年前に大学卒業の時にも列席したので覚えているが、実に荘厳で、正面壇上に上がって学長から一人一人卒業証書を受領する。
卒業生の家族や関係者がネーブで神妙に待っていると、学生達が入場して横の座席1列に前から後ろまで座る、正面のブラス主体の楽団が荘重な音楽を奏でると、背後の正面の大扉が開いて学長他関係者が威儀を正して入場、静かになると、来賓等関係者の一寸気取った大司教張りのスピーチが始まる。やはり、大聖堂の卒業式、何処までも荘重である。
世界各国からの留学生が多いので、大聖堂内は民族衣装で着飾った人々で華やか。イギリス人も家族や知人総出で来ており、卒業生の名前を呼ばれて登壇すると盛んな拍手。我々が大学を出た時は、全学連が激しい攻防を繰り広げていた時期で、親が卒業式に出るなど考えられなかった。
卒業式の前に、大聖堂敷地内のへンリー8世に由来するキングズスクールの建物に設置された事務局で、ガウンを受け取り着替えて記念写真を写す、広いグリーンコートを横切って大聖堂に向かう。
大学卒業時はグレイの、今回は大学院卒でオレンジイエローのガウンに変わっていたが、自分も何十年も前にフィラデルフィアで同じ恰好で写真を撮ったのを思い出した。
正門である16世紀の華麗なクライスト・チャーチ門からではなく、広々としたグリーンから大聖堂を遠望して大回廊に入り、中庭を見て歩廊を歩きながら、大聖堂の身廊に入るのも印象が違って良いものである。
このカンタベリー大聖堂は、1988年に文化遺産に登録されたとか、大分以前に訪れたことがあるが、後は娘の卒業式に来るだけなので、儀式で閉鎖されていて、残念ながら、まだ、古いトリニティチャペル等は見ていない。
私は、このカンタベリーの古い街並みが好きで、時間があると散歩に出る。何百年も経た実に風格のある建物が、そのまま現役として生活の場に使われている。
リトル・ヴェニスのような雰囲気で美しい川べりの500年前の床が傾いたレストランで食べる美味しくもないイタリア料理、1階が弓なりになって傾いている美術工芸の店、歪んでガタガタのガラスをステンドグラス風の窓にした老舗の骨董屋、美しい花の咲き乱れる中庭のある古い館、思い思いに趣向を凝らした家々のハンギング・フラワー・バスケット等など、そんな所を歩きながら、疲れると古風なパブに入ってギネスを煽る。