熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

諏訪・木曽路・八ヶ岳高原の旅(2)・・・奈良井宿

2009年11月10日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   中仙道を京に上る為には、今でも熊が出没すると言う難所鳥居峠を越さなければならないが、その入り口にあるのが奈良井宿で、「奈良井千軒」と言われたほど中山道で最も賑わった宿場だったと言う。

   私が最初に読んだ本格的な文学作品が、島崎藤村の「夜明け前」で、冒頭の「木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。」と言う名調子の木曽路を描写した名文が、今でも脳裏に焼き付いていて、是非、訪れたいと思っていたのだが機会がなかった。
   今回は、幸いにも(と言うのは、歳の所為で遠出のドライブは駄目だと止められているので)、娘夫妻の車に便乗して思い立った旅で、最初の宿場が、この奈良井宿だったのである。

   私の故郷を通っていた西国街道は、かなり道幅が狭くなっていたのだが、この奈良井宿は、中央近くにあるかぎ状の「鍵の手」辺りはやや狭いが、江戸方面に向かっては大分広くなっており、これは、妻籠宿や馬籠宿と比べてもそうで、立派な宿場であったことが分かる。
   今は鉄板葺きだが、昔は石置き屋根とかで、非常に薄い傾斜の緩い屋根で、中二階建てのために、二階のタッパが低くて少し前に飛び出しており、格子がびっしり入った黒っぽい精悍な風情の建物が、遠くの方まで連なっている風景は、中々の壮観である。
   春に福島で見た大内宿の萱葺きのふっくらとした日本的な宿場宿とは、全く対照的で、地方文化の差が反映されていて非常に面白いと思った。

   家族たちは、そのような古風な建物のみやげ物店などを回りながらウインドー・ショッピングを楽しんでいたが、私は、街道を歩きながら、昔の宿場の面影を探しながら散策を続けて、気が向いたら、季節の花々などを植えた門口の飾り付けや、格子連子に釣らされた秋の恵みを上手くあしらって作った色彩豊かな飾りものなどを追っかけながら写真を撮っていた。
   ほうずきや柿の実、唐辛子などの鮮やかな美しさは格別で、それに、ツタや葉っぱ、枯れ枝などを上手くアレンジした飾り付けなどは、華道の美意識の発露かも知れない。

   奈良や京都の古い町並みや民家などの古建築、文化遺産的な建物などを、昔、かなり回ってきたつもりで、故事来歴や建築様式などに興味を持って、事前勉強をして歩いていたのだが、この頃は、ぶっつけ本番で、見た時の感性と雰囲気だけを楽しむことにしている。
   古いとか、故事来歴があるとか、由緒正しい×××だとか言われても、興味を引かなければ通りすごす。
   
   娘がガイドブックを見て、良い喫茶店があって、美味しいコーヒーを頂けると言うので、二つ返事で、ついていった。
   その喫茶店が、この口絵写真の「松尾茶房」である。
   200年以上も前の建物だと言うしっかりとした黒光りのする小さな民家だが、入り口を入ると、5人くらい座れるカウンターがあって、その奥で、白髪でヤギひげを蓄えた初老のマスターと奥さんと思しき女性が、昔懐かしいビーカーを立てた4台のコーヒーメイカーを前にして迎えてくれた。
   奥にある唯一の5人掛けのテーブルに陣取って、小休止することにした。
   二階は畳部屋の喫茶室となっているようで、途中に熟年カップルが降りてきたくらいで、その時の客は、我々5人だけであった。
   店内のインテリアは、木箱型のボックスラジオや露出計以前のミノルタカメラ、陶磁製人形と言った骨董品や、小さな食器棚には古い食器類などが置かれていて昔懐かしい空気を醸し出していて、ランプシェイドから漏れる淡い光が連子窓からの光と交差して、和風だが、それなりに雰囲気があって良い。

   マスターがおもむろに、コーヒーメイカーに火を入れて、コーヒーと水をビーカーに入れて、コーヒーを点て始めた。
   私など熟年には珍しいことではないが、娘たちには始めてみる光景で、カウンター席に移って、熱心にマスターの手つきを手品を見るように見ていた。
   最高の豆を厳選して買って来て、マスター自身で焙煎して作り出して抽出する自慢のコーヒーとかで、まず、ストレートで飲み始めたが、流石に美味い。
   コーヒーカップは、夫々客毎に違った陶器で、あくまで和風喫茶に拘る。
   何の豆だったか忘れてしまったが、私の場合には、馬鹿の一つ覚えのようにブルーマウンテンに固守し続けているのだが、最近、世界には、飲み方によっては、色々な素晴らしいコーヒー豆があることに気づき始めて、少しずつ冒険を始めている。

   9歳の孫は、今の所、コーヒーが飲めないのでジュースで辛抱していたが、私の注文したぜんざいを食べてしまった。
   ぜんざいは、あまり酒やワインを飲まなかった学生時代の頃の好物で、京都だったので、結構美味しいぜんざいがあっちこっちで食べられたのである。
   この日は、定番どおりと言うか、ケーキでコーヒーを楽しんだ格好だが、何故、コーヒー店にぜんざいなのか、良く分からない。

   その後、少し、街道を北に上ってから途中で引き返して、駅前の駐車場に帰って、次の妻籠宿に急ぐことにした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする