「ダンテフォーラム」で、東北大田中英道名誉教授が、世界遺産モデル・フィレンツェに学ぶを、美術の視点から、ミケランジェロや天平のミケランジェロと称する公麻呂の彫像を題材にして語った。
ミケランジェロのダビデ像の頭部をクローズアップした写真(口絵)を示しながら、戦いに臨もうとする瞬間の不安の表情や、メディチ家礼拝堂にあるロレンツオ像のメランコリーやロレンツオの胆汁質な表情が、当時の暗くて陰鬱なフィレンツェの芸術が何だったのかを語っていると説き始めた。
ダビデ像は、全裸像であり、これは人間が罪のある存在であり原罪を背負っていることを意味しており、岩に埋れた荒削りの人間像「囚われ人」に象徴されるように、同じ裸体でも、多神教で裸体を賛美したギリシャやローマ時代の裸像とは全く違ったルネサンスの芸術であると言う。
興味深かったのは、殆どが老人である聴衆を相手に、若かった筈のダ・ヴィンチが、自画像を老人のように描き、ミケランジェロのダビデ始め多くの彫像が老人のように彫られているのは、ルネサンス期には老人を大切にする風潮があって、ケチで何時死ぬか分からない老人こそが、想像力を持っていると考えられていたのだと言って笑わせていた。
権力者であったロレンツオ像のメランコリーに加えてしょぼしょぼした表情が良く、まして貯金箱を後生大事に左手で押さえ込んでいるケチぶりも英雄の象徴で、このミケランジェロの個性的な表現こそ正に芸術で、見る人々を感動させるのだと言う。
このダビデ像の不安の表情は、東大寺の戒壇院にある公麻呂の広目天の苦悶に満ちた怒りの表情と相通じるところがあり、人間とは何なのかを真っ正面から直視して具象化したこの微妙な表現そのものが芸術であり、人々を感動させる。
昔から、日本では、仏像は拝む対象だと考えられていて、美の対象であることが無視されてきたが、宗教と芸術とは対立するものではなく、仏像は、美しく人間的に美を創り出しているからこそ、人を感動させるのであると言う。
田中教授は、ストラスブール大学で美術史などを学び、奈良にある公麻呂の彫刻の美しさに感動して日本回帰した美術史家であり、この公麻呂を、天平のミケランジェロと称して、日本の美術界にインパクトを与えた。
この日、田中教授は、公麻呂の他の東大寺の増長天、日光菩薩、月光菩薩、新薬師寺のキメラ像や、将軍万福の興福寺の阿修羅像と須菩提像、運慶の興福寺の無著像のスライドを示して、日本の仏像芸術の美を追求した匠たちの力量を語った。
誰も芸術家としての国中公麻呂を語らないが、公麻呂は、従四位下の貴族に列せられた仏師であり、東大寺大仏殿建立の指揮を取る等、高く評価されていた。
田中教授の話を聞いていて、学生時代に京大で、何かの拍子に、偉大な仏文学者桑原武夫の講演を聞き、ヨーロッパの視点から見ると日本の良さが浮かび上がると言ったような話を聞いたことを思い出した。
フェノロサやあのピーター・ドラッカーが、日本の美術に入れ込んだのも、その片鱗であろうが、その辺の事情は、アメリカで学び、ヨーロッパで仕事をして来た私自身が十分に経験していることで、学生時代に奈良や京都で古社寺散策三昧に明け暮れていた頃よりも、遥かに、日本の芸術に対する思いが強く深くなっている。
余談だが、別に宗教心がない訳ではないが、不思議にも、私自身は、お寺であろうと教会であろうと、随分あっちこっちを周ったが、そこで見る仏像や彫像を信仰の対象として見たことはなく、美しくて、私自身が感動するかどうかと言った視点からでしか見ていない。
尤も、事前でも事後でも、その彫像や壁画、インテリアなどについては、芸術作品としてのみならず宗教や歴史的背景などについては、出来るだけ勉強することには努力し続けてきたつもりではある。
何故、フィレンツエが、芸術都市として頂点を極めたのか、田中教授は、ドナテルロの言葉を例に挙げて説明した。
パドヴァで高く評価されていたドナテルロが、かの地に永住することを強く勧められたのだが、お山の大将で居られた名誉を捨てて、「フィレンツェには、批評してくれる目がある」と言って、ワン・オブ・ゼムに過ぎないフィレンツェに帰って行ったと言う話である。
このブログでも、イノベーション論で、しばしば、引用したメディチ・イフェクト、メディチ・インパクトに相通じる現象だが、美を美として認識できる厳しい審美眼を持った民衆が居て、偉大な芸術家たちが鎬を削って切磋琢磨する素晴らしい環境があったからこそである。
芸術文化都市を生み出すためには、良いものを良い、美しいものを美しいと認める、この一般民衆の厳しくも卓越した審美眼を持った高い批評する目を、養うことが最も肝要なことだが、かっての奈良や京都にはそれがあったと言う。
日本には、日本人が歴史と伝統を重んじて営々と築いてきた素晴らしい芸術や文化があり、もっと、自信を持って、芸術都市を作り上げるべきだと説く。
東京を始め、どんどん国籍不明の現代都市景観が広がって行く半面、伝統的な地方の都市景観が疲弊して消えて行きつつある。
民主党の「仕分け人」が、切った張ったで、ムダと言う天下の御旗を振りかざして、予算をぶった切ることしか念頭になく、この派手な立ち回りだけが脚光を浴びている感じなのだが、果たして、この民主党に、日本人が心血を注いで築き上げてきた歴史と伝統、文化芸術遺産を守り抜こうとする高邁な英知と識見があるのであろうか。
ミケランジェロのダビデ像の頭部をクローズアップした写真(口絵)を示しながら、戦いに臨もうとする瞬間の不安の表情や、メディチ家礼拝堂にあるロレンツオ像のメランコリーやロレンツオの胆汁質な表情が、当時の暗くて陰鬱なフィレンツェの芸術が何だったのかを語っていると説き始めた。
ダビデ像は、全裸像であり、これは人間が罪のある存在であり原罪を背負っていることを意味しており、岩に埋れた荒削りの人間像「囚われ人」に象徴されるように、同じ裸体でも、多神教で裸体を賛美したギリシャやローマ時代の裸像とは全く違ったルネサンスの芸術であると言う。
興味深かったのは、殆どが老人である聴衆を相手に、若かった筈のダ・ヴィンチが、自画像を老人のように描き、ミケランジェロのダビデ始め多くの彫像が老人のように彫られているのは、ルネサンス期には老人を大切にする風潮があって、ケチで何時死ぬか分からない老人こそが、想像力を持っていると考えられていたのだと言って笑わせていた。
権力者であったロレンツオ像のメランコリーに加えてしょぼしょぼした表情が良く、まして貯金箱を後生大事に左手で押さえ込んでいるケチぶりも英雄の象徴で、このミケランジェロの個性的な表現こそ正に芸術で、見る人々を感動させるのだと言う。
このダビデ像の不安の表情は、東大寺の戒壇院にある公麻呂の広目天の苦悶に満ちた怒りの表情と相通じるところがあり、人間とは何なのかを真っ正面から直視して具象化したこの微妙な表現そのものが芸術であり、人々を感動させる。
昔から、日本では、仏像は拝む対象だと考えられていて、美の対象であることが無視されてきたが、宗教と芸術とは対立するものではなく、仏像は、美しく人間的に美を創り出しているからこそ、人を感動させるのであると言う。
田中教授は、ストラスブール大学で美術史などを学び、奈良にある公麻呂の彫刻の美しさに感動して日本回帰した美術史家であり、この公麻呂を、天平のミケランジェロと称して、日本の美術界にインパクトを与えた。
この日、田中教授は、公麻呂の他の東大寺の増長天、日光菩薩、月光菩薩、新薬師寺のキメラ像や、将軍万福の興福寺の阿修羅像と須菩提像、運慶の興福寺の無著像のスライドを示して、日本の仏像芸術の美を追求した匠たちの力量を語った。
誰も芸術家としての国中公麻呂を語らないが、公麻呂は、従四位下の貴族に列せられた仏師であり、東大寺大仏殿建立の指揮を取る等、高く評価されていた。
田中教授の話を聞いていて、学生時代に京大で、何かの拍子に、偉大な仏文学者桑原武夫の講演を聞き、ヨーロッパの視点から見ると日本の良さが浮かび上がると言ったような話を聞いたことを思い出した。
フェノロサやあのピーター・ドラッカーが、日本の美術に入れ込んだのも、その片鱗であろうが、その辺の事情は、アメリカで学び、ヨーロッパで仕事をして来た私自身が十分に経験していることで、学生時代に奈良や京都で古社寺散策三昧に明け暮れていた頃よりも、遥かに、日本の芸術に対する思いが強く深くなっている。
余談だが、別に宗教心がない訳ではないが、不思議にも、私自身は、お寺であろうと教会であろうと、随分あっちこっちを周ったが、そこで見る仏像や彫像を信仰の対象として見たことはなく、美しくて、私自身が感動するかどうかと言った視点からでしか見ていない。
尤も、事前でも事後でも、その彫像や壁画、インテリアなどについては、芸術作品としてのみならず宗教や歴史的背景などについては、出来るだけ勉強することには努力し続けてきたつもりではある。
何故、フィレンツエが、芸術都市として頂点を極めたのか、田中教授は、ドナテルロの言葉を例に挙げて説明した。
パドヴァで高く評価されていたドナテルロが、かの地に永住することを強く勧められたのだが、お山の大将で居られた名誉を捨てて、「フィレンツェには、批評してくれる目がある」と言って、ワン・オブ・ゼムに過ぎないフィレンツェに帰って行ったと言う話である。
このブログでも、イノベーション論で、しばしば、引用したメディチ・イフェクト、メディチ・インパクトに相通じる現象だが、美を美として認識できる厳しい審美眼を持った民衆が居て、偉大な芸術家たちが鎬を削って切磋琢磨する素晴らしい環境があったからこそである。
芸術文化都市を生み出すためには、良いものを良い、美しいものを美しいと認める、この一般民衆の厳しくも卓越した審美眼を持った高い批評する目を、養うことが最も肝要なことだが、かっての奈良や京都にはそれがあったと言う。
日本には、日本人が歴史と伝統を重んじて営々と築いてきた素晴らしい芸術や文化があり、もっと、自信を持って、芸術都市を作り上げるべきだと説く。
東京を始め、どんどん国籍不明の現代都市景観が広がって行く半面、伝統的な地方の都市景観が疲弊して消えて行きつつある。
民主党の「仕分け人」が、切った張ったで、ムダと言う天下の御旗を振りかざして、予算をぶった切ることしか念頭になく、この派手な立ち回りだけが脚光を浴びている感じなのだが、果たして、この民主党に、日本人が心血を注いで築き上げてきた歴史と伝統、文化芸術遺産を守り抜こうとする高邁な英知と識見があるのであろうか。