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この「文七元結」については、先月、落語の「三遊亭圓丈かぶき噺:大晦日文七元結」と言うタイトルで、このブログに書いたのだが、今回、期せずして歌舞伎バージョンで、圓朝の世界を楽しめるのは、観劇ファンの私には、幸いであった。
それに、左官屋長兵衛に菊五郎、手代文七に菊之助と言う親子コンビの舞台に接するのは、今回が3回目で、正に、極め付きの名舞台とも言うべき素晴らしい舞台で、しみじみと圓朝の世話物の醍醐味を味わわせて貰った。
圓朝の世界に入ったのは、この文七や「芝浜皮財布」と言った歌舞伎が先だったが、今年に入ってから、立て続けに落語に通って、圓朝の落語を聴いて、その魅力に改めて感じ入っている。
ジャンルは異なるが、私には、圓朝は、謂わば、江戸の近松門左衛門である。言い換えれば、江戸のプチ・シェイクスピアでもあるということであろうか。
主人公の左官屋長兵衛は、腕の立つ優秀な職人なのだが、働かずに博打ばかりに明け暮れていて、年を越せない程切羽詰っているので、堪り兼ねた娘のお久(尾上右近)が、自分から角海老に身売りして拵えた50両の大金を、持ち帰る途中で、50両を掏られたと身投げをしようとしている和泉屋手代文七を助けてやるために与えてしまうと言う途轍もない人情噺。
女房お兼(時蔵)とのすったもんだの極貧状態の夫婦の喧嘩や掛け合いが面白いのだが、一本気で気の弱い長兵衛を軸に、遊郭や商家が絡む江戸下町の人間模様の機微を描いていて、しみじみと、そして、ほんのりと温かい余韻を残す、なんとなく心の故郷を感じさせる芝居である。
先に書いたが、
圓朝噺と大きく違っているのは、吾妻橋での金のやり取りの後、歌舞伎では、文七が、店に帰って、主人に50両を渡す鼈甲問屋「近江屋」の場は省略されていて、すぐに、長兵衛が、金を持たずに帰って来て、一晩中喧嘩に明け暮れて、翌朝も、女房お兼と派手な喧嘩をしているところからスタートする。
堅物の和泉屋清兵衛は、角海老などは知るはずがないので、番頭に聞くと、「エヽ角海老てえ女郎屋は京町の角店で立派なもんです」とつい口を滑らせるところなど面白いのだが、今回はお咎めなしで、一切を番頭平助に指示して手配させる。
勿論、お久を乗せた籠を門口につける鯔背で格好いい鳶頭伊兵衛(松緑)などは出て来ない。
また、歌舞伎では、近江屋の主人が、暖簾分けしてお久を文七の嫁にと語る目出度し目出度しの会話が交わされるが、圓朝噺では、お久とお兼が喜んで抱き合うところで終わっており、その点は、さらりと流して淡泊である。
もう一つの歌舞伎での追加は、夫婦げんかの仲裁に大家が入っていて、和泉屋清兵衛(東蔵)が文七とお久の結婚をと願うのだが、身分違いだと承服しない長兵衛との間に入って、二つ折りの屏風を真ん中に境界を作って、中を取り持つ話で、歌舞伎に良く登場する大家は店子の親も同然と言うシーンが展開されていて面白い。
人情噺の締めくくりを、ハッピーエンドを出来るだけ増幅して、観客をいい気持にさせる歌舞伎のサービス精神旺盛なところであろうか。
文七元結の言われも、文七に語らせて締め括っている。
菊五郎、時蔵、菊之助、右近の素晴らしい演技は、極め付きと言うか、この芝居の決定版だと思っており、前の公演でも感激をしたので、その再演で、感動を新たにした。蛇足なので、感想は、前のままにしておきたい。
角海老女将お駒を、前には芝翫が演じていたが、今回は、魁春で、中々、貫録のある重厚な演技を披露していて好感が持てた。時蔵と入れ替わっていたらどうだろうかと考えたのだが、やはり、この役は魁春であろう。
以前に、松本幸四郎が長兵衛で染五郎が文七の素晴らしい芝居を見たのだが、この時のお駒も、魁春が演じていた。
それに、左官屋長兵衛に菊五郎、手代文七に菊之助と言う親子コンビの舞台に接するのは、今回が3回目で、正に、極め付きの名舞台とも言うべき素晴らしい舞台で、しみじみと圓朝の世話物の醍醐味を味わわせて貰った。
圓朝の世界に入ったのは、この文七や「芝浜皮財布」と言った歌舞伎が先だったが、今年に入ってから、立て続けに落語に通って、圓朝の落語を聴いて、その魅力に改めて感じ入っている。
ジャンルは異なるが、私には、圓朝は、謂わば、江戸の近松門左衛門である。言い換えれば、江戸のプチ・シェイクスピアでもあるということであろうか。
主人公の左官屋長兵衛は、腕の立つ優秀な職人なのだが、働かずに博打ばかりに明け暮れていて、年を越せない程切羽詰っているので、堪り兼ねた娘のお久(尾上右近)が、自分から角海老に身売りして拵えた50両の大金を、持ち帰る途中で、50両を掏られたと身投げをしようとしている和泉屋手代文七を助けてやるために与えてしまうと言う途轍もない人情噺。
女房お兼(時蔵)とのすったもんだの極貧状態の夫婦の喧嘩や掛け合いが面白いのだが、一本気で気の弱い長兵衛を軸に、遊郭や商家が絡む江戸下町の人間模様の機微を描いていて、しみじみと、そして、ほんのりと温かい余韻を残す、なんとなく心の故郷を感じさせる芝居である。
先に書いたが、
圓朝噺と大きく違っているのは、吾妻橋での金のやり取りの後、歌舞伎では、文七が、店に帰って、主人に50両を渡す鼈甲問屋「近江屋」の場は省略されていて、すぐに、長兵衛が、金を持たずに帰って来て、一晩中喧嘩に明け暮れて、翌朝も、女房お兼と派手な喧嘩をしているところからスタートする。
堅物の和泉屋清兵衛は、角海老などは知るはずがないので、番頭に聞くと、「エヽ角海老てえ女郎屋は京町の角店で立派なもんです」とつい口を滑らせるところなど面白いのだが、今回はお咎めなしで、一切を番頭平助に指示して手配させる。
勿論、お久を乗せた籠を門口につける鯔背で格好いい鳶頭伊兵衛(松緑)などは出て来ない。
また、歌舞伎では、近江屋の主人が、暖簾分けしてお久を文七の嫁にと語る目出度し目出度しの会話が交わされるが、圓朝噺では、お久とお兼が喜んで抱き合うところで終わっており、その点は、さらりと流して淡泊である。
もう一つの歌舞伎での追加は、夫婦げんかの仲裁に大家が入っていて、和泉屋清兵衛(東蔵)が文七とお久の結婚をと願うのだが、身分違いだと承服しない長兵衛との間に入って、二つ折りの屏風を真ん中に境界を作って、中を取り持つ話で、歌舞伎に良く登場する大家は店子の親も同然と言うシーンが展開されていて面白い。
人情噺の締めくくりを、ハッピーエンドを出来るだけ増幅して、観客をいい気持にさせる歌舞伎のサービス精神旺盛なところであろうか。
文七元結の言われも、文七に語らせて締め括っている。
菊五郎、時蔵、菊之助、右近の素晴らしい演技は、極め付きと言うか、この芝居の決定版だと思っており、前の公演でも感激をしたので、その再演で、感動を新たにした。蛇足なので、感想は、前のままにしておきたい。
角海老女将お駒を、前には芝翫が演じていたが、今回は、魁春で、中々、貫録のある重厚な演技を披露していて好感が持てた。時蔵と入れ替わっていたらどうだろうかと考えたのだが、やはり、この役は魁春であろう。
以前に、松本幸四郎が長兵衛で染五郎が文七の素晴らしい芝居を見たのだが、この時のお駒も、魁春が演じていた。