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茂木氏の本は、興味深くて示唆に富んでいて面白いので、結構読む機会が多いのだが、易しい時は易しいが、内容が内容だけに、難しい時には難しい。
この本も、「脳と仮想」と言うことで、分かったようで何となく分からないところがあるのだが、英語のタイトルが、The Brain and Imaginationと言うことなので、イマジネーションの方がしっくりと来る。
興味深いトピックスが並んでいるが、そして、茂木氏の結論なり、論旨からは外れてはいるのだが、私の印象に残ったところを、2~3感想を記してみたい。
まず、「他者という仮想」と言う章だが、他人の思いや心の内を理解できるのかと言う問題である。
「他者の主観的体験を再体験しているわけでは決してないのに、その「他者の心」がわかったように思えることは、確かにある。」しかし、「私たち「健康人」も、完全に他者を理解する能力など持っていないという事実である。」
「認知科学で言う「心の理論」のモジュールがたとえ機能していたとしても、他者の心は依然として絶対不可視な存在である。物理的に独立した二つの脳の神経活動として成立している二つの心が、直接的に交流することは原理的に不可能なのである。」
「理解と誤解の間には、無限と言っていいほど諧調がある。肝心なのは、理解と言うことを、世の中に確かに存在するはずの「他者の心」の把握と言う意味にとらえるならば、完全な理解など、決して存在しないということを認識することである。」と言う。
難しく書いてあるのだが、要するに、他人の心の内など、推測に過ぎず分からないと言うことであろうか。
面白いのは、と言うより切実なのは、
「人は恋をして初めて、他者の心が自分にとって推しはかりがたい存在であることを切実に感じる。」として、ワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」で、ジークフリートが、ブリュンヒルデに愛されているのかどうか悩む例を引いて、
「他者の心は自分にとって切実な意味を持つ。自らがコントロールできる対象ではない。相手には、相手に意思がある。価値判断がある。そのような、他者の心が、その独自の意思に基づいて自分に好意を寄せてくれる。だからこそ、恋愛の成就は、飛び上がるほどうれしい。ジークフリートも、はじめて知った恐怖を乗り越えて、ブリュンヒルデが自らの求愛を受け入れてくれた時、天にも上るほどうれしい。」
たしかにそうであろう。しかし、現実には、いくら知りたくても、相手の心の内がはっきりと分からない以上、恋をすればする程燃え上がるのだが、自分に都合の良い善意の解釈ばかりしているのではないかと不安が強まり、同時に、相手が自分にとって大切であればある程、失った時の恐怖苦しみが大きくなって、益々、シュリンクしてしまうのが人間、特に、男ではないかと言う気がしている。
いずれにしても、恋する時ほど、相手の心の内を知りたくて、悩みに悩む時はないと言うのが真実であろうが、茂木さんの言うように相手の心など分かる筈がないと言うことなら、悩みぬく以外に方法はないと言うことであろう。
次に興味を感じたのは、心に傷を受けるような従来の認知の枠組みでは対処できない体験をした時、脳の中に生じた神経細胞の活動によって、脳が大規模な再編成を余儀なくされるのだが、そのようなシチュエーションで、創造や芸術が生まれると言う指摘である。
特に、私は、イノベーション論に興味を持って勉強しているので、茂木氏の創造性に関する見解に注目して来た。
「強烈な印象を残す体験を受けての再編成は、意識のコントロールできるプロセスとして起こる訳ではないので、自分でも驚かされることが起こり、このプロセスを創造と言う。脳は、傷つけられることがなければ、創造することもできないのである。」と言うのである。
「素晴らしい経験をすると、自らもそのような何かを生み出したくなる。適当な形で心が(脳が)傷つけられることで、その治療の過程としての創造のプロセスが始まる。」と言うことらしい。
今、アイザックソンの「スティブ・ジョブズ」を読んでいるところなので、ジョブズの想像を絶する壮絶な生きざまを見れば、この茂木説が、痛い程良く分かる。
「人は主観的な体験の中で、そこはかとない悲しみを、断腸の思いを、至上の喜びを感じる存在であるからこそ、芸術を生み出し芸術を体験し、また宗教的な救済を求めようとする。
愛や死を巡る切迫した状況の中で生きるうちに、、自分が感じるものの中に世界全体が立ち現われて来るのを感じる。そのような仮想を感じさせてくれるのが優れた芸術である。」と言う。
衣食足って礼節を知ると言う諺があるのだが、貧しくて苦しむのは論外としても、とにかく、新しいイノベーションを求め続けたジョブズのように艱難辛苦の戦いに明け暮れ、或いは、苦しくて苦しくて死ぬ思いをして愛し抜くような激しい恋をしてect、心や脳を傷つけない限り、創造的な生き方は出来ないと言うことなのであろう。
この本も、「脳と仮想」と言うことで、分かったようで何となく分からないところがあるのだが、英語のタイトルが、The Brain and Imaginationと言うことなので、イマジネーションの方がしっくりと来る。
興味深いトピックスが並んでいるが、そして、茂木氏の結論なり、論旨からは外れてはいるのだが、私の印象に残ったところを、2~3感想を記してみたい。
まず、「他者という仮想」と言う章だが、他人の思いや心の内を理解できるのかと言う問題である。
「他者の主観的体験を再体験しているわけでは決してないのに、その「他者の心」がわかったように思えることは、確かにある。」しかし、「私たち「健康人」も、完全に他者を理解する能力など持っていないという事実である。」
「認知科学で言う「心の理論」のモジュールがたとえ機能していたとしても、他者の心は依然として絶対不可視な存在である。物理的に独立した二つの脳の神経活動として成立している二つの心が、直接的に交流することは原理的に不可能なのである。」
「理解と誤解の間には、無限と言っていいほど諧調がある。肝心なのは、理解と言うことを、世の中に確かに存在するはずの「他者の心」の把握と言う意味にとらえるならば、完全な理解など、決して存在しないということを認識することである。」と言う。
難しく書いてあるのだが、要するに、他人の心の内など、推測に過ぎず分からないと言うことであろうか。
面白いのは、と言うより切実なのは、
「人は恋をして初めて、他者の心が自分にとって推しはかりがたい存在であることを切実に感じる。」として、ワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」で、ジークフリートが、ブリュンヒルデに愛されているのかどうか悩む例を引いて、
「他者の心は自分にとって切実な意味を持つ。自らがコントロールできる対象ではない。相手には、相手に意思がある。価値判断がある。そのような、他者の心が、その独自の意思に基づいて自分に好意を寄せてくれる。だからこそ、恋愛の成就は、飛び上がるほどうれしい。ジークフリートも、はじめて知った恐怖を乗り越えて、ブリュンヒルデが自らの求愛を受け入れてくれた時、天にも上るほどうれしい。」
たしかにそうであろう。しかし、現実には、いくら知りたくても、相手の心の内がはっきりと分からない以上、恋をすればする程燃え上がるのだが、自分に都合の良い善意の解釈ばかりしているのではないかと不安が強まり、同時に、相手が自分にとって大切であればある程、失った時の恐怖苦しみが大きくなって、益々、シュリンクしてしまうのが人間、特に、男ではないかと言う気がしている。
いずれにしても、恋する時ほど、相手の心の内を知りたくて、悩みに悩む時はないと言うのが真実であろうが、茂木さんの言うように相手の心など分かる筈がないと言うことなら、悩みぬく以外に方法はないと言うことであろう。
次に興味を感じたのは、心に傷を受けるような従来の認知の枠組みでは対処できない体験をした時、脳の中に生じた神経細胞の活動によって、脳が大規模な再編成を余儀なくされるのだが、そのようなシチュエーションで、創造や芸術が生まれると言う指摘である。
特に、私は、イノベーション論に興味を持って勉強しているので、茂木氏の創造性に関する見解に注目して来た。
「強烈な印象を残す体験を受けての再編成は、意識のコントロールできるプロセスとして起こる訳ではないので、自分でも驚かされることが起こり、このプロセスを創造と言う。脳は、傷つけられることがなければ、創造することもできないのである。」と言うのである。
「素晴らしい経験をすると、自らもそのような何かを生み出したくなる。適当な形で心が(脳が)傷つけられることで、その治療の過程としての創造のプロセスが始まる。」と言うことらしい。
今、アイザックソンの「スティブ・ジョブズ」を読んでいるところなので、ジョブズの想像を絶する壮絶な生きざまを見れば、この茂木説が、痛い程良く分かる。
「人は主観的な体験の中で、そこはかとない悲しみを、断腸の思いを、至上の喜びを感じる存在であるからこそ、芸術を生み出し芸術を体験し、また宗教的な救済を求めようとする。
愛や死を巡る切迫した状況の中で生きるうちに、、自分が感じるものの中に世界全体が立ち現われて来るのを感じる。そのような仮想を感じさせてくれるのが優れた芸術である。」と言う。
衣食足って礼節を知ると言う諺があるのだが、貧しくて苦しむのは論外としても、とにかく、新しいイノベーションを求め続けたジョブズのように艱難辛苦の戦いに明け暮れ、或いは、苦しくて苦しくて死ぬ思いをして愛し抜くような激しい恋をしてect、心や脳を傷つけない限り、創造的な生き方は出来ないと言うことなのであろう。