
虚礼廃止だとか言った感覚は持ち合わせていないので、毎年年賀状を出している。
歳を重ねるにつれて、喪中欠礼葉書が舞い込むことが多くなって、どんどん、差し出す枚数が減って行くのが寂しい。
私の場合には、鈍らの所為もあって、正直なところ、年賀状を準備するのが億劫なので、ぎりぎりまで出せないので、元旦の朝には着いていないかも知れないと心配している。
悠々自適の生活に入ってからでもそうなので、性分と諦めるしかない。
以前には、業者へ印刷に出していたのだが、ワープロやパソコンで、自作の年賀状が作れるようになってからは、ずっと、市販のソフトを使って、自分で作成して、インクジェット用の年賀はがきに印刷している。
殆ど、出来具合は、プロと変わらないくらいに良く出来る上に、自分の思い通りの年賀状が作れるので便利であるし、それに、住所録を準備しておけば、短時間に年賀状が仕上がる。
ところが、今年は、パソコンのディスクが故障して取り替えたので、住所録が全部消えてしまったので、一から準備しなければならなかったので、結構大変であった。
尤も、手間を最小限に省こうとして、昨年来た年賀状を参考にして住所録を作ったので、失礼する友人知人があるかも知れないのだが、あくせくする歳でもないので、諦めることにしている。
年賀状の裏面のデザインだが、ソフトのモデルから適当なものを選んで、絵や字を書き換えたり、写真を入れ替えたりするのだが、挿入する写真を何にするのかが関心事と言えば関心事で、これが、結構楽しい。
若い頃は、娘たちの写真を使ったのだが、その後は、ツバキなどその年に撮った花鳥風月や、ヨーロッパなどの海外風景写真を使ってきた。
今年は、この口絵写真を使うことにした。
別に、特別な写真でもないし特に意味があるわけでもないのだが、イギリスの写真を整理していて、色彩感覚が面白かったので、良く歩いたところだし、懐かしくなって目に留まったのである。
ロンドンのウエストエンドの劇場街の場末のカフェ・レストランだったと思うが、イギリスでは、ハンギングのフラワー・バスケットと店頭の看板などのコントラストが結構絵になるのである。
田舎の一寸したレストランやパブで、花の咲き乱れている風情など、古い街並みと調和して、おとぎ話の世界のように美しいことがあり、感激する。
写真を整理していて、つまらない写真が多くて愕然としているのだが、折角、被写体に恵まれた環境に長い間どっぷりと浸かっておきながら、良い写真を写そうと努力しなかったことを、今になって後悔している。
さて、頂く年賀状には色々な種類があって興味深いのだが、やはり、いろいろと近況など書いてくれているのが、一番良くて、一言でも、何か自筆で書いてくれているだけでも、嬉しい。
そうでありながら、先に書いたように、なまくらな私は、自分で作ったとは言え、プリントした無味乾燥な年賀状を、宛先もパソコンで打って、そのまま、何年も、送ると言う全くの失礼を続けている。
字が下手だと言う負い目のある所為もあるのだが、今年は、少し、近況を書いてみようと思って、新しい文章を付け加えた。
今年は、どうにか、20日くらいには、年賀状をポストに投函出来そうである。
歳を重ねるにつれて、喪中欠礼葉書が舞い込むことが多くなって、どんどん、差し出す枚数が減って行くのが寂しい。
私の場合には、鈍らの所為もあって、正直なところ、年賀状を準備するのが億劫なので、ぎりぎりまで出せないので、元旦の朝には着いていないかも知れないと心配している。
悠々自適の生活に入ってからでもそうなので、性分と諦めるしかない。
以前には、業者へ印刷に出していたのだが、ワープロやパソコンで、自作の年賀状が作れるようになってからは、ずっと、市販のソフトを使って、自分で作成して、インクジェット用の年賀はがきに印刷している。
殆ど、出来具合は、プロと変わらないくらいに良く出来る上に、自分の思い通りの年賀状が作れるので便利であるし、それに、住所録を準備しておけば、短時間に年賀状が仕上がる。
ところが、今年は、パソコンのディスクが故障して取り替えたので、住所録が全部消えてしまったので、一から準備しなければならなかったので、結構大変であった。
尤も、手間を最小限に省こうとして、昨年来た年賀状を参考にして住所録を作ったので、失礼する友人知人があるかも知れないのだが、あくせくする歳でもないので、諦めることにしている。
年賀状の裏面のデザインだが、ソフトのモデルから適当なものを選んで、絵や字を書き換えたり、写真を入れ替えたりするのだが、挿入する写真を何にするのかが関心事と言えば関心事で、これが、結構楽しい。
若い頃は、娘たちの写真を使ったのだが、その後は、ツバキなどその年に撮った花鳥風月や、ヨーロッパなどの海外風景写真を使ってきた。
今年は、この口絵写真を使うことにした。
別に、特別な写真でもないし特に意味があるわけでもないのだが、イギリスの写真を整理していて、色彩感覚が面白かったので、良く歩いたところだし、懐かしくなって目に留まったのである。
ロンドンのウエストエンドの劇場街の場末のカフェ・レストランだったと思うが、イギリスでは、ハンギングのフラワー・バスケットと店頭の看板などのコントラストが結構絵になるのである。
田舎の一寸したレストランやパブで、花の咲き乱れている風情など、古い街並みと調和して、おとぎ話の世界のように美しいことがあり、感激する。
写真を整理していて、つまらない写真が多くて愕然としているのだが、折角、被写体に恵まれた環境に長い間どっぷりと浸かっておきながら、良い写真を写そうと努力しなかったことを、今になって後悔している。
さて、頂く年賀状には色々な種類があって興味深いのだが、やはり、いろいろと近況など書いてくれているのが、一番良くて、一言でも、何か自筆で書いてくれているだけでも、嬉しい。
そうでありながら、先に書いたように、なまくらな私は、自分で作ったとは言え、プリントした無味乾燥な年賀状を、宛先もパソコンで打って、そのまま、何年も、送ると言う全くの失礼を続けている。
字が下手だと言う負い目のある所為もあるのだが、今年は、少し、近況を書いてみようと思って、新しい文章を付け加えた。
今年は、どうにか、20日くらいには、年賀状をポストに投函出来そうである。