熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・能・観世流「松山鑑」

2015年11月04日 | 能・狂言
、   国立能楽堂では初めてと言う、非常に上演回数の少ない現行曲である能「松山鑑」が上演された。
   能・狂言初歩の私には、有名曲でも難曲でも珍しい曲でも、全く同じなのだが、面白いのは、この松山鑑は、落語で高座にかかることがかなりあって、国立演芸場で2回くらい聞いたと仰る。
   岩波講座の「能・狂言」の鑑賞案内にも、角川の「能を読む」にも解説がないので、国立能楽堂のパンフレットを読む以外にはないのだが、非常に暗い話であり、これが、落語になるのかと興味を感じたのである。

   公演の後で、家に帰って、インターネットで調べたら、仏教説話の「鏡を知らない草深い田舎で起こる悲喜劇」がテーマとなっていて、お笑い系の落語は勿論、狂言の「鏡男」もそうだし、ほかにも、民話にもなるなど、いろいろなバリエーションがあることが分かった。
   鏡には、その前に立つものは、人間でも、かざした扇でも、そっくりそのまま写るのだが、それを知らないので、見た男が亡くなった父だと思ったり、見た娘が亡くなった母だと思って懐かしむと言うのはまだしも、自分の顔を見て、夫の隠し女だと思った妻には悲劇となるのだが、鏡を見た人物が自分の姿を夫々に解釈して引き起こす人間模様が面白い。

   落語あらすじ辞典によると、
   噺のルーツはインドで、古代インドの民間説話を集めた仏典「百喩経」巻三十五「宝篋(ほうきょう)の鏡の喩(たとえ)」が最古の出典といわれ、中国で笑話化され、清代の笑話集「笑府」誤謬部中の「看鏡」に類話があるという。

   能の舞台は、越後の松の山家で、最愛の妻を亡くして三年、松山某は後妻を迎えたのだが、姫が懐かず、持仏堂に籠りきりなので、「継母の木像を作って呪詛している」と言う噂を信じて叱責する。
   姫は、母が臨終に形見の鏡を渡して、恋しくなればこの鏡を見よと言い残したので、毎日鏡を見ながら過ごしているのだと語る。
   姫の嘆きを不憫に思った某は、鏡のありようを説き示して、先妻によく似た姫の面影に涙する。
   どこからともなく、姫の追慕に引かれて、母の亡霊が現れて、鏡を割り分けた夫が遠国で別妻を迎えたので、その半分の鏡がカササギになって妻のところに飛来して、鏡が元の円鏡に戻ったと言う唐土の逸話を語る。
   突然、倶生神が現れて、「地獄への帰参が遅い」と母の亡霊を責め立てるが、姫の供養の功徳によって成仏した母は菩薩の姿になって鏡に映ったので、俱生神は地獄へ帰って行く。

   この能では、ワキの松山某(福王茂十郎)が主役と言った感じで、子方の姫(武田章志)がこれに対して、ツレの母の亡霊(大槻文蔵)とシテの俱生神(武田志房)は後場の後半になって、一寸登場するだけだが、存在感は十分である。
   詞章を読んでいたこともあって、ワキと子方が主でもあり、謡については、かなり、良く聞き取ることができた。

   能になると、このように、亡霊の成仏と言う形になって、どうしても、暗くなるのだが、狂言や落語になると、ぐっと、人間くさく娑婆世界の話になって、面白くなる。

   狂言では、
   男は、京での訴訟が片付いて、故郷の越後の松の山家に帰国途中で、鏡売りの男に勧められて、妻への土産に高額な鏡を買い求める。
   妻は、鏡を覗き込んで、都から女を連れ帰ったと烈火のごとく怒り、それは、自分が写っているのだと男が説明しても聞き入れない。
   扇を見せて説明しても聞き入れないので、他の者にやろうと言って鏡を取り上げると、その女をどこへ連れて行くのかと、怒って男を追い込む。

   落語では、もっと身近な人情話になって面白い。
   松山村の正直正助は、四十二になるが、両親が死んで十八年間墓参りを欠かしたことがないので、お上の目に留まり、孝心あつい者であると褒美を取らすべく呼び出される。
   何もいらないと拒絶するが、抗しきれず、父が死んで十八年になるので、夢でもいいから一度顔を見たいので、一目会わしてほしいと願う。
   お上は、三種の神器の一つである八咫鏡のお写しを渡して、この中を見よと言ったので、のぞくと、鏡を知らないので、映っている自分の顔を見て、おやじだ勘違いして、感激して泣きだす。
   正直正助は、納屋の古葛籠の中に鏡を入れて、女房にも秘密にして、それから、朝夕、挨拶に行くので、邪推した女房が、亭主の留守に葛籠をそっと覗いてみると、女が写っていて、自分の顔を情婦と勘違いして、怒り心頭で、夫婦くんずほぐれつの大喧嘩となる。
   ちょうど表を通りかかった隣村の尼さんが、驚いて仲裁に入り、その女に会って意見すると鏡を覗き込んで、「お前たちがあまり喧嘩するので、中の女ァ、決まりが悪いって坊主になった」
   インターネットを叩くと、文楽の名調子の「松山鑑」が、Youtubeで、楽しめる。

   もう一つ、青空文庫に、楠山正雄の「松山鏡」が出ている。
   これは、亡霊や鬼神が登場するような話ではないが、能のストーリーに近い。
   父が京都で土産に買って帰った鏡を、娘は、母の死後、母だと思って見続けていて、父に誤解を与えて叱責されるのだが、事情が明らかになって、隣室で聞いていた継母が、娘の健気さに感じ入り、めでたしめでたしと言う民話となる。

   いずれにしろ、鏡を知らない人間が、写る姿を見て繰り広げる悲喜劇が、時代離れしていて面白いのが、知らないばっかりに引き起こすこれと同じような現象が、我々現代人の世界にも、沢山あることを考えれば、笑ってほろ苦い、そんな松山鑑であった。

   当日、大坪喜美雄師がシテで舞った舞囃子「井筒」の作り物がロビーに展示されていた。  
   庭の萩も風情があったので、数ショットを。
   
   
   
   
   
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