熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

戦略とは「戦いを略す」ことなり・・・コア事業からの撤退の歴史

2005年06月25日 | 経営・ビジネス
   ソニーは、コンシューマーエレクトロニクスに活力を集中して再生を期すと言う。
   果たしてこれが最善の戦略であろうか、と考えていた時に、米倉誠一郎教授の講演を聞き、新著「脱カリスマ時代のリーダー論」を読んで、戦略とは、戦いを略すことである、と言う言葉に出くわした。
   この本は、カリスマリーダーだけでは動かなくなった現在においては、総ての人がリーダーとして活躍しなければならない、と言う発想に立った生きるための処世術を取り纏めたモノで、普通のリーダー論と全く違う。
   イノヴェーションに学殖豊かな学者であるから、革新的な発想や経営術など生きるための知恵が満載の面白い、そして何かのヒントになる実にユニークな役に立つ本である。

   撤退学のすすめの項で、キヤノンのパソコン撤退、ニッサンの村山工場閉鎖の例をあげて、シンボリックな改革を語っている。
   御手洗社長は、東芝のパソコン事業が300万台でペイしているのを聞いて60万では採算に乗る訳がないとして撤退を決めた。
   しかし、日本の電機メーカーは、経済不況の真っ只中にも拘らず、総合と称する電機関連のコアビジネス総てに戦線を広げて事業を展開し、惨憺たる結果を招いてしまった。
   選択と集中、撤退の経営哲学が希薄な日本経営の特質であろうか。

   GEは、世界最たる電機メーカーであったが、電機関連のコアビジネスを売り払い、金融会社になってしまったし、コンピューターの代名詞であったIBMがPC事業を中国企業にブランド付きで売ってしまった。
   ニコラス・G・カーがいみじくも言った「ITは、コモディティに過ぎない」と言った意味を一番骨身に沁みて分かっていたのはIBMであろう。インテルとマイクロソフトに殆ど利を持って行かれ、アジアの競争相手に追い討ちをかけれられて、全く勝ち目のない箱造りから撤退して、経営資源をソフト開発事業にシフトするのは極めて合理的な経営の決断であった。
   もう10何年にもなるが、フィンランドを訪れた時には、ノキアは、タイヤか化粧品かを作っていた。しかし、電話が無線になると普及するのは、森と湖と雪に分断されて電線が引けないフィンランドのような国、瞬く間に携帯電話世界一になったしまったし、インターネットの普及で、隣の村にも一日がかりの国アイスランドが、素晴らしいIT王国になってしまった。

   アメリカは、繊維からも、TVからも、鉄鋼や造船からも、コンピューターからも、ドンドン撤退して行き、日本が後をテイクオーバーした。しかし、よく考えてみれば、アメリカが負けて日本が勝ったのであろうか。
   同じ様に、付加価値の低い製造業を中国に持っていかれた日本は負けたのであろうか。
   歴史は巡る、苦しいけれど、ファーストランナーであり続けない限り、勝者にはなれない。

   結局、商品は、普及してしまえばコモディティになってしまって付加価値が限りなく低下してしまい、人件費の安い人海戦術で勝負する国に持って行かれる。
   あの水車の中のハツカネズミのように、同じ速さかそれ以上の速さで走り続けない限り振り落とされてしまう。
   確乎たるブランドを構築しない限り、商品を差別化して独自性を維持するためには、たゆまぬ創造的イノヴェーションが必要なのである。
   
   果たして、このような変革が急でコモディティ化の激しいコンシューマーエレクトロニクス事業に経営リソースを注入してハツカネズミのように全力疾走することが、ソニーにとって良いことなのか、と考えてしまったのである。
   製造業に軸足を置いたコンシューマーエレクトロニクス&エンターテインメント事業に専心するのか、あるいは、新しいビジネスモデルに挑戦するのか、ソニーにとって、コアビジネスとは一体何なのか、もう一度考えてみても良いような気がした。
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