熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

初秋の鎌倉を歩く~明月院から光明寺

2009年11月04日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   先日、久しぶりに鎌倉を歩いた。
   2週間前だったので、まだ、秋色の気配は殆どなく、山茶花やツワブキなどが目立つ程度で、紅葉などの色づきには早かった。
   しかし、この時期が散策には最も快適で、八幡宮や小町通りなどを避けて場所を選べば、気の遠くなるように静かな古都の雰囲気を味わえるので、京都を歩く時にも、意識してそうしていた。
   地球温暖化の影響か、学生時代よりも、京都や奈良の秋の訪れが、1ヵ月くらい早まっているような気がしている。

   この日も、相変わらず、源氏山越えで、北鎌倉に下りたのだが、今回は、秋の草花や木々の風情を味わいたくて、途中の寺々をスキップして、直接、明月院に向かった。
   本来は、極めてひっそりとした女性的な佇まいのお寺で、草庵と言った感じだが、前庭の殆どを占めていると思えるほどアジサイの木が多く、私など、花の寺として訪れている。
   質素な山門の右側の柱に、3段の竹製の花活けが付けられていて、何時も、その時々の季節の花や木の実などが生けられていて、非常に風雅で、楽しみにしている。
   この口絵写真もその一つだが、他に柿の実やカラスのマクワウリや唐辛子など、その色や形の取り合わせが面白い。
   京都の古寺を訪れると、廊下や部屋の片隅に、茶花が生けられていて、その質素だが優雅な雰囲気が好きで、非常に感激させられて写真に収めるのだが、自然を愛する日本人の美意識が一番現れているような気がする。

   もう一つ、明月院で楽しみなのは、前庭から、方丈の丸窓を通してみる見る後庭の風景である。
   雪洞様のランプシェイドがぶら下がった細長い部屋の左右に一直線に敷かれた赤いカーペットの間の向こうに丸く空けられた窓から、緑色の明るい庭が見えるのである。
   この部屋の縁側には、何時も箕が置いてあって、この中にも、何時も、季節の木の実などが入れてあって、この日は、柿、りんご、唐辛子、それに、蔓状の瓜のような実が置いてあった。
   障子戸の根元に、額や書き物が並べられているのが無粋なので、写真にはならなかった。

   花は、表門の左手の花壇に草花がイングリッシュ・ガーデン風に華やかに植えられていたが、私は、苔むした地面にリンドウなどの花が咲いていて、小さな昆虫が花から花へと渡っているのに興味を持って、それを追っかけていた。
   その後、もう一度戻って、真っ青にすっくと一直線に伸びきって静かな空間を作り出している竹林で小休止して、明月院を後にした。

   その日は、鎌倉駅を通り越して、妙本寺から九品寺に出て、光明寺から鎌倉海岸に出るつもりで歩くことにしていた。
   昔若い頃は、古社寺を訪ねる時には、事前に、その故事来歴や建築、仏像、庭園など勉強して出かけたが、この頃は、一応観光案内程度は読むが、直に忘れてしまうので、そんなことは無視して、ぶっつけ本番で、寺の雰囲気だけを楽しんでいる。

   妙本寺は、鬱蒼とした感じの参道(片側はコンクリート)の上の方にしっかりとした山門があり、その後方に本堂があるだけの寺だが、中々風格がある。
   京都に比べれば、それなりに大きくて対抗できる古社寺は、鎌倉では、建長寺と円覚寺、それに、八幡宮くらいで、寺らしい寺は少ないので、そんな印象を持った。
   気に入ったのは、山門の正面に掲げられている翼を持つ二頭の龍を彫り抜いた彫刻と、本堂正面の左右の柱の頂部に設えられた素晴らしい唐獅子の彫刻で、中々の迫力であった。

   海岸に近い町外れにある光明寺は、豪壮な山門が聳えており、その背後に、金ぴかで装飾過多と思えるほどだが、見方によってはインテリアが印象的で美しい本堂があり、境内もかなり広い堂々としたお寺である。
   本堂内陣との境目の正面の欄間には、福与かな天女が楽を奏しながら空を舞っている極彩色の浮き彫りが施されていて、柱や長押にも極彩色の絵が描かれ碁盤目状に仕切られた天井も装飾されているばかりではなく、ブルーの地に金糸で刺繍された幕が下がり幡が柱を装飾しているのだから、かなり派手な印象である。
   しかし、昨日、TBSで、唐招提寺の極彩色のCG復元画像を放映していたが、本来、お寺は、ヨーロッパの教会のように、天国のように美しいのが当たり前な筈なのである。

   ところが、この本堂の両翼に、非常に対照的な庭園があるのが面白い。
   左手は、大きな古代ハスの植わっている日本風の庭園で、右側には、白砂を敷き詰めた竜安寺のような枯山水の庭である。
   ハスは枯れてしまっていたが、花が咲く季節には、非常に美しいだろうと思った。
   ところで、このお寺の境内には、大きな石の地蔵さん・延命地蔵尊と、小さな神社・繁栄稲荷大明神と言うのがあって、何がなんだか私には良く分からなかった。
   神様仏様お稲荷様などと言う八百万の神を信仰する日本人だから、相矛盾はしないのであろうが、不思議である。

   道路下のトンネルを抜けて浜辺に出た。
   サーフィンを楽しむ若者たちがちらほら居たが、ヨットは2~3艇海上にあり、黒い砂浜が広がっているが、静かである。
   左手には逗子のホテル・アパート郡、右手には長谷寺あたりの小高い山、久しぶりに見た浜辺だが、私の小さい頃には、尼崎から西宮にかけて白浜が続いていて、良く潮干狩りや海水浴に出かけたことがある。
   懐かしい子供の頃を思い出しながら、しばらく浜風を楽しんでいた。
コメント
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