熟年の文化徒然雑記帳

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国立能楽堂:能「安宅」、そして、勧進帳との違い

2012年12月19日 | 能・狂言
   ユネスコによる「無形文化遺産 能楽」第五回公演の最後は、喜多流の「安宅」であった。
   私は、これまで、何度も歌舞伎で「勧進帳」を観ているので、そのオリジナルとも言うべき能「安宅」を是非観たいと思っていたので、願ってもない機会を得たことになる。

   話の筋は、大体、歌舞伎も、能とはそれほど変わってはいないのだが、やはり、舞台芸術としては、大分、異なっているので、私には、その違いなり差が非常に興味深かった。
   まず、能の場合には、シテ一人主義を通して主役は弁慶(粟谷能夫)一人で、歌舞伎では主役の義経が、能では子方が演じており、豪快でパワフルな弁慶が、ワキ富樫何某(宝生閑)と、男と男との死を賭した息詰まるような対決を演じることによって、一本大きな筋が通っている。
   もう一つの大きな違いは、歌舞伎では、富樫が、義経だと分かっておりながら、男の情けで、安宅の関を通させるのだが、能では、弁慶が力づくで富樫と対決して関所を突破すると言うことになっている。

   能の「安宅」では、狭い舞台の空間に、歌舞伎とは違って、この日の舞台では、弁慶と9人の郎党(8人の立衆とアイ山本東次郎)が、登場して、舞台一杯になって勤行をしたり富樫たちと対決したりするので、大きな舞台で4人の郎党を押し止めようとする歌舞伎とは違って、大変な迫力で、圧倒される。
   これについて、金剛流の「風姿」では、歌舞伎で郎党の数が少ないのは、富樫方とのバランスもあるが、七代目團十郎初演の折、腕の立つ役者が能ほどに揃わなかったので、その時の演出の型がそのまま今も踏襲されているのだと書かれていて興味深い。

   八世観世銕之丞(人間国宝)が、「ようこそ能の世界へ」で、歌舞伎座で、能「安宅」と歌舞伎「勧進帳」では、演技の方法がどれだけ違うのか、團十郎と演じて観比べてみたと書いている。
   義経の郎党の数の違いのほかに、歌舞伎の方は、舞踊劇的なリアリティーを三味線音楽にのせて演じているのに対して、能の方は集団の力を表現する。あくまで力と力との対立という方向で演じられるという違いがあるように私は思います。と言っている。

   また、歌舞伎の弁慶は、最初から装束も化粧も弁慶そのものになっていて、顏の表情いっぱいに、凄んだり、泣いたりするし、大きく見得をきったりして、動作も派手だし、最後は豪快な飛六方で花道に入る。能にくらべて表現の仕方は派手だし、面白くなりすぎていて、能とはかなり違う。
   ところが、能の「安宅」では、弁慶は面をかけない「直面」で、関を越すために富樫と丁々発止と渡り合い、何も書いてない巻物を勧進帳と偽って読み、山伏を制し、義経を打ち、関を逃れるのを観ていると、表情を変えない役者の素顔がだんだん弁慶に見えてくる。内側に技量のある人、演技をする上でのほんとうの距離感とかリアリティー出せる人は、面をとっても、その顔が自然なところにゆく。表情先にありきではなく、表情は後からくる。のだと言っている。

   もう一つ面白いのは、歌舞伎のように、武士の情けで義経を逃がした富樫はどうなるのか、と富十郎と語ったと言う。
   弁慶は関を通って逃げてしまえば良いので無責任だが、富樫は頼朝に見つかれば切腹しなければならないのに通してしまう。弁慶を呼び止めて酒宴をはるなどと言う場合ではないのだが、とにかく弁慶に惚れこんでしまったわけだから、弁慶だって富樫の立場を思ったら飲まざるを得ない。弁慶に酒を注ぐ富樫と、その富樫の心情を察して舞う弁慶の間に通う男同士のロマンを感じると、「勧進帳」も良いなあと思う。と言っているのだが、このあたりが、アウフヘーベンした歌舞伎の値打ちかも知れない。
   この富樫が、弁慶に心酔したと言うことは、宝生閑も、「幻視の座」で語っている。そうでなければ、再び出て来て酒を振舞い、弁慶に延年の舞を舞わせると言うシチュエーションが生まれる筈がなかったと言うことであろう。

   ところで、この「安宅」について、九世銕之丞が、「能のちから」で、先代が、喝采を浴びた「勧進帳」に影響を受け、歌舞伎から逆輸入して「安宅」の演技を再構築した部分もあるのではないか、と言う言い方をしていた。と語っている。
   能も演技の一部であり、演技と芝居は同義語だと考えていたので、能として生々し過ぎたり、妙に媚を売るような演技は言語道断で、それなりの抑制された演技のやり方で芝居をやることはあっても良いと考えていたようで、自分もその伝承を受けているのだが、(その振幅の)判断が難しい。とも言っている。

   また、「能のちから」で、”最大のピンチだからこそ露呈する人間の本質”と言うサブタイトルからも分かるように、「安宅」は、命がけの危機に立った時、絶体絶命のピンチの時にこそ、その人間性や本質があらわになると言う人間描写がテーマになっている。と述べている。
   窮地に立たされれば立たされるほど、腹をくくって冷静に冷めて行く弁慶の危機管理を、そのプロセスを追いながら作って行くと、弁慶の目的や大切なものは何なのかが分かってくる。長い時間をかけて自分自身を作ってきた、その人そのものが、その危機の時に現れ、その現れが、日本人の心を打つのだと言うのである。

   感情が顔に出やすいタイプの役者である自分にとっては、情の芝居や演技を、「直面」で舞う難しさなどを語りながら、観世寿夫が、「直面」ものが、あまり好きではなかったし舞わなかったと語っている。
   寿夫は、「安宅」を一度もやらなかったようで、このあたりの話は、宝生閑の「幻視の座」でも語られていて興味深い。

   さて、富樫が、義経だと分かっていたかと言うことについて、観世清和宗家は、「一期初心」の”「安宅」の心理劇の項で、山伏の一行が到着した時から、それが義経主従であることを見破っていて、弁慶の読み上げる勧進帳がおかしいことも分かっていたと書いている。
   一方、弁慶も見破られていることに気付いていて、お互いに相手の心を読み、もうこの先は、刀を抜いて斬り合うしかないと言うギリギリのところでぶつかり合っている。表舞台で進む派手なやり取りの後ろで、もう一つのドラマが進んでいる。この二重構造が「安宅」の特徴であり、演者にとっての醍醐味だと言っていて、。
   「安宅」が大曲と言われるのは、展開する舞台の華々しさによるのではなく、背後で同時に進んでいる緊迫した心理劇をどう表現するか、そこに演じるものの力が問われているからだと言うのである。

   私には、まだ、「安宅」の奥深い良さは、十分には分からないけれど、非常に高度な日本古典芸能の片鱗を垣間見た思いで、感激のひと時であった。

(追記)口絵写真は、国立能楽堂2013年カレンダー「安宅」より転写。
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