熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

野鳥が庭にやって来る・・・ヒヨドリ、メジロ、アカハラ、スズメ

2006年02月13日 | 生活随想・趣味
   わが庭には、実のなる木があるので、結構、野鳥がやって来る。
   バードウオッチングするほどの趣味でもないので、野鳥の名前が分からなくて、多少フラストレーションを感じる。
   昔、学生の頃、教授に『名もなき花や、名もなき鳥などないのだと、言われたことがある』ので、余計に気になるのである。

   スズメやノバト、ヒヨドリは何時でもいるので、最近見た他の鳥は、メジロ、もずくらいであろうか。

   昨日、この口絵写真のアカハラが来て、庭の枯葉を掘り起こしていた。
   頭や背中は褐色だが、腹は鮮やかなレンガ色に近い茶色で、真ん中が白い。もずより少し大きいくらいの大きさで、元々、北海道や高原にいる鳥で、寒くなると暖地に下りてくる漂鳥のようである。
   この鳥、木々を移動するのではなくて、四六時中、地表を歩きながら、地面を掘り起こしている。ミミズが好物のようだが、今頃、寒くてミミズなど地表にいるようには思えない。

   この庭には、春には鶯が来て囀る。
   最初は、上手く「ホーホーケキョ」と鳴けなくて、省略形で鳴くのだが、梅の木だけではなく、どんな木でもせわしなく飛び移りながら鳴いている。
   双眼鏡など覗いている間に移動してしまい、写真など、中々写せない。
   庭師は、駒鳥の巣があったので取って置いたと言っていたが、私は、駒鳥を見た事がない。
   以前、イギリスのキューガーデンでは、駒鳥が側までやって来たので写真を撮ったことがある。

   近所の林の中には、雉が住んでいて、時々、長い尾を引いて飛ぶのを見かけるのだが、猟の解禁時期になると朝から散弾銃の音が響く。
   どんな人間が猟をするのかと思うと腹が立つが、鳥の殺生などもっての他だと思っている。

   先日、近くの川を歩いていると、ハクセキレイが居た。頭や背中が黒いが白いスマートな鳥で、昔は、河原など以外ではあまり見慣れなかったが、最近は、渡りを止めて住み着き都市鳥になってしまったと言う。
   川には、やはり、カルガモが居る。必ず番いで行動していて、もうすぐ、巣作りをして卵を産むのかも知れないが、流れが早く川も小さいので、その時は、もう少し営巣に良い場所に移るのであろう。
   何故か、今年は、秋口には飛んできていた白鷺がいなくなった。

   この川は、渓流ではない田舎の川なのだが、カワセミが居る。
   凄い速さで移動するので中々気付かないが、尻尾が短くて恰好は悪いが、青と黄色の鮮やかな美しい鳥である。
   子供の時、何時も、スズメやカラス、燕やとびなどばかりを見ていたので、カワセミを見た時には、その美しさにびっくりしてしまった。

   子供の頃、宝塚の田舎に居たので、野山を駆け回って遊んでいた。
何故か、森や林に行くと、見つかり易い所にもずの巣があって、木に登って取った記憶があるが、悪いことをしたと、大人になって後悔した。

   ところで、わが庭にも巣箱をと思ったが、ほって置いても巣作りをするので止めにして、出来るだけ実のなる木を植えようと思ってそうしている。
   鳥や蝶が訪れてくれると言うことは、住むのに良い所だと証明してくれているのだと思っているのだが、どうであろうか。
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今日のハルドゥンキング

2006年02月12日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   今日のヴェトナム椿ハルドゥンキング、少し、花が開いてきた。
   ロウ細工のようにしっかりとした花弁で、蘂を守っているが、何処がおしべで何処がめしべか分からない。

   グエン王朝の優雅な花、平和になったヴェトナムに似つかわしい花だと思うが、どんなところに咲いているのであろうか。

   むかし、出張でバンコックを往復した時に、戦場のダナン上空を飛び、何度かヴェトナムを眼下にした。アメリカの理不尽で勝手気侭な戦争を呪った記憶があるが、アオザイ姿の美しい乙女が行き交う素晴しい国である事を聞いていた。
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オーバー・スペック・・・過剰仕様の日本製品

2006年02月12日 | 政治・経済・社会
   良い天気になり、気持ちが良かったので田舎道を散歩に出た。
   この頃、目につくのは遠出姿のシルバー族の散歩姿、何故か、カップルが多い。
   ウオーキング関係の出版物が多くなったのも分かるような気がする。

   河畔を歩いていると、もの凄い羽音がして数羽の鴨の群れが頭上から急降下してきたと思ったら、一羽の鴨だけがすぐ側の川の中に飛び込んだ。
   あとの鴨は、私の耳元をかすめて飛び去って行った。
   一瞬だったので、何が起こったのか分からなかったが、誰も居ない畑の広がる田舎道で私を目掛けて飛んできたのであるから、逃げる為に、危険な筈の私を隠れ蓑に使ったのであろうか。
   そう思って空を見たら、一羽鳶らしき鳥が悠々と南の空へ飛んで行くのが見えたが、数羽の鴨の群れが鳶に追いかけられて逃げて来たのかも知れない。
   あんな大きなカルガモでも鳶は餌食にするのか、或いは、よく見かける鳥達の争いか。
   しかし、この川に、毎年、冬になると可なりの数の鴨が渡って来て住んでいるが、余程の事がない限り、殆どつがいで行動していて一羽だけで泳いでいることは滅多にない。
   この鴨、凄い速さで飛び込んできたので、羽が乱れたままで、川面を泳いでいた。

   ところで、この話は前座であって、私が言いたかったのは、日本の工業製品のオーバースペックの問題である。
   今、姉歯事件で、耐震強度偽装問題で建築物の質が問われているが、本来建設物は相当余分な安全率を加味して建てられているもので、今回は、ビジネス倫理の欠如と法律違反の為に発生しているので、これは論外であろう。

   さて、先ほどの追いかけられて逃げてきた鴨を、先日のコニカミノルタのαSweet Degitalで、望遠側の450ミリで撮ったのが、この写真である。
   完全オートで写したのだが、データを見るとシャッター速度500分の1、絞りはF6.5で、ASAは100、本来ならぶれて写真にはならない筈だが、このカメラの手ブレ補正機能のお陰で、可なりしっかりとピントがあって立派に写っている。

   私は、学生の頃からだから、もう何十年も写真を撮り続けているが、折角の写真がピントが甘かったりぶれたりで、これまで随分失敗を重ねてきた。
   最近、露出の測定やオートフォーカスの技術が進んだので、この方面はカメラ任せで良くなったが、カメラブレだけは、まだ十分ではなかったので、大口径の明るいレンズを使用してシャッター速度を速めて、少しでもぶれを避けようとしてきた。
   私は、自然光で写真を写しフラッシュは極力使わない主義であるし、また、三脚を使わずに手持ち撮影する事が多いので、とにかく、カメラ・ブレが一番困るのである。
   一眼レフカメラの重さがぶれ防止の助けになっていたが、最近では重いカメラと交換レンズを持って遠出をすると可なりこたえる様になった。
   また、花を写すことが多いので、マクロレンズを使って、花に10センチ以上も近づくことがあるので、すぐにぶれてしまって写真がダメになることが多いのである。

   カメラは、今まで、キヤノンとニコン、コンタックスTVSⅢで、他に使ったカメラは、ドイツのライカと超小型のミノックスだけだった。
   今回、ミノルタがこの世から消えてしまうので、キヤノンかニコンが手ブレ補正機能を本体に備えた上等な一眼レフを製造販売するまでと思って、ミノルタの素晴しい技術に敬意を表しノスタルジアを兼ねて、私にとっては最大の武器である手ブレ補正機能を備えたαSweetを買った。
   使ってみると随分立派なカメラで、これまで使っていた銀塩の一寸高級な一眼レフと遜色なく、写真歴の永いだけの私などに十分に使いこなせるかどうか疑問な程である。

   露出機もない頃から、マニュアルでカメラを使っているので、露出や絞を調整してピントを合わせるのは何の苦痛もないが、良く考えてみると、最近は、写真を撮る場合、大概の場合は、オートでカメラ任せで撮っていて、被写体にカメラを向けてフレームを決めてシャッターを押すだけである。
   それに、幸いなことに、多少失敗しても、充実した写真ソフトがあるので、パソコンでいくらでも修正・加工出来る。
   露出モードは、時には、シャッター優先や絞り優先、或いはマニュアルに切り替える事もあり、露出補正を行ったり、測光方式を変えることもあるが、それらは特別な意図を持って写真を写す場合で、大半は、カメラ任せでフラッシュを焚くか焚かないか程度で済む。

   このαSweetは、まだまだ、セミプロにも仕えそうな機能を備えており、とにかく、一寸写真に慣れた人にも対応できる中上級機としての充実した撮影機能を持っている。
   また、問題の画素数であるが、610万画素で見劣りするようだが、500万画素あれば、A4版程度の引き伸ばしなら、フィルムカメラに劣らないプリントが作成出来るので600もあれば十分である。

   とにかく、大概の人は、いくら高級なカメラを使っていても、殆どオート撮影のカメラ任せで、カメラの持っている機能の殆どは未使用のままに終わっていると言うことである。
   それなら、無意味な機能を極力削って、オート仕様で手ぶれ防止機能を搭載してシャッターを押すだけのカメラを作ってコストを下げればどうなのか、と思う。
   デルのコンピューターのように、カスタム・オーダーに近いシステムが使えれば自分の好みで必要なものをオーダー出来るので良い。
   しかし、カメラは生産者の独断と偏見の画一生産品。高齢化社会になり、益々、ITデバイド、機械デバイドで、難しい機械を使えなくなってくる顧客が多くなるにも拘らず、いまだに、プロだけが必要とするようなどうでも良い機能をふんだんに付け加えて差別化競争して採算割れになっているメーカーが多いと聞く。
   大体、沢山のメーカーが色々な小型デジカメを販売しているが、どれも帯に長くて襷に短し、どれを買っても大差なく、安ければ安い方が良い。過当競争で採算割れ筆致である。
   早晩、機能がアップすれば、携帯電話に取って代わられてしまう。

   薄型のデジタルTVも然り、DVDレコーダーも然り、パソコンも、多くの家電製品も然り、とにかく、日本の工業製品の多くは、殆ど使われないような機能を搭載したオーバースペックの製品を生産して過当競争を行っているが、考えるべき時期に来ているのではないかと思う。

   あのauの携帯電話で、小林桂樹のコマーシャルでやっている数字だけをプッシュすれば良いだけの電話、あの電話の精神である。

   思い出したが、半世紀ほども前に、ガルブレイスが、「豊かな社会」の本の中で、何故、エアコン付の電気芝刈り機が必要なのか、何故、1人の人間を運ぶのに6トンもの鉄を使った長い尾びれ付の乗用車が必要なのか、と言って、金儲け資本主義の馬鹿さ加減を揶揄していた。

   
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ハルドゥンキング咲く・・・優雅なヴェトナム・ツバキ

2006年02月11日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   12月24日にこのブログで書いたヴェトナム・ツバキのハルドゥンキングが優雅な花を開いた。
   9日の夜、少し、蕾が膨らみかけて、楽しみにしていたら、翌朝、少し口が開いて黄色い蘂が見えていた。

   10日は、風があったが日の照る良い天気だったので、窓辺のこのツバキは、日の光を浴びて少しづつ開き始めて夕方には、この口絵のように優雅な姿をあらわした。
   花弁は、厚くてしっかりとした少し赤みがかったピンク色で中輪、開くのか開かないのか、微妙なところで止まっていて、今朝見ても殆ど変わっていなかった。

   ツバキを栽培する時に、一番楽しいのは、ほんの一輪か二輪蕾がついた小さな苗木を買って来て、花が咲き始めるのを待つ時であろうか。
そのようにして育ててきた多くのツバキが、今庭木として可なり大きくなって、時には絢爛豪華に花を咲かせてくれるが、最初の時のような時めきはもうない。

   今年は、寒さの所為でツバキの開花は異常に遅い。
   今、庭木も鉢植もツバキの木は、沢山の蕾をつけて、春の到来を待っているが、今年は、雪国や北の寒い国のように、桜や菜の花やチューリップや皐月などが一緒に咲いてくれるのかも知れない。

   ヨーロッパの歳時記は、春まで何日と言った具合に春を照準に作られていると言うが、暗くて寒いオランダでの生活を思い出した。
   もう、クロッカス・ホリディの頃であろうか。
   道路の路肩や公園に一斉にクロッカスが咲き乱れて春の到来を告げる。
   新しく生まれた子羊が牧場を歩き始めると、田んぼの小さな水路に白鳥が醜いアヒルの子を従えて歩き始める。
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コニカミノルタのデジカメ・・・インターネット市場の攻防

2006年02月10日 | 政治・経済・社会
   コニカミノルタが、コアビジネスであるカメラとフィルムから撤退することになったが、ホームページを開くとカメラのページには、赤い字で「生産を終了しました。」と言う文字が躍っている。
   自動焦点一眼レフカメラで先鞭を付け一世を風靡したミノルタのカメラが、もうすぐ店頭から消えて行く。
   ライカの心臓部はミノルタが担当していた。私の一眼レフ・ライカF3サファリもシャッターなどはミノルタのはずである。

   初心者向けのデジカメ一眼レフであるαSweet DIGITALが、手ぶれ補正機能と言う強力な差別化技術の武器を持ちながら、Canon EOS Kiss DIGITALやNikon D50の人気に押されて、苦戦していたが、その後、急速に値を下げて、叩き売られていると言う感じである。

   ここで私が言わんとしているのは、このデジカメ価格戦争とその前に、インターネット商戦の結果起こっている急速な価格破壊の現状についてである。
   ロバート・スペクターが、「カテゴリー・キラー」と言う面白い本を書いて、ウォルマート、トイザラス、ホーム・デポ等々カテゴリー・キラーが、如何に価格破壊と言う武器を引っさげて商業革命を起こしてきたか、を教えてくれている。
   
   この中で、スペクターは、インターネットによる年間小売売上高は、既に全体の5%を占めていて、拡大傾向にあり、インターネットの価格比較サイトが花盛りだと言っている。
   一般消費者は、日本でもインターネットの価格comやconeco.netで検索すれば、例えば、先のαSweet Digitalが、いくらで売られていて何処が一番安いかはすぐ分かるようになっている。
   更に、商品毎に、ファンが書き込みをしていて、何処何処で値切ったらもっと安くなったとか、その商品の何処が良くて何処が問題かを克明に教えてくれる。
   言わば、一般消費者は、このインターネットの価格比較サイトで商品の情報を熟知しているので、先のカテゴリー・キラーも、これを無視できなくなって益々価格値下げ競争に狂奔せざるを得なくなると言うのである。

   価格比較サイトが、最も強みを発揮するのは、電化製品だとスペクターは言う。
   何処で買っても製品番号等品物が同じであれば同じものなので、安く買うに越したことはない。
   価格comで検索すると、先のαSweet Digitalであるが、標準と望遠のダブルズーム付きの価格が81,500円で店名はPCボンパーと出ている。
   PCボンパーのホームページにクリックすると80,800円となっている。
   発売当初は10数万円していたのが、生産撤退の時点では、10万円前後だったのがここに至って8万円になってしまっている。
   因みに、このカメラ本体だけの価格は、57,800円で、その差額は、23,000円だが、レンズ2本の希望小売価格は74,000円なので、セット価格だから安いとは言え、レンズの値引き率は69%、価格破壊も極まれりで、コニカミノルタのカメラ事業が持つ訳がない。
   新発売されて、まだ、半年である。
   ところで、驚くなかれ、PCボンパーのホームページへのアクセス数は1700万回を越えている。低く見積もっても、100万単位の客が、インターネットで店を訪れたと言うことである。

   ついでに、興味深い話だが、Nikonが、フィルム用の高級一眼レフの生産を、最高級のF6と低級機FM10に絞って残すが、その中間の一眼レフ数機種の生産を中止してしまったら、F100始め品薄になり値段が上がり始めた。
   聞くところによると、写真を勉強している学生が一番困るようで、それにマニアやニコン・ファンが、買いに走ったのだと言う。
   ミノルタの場合は、デジタル一眼レフは、ソニーが引き取るのだが、あの、京セラもコンタックスを見限ってしまったし、カメラ専業メーカーでなければ、ファンは信用しないのかもしれない。

   元々、老舗のカメラメーカーでも、フラッグシップ機と言われるキヤノンのEOS 1とかニコンのF6などは、採算ベースに乗っていないと言われている。
   デジカメになってからは技術革新が激しくなって、正に日進月歩で、これからは、恐らく、デジカメも淘汰の波が襲ってきて消えて行くカメラも多くなろう。
   カメラが、パソコンの周辺機器になり下がってからは、カメラの運命も寂しくなってきた。
   
   何故、デジタル商品は、止めどもない価格破壊を続けてゆくのか、デジタル化して誰でも安く組み立てられるようになってしまったのも一因かもしれないが、インターネット商戦の加熱も、その一つの要因のような気がしている。

   楽天やヤフーやライブドアが、実体のないインターネット企業で実質を伴わないバブル企業だと榊原先生は仰るが、インターネット商戦の戦場を提供し流通革命をそくした功績は大きい。
   寅さんではないが、「白木屋黒木屋の紅白粉つけたお姉さんが頂戴下さいと言わない」、店舗も店員も、時には倉庫もないインターネットショップが如何にコストを切り詰めて安く売っているか、価格破壊の一側面でもある。

   ついでながら、電化製品の場合は、大型量販店のヨドバシカメラやビッグカメラ等、或いは、ヤマダデンキやコジマ等は確かに安いが、先のPCボンパーの方が、時には遥かに安い。
   このボンパーだが、秋葉原電気街の外れのガード横の小さな倉庫を店にしたような店舗であるが、客は引きを切らない。
   毎日、商品価格を最安値にアップツー・デイトしておりインターネットショップを併設している。
   こんな店が結構秋葉原にあって、楽天やヤフーのインターネットショップを支えている。
   ほんの歩いて数分のところに、ヨドバシカメラが巨大な店を構えている。この数年、見違えるように都市空間を一変させた秋葉原、不思議な街である。
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競いあう 誰が為に咲く 寒牡丹・・・上野東照宮

2006年02月09日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   本来なら終わっている頃だと思ったが、今年の寒さが格別なのか、上野東照宮の冬ぼたんは、今花盛りで、月末まで見ることが出来ると言う。
   殆ど蕾がなくなって咲き切っているので、月末までは、無理かもしれない。
   毎年、特別なことがなければ、この冬ぼたんと、4月下旬から5月の上旬にかけての年2回牡丹を見に来て写真を撮っているが、あまり良い出来の写真はない。

   むかし見に出かけた奈良の石光寺や長谷寺の牡丹を思い出すが、あそこはオープンで広々とした境内に咲いている。
   ところが、この上野東照宮の牡丹苑は、狭い境内の一角にビッシリと咲いていて、春を待つ蕾を付けた牡丹の木が横に出番を持っているので一寸過密である。
   境内には、梅などの花木が植わっていて、一緒に咲き始めているが、やはり、今年は寒いためか花が遅い。
   先日、東京で梅の開花宣言があったが、八重の紅梅がちらほら咲きで、まだ寂しい。
   咲いているのは、おうばい、万作、それに、ツバキも遅くて、まだ、白侘助程度で、三叉も馬酔木もまだ硬い。
   福寿草が、ワラを敷いた牡丹の足元から顔を覗かせている。

   床机に赤毛氈を敷き、昔懐かしい火鉢が置かれていて、中々乙なものである。
   背景に、五重塔や東照宮の建物があって被写体にはなるので、前で記念写真を撮る人が居る。

   冬牡丹は、根元にワラが格子状に敷かれ、それに三角帽子のコモを被っている。中には、白い番傘を被っているのもあって面白い。
   そのコモを被った牡丹の側に、俳句を書いた立て札が立っている。
   有名な俳人の読んだものなのかどうかは知らないが、感じの出ているものもあって、花とのマッチングが良い。
   短冊と筆ペンが備えてあって、自由に投稿して、ボードにピンで止めて置けば良いのだが、私も、始めて五七五を読んで、表題の句を書いて貼って置いた。

   苑内で、牡丹の苗木を売っている婦人が、ここのお客さんは、句を読む人か絵を描く人か写真を撮る人が多いと言っていた。
   キャンバスを立てて絵を描いている人もおり、重い三脚を担いでレンズを交換しながら苦戦している人も居る。大体、シルバーであるが、若い人は、携帯で写真を撮っている。
   先日の大雪の時は、千載一隅のシャッターチャンスを求めて多くの写真家が早朝から詰め掛けたと言う。

   牡丹色と言うように赤系統の牡丹が多いが、中に豪華な真っ白の大輪の牡丹が咲いている。この世の花の大部分は白と黄色だと言われているが、牡丹は真紅から薄いピンクまで、それに、多少、白と赤の入り混じってはいるが、やはり、大半は赤である。
   中に、黄色の花が咲いているが、名前はハイヌーン、アメリカ帰りの花だと言う。
   ツバキなど、相当、欧米で改良されているが、牡丹は中国の花、まだ欧米での人気はそれほどでもないのか新種改良花が少ないようだ。
   しかし、牡丹は派手で豪華で薔薇に良く似ていて欧米人好みなので、早晩人気が出て、黒や青色の牡丹の花を作出するのももうすぐかも知れない。

   ここで、何時も、床机に座って甘酒を飲むのだが、寒かったので、コーヒーまで飲んでしまった。
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日本経済の復活は本物・・・榊原英資氏の世界経済展望

2006年02月08日 | 政治・経済・社会
   昨日、読売ホールで榊原英資氏の「今年の世界経済と日本」と言う演題の講演を聞いた。
   昨年12月10日に書いたブログとほぼ同じ内容の講演なので、少し毛色の変わったところについて記録コメントして置きたい。
   今回、グリーンスパンからバーナンキに変わったので、その辺の事情を聞きたかったが、金利を更に上げて5%くらいまでは行くかも知れないが、その場合はドル高、しかし、金利の予測困難でバーナンキの金利政策次第で国際経済は動く、と言う程度のコメントで終わった。
   少し以前に、丁度円高で100円近辺まで行った時に、講演会で更に円高を予測していたが、全く当たらなかったし、ミスター円と言っても、為替の予測は当たらないと言っているし、彼の予測も大体外れるので信用していない。

   時節柄、六本木ヒルズ・バブルへの批難は熾烈を極め、何も実体のないホリエモンのライブドアに対しては、犯罪組織であり世間が早く気づかなかったのが問題だと言う。
   時価総額至上主義、株主資本主義の欠陥は、あのエンロン、ワールドコム事件で証明済み、それに、楽天もそうだが、敵対的買収など成功した例がないと厳しく批判する。
   会社は誰のものかと言う議論で、年金基金等が強力に株主主権を言っていたが、最近は総てのステイクホールダーが重要だと言う常識的な考え方になってきた。
   ライブドアなど、監査法人と癒着していたが、コーポレートガバナンスの欠如も甚だしく、経営者の倫理観の重要性を問われると言う。

   社会が、インターネットとITを混同しているのが問題で、インターネット企業は、ソフトバンク、楽天、ライブドア等で、バランスを見れば分かるがこれがバブルだと言う。
IT企業は、IBM,NTT,NEC等であるが、ソフトであろうとハードであろうと立派に社会に貢献するモノを生産していて実態が伴っている。
   読売ホールだからゴマをする訳ではないが、ライブドアが、野球に参入しようとした時に、拒否したナベツネが正しかったのだと言う。

   敵対的買収に失敗する理由は、一時のアメリカの場合と違うが、今の企業の財産は暖簾やブランド、知的ノウハウ、技術、データベース等々属人的な要素が強くなっていて、この人的資産が買収によって流出すれば、元も子もなくなる。
   人を大切にする日本経営は不滅であることを、アベグレンが「新日本の経営」で強調しているが、会社は、優秀なプロフェッショナル、テクノクラートそして有能な経営者で支えられていることを示したかったのであろう。
   このプロの知的労働者、テクノクラートが企業を支える重要な資産であり、これ等が経済社会を動かす中枢である事を、もう何十年も前から、ガルブレイスもドラッカーも、そして、アルビン・トフラーも言い続けていた。

   ところで、実体のあるM&Aは必要で、銀行、鉄鋼、セメント等々企業の再編成が進んで、日本の経済再生に貢献していると言う。

   日本経済については、収益性が高くなり健全化していて完全復活であり、21世紀は日本の世紀であるとぶち上げている。
   株式市場もバブルではなく、日経平均が1,8~2万円には十分行くと言う。

   日本経済の今後は、外部環境の変化に大きく左右されると言う。
   現在、世界には2つの過剰がある。
   一つは、アメリカの過剰消費で、住宅バブルの為に、それを担保に借金して消費しているが、このバブルが崩壊すると貯蓄率が上がり大幅に消費が縮小するので経済が悪化する。
今年の年初か年央に起こると思われていたが、伸びているだけで時間の問題である。
   もう一つは、中国の過剰設備投資で、鉄鋼など限度を越えている。
中国は、いまだ原始的資本主義の段階にありダイナミックだが、デフレの可能性があり、成長率の鈍化も考えられる。

   今後の大きな問題は、石油価格高騰に顕著に現れているようにエネルギー問題である。  
   日本は水力・原発等に電力をシフトしかつエネルギー効率も高いが、アメリカも中国もエネルギー資源確保に狂奔している。
   資源大国、ロシア、ブラジル、南ア連邦等の帰趨が重要になってくるであろう。

   世界経済は比較的好調に行くであろうが、その趨勢についてはこれ等の不確定要因を考慮する必要があろう。 
   日銀は早晩、金融緩和策を変更するであろう。

   日本経済は、ファンダメンタルは健全で成長軌道に乗ったので、後は外部環境次第、そんなところが榊原先生の結論であろうか。
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チューリップやシクラメンの故郷イスラエル・・・花を訪ねる平山郁夫

2006年02月07日 | 海外生活と旅
   今日、BS『世界・わが心の旅「イスラエル””約束の地”に花咲いて」』で、画家平山郁夫さんの花行脚を放映していた。
   全部は見られなかったが、野生のシクラメンの花に囲まれて、地中海の風に吹かれながら、静かに花を写生されていた。
   自然の摂理を描きたいと言う。
   人々をバブルに狂奔させたチューリップもこの地中海の産で、白い小さな原種のチューリップが大地に咲いているのが映っていたが、オランダ人があんなに豪華な花に変えてしまって、自分達の国花にまでしてしまった。

   このパレスチナの地は、戦争の火薬庫であるが、ここで、ユダヤ教とキリスト教が生まれ、永い間のイスラムの支配の中に、20世紀にユダヤ人の国イスラエルが建国された。
   映画「栄光への脱出」を思い出す。

   ヨーロッパに8年間も居ながら、行きたかったがとうとうイスラエルには行かずじまいであった。
   ヒースローやスキポール空港でのイスラエル行きの飛行機の出国チェックは厳しさを極めていて、紛争など発生すると自動小銃を持って武装した兵士が立って居たりした。

   シュンペーターもドラッカーも、バーンスティンもオーマンディも、アインシュタインも、とにかく、偉大な人の多くはほとんどユダヤ人、ノーベル賞学者の3分の1以上はユダヤ人だと聞くが、素晴しい人材を輩出する民族である。
   イスラエルは、私には遠い国ではあるが、ささやかながら、私にも何人かのユダヤ人の思い出がある。

   ウォートン・スクールの院生の時、同じ課題を共同で研究していたジェイコブス・メンデルスゾーンは、私を、過ぎ越しのお祝いの日に、自宅へ招待してくれた。フィラデルフィアから車で2時間ほど田舎道を走った。
   あのソロモンのパス・オーバーの記念日だと思うが、当日、親族の男達が集まって、当時の貧しい同じ食べ物を食べながら経典を輪読する。
   何故か、私も呼ばれて、みんなと同じに長方形のテーブルについて、あの帽子を被って輪読に加わった。
   英語なので読めたが、ヘブライ語の固有名詞になると詰まって読めない。適当に発音して読んだら、隣の少年がクスリと笑ったのを覚えている。

   印象に残っているのは、ジェイコブスの部屋に入って見せてもらった家系図ツリーである。
   額に入った大きな楠木のような絵であったが、祖先から男系の子孫までビッシリと名前が書いてあった。
   端の方のJayと言う名前をさしてこれが自分だと言った。
   ここがアメリカ、ここがソ連、ここがイギリス、と言いながら、国別に親族の分布を説明してくれたが、真ん中に歪にちじれて切れてかたまっているところに来ると、ナチにやられたんだと顔を曇らせた。
   私は、ユダヤ人の結束の強さとナチに対する憎しみが尋常でないことを知って苦しかった。
   今でも飄々としてキャンパスを歩いていたJayを思い出す。音楽の才はあったのかどうか聞くのを忘れた。

   フィラデルフィアのインターナショナル・ハウスに住んでいた時、同じフロワーに住んでいたユダヤ人の医者が、私の部屋に来て、今日はエレベーターを使えない日なので、階段を駆け上がるまで上で非常ドアーを開けておいてくれと頼んできたことがある。
   治安が悪いので、常時、非常ドアは階段から部屋には入れないようになっていたのだが、この文明の世の中に、変な民族だと思ったことがある。

   名前は失念したが、アメリカの実業家ユダヤ人とブダペスト行きの飛行機で知り合った。少し、オープンになりかけていたが、ハンガリーも、まだ、鉄のカーテンの彼方でベルリンの壁崩壊前であった。
   初めてでビザがなかったので入管の手続きを助けてくれた。
   2~3日の内に連絡するので会おうと言って分かれた。
   気にしていなかったが、連絡して夜ホテルに来てくれた。食事の後、ナイトクラブに案内してくれて、ハンガリー事情を丁寧に教えてくれた。
   民族色を少し感じる綺麗な素晴しいショーをしていて、共産社会の裏を垣間見た気がした。
   お礼をしなければ思ってそう言ったが、わが祖国ハンガリーを愛してくれたらそれで良いと言って帰って行った。

   ダボスのフォーラムの別セミナーがアテネで開かれた時、オーストラリアの実業家ユダヤ人アブラハム氏と隣り合わせた。
   オーストラリアにはギリシャ移民が多いのだと言っていた。
   夜、彼のアテネのマンションでパーティーをやるので来いと招待を受けた。
   行ってみると、アテネ駐在オーストラリア大使など沢山の人が集まっていて、楽しそうに談笑していた。
   あのオナシスもマリア・カラスもギリシャ移民、何処に行こうと故郷を思う気持ちと民族の結束は強い。

   翌日、バスに乗ってデルフィに向かったが、ギリシャの大地は、イスラエルのように乾燥地帯で、平山画伯のイスラエルと良く似ている。
   廃墟に真っ赤な芥子の花が咲き乱れていて、何とも言えないほど旅情を誘う。
   殆ど人の居ないアポロン神殿で長い時間を過ごしたが、気の遠くなるほど静かで、ここで神の神託が行われたのかと思うと感無量だったが、何故か、真っ赤な芥子の花がいまだに瞼にちらついている。
   
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日本のマスコミの国際的関心の欠如

2006年02月06日 | 政治・経済・社会
   今、デンマークに端を発し欧州のメディアに掲載されたイスラムの預言者ムハンマド(マホメット)に対する風刺画が世界中を騒がせている。
   この問題は、1988年に起こったサルマン・ラシュディのやはりマホメットを扱った小説「悪魔の詩」が引き起こしたものと類似しているが、この時は、時のイランの権力者ホメイニ師の死刑宣告が出るなど、イスラム世界の反発を買った。
   キリストをカリカチュアにする欧米文化では風刺で終わるのかもしれないが、敬虔な信者の多いイスラム教の世界では、別問題である。
   某ノーベル賞文学者が言ったが、「預言者やあるいは聖なるものとなされている何ものも侮辱する権利はない」と言うことである。

   ところで、この風刺画事件であるが、今世界の大問題にもなっているイランの原子力に関する査察拒否と核燃料技術の研究再開の動きなども含めてであるが、とにかく、日本の新聞もTVも世界の重要な国際ニュースに対してその扱いが、欧米のメディアと比べて低すぎる。
   海外メディアと言っても、TVはスカパーのCNNとBBC,それに、NHKのBSの世界のニュースから、そして、インターネット版の欧米の新聞からであるが、とにかく、欧米のメディアは、トップかそれでなくても重要ニュースとして大々的に報道し論評している。

   「私の経済効果」を売り物にしているのだから仕方がないとしても、わが日経は、国際面には載せているが、極めてささやかな扱い。
しかし、類似紙のファイナンシアル・タイムズの電子版は写真入のトップページ掲載であり、ウオール・ストリート・ジャーナルは、What's Newsに載せている。
   この重要な国際問題に対する日本のメディアの扱い方の低さについては、長い欧米での生活中にも経験して何時も残念に思っていたことであるが、このことは、日本及び日本人の国際理解と国際感覚の不足に直結している。
   ドラッカーが、日本の企業が一番グローバル化が遅れていると書いていたが、このことにも一脈あい通じている。

   日本のTVのニュースは、NHKも勿論だが、些細な事も含めて国内ニュースの比重が高すぎる。
   交通事故や盗難、火事情報が悪いわけではないが、世界には、地球の運命や人類の将来を左右しかねない国際問題や事件が充満しているのに、それらを殆ど無視して「何処何処の良い子達は、・・・」と言ったどうでも良いニュースを流し続けている。

   一般の全国ベースのTVや新聞、雑誌を、欧米のカウンターパートと比較の為に、夫々のインターネットから引き出せば分かるが、国際ニュースの扱い以外にも内容や程度の差が歴然としている。
   国際感覚については、アメリカは人種の坩堝であり、ヨーロッパは国境を接した多くの小国が人種、民族、言語、風俗習慣等入り組んで存在しているから、と言った要因があるかも知れないが、もっと重要なことは、自分達がグローバル化されたこの地球の上に同じ利害を共有しながら生きていると言う自覚の違いであろうと思う。
   
   日本人は最近海外旅行など結構海外に出かけているが、日本人が学会でも或いは多くの国際的な桧舞台で活躍できないのは、まず第一に英語力の不足であろう。
   昔から、読み書きそろばん、と言う。
   私は、今でもこの基本を叩き込む教育の基本は正しいと思っているが、それなら、避けて通れない英語力の涵養の為に、義務教育期間中と言うと短いかもしれないが、少なくとも大学卒業生には、総て英語を話せる実力を身につけさせることを教育の基本方針とすればどうであろうか。
   どうせ英語は手段と言う人がいるかも知れないが、手段なら手段で、それから自分の勉強なり仕事を発展させて行けば良いのである。
   
   それから、沈黙は金、などと言う教育をやめること。

   その前に、日本のジャーナリストや記者のレベルアップが緊急で、外国記者の後ばかりを追っかける取材を止めて自分の足で歩けるようになることである。
   ジャーナリストや記者は、最高の知識人であり極めてプレスティージの高いプロフェッショナルなのであるから、それだけの使命と十字架を背負っているのである。
   とにかく、日本のメディアの質を上げない限りグローバル社会に対応出来ないと思う。
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鳳凰堂の御仏・・・私の仏の美100選

2006年02月05日 | 生活随想・趣味
   昨日と今日、NHKハイビジョンで、「うるわしのアジア 仏の美100選」が放映されていた。これまで何度かBSでも放送されていたが、ヴィデオにも録っていて、放送は飛び飛びに見ている。
   残念ながら、海外の仏はタイだけだが、日本の国宝の仏像は殆ど見て回ったので、とにかく、どの御仏も懐かしい。
   万博が終わった頃に東京に移ったのだが、それまでは関西で生活しており、奈良や京都を中心に、それに滋賀、大坂、和歌山等古社寺を精力的に回った。
   地方の古社寺や博物館は、旅行や出張の途中に暇を見て歩いた。

   和辻哲郎の「古寺巡礼」や亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」等を読んで触発されて、分かったような顔をして歴史散歩を楽しんでいたのだが、少しづつ引き込まれてしまって、趣味になってしまった。
   その趣味が高じて、海外に出るようになってからは、美術館や博物館は勿論、寺院や宮殿などの歴史的建物や歴史遺産、遺跡等、歴史と芸術の美を求めて暇にまかせて歩いた。

   記憶に残っている私が最初に見た御仏は、奈良の大仏で、小学生の遠足の時で、鼻の穴の大きさと同じだと言う柱の穴を潜り抜けたのを覚えている。
鼻の穴は丸いのに何故柱の穴は正方形なのか、何処が大きさが同じなのか、と変なことを考えていた。

   好きな仏、思い出深い仏など数々あるけれど、私にとって一番身近な御仏は、宇治・平等院の鳳凰堂の阿弥陀如来坐像である。
   京大に入ると、当時一回生は、黄檗山万福寺の側にある宇治分校に通うことになっていて、自宅から遠くて通えなかったので、宇治駅の前の茶問屋に下宿した。
   下宿から京阪電車で二駅だったが、宇治川を渡って自転車で学校に通った。

   宇治川の堤や中洲は、私の散歩道であった。
   宇治橋を東に折れると南側の川岸に沿って平等院があり、木立の間から、鳳凰堂の正面が見える。
   庶民の為にと空けられた丸窓から阿弥陀如来が覗いていて、お顔が良く見えた。
   天気が良くて気持ちがよく、観光客が少なくなった夕方などを見計らって、平等院の中を散策したり、鳳凰堂に上がって阿弥陀様を仰ぐことが多かった。
   少し西に行き醍醐の三宝院に向かう途中に、日野の法界寺があり、ここにもやはり国宝の阿弥陀如来坐像があり、平等院の阿弥陀様に兄弟のように良く似ている。あの頃、田舎道を歩いて訪れる客は殆ど居なかった。

   今でも全く同じだが、川岸が少し高くなっていて、鳳凰堂とその前の池が下にあるのだけれど、岸辺に桜や紅葉などの雑木が植わっているので、川岸の道路からは平等院全景は良く見えない。
   しかし、この岸辺は、四季の移り変わりには極めて敏感で、春の豪華絢爛たる桜、極彩色の錦に輝く紅葉など、本当に美しくて、その自然の微妙な変化を味わうのが楽しみであった。
   それに、中州の向こう側には水量の多い流れの速い宇治川が流れていて、その向こうの対岸には宇治上神社があり源氏物語の道が続いている。
   琵琶湖から流れ落ちているので、宇治川の流れは非常に速くて、平家物語の宇治川の先陣争いも大変だったと思われる。

   京都の古寺を訪ねると美しい風景画の襖絵を見て感動することがあり、あんな色に山が染まるのかと思って眺めていた。
   しかし、私は、実際に、雨の日も風の日も素晴しい天気の日も、宇治川の畔を歩き続けていて、大和絵に描かれたその多くの素晴しい風景を見た。
   紫色に山が染まるなど信じられなかったが、雨上がりの美しい日に、宇治川の上流の山が、素晴しい紫色に輝くのを見たのである。

   京都も湖の底なので、夏冬の自然の厳しさは格別だが、宇治はもっと夏には暑く、冬には寒い。
   冬など、朝起きると、自分の呼吸の水分で、フトンがパンパンに凍りついて硬くなっていた。
   その自然の厳しさゆえに、秋の紅葉の色など格別に美しいのだが、藤原時代、この宇治は、別荘地で、道長や頼道は浄土にしようとまでした。自然の厳しさより風土の美しさを愛でたのであろうか。
   源氏物語の宇治十帖を読んで、宇治川の畔を歩くと人生観も変わってくる。

   ところで、何故か、宇治の隣の三室戸には行っておらず、黄檗山万福寺にはよく行った。
   このお寺は、隠元禅師の開創で、伽藍も仏像も全く中国風である。
   学生当時は、あまりにも日本のお寺と違うのでビックリしたが、中国に行って彼の地のお寺と見比べると随分大人しく日本的だなあと思ってしまった。
   しかし、私にとっては始めての異国情緒への遭遇であった。

   
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白川・野依・小柴ノーベル賞学者が科学を語る

2006年02月04日 | 政治・経済・社会
   今日、新高輪ホテルで、蔵前高専・東京工大の同窓会の「蔵前工業会創立100周年記念特別シンポジューム」が開催され、白川英樹、野依良治、小柴昌俊の3人のノーベル賞学者と末松安晴元東工大学長による「21世紀の科学のフロントランナーとしてのあるべき姿」と言う演題で討論会が行われた。
   日本の科学と技術の発展と産業界の為に多数の逸材を送り続けた最高学府のシンポジュームで会場の熱気も大変なもので、素晴しい3時間であった。

   マイクの試験中に行われた前座で、健康法はと聞かれて、白川氏は畑仕事、野依氏は仕事、小柴氏は1日11時間の睡眠と出来るだけの散歩、末松氏は出来るだけ歩くことと答えていた。

   この10年の日本社会の科学に対する対応について、
   白川氏は、
基本法によって始めて科学が認知されたが、成果を性急に追い求める傾向が強いが、地道に、しっかり、時間をかけてやるもの。成果ばかりを期待されても困る。
   野依氏は、
産業技術や経済活性化ばかり強調されるが、科学はこれ等の下僕になりさがってはいけない。
科学は、無限に広がった知の創造であり、技術より圧倒的に広大な学問である。
科学の本質・可能性・重要性について真剣に考えるべきである。
   小柴氏は、
日本のニュートリノは世界最高。日本には、世界に誇るべきトップ分野の科学があることを知っておいて欲しい。

   基礎科学については、
   野依氏は、
宇宙の歴史から見れば、人間の存在などささやかなもので、人間が純粋に生きてゆく為には、基礎科学の知識が極めて重要である。
基礎科学の最も重要な点は、自然をより深く理解させてくれることであり、まっとうな自然観は、人間とは何かを、そして、謙虚さを教えてくれ人間が人間らしく生きる糧となる。
   小柴氏は、
応用科学はその先の成果をある程度見通せるが、基礎科学は全く予測がつかない。先が分からないからやるのであって、国家の役割である。
基礎科学は、株取引と同じで、株価の将来を見通せる学問等ない。株で儲ける人は、考えて考えて、ヤマカンの当たりが良いからである。
基礎科学も同じで、その分野でうんと苦労をして考えて考えて、ヤマカンが当れば成功する。
基礎科学の将来など誰も予測など出来ない。
役所は、科学分野の将来などにつき理論に秀でた有名専門家を集めて判定するが、公平な判断など不可能である。
理論屋には、一流と二流があるが、二流は、何でも自分の理論で分かると思っておりこの数が圧倒的に多い。一流は、自分の判断に限界があること意識しているのだが数が少ない。
これ等の集合体の出す結論は推して知るべしである。
   白川氏は、
基礎研究を行っている人は、見返りなど期待していない。
ワトソンの二重螺旋の研究などでも、研究中はこれほど偉大な結果とインパクトを与えるなど本人達は考えてもいなかった筈である。
基礎科学を長い目で見る社会を期待したい。

   何故科学者を目指したのかと聞かれて、
   小柴氏は、非常に興味深い話を始めた。
   中学生で病気入院した時に、先生がアインシュタインの本を持って来てくれたのが科学に目覚めた縁だと巷で言われているが、難しいアインシュタインなど分からなかった。
   旧制高校の時は、ロマンティストでドイツの恋愛小説にウツツを抜かしていたし、ノーベル賞学者の朝永振一郎氏を紹介されて親しく出入りするようになったが酒ばかり飲んでいて物理の話などしたことはなかった。
   理学部に受かり物理を勉強するようになったが好きでもなんでもなかった。
   大学院生の時に、先輩に、乾板に素粒子を写せる技術が出来たと言われてやってみると面白くて、これならやれると思って病みつきになってしまった。
   学問をやるのに一番大切なことは、自分が好きで好きでこれをやりたいと思う自分にピッタリのものを見つけて、頑張る事に尽きる。
   もう面白くなって苦労など一切忘れてしまって没頭できる。
   カミオカンデの発見の時、アメリカでは10倍以上の予算と人材で対応していたが決して負けなかった。
   
   子供達の理科離れについて、
   野依氏は、
学校でもっと真剣に理科教育をすべきである。
しかし、学校の教育だけでは不十分で、本物の自然に触れた教育が大切である。理科は効率主義に馴染まない学科で、ITに頼りすぎだがこれは信頼できない。
   何よりも悪いのは、科学の重要性の認識の欠如で、金さえ出しておけば結果が出ると思っている。
   優れた科学者や技術者に対する尊敬の念が少なく、社会に上手く利用してやろうと言う風潮があり嘆かわしい。
多くの優秀な逸材が海外流出している。
   白川氏も、
教科書の勉強より、実際の実験を行うことが重要である。
素晴しい教育用のビデオが出来て教育に使われているが、実際の自然や実験に接する機会を削ぐので身につかないし、むしろ悪い場合がある、と強調した。
   小柴氏は、自分で主宰する「楽しむ科学教室」などを例に面白い話をした。
   理科が面白くないのは、先生が悪い為で、子供たちに本当に理科が好きで教えている先生がどれだけ居るであろうか。
理科が好きな先生が教えないとダメで、大学院の学生に母校の小中学校で教えさせるのが一番良い。カナダではこれをやっていて、子供の理科嫌いは1人も居ない。
   楽しむ科学教室では、40代くらいでその分野の権威の現役の先生に来てもらって子供たちに教えているが、専門分野の科学を質と程度を落とさずに丁寧に教えることを条件にしているが、この授業が人気抜群でNHKで放映されている。

   印象的だったのは、小柴氏は勿論、白川氏も野依氏も、学生に、挫折や苦しんだことがありますかと聞かれて、全くそんなことはなかった、楽しくて楽しくてしかたなっかと言った口ぶりであったことである。

   最後に、末松氏が、
科学や技術も大切だが、より良い人間社会を築いて行く為には、もっと、芸術や社会科学など、人間のあり方や幸せに生きると言うことを考えている分野との総合や融合が大切ではないかと極めて重要な提議をしていたのが印象的であった。
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国際水準の革新に挑戦する大学・・・21世紀COEプログラム

2006年02月03日 | 政治・経済・社会
   本日、経団連ホールで、北海道大学と九州大学共催で、「北と南から、日本が変わる、世界が見える」と言う21世紀COEプログラム活動報告会が行われた。
   遠山敦子元文部大臣や吉川弘之元東大総長など関係者でのパネルディスカッション「日本の大学はどうあるべきか?」を挟んで、中村睦夫北大総長と梶山千里九大総長から大学の未来を志向した戦略戦術等が語られ、両大学から21世紀COEプロジェクトの使命や進行状況について熱っぽく報告されるなど極めて密度の高いシンポジュームが展開された。

   最大の成果は、各大学で平成14年度から進行している21世紀プログラムの日本の大学に与えた大きなインパクトであろう。
   平成13年6月の「大学の構造改革の方針」に基づき、平成14年から文部科学省に新規事業として「研究拠点形成費補助金」が措置され、世界トップレベルの大学と伍して教育及び研究活動を行って行く為に、毎年、多くの大学から応募されたプロジェクトを選考してCOEプログラムとして補助金を交付し助成している。
   世界最高水準の研究教育拠点を形成し、研究水準の向上と世界をリードする創造的な人材育成を図るため、重点的な支援を行い、国際競争力ののある個性輝く大学作りを推進するこの21世紀COEプログラム、Center of Excellennce(COE)とは云い得て妙である。
   このプログラムが、国立大学の独立行政法人化とイノベーション志向のベンチャービジネス活性化の世の風潮と呼応して、今まで眠っていた大学に知の集積拠点としての自覚と革新への息吹に火を点けて始動させ始めたのである。

   例えば、今回報告された
   北大の「海洋生命統御による食料生産による革新」では、地上生物による食料生産では高々90億人の人口しか地球上では養えないので、無限の可能性のある海を開拓漁場にして、食料安全保障プロジェクトを推進すると言う。
ニジマスや金魚にウナギを産ませて汚染や伝染病フリーの安全な食料を提供すると言うのである。
   Boys. Be Ambitious! クラーク先生の意志が生きている北大、「スラブ・ユーラシア学の構築」は、ベーリング海を越えて、ロシアから東欧を見据えた壮大なプロジェクトで、世界の研究拠点として認知されていると言う。

   東京より中国・アジアに開いた九大では、アジア人のための学問、例えば、モンゴロイドに効く薬の開発など、アジアの大学の中心拠点、知の集積拠点を目指している。
   「水素利用機械システムの統合技術」は、「地球温暖化」や「化石燃料の枯渇」を見越した明日のエネルギー開発と機械化へのプロジェクト。
   「大規模コホートに基づく生活習慣病研究教育」では、生活習慣病の発症機構と治療法の開発の為に、エビデンスを集積する目的で、長期に及ぶ多数の集団の臨床データとゲノムデータの蓄積と解析、即ち、臨床ゲノム疫学的研究を続けている。

   午後から、更に、北大九大とも各々2プロジェクト報告があり、両大学の副学長から、研究戦略が説明され、両大学OB代表から期待が述べられた。

   明日は、東京工大、来週は東大。大学発信のオープン講座が多くなった。
   わが母校京都大学の経済学部からもCOE報告会の案内が来た。
   早稲田には、もう、何回もCOE報告会の聴講に出かけている。
   とにかく、日本の大学が動き始めたのである。

   ブッシュ大統領も、年頭教書で、基礎科学・先端科学の研究を重視し、数学・科学教育を更に強化することによってイノベーションを志向した強いアメリカを作るのだと宣言している。  
   アメリカには、巨大な軍隊があって膨大な国家予算をつぎ込んで戦略兵器を開発すると同時に、最先端の科学技術を開発して民間に移譲している。
   それに、産軍共同体、その協力体制は強く、アメリカの先端科学開発の能力は桁外れに強い。

   どうするのか、日本。
   21世紀COEプログラムは、せめてもの進展。
   出る杭を打つ文化の日本、長所を伸ばす文化のアメリカと言われて20年とか。坂村健教授は、唯一十分な開発予算を使えたNTTが分割されて弱体化して技術開発力を削いでしまったと言う。 
   豊かな文化の開発も、最先端技術の開発も、膨大な富の蓄積と投入が必要であったことを歴史が教えているのだが。
   
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ブッシュ大統領「一般教書演説」・・・石油問題の帰趨

2006年02月02日 | 政治・経済・社会
   ブッシュ大統領の一般教書演説のCNNの実況放送を見られなかったので、BBCのホーム・ページからビデオ番組を引き出して聞いた。
   始めて、全演説を聴いたのだが、約一時間の長丁場で、結構面白かったが、お祭り騒ぎと言うべきか、どうでも良いような所で、聴衆が立ち上がって長い間拍手を続けるのには、違和感を感じた。
   今回は、画面が小さいので分からなかったが、大統領の演説に賛成でない場合や反対派の反応は、全くしらけきっていているのを知っているので気にはならなかったが、知らない人は、アメリカ人の熱狂的な反応だけが強調されることになる。

   ところで、何時ものマスコミの報道だが、やはり、日本の報道は、バイアスがかかり過ぎている。
   まず、日経のタイトル「米、競争力維持に危機感」「中印台頭 80年代の対日と共通」等とぶち上げて、あたかもアメリカが、自国の経済競争力が落ちて中印の経済台頭に脅威を感じているような書き方だが、ブッシュの演説には、そんな危機意識は殆ど感じられない。

   演説の後半を殆ど割いて、アメリカ経済の競争力の維持(Keeping America competitive)に関する政策等に傾注して、the American Competitive Initiative(アメリカ経済競争主導構想と言うべきか)を高らかに歌い上げている。
   その中で、中国とインドに言及しているのは一箇所だけ。
   「米国経済は、抜群、しかし、悦に入っては居られない。ダイナミックな世界経済においては、中国やインドのような新しい競争相手が出てきている。
そして、これが、不安定要因を引き起こしていて、人々に恐怖感を一層与え安くしている。」と言及しているが、自国での保護貿易主義の台頭を警告しているのである。

   ブッシュ大統領が、米国経済の競争力強化構想で言及しているのは、経済成長の持続、自由貿易主義、財政の健全化、移民政策、ヘルスケア、エネルギー、基礎・先端技術開発、イノベーション強化政策、数学・科学教育の強化等々である。
   アメリカが競争相手だと思っているのは、現在は存在しないが、あるとすればそれはあくまで日本とヨーロッパで、中国やインドは、発展途上のヒンターランドとしか思っていないはずである。

   さて、問題点の一つは、「石油中毒」アメリカに、ブッシュ大統領が提言した石油削減・代替エネルギー源確保等のエネルギー政策である。
   英国のインディペンデント紙は、石油資源の保護や京都議定書に言及せずに、米国のエネルギー問題と世界的な地球温暖化に対する解決策を、一人当たりのエネルギー消費量の削減ではなく、代替エネルギーへの技術開発で賄おうと主張するなど、全く、グリーン政策から程遠いと批判している。
   豊かなアメリカ、それに、石油業界との癒着を絶えず噂され、大企業優遇政策を遂行するブッシュ政権には、化石燃料消費削減により環境破壊から地球を守るなどと言う選択肢はもとよりないと言いたげである。
   また、中東からの石油の輸入を75%削減と言っているが、現実には、ベネズエラ、カナダ、ナイジェリア等からの輸入が多くて、中東からの輸入はたったの5分の1であり、その75%など僅かで意味がないと言っている。

   面白いのは、サンパウロ特派員からのタイムズ紙の「自動車がサトウキビで走っているのにガソリンが何故必要なのか」と言う記事で、ブッシュ大統領が勉強したければブラジルを見たらと揶揄している。
   経済成長の端緒につきかけたブラジルが、石油危機に煽られて大変な経済危機に陥ったのはもう何十年も前のことであるが、苦境を克服する為に、1970年代から、アルコールで走る自動車を開発してきた。
私が20年近く前に行った時には、アルコール燃料のタクシーが走っていた。

   サトウキビから精製するエタノールが、ガソリンの代替品、そのアルコールであるが、いくらでも再生産可能であり、第一にクリーンで、スモッグは出さないし、エンジンに優しく、メインテナンスも要らない、それに、石油より安いときていて良いところばかりである。
   現在は、10台の内7台の車は、ガソリンとエタノールを両方使用できるflex-fuel カー、謂わばハイブリッド・カーの模様であり、車に内蔵のコンピューターが最適制御をしている。スタンドで売られているレギュラーは、ガソール(gasohol)で、エタノール25%までの混合物だと言う。
   最近、需要が逼迫してきてコストが上がってきているようだが、トウモロコシ、甜菜、木屑、草、オーガニック廃棄物等から生産する等、2013年には生産量を倍増する。
   どうせ、ハイブリッドカーで日本の自動車会社に先を越されたのであるから、エタノールの開発については、ブッシュ大統領もブラジルから技術導入したらどうであろうか。

   ところで、今日のニューヨークタイムズの電子版では、ブッシュ大統領の「石油中毒」演説に、内外から不協和音が起こっていると伝えている。
   サウジアラビアが、どうしてくれる!と噛み付いた。国内では、そんなこと不可能だとの反論、お祭り騒ぎの打ち上げ騒ぎが、波紋を広げていて面白い。

  
   
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コーポレート・ガバナンスと社外取締役・・・そして遵法・CSR

2006年02月01日 | 経営・ビジネス
   本日の日経BPからの電子メールに「カメラ撤退のコニカミノルタ、社外取締役が社内の「未練」断ち切る」と言う記事があった。
   昨日のブログで、同社のカメラ・フィルム撤退は遅きに失したと書いたので、今回の商法改正に従って、コニカとミノルタが合併した時点で、委員会制度を導入した会社である事もあって、一層興味深く読んだ。

   9月期の中間決算発表時点では、複写機等企業向けの事業に集中、時間をかけてカメラ事業を縮小すると言うソフトランディングの選択肢があったようだが、4人の社外取締役の説得によって一挙にカメラとフィルム事業から完全撤退と言うハードランディングに決したと言う。
発表が遅れたのは、社内取締役への説得に時間を要し、一眼レフ譲渡に対するソニーの回答が遅れたかららしい。
   フィルムの小西六であり、カメラのミノルタであり、本業の本業たるコア事業からの撤退であるから、複雑な社内事情は良く分かるが、あのIBMさえパソコン事業を中国企業に売り払ってしまう時代であり、命運の尽きた本業に固守したばかりに消えていった企業も沢山ある。

   島津、コマツ、ダイキン、明治乳業のトップ経験者の社外取締役であるから、製造業における衰退事業の末路については知りすぎるほど知っていたのであろう、委員会制度を形だけ導入した企業が多い中で、コニカミノルタは、しっかりとコーポレートガバナンスが機能したのである。
   昨年、ソニーの役員交代も社外取締役の先導だと聞くが、この時も、アメリカ型の経営組織における日本的なコーポレートガバナンスの現われだと思った。

   ところで、コニカミノルタで面白いのは、後継社長の指名について社外と社内の取締役で見解が分かれていると言うことである。
   会社側は、社外取締役が過半数を占める指名委員会で、後継社長を決めて欲しいと望んだが、社外取締役は、指名委員会は、役員候補を指名するだけであり、後継社長の指名は断ったと言う。

   会社法第404条①に、指名委員会は、株主総会に提出する取締役の選任及び解任に関する議案の内容を決定する。と書いてある。
   後継社長、即ち、代表執行役は、第420条①において、取締役会は、執行役の中から代表執行役を選任しなければならない。としており、第416条の委員会設置会社の取締役の権限 七において、代表執行役の選定及び解職を記している。
   従って、社長の決定は、取締役会で行われるべきが法の建前であるが、実際は、指名委員会で内定されると言うこともあると言うことであろうか。
   社長ぐらいは自分達で決めろと言うコニカミノルタの社外取締役も面白い。

   ところで、参考にしたアメリカの委員会制度を導入した商法改正が始動し始めた時期に、アメリカでエンロンやワールドコムの事件が起こって、アメリカの社外取締役制度が有名無実で、機能していないことが暴露されてしまったのであるが、最近は、法律をいくら変えても企業の不祥事は後を絶たなくなってしまった。

   最近でも、姉歯耐震強度偽装事件、ライブドア関連の証取法違反事件、防衛施設庁に絡む談合事件等々、とにかく、人気絶頂であった小泉内閣の屋台骨を揺すぶり始めて、外交問題が更に悪化すると、上向きかけた景気も心配になってくる。

   もう一度、会社のコーポレート・ガバナンスを考えてみよう。
   定義が極めて難しいが、英国のキャドベリー委員会は、「コーポレート・ガバナンスとは、企業を取り締まり、統治する仕組み」だとしている。
   どちらかと言うと、経営そのものよりは、方針決定(取締役会)と統治(株主)とについて言及しているようだが、チャーカム氏などは、「株主の力と責任」の中で、
「優良企業とは、経営も良く、方針決定も優れ、株主の統治も効いている。実のところ、良いコーポレート・ガバナンスのなかには、有能な経営陣を確保することも含まれる。最近目につく経営陣の失敗は、制御機能や管理機能の弱さに起因するものが多い。」言っている。
   
   それから、同様に重要なのは、コンプライアンス・遵法とCSR・企業の社会的責任の重視であろう。
   最近、古い日本の家訓や社是などを引用して、商業道徳、或いは、企業人のあるべき姿等が論じられることが多くなったが、企業倫理の退廃の問題も大きい。
   司法制度の不備は、本来は企業倫理で補うべきを、法の抜け穴ばかり追求してその空隙を衝いて利益を得ようとする会社の輩出、例えば、東横インの検査後に違法な改装を繰り返す全社ぐるみの違法行為など、コーポレート・ガバナンスは問題外で、コンプライアンスもCSRの精神など微塵も感じられない。
   社長がイミジクも言っていたが、制限速度60キロの所を、67~8キロで走っていても良いかなと思ったと言う考え方は、法律の遵守とその違反を、交通違反のようにしか考えていない現在の日本社会の風潮に問題がある。
   その考え方の中には、誰もが大なり小なり同じ事をやっていて、見つからなければ良くて、見つかった人間は運が悪いのだと言う発想がある。
   独禁法の改正で、違反の場合の課徴金が高すぎるといって値切る経済団体がある国だから、法化社会には程遠いのかもしれない。

   今度経団連の会長に就任するキヤノンの御手洗社長は、日本的な経営を重視し、コーポレートガバナンスの比較などナンセンスだと言っている。
   コーポレート・ガバナンスは、国と時代によって刻々と変化する。
   その制度を育んできた国の、社会・経済・法制・政治的背景に照らして最適なものを打ち立てることが最も大切であり、あのアベグレンも日本的なコーポレート・ガバナンスの構築を提言している。

   もう一つ、会社法は、プロの経営者による会社経営を期待している。
   プロの資格のない経営者によるコーポレート・ガバナンスが行われている所に問題がある、そう思っているのだが如何であろうか。

   

   
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