
今日は、国立演芸場で、「正蔵 正蔵を語る」を聞いた。
私には、二度目だが、この高座での正蔵は、山田洋次監督の「東京家族」のような軽妙なタッチの若作りではなく、非常に老成した噺家の雰囲気で、しみじみとした語り口が良い。
プログラムは、次の通り。
落 語「松竹梅」林家はな平
俗 曲 柳家 小菊
落 語「蛸坊主」 林家正蔵
落 語「ちりとてちん」柳家さん喬
―仲入り―
紙切り 林家正楽
落 語「鰍沢」 林家正蔵
中入り前の「蛸坊主」は、元上方落語だと言うのだが、先代の正蔵が得意とした落語で、YouTubeで、その語りが聞ける。
先代は、やはり、一昔前の穏やかな語り口だが、当代は、現代的でてらいのない語り口が良い。
まず、まくらが面白かった。
高座で会場に行く途中、出迎えの人の案内で、テレビなどでよく出てくる石原慎太郎ロードを通ったと言って、あの人は、非常に分かり易い。嘘をつく時には、必ず、目を瞬かせる。と言って
先日、高座に上がったら、前列の客が近づいてきて、「私はファンです。」と言って目を瞬かせたので、嘘だと思ったと。
また、名所の話を切り出して、
奈良の大仏が、大地震で、片目が腹の中に落ちたので、皆困ったのだが、一人の男が、直せると言って、目から大仏の腹の中に潜り込んで、落ちた目を嵌め込んだのは良いが、出口をふさいでしまったので皆が心配した。ところが、鼻から出てきたので、利口な人は、目から鼻に抜けるのだと語って、笑わせていた。
トリの「鰍沢」は、まくらなしに、一気に圓朝噺を語り始めた。
この落語「蛸坊主」は、次のような話。
景色よし味よし、器もサービスも満点で大評判の不忍池のほとりにある料理屋に、高野一山の修業僧だと称する4人の坊さんがやって来て、幼少の折から戒律堅固に過ごしているから、なまぐさものは食らわない、精進料理を出してくれと言って椀物を注文する。
だし汁は何からだと聞くので、主人は、土佐の鰹節だと答えたので、四人は戒律堅固に暮らしていたのが、この碗を食べたので戒律を破り修業が台なしになってしまったので、最早高野山には帰れないから、この店で一生養ってもらうおうと強請り始める。
それを、隣の座敷で聞いていた歌丸のように痩せた老僧が、仲裁に入ると言って、四人に対面し、高野一山の者と言うが、貴僧たちはこの愚僧の面体をご存じかと問い詰めて、諸国の雲水一同高野に登って修業するなら、この真覚院の印鑑なくして足を止めことができない。高野の名をかたって庶民を苦しめるにせ坊主、いつわり坊主、なまぐさ坊主、蛸坊主
と言って罵倒する。
4人は、蛸坊主の証拠を示せと老僧に襲い掛かるが、何処から力が湧き出るのか、老僧に不忍池に投げ込まれて、8本の足を出して頭から池にずぶり。「蛸坊主!」
さて、「鰍沢」だが、青空文庫を見ても、圓朝噺としては、非常に短い。
正蔵も、25分で語り切った。
身延山へ父の遺骨を納めた新助が、帰途、大雪に遭って闇夜の山中で道に迷い、偶然見つけた一軒家に飛び込むと、妙齢の美人・お熊が現れて、宿を貸すと言う。このお熊は、かつては吉原は熊蔵丸屋の月の戸花魁で、一夜を共にしたことがあり、心中を図って江戸を離れて猟師となった夫の妻であることが分かる。新助は宿の礼として、お熊に、財布の大金の封を切って3両渡し、お熊に勧められた卵酒を飲んで寝込んでしまう。
お熊は、客に酒を供してなくなったので、夫のために酒を買いに行くため外出する。そこへお熊の夫が帰ってきて、新助が残した卵酒を飲み苦しみ始める。帰ってきたお熊は夫に、新助にしびれ薬入りの酒を飲ませて殺し、大金を持っているのでそれを奪い取るのだと語る。それを聞いた新助は、毒消しを飲んで雪でかき込んで、嵐の中を外へ飛び出し、必死に逃げる。気付いたお熊は鉄砲を持って追いかけてくる。
新助は、川岸の崖まで追い詰められる。そこへ雪崩が起こり、新助は突き落とされ、岸につないであったいかだに落ち、その弾みで、いかだが流れ出す。お熊の放った鉄砲の弾が飛んでくるが、それて近くの岩に当たる。急流を下るうち、綱が切れていかだはバラバラになり、残った1本の材木につかまり、懸命に南無妙法蓮華経と題目をとなえながら川を流れていく。窮地を脱した旅人は、父のご加護。お材木(=お題目)で助かった。
歌丸の圓朝噺とは、大分、年季の差もあって、しみじみした語り口とは違って、語り口調は普通の落語調だが、身振り手振り、顔の表情などにメリハリが利いて面白く、中々、聴かせてくれた。
中トリの柳家さん喬の「ちりとてちん」は、流石に絶品。
何度か、他の噺家で聞いているのだが、年季の入った語り口と言い、話術の冴えと言い、ベテランとはこういうものかと思わせる正にそんな噺家。
最後の「ちりとてちん」を、見栄を張って食す仕草など、実際に、腐った豆腐に唐辛子を混ぜたゲテモノを食べて実験したとしか思えない様な臨場感たっぷりの語り口など秀逸である。


帰りに、永田町駅に行く途中、何人かの外人たちが、オープンな小型車で走っているのに出くわした。

私には、二度目だが、この高座での正蔵は、山田洋次監督の「東京家族」のような軽妙なタッチの若作りではなく、非常に老成した噺家の雰囲気で、しみじみとした語り口が良い。
プログラムは、次の通り。
落 語「松竹梅」林家はな平
俗 曲 柳家 小菊
落 語「蛸坊主」 林家正蔵
落 語「ちりとてちん」柳家さん喬
―仲入り―
紙切り 林家正楽
落 語「鰍沢」 林家正蔵
中入り前の「蛸坊主」は、元上方落語だと言うのだが、先代の正蔵が得意とした落語で、YouTubeで、その語りが聞ける。
先代は、やはり、一昔前の穏やかな語り口だが、当代は、現代的でてらいのない語り口が良い。
まず、まくらが面白かった。
高座で会場に行く途中、出迎えの人の案内で、テレビなどでよく出てくる石原慎太郎ロードを通ったと言って、あの人は、非常に分かり易い。嘘をつく時には、必ず、目を瞬かせる。と言って
先日、高座に上がったら、前列の客が近づいてきて、「私はファンです。」と言って目を瞬かせたので、嘘だと思ったと。
また、名所の話を切り出して、
奈良の大仏が、大地震で、片目が腹の中に落ちたので、皆困ったのだが、一人の男が、直せると言って、目から大仏の腹の中に潜り込んで、落ちた目を嵌め込んだのは良いが、出口をふさいでしまったので皆が心配した。ところが、鼻から出てきたので、利口な人は、目から鼻に抜けるのだと語って、笑わせていた。
トリの「鰍沢」は、まくらなしに、一気に圓朝噺を語り始めた。
この落語「蛸坊主」は、次のような話。
景色よし味よし、器もサービスも満点で大評判の不忍池のほとりにある料理屋に、高野一山の修業僧だと称する4人の坊さんがやって来て、幼少の折から戒律堅固に過ごしているから、なまぐさものは食らわない、精進料理を出してくれと言って椀物を注文する。
だし汁は何からだと聞くので、主人は、土佐の鰹節だと答えたので、四人は戒律堅固に暮らしていたのが、この碗を食べたので戒律を破り修業が台なしになってしまったので、最早高野山には帰れないから、この店で一生養ってもらうおうと強請り始める。
それを、隣の座敷で聞いていた歌丸のように痩せた老僧が、仲裁に入ると言って、四人に対面し、高野一山の者と言うが、貴僧たちはこの愚僧の面体をご存じかと問い詰めて、諸国の雲水一同高野に登って修業するなら、この真覚院の印鑑なくして足を止めことができない。高野の名をかたって庶民を苦しめるにせ坊主、いつわり坊主、なまぐさ坊主、蛸坊主
と言って罵倒する。
4人は、蛸坊主の証拠を示せと老僧に襲い掛かるが、何処から力が湧き出るのか、老僧に不忍池に投げ込まれて、8本の足を出して頭から池にずぶり。「蛸坊主!」
さて、「鰍沢」だが、青空文庫を見ても、圓朝噺としては、非常に短い。
正蔵も、25分で語り切った。
身延山へ父の遺骨を納めた新助が、帰途、大雪に遭って闇夜の山中で道に迷い、偶然見つけた一軒家に飛び込むと、妙齢の美人・お熊が現れて、宿を貸すと言う。このお熊は、かつては吉原は熊蔵丸屋の月の戸花魁で、一夜を共にしたことがあり、心中を図って江戸を離れて猟師となった夫の妻であることが分かる。新助は宿の礼として、お熊に、財布の大金の封を切って3両渡し、お熊に勧められた卵酒を飲んで寝込んでしまう。
お熊は、客に酒を供してなくなったので、夫のために酒を買いに行くため外出する。そこへお熊の夫が帰ってきて、新助が残した卵酒を飲み苦しみ始める。帰ってきたお熊は夫に、新助にしびれ薬入りの酒を飲ませて殺し、大金を持っているのでそれを奪い取るのだと語る。それを聞いた新助は、毒消しを飲んで雪でかき込んで、嵐の中を外へ飛び出し、必死に逃げる。気付いたお熊は鉄砲を持って追いかけてくる。
新助は、川岸の崖まで追い詰められる。そこへ雪崩が起こり、新助は突き落とされ、岸につないであったいかだに落ち、その弾みで、いかだが流れ出す。お熊の放った鉄砲の弾が飛んでくるが、それて近くの岩に当たる。急流を下るうち、綱が切れていかだはバラバラになり、残った1本の材木につかまり、懸命に南無妙法蓮華経と題目をとなえながら川を流れていく。窮地を脱した旅人は、父のご加護。お材木(=お題目)で助かった。
歌丸の圓朝噺とは、大分、年季の差もあって、しみじみした語り口とは違って、語り口調は普通の落語調だが、身振り手振り、顔の表情などにメリハリが利いて面白く、中々、聴かせてくれた。
中トリの柳家さん喬の「ちりとてちん」は、流石に絶品。
何度か、他の噺家で聞いているのだが、年季の入った語り口と言い、話術の冴えと言い、ベテランとはこういうものかと思わせる正にそんな噺家。
最後の「ちりとてちん」を、見栄を張って食す仕草など、実際に、腐った豆腐に唐辛子を混ぜたゲテモノを食べて実験したとしか思えない様な臨場感たっぷりの語り口など秀逸である。


帰りに、永田町駅に行く途中、何人かの外人たちが、オープンな小型車で走っているのに出くわした。

