熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

芸術祭十月大歌舞伎・・・義経千本桜

2009年10月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   夜の部は、「義経千本桜」の、平知盛を主役にした「渡海屋」と「大物浦」、それに、狐忠信を主役にした「吉野山」と「川連法眼館」で、夫々、吉右衛門と菊五郎が得意中の得意の芸を披露する芸術祭に相応しい演目である。
   義経を狂言回しに使った歌舞伎であるので、義経一代記ではないのだが、頼朝に追われて、大物浦から西海に逃れようとしたことと、その後これが叶わず、奥州に逃れる途中に、吉野を経由したことは事実なので、これが、今回の芝居の舞台設定となっている。

   実際には、壇ノ浦で入水して崩御した安徳天皇と、同じく入水自殺した知盛が、生きていて登場して、仇である義経を討とうとする発想や、静御前の供をして、狐が静を、吉野に隠れている義経のところへ、送り届けようとするストーリー展開が、ユニークで面白い。
   特に、後者の狐が、静が義経より預かって持ち歩いている初音の鼓が1000年生きた狐の皮で出来ていて、その皮になった親狐恋しさに、義経の重臣佐藤忠信に化けて、付きつ離つ付いて行くと言う動物譚が、家族愛に恵まれなかった義経の人生とオーバーラップしてほろっとさせる。
   
   この子狐の実に切なく遣る瀬無い思いを、体全身で表現して観客の胸を打つ菊五郎の熱演は感動的である。
   特に、鼓を頬に近づけて嬉しそうに夢見るような表情は絶品で、勘三郎のように、天井の欄間から飛び降りるようなケレンミは、ないが、鼓を抱えて仰け反ったり、足が悪いにも拘わらず高い舞台から地面に一気に飛び降りる仕種など衰えておらず、観客に拍手を浴びていた。
   川連法眼館へ、本物の忠信として登場する威厳正した凛々しい、一寸の隙もない武将姿の立ち居振る舞いが素晴らしいので、狐忠信の健気さ遣る瀬無さが、余計に引き立って胸を打つ。
   狐だと告白した後、忠信に迷惑をかけたので、里に帰れと親狐に諭されたので帰るのだと静に別れを告げながら、その悲しさ断腸の悲痛に耐え切れず、手を激しく摺り合せながら地面をのたうって号泣する仕種など、人生の機微の奥深さを感じさせて切なく胸に迫る。

 その前の「吉野山」は、謂わば、静と狐忠信との吉野への道行きで、バックの絢爛豪華、全山桜の春爛漫の歌舞伎ならではの極彩色の舞台で、美しい菊之助の静と軽妙な出で立ちの菊五郎・忠信の華やかな舞台が展開される。
   夫婦でもない、恋人でもない、単なる主従の吉野への道行きなのだが、美しいカップルの如何様にも観客の思い次第で取れる綺麗なシーンで、そこは、義経千本桜であるから、忠信が屋島の合戦で兄継信の死を舞踊で演じるなどサービス精神もあって面白い。
   こんな美しいシーンに、何故と思わせるコミカルなシーンが、静に一物ある逸見藤太(松緑)の家来を引き連れての登場で、「待て、待て、待て」と花道を行きつ戻りつするシーンで、仁左衛門も良いが、いたずら小僧風で間の抜けた調子の松緑も良い味を出していて上手い。
   この非常にリズミカルで調子の良いコミカルなシーンは、川連法眼館の最後の場面でも登場し、狐忠信が、攻め来る横川覚範と衆徒を、狐の秘術で懲らしめる所など、ウキウキ気分で幕切れを迎えさせる粋な演出であり、非常にモダンであり面白い。

   さて、前半の吉右衛門の知盛の舞台だが、JRの信号事故で遅れて、「渡海屋」の前半を見過ごして、義経の退場場面からで、女房お柳の玉三郎の長台詞の妙を楽しませては貰ったが、やはり、吉右衛門の銀平をミスったので印象が少し変わってくる。
   この舞台設定では、死んだ筈の知盛が生きていて尼崎で船問屋を開業していて義経を討つと言う設定も奇抜すぎるのだが、平家きっての勇将知盛への亡霊伝説や庶民の希いが、安徳帝と知盛を蘇らせたのであろうか。

   次の「大物浦」の場で、義経を大嵐の日に船出させて討伐を試みるのだが、知盛は、失敗して、義経が安徳帝を守護すると言うのを確認して、碇を体に巻きつけて大物浦に入水する。
   しかし、前の「渡海屋」の場で、宿泊中の弁慶(段四郎)が、寝ている銀平の娘お安をまたいだら足がしびれたと言うシーンで、義経方には、お安が安徳帝であることが知れており、銀平の素性も割れてしまっているので、既に勝敗が着いている。
   このあたりを知らなくて、さらりと見てしまうと、用意周到で地の利を得ている知盛が、何故、簡単に負けてしまうのか不思議に思うこととなる。

   一般的な評論に、義経役者に品格が要求されるとしているが、私見ながら、これは判官びいきの見解で、私自身は、義経が、壇ノ浦の戦いで、絶対にやってはならない敵方の船の漕ぎ手や船頭、婦女子など射てはならない人々を、情け容赦なく射抜くなど禁じ手を、勝つ為には平気で使うなど、平家との戦いにおいて、あっちこっちで条規を逸した戦略戦術を使っているので、許せないと思っているし、舞台上はともかくも、品格など必要ないと思っている。
   従って、知盛が、清盛の悪行の因果が報いて今日があるのだと言った表現をしているが、平家びいきの元関西人の私には、何故、今際の際で吐露しなければならないのか解せない。

   いずれにしろ、これは私の戯言で、吉右衛門の勇壮かつ剛毅な知盛と風格と気品のある典侍の局の玉三郎、凛とした義経の富十郎などの名優の冴えた芸の感動は特筆すべきだと思っている。
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