先日、日経ホールで、安藤忠雄氏の「魅力づくり――10年後のTOKYO」と言うタイトルの講演を聴いた。
安藤さんの講演は、よく聴くので、その度毎に、直近の話題や新しい展開を期待しており、同じ話でも、そのバリエーションと思考の発展がユニークで教えられることが多い。
元ボクサーと言う激しい世界から転進して、世界有数の建築家として名声を博すと言う常人では考えられないような経歴の持ち主だが、高卒後、必死になって東大と京大の建築学科のテキストを読んで独学し、その後、建築のみならず違った分野の本をも小脇に抱えて世界中を歩き回ったと言う話を聞いて、学ぶために師をどのように選ぶかの差であり、これこそ、本当の学問であって、決して、世に言われているように、「独学」ではないと思った。
安藤さんの、日本人離れしたスケールの大きな、謂わば、地球そのもの、自然そのものと対話をし続けながら発想するような、限りなく豊かでシャープな感性や美意識などは、既製の教育では、逆立ちしても生まれ得ない筈である。
宿や道中で本を読み耽っては、その歴史的な人類の文化遺産たる建築物を具に観察し、本物に真剣勝負で対峙しながら、更に新しい発見のために次へと旅を続ける・・・そんな修行の旅を何年も続けながら、必死になって建築学を勉強し続けたのだと言う。
学んだものは、はるか異郷の地で、異文化と異文明の間で交錯する空気感も人情の機微も、五感から吸収するもの総てであって、豊かな感性と鋭敏な知性教養を育むためには、これ以上の学校は望むべくもない。
私の場合には、幸いと言うか、国立大学で経済学を勉強し、アメリカでMBAを取得したのであるから、教育と言う点では恵まれていたのであろうが、しかし、そのような学問で得た知識や教養などは瞬く間に賞味期限が切れてしまって瞬時に無に帰してしまった感じである。
実際、それよりも、はるかに役に立ったのは、悪戦苦闘しながら、あっちこっちで頭を打ち、世界中を走り回りながら苦労して蓄積した経験や知識であり、膨大な書物と対峙しながら海外生活で得た豊かな経験知とも言うべき精神的バックボーンであったと思っている。
それに、人様に専攻したと申し上げている経済学と経営学については、毎日毎日、一冊一冊専門書を読み進めれば進むほど、新しい発見があって嬉しくてたまらない反面、何を勉強してきたのか、愕然とするすることの連続でもある。
しかし、これなども、先の書物を抱えて世界中を歩くのと同じで、実際に実業の世界を経験し、世界中の経済の営みを具に見つつ経験したればこそ、見えないものが見え、分からなかったことが分かってきたのだと思っている。
それに、経済学は、やはり、半世紀くらいの人生経験を経て修羅場を潜ってこないと分からないような学問だと言う気がし始めており、中々、奥深い学問だと、今更ながら思い知っている。
さて、今や読書の秋、ぼつぼつ、読書週間が近づいてきたが、国民読書年推進会議座長である安藤忠雄氏は、「先人の知恵が詰まった本は、万人に開かれた心の財産」だとして、学生など若者は、血反吐を吐くくらい本を読んで読んで勉強しろと発破をかけている。
私は、高校生の頃から、読書は、代理経験だと思っていたので、自分の経験と視野を広めるためには、人の経験と知識を、読書を通じて代理経験するのが、最も手っ取り早くて早道だと思っていたので、どんどん異分野の本を読んでいった。
世界歴史や世界地理、世界芸術や世界美術と言った海外関係の本を読むことが多くて、異国への憧れが強かった所為もあって、私の、その後の海外生活は非常に実りの多いものであったと思っている。
もう何十年も暖め続けて来ていた憧れの地での歴史的文化遺産との遭遇であり、実際の現地生活であるから、体全体から、その実感が怒涛の如く入り込んでくる。
移動しながら本をひたすら読み続けて、日没になるまで必死になって憧れの建物を探し続けていた安藤青年の思いと同じ心境だったのではなかったかと思う。
先週の日経ビジネスで、資生堂の福原義春名誉会長が、「空気を読むより本を読め」と言っている。
ベストセラーは確かに今と云う時代の空気を読むうえでは役に立つでしょうが、本当にその人の血となり肉となるのは古典だと思いますと言って、本の中には普遍的な哲学が詰まっており、先輩達が到達した人生観や思想、世界観など古い時代から積み重ねられてきた知識が充満しているのであるから、読まずに済ますのは何ともったいないことかと述べているのである。
日本屈指の文化人であり知識人である功なり名を遂げた経営者の言であるから、値千金であろう。
ところで、私は、神保町の三省堂、東京駅近くの丸善や八重洲ブックセンターなどに良く行くのだが、経済学と経営学関連本のコーナーしか知らないが、立派な本(しかし、すぐに消える)もあるが、派手に並べられているのは、殆ど救いようもない程お粗末な本が多く、神田神保町の、それ専門の古書店の方がはるかに質が高い本が並べられていると思うことがある。
今、エコノミストを格付けするとか何とかと言う新書が出ているが、早い話、ケインジアンの立場に立てばオバマ大統領は正しい政治家であり、マネタリストなりフリーマーケット信奉経済学者から見れば最悪の政治家となるのだが、経済学的には、どちらが正当かは絶対に云えない筈である。
サブプライム以前は、市場原理主義経済学が主導権を握っていたが、今では、一挙に歯車が逆転して、俄ケインジアンで溢れ返っている。
私の格付けと大分違うので中身は読んでいないが、どこの書店も大々的に平積みしているのだが、どんなものであろうか。
安藤さんの講演は、よく聴くので、その度毎に、直近の話題や新しい展開を期待しており、同じ話でも、そのバリエーションと思考の発展がユニークで教えられることが多い。
元ボクサーと言う激しい世界から転進して、世界有数の建築家として名声を博すと言う常人では考えられないような経歴の持ち主だが、高卒後、必死になって東大と京大の建築学科のテキストを読んで独学し、その後、建築のみならず違った分野の本をも小脇に抱えて世界中を歩き回ったと言う話を聞いて、学ぶために師をどのように選ぶかの差であり、これこそ、本当の学問であって、決して、世に言われているように、「独学」ではないと思った。
安藤さんの、日本人離れしたスケールの大きな、謂わば、地球そのもの、自然そのものと対話をし続けながら発想するような、限りなく豊かでシャープな感性や美意識などは、既製の教育では、逆立ちしても生まれ得ない筈である。
宿や道中で本を読み耽っては、その歴史的な人類の文化遺産たる建築物を具に観察し、本物に真剣勝負で対峙しながら、更に新しい発見のために次へと旅を続ける・・・そんな修行の旅を何年も続けながら、必死になって建築学を勉強し続けたのだと言う。
学んだものは、はるか異郷の地で、異文化と異文明の間で交錯する空気感も人情の機微も、五感から吸収するもの総てであって、豊かな感性と鋭敏な知性教養を育むためには、これ以上の学校は望むべくもない。
私の場合には、幸いと言うか、国立大学で経済学を勉強し、アメリカでMBAを取得したのであるから、教育と言う点では恵まれていたのであろうが、しかし、そのような学問で得た知識や教養などは瞬く間に賞味期限が切れてしまって瞬時に無に帰してしまった感じである。
実際、それよりも、はるかに役に立ったのは、悪戦苦闘しながら、あっちこっちで頭を打ち、世界中を走り回りながら苦労して蓄積した経験や知識であり、膨大な書物と対峙しながら海外生活で得た豊かな経験知とも言うべき精神的バックボーンであったと思っている。
それに、人様に専攻したと申し上げている経済学と経営学については、毎日毎日、一冊一冊専門書を読み進めれば進むほど、新しい発見があって嬉しくてたまらない反面、何を勉強してきたのか、愕然とするすることの連続でもある。
しかし、これなども、先の書物を抱えて世界中を歩くのと同じで、実際に実業の世界を経験し、世界中の経済の営みを具に見つつ経験したればこそ、見えないものが見え、分からなかったことが分かってきたのだと思っている。
それに、経済学は、やはり、半世紀くらいの人生経験を経て修羅場を潜ってこないと分からないような学問だと言う気がし始めており、中々、奥深い学問だと、今更ながら思い知っている。
さて、今や読書の秋、ぼつぼつ、読書週間が近づいてきたが、国民読書年推進会議座長である安藤忠雄氏は、「先人の知恵が詰まった本は、万人に開かれた心の財産」だとして、学生など若者は、血反吐を吐くくらい本を読んで読んで勉強しろと発破をかけている。
私は、高校生の頃から、読書は、代理経験だと思っていたので、自分の経験と視野を広めるためには、人の経験と知識を、読書を通じて代理経験するのが、最も手っ取り早くて早道だと思っていたので、どんどん異分野の本を読んでいった。
世界歴史や世界地理、世界芸術や世界美術と言った海外関係の本を読むことが多くて、異国への憧れが強かった所為もあって、私の、その後の海外生活は非常に実りの多いものであったと思っている。
もう何十年も暖め続けて来ていた憧れの地での歴史的文化遺産との遭遇であり、実際の現地生活であるから、体全体から、その実感が怒涛の如く入り込んでくる。
移動しながら本をひたすら読み続けて、日没になるまで必死になって憧れの建物を探し続けていた安藤青年の思いと同じ心境だったのではなかったかと思う。
先週の日経ビジネスで、資生堂の福原義春名誉会長が、「空気を読むより本を読め」と言っている。
ベストセラーは確かに今と云う時代の空気を読むうえでは役に立つでしょうが、本当にその人の血となり肉となるのは古典だと思いますと言って、本の中には普遍的な哲学が詰まっており、先輩達が到達した人生観や思想、世界観など古い時代から積み重ねられてきた知識が充満しているのであるから、読まずに済ますのは何ともったいないことかと述べているのである。
日本屈指の文化人であり知識人である功なり名を遂げた経営者の言であるから、値千金であろう。
ところで、私は、神保町の三省堂、東京駅近くの丸善や八重洲ブックセンターなどに良く行くのだが、経済学と経営学関連本のコーナーしか知らないが、立派な本(しかし、すぐに消える)もあるが、派手に並べられているのは、殆ど救いようもない程お粗末な本が多く、神田神保町の、それ専門の古書店の方がはるかに質が高い本が並べられていると思うことがある。
今、エコノミストを格付けするとか何とかと言う新書が出ているが、早い話、ケインジアンの立場に立てばオバマ大統領は正しい政治家であり、マネタリストなりフリーマーケット信奉経済学者から見れば最悪の政治家となるのだが、経済学的には、どちらが正当かは絶対に云えない筈である。
サブプライム以前は、市場原理主義経済学が主導権を握っていたが、今では、一挙に歯車が逆転して、俄ケインジアンで溢れ返っている。
私の格付けと大分違うので中身は読んでいないが、どこの書店も大々的に平積みしているのだが、どんなものであろうか。