私にとっては久しぶりのオペラ鑑賞で、プラハ国立劇場は、6年前のヴェルディ・イヤーに、プラハに出かけて、本拠地で、イル・トロヴァトーレを見ており、素晴らしい劇団であることを知っているので、まして、ドラマチックソプラノでアイーダを歌わせたら絶品と言われるミシェル・クライダーを聞きたいののと、西本智実の指揮に接したくて、東京文化会館に出かけた。
私が最初にプラハを訪れたのは、ベルリンの壁が崩壊する前で、戦後の動乱の生々しい傷跡が残っていて痛々しかったが、その時でも、私は世界一美しい街だと思ったし、復興なった後のプラハは輝くように素晴らしく変身していて、僅か4日の滞在だったが、日中は歴史遺産やミュージアムを彷徨い、夜は、オペラを梯子しながら古都の息吹を満喫した。
あのモーツアルトがドン・ジョバンニを初演したのもこの地だし、映画「アマデウス」もウィーンでは面影が残っておらず、このプラハで撮ったと言う。
オペラハウスは、かなり小さな感じではあったが、中々雰囲気のある劇場で、ロココ朝の内部の美しさは宝石のように輝いていて、王宮を臨むモルダウ河畔のドン・ジョバンニ初演の国立劇場など雰囲気の良いオペラ鑑賞には格好の劇場が他にもあり、オペラファンには、正に、住めば都であろう。
アイーダを最初に見たのは、ロンドンでロイヤル・オペラの舞台で、凱旋行進の場には軍馬が登場するなど壮大な舞台であった。
しかし、やはり、杮落としがこのアイーダだったと言うベローナのローマの野外劇場での「アイーダ」は圧巻で、巨大なアーチ状のグラウンドから聳え立つ擂り鉢状の客席を使っての壮大な舞台は、正に、エジプトの宮殿での、現実のドラマの再現と言った感じで、これに勝るものはないと言う威容である。
この時見たのは、他に「トーランドット」だったが、このヴェローナのアリーナでの野外オペラは、オペラのスペクタクル性を見せてくれる絶好の場である。
何度か「アイーダ」を見た気がしているが、記憶にあるのはこの二つだけである。
ところで、この「アイーダ」だが、スエズ運河開通時にオープンしたカイロの国立劇場からの依頼でヴェルディが作曲したオペラだが、
エジプトの将軍ラダメスが、王女アムネリスを袖にして、王女の侍女(奴隷のエチオピア王女)アイーダと相思相愛となり、国を裏切った罪で墓地に生き埋めにされ、アイーダがそれを追うと言う愛と死をテーマとしたもので、政治的な葛藤が主人公を死に追いやると言うヴェルディ好みの主題である。
今回の舞台は、ヴェローナに匹敵すると言うマチェラータ音楽祭との共同制作と言うことで、この口絵写真(公式ホームページより借用)はやや大掛かりになっているが、小さな東京文化会館のジャパン・バージョンは、正面に、真ん中に入り口の開いた白いピラミッド型のセットと左右にオベリスク風の円柱があるくらいで、極めてシンプルであり、ピラミッドの頂上が明るくなるかどうかの差くらいで、最初から最後まで、これで押し通している。
尤も、壮大な野外劇場では、舞台転換が無理なので、シェイクスピア劇でも良くあるように、同じ舞台セットで通す以外にないのであろう。
群集は、神官たちも含めて、衣装は白一色で通し、随所で素晴らしい舞を見せてくれた裸のダンサーたちが、エチオピアの捕虜も掛け持っており、好対照である。
趣向として面白かったのは、凱旋行進の場で、左右の舞台端に3人ずつのラッパが華麗な放列を敷いていたことである。
勿論、チェコのオーケストラであるから、非常に流麗で艶やかな深みのあるサウンドを聴かせてくれたのだが、先入観かもしれないが、欧米のオーケストラは、日本のと違って、木管金管とも管セクションの安定した美しさは、比べようもない。
ブダペストでも感じたのだが、やはり、ハプスブルグ朝時代の名残か、ウィーン音楽の影響が濃厚で、帝国傘下の東欧のオーケストラは、非常に素晴らしい音楽を聴かせてくれると思っている。
変な表現だが、クライダーの情感たっぷりのアリアに、付きつ離れつ西本がオーケストラを歌わせていたサウンドの美しさは、格別で、宝塚のトップスターと紛うばかりのダイナミックで切れの良いタクト・スタイルの何処からあのような、時には夢を見、時には恋の闇路に慟哭し、時には使命感に輝くと言った物語を紡ぎ出せるのか、感激して聴いていた。
クライダーのアイーダは、あのパバロッティやドミンゴさえそうだが、やはり、出だしはやや不安定だったが、そこは、世界の名だたるオペラハウスで、トスカやアイーダを歌って観衆を熱狂させ続けている大歌手の貫禄で、実に情感たっぷりの歌を聞かせてくれた。
アイオワ大卒のアメリカ人でありながら、チューリッヒで本格的な勉強をして、レオノーラで脚光を浴びて、ロイヤル・オペラなどヨーロッパからキャリアをスタートさせ、遅れてMETには、蝶々夫人でデビューしたと言う。この時のニューヨーク・タイムズのレビューが残っているが、やはり、悲劇のヒロインとしての悲しさの表現には眼を見張るものがあったと言う。美形でない分、声の魅力と表現力の豊かさが魅力のダイナミック・ソプラノである。
ところで、このプラハ国立劇場のキャストだが、クライダー以外は、東欧ヨーロッパベースの歌手で、それ程欧米では知られていないが、実際に、ハンガリーやチェコのオペラハウスで聴いていて、随分、水準が高いと思っている。
ラダメスを歌った堂々たる体躯のエフ・エスラリなど、パバロッティばりの素晴らしいサウンドで場内を圧倒する迫力であり、それが、剛直一本やりの武将と言うだけではなく、冒頭のアリア「浄きアイーダ」など実に叙情たっぷりで、メリハリの利いた凄いテノールの醍醐味を聴かせてくれた。
オテロ、ドン・ホセ、デ・グリュー、カラフ、サムソン、ピンカートン、リカルド、とにかく、テノールのタイトルロール総なめの東欧きっての歌手だと言う。
更に、感激したのはエチオピア王アモナスロのヤクプ・ケットウネルの素晴らしく張りのあるバリトンで、はるかに年長の娘アイーダのクライダーを食うくらいの荒削りだが迫力のあるサウンドと若々しい精悍な井出達が実に魅力的である。
エジプトの王女アムネリスを歌ったスロバキアの名花ヨラナ・フォガショヴァーは、この二人よりはキャリアを積んでいる分、広くヨーロッパで活躍しているのだが、名だたるオーケストラとの共演でソロ歌手としての出番が多い。
あの細面の美人で、ややクールな顔立ちであるから、権力を持った王女として立つアイーダの恋敵としての表現力十分で、今まで、これほどまでに、アイーダとの恋の鞘手をビビッドに表したこのような役者歌手をあまり見たことがなく実に上手い。
他の歌手の素晴らしさも勿論だが、バレーの素晴らしさ、合唱、オーケストラの素晴らしさも呼応して生み出されたスケールの大きな「アイーダ」であった。
西本智美の指揮を、今度はオーケストラで聴きたいと思っている。
私が最初にプラハを訪れたのは、ベルリンの壁が崩壊する前で、戦後の動乱の生々しい傷跡が残っていて痛々しかったが、その時でも、私は世界一美しい街だと思ったし、復興なった後のプラハは輝くように素晴らしく変身していて、僅か4日の滞在だったが、日中は歴史遺産やミュージアムを彷徨い、夜は、オペラを梯子しながら古都の息吹を満喫した。
あのモーツアルトがドン・ジョバンニを初演したのもこの地だし、映画「アマデウス」もウィーンでは面影が残っておらず、このプラハで撮ったと言う。
オペラハウスは、かなり小さな感じではあったが、中々雰囲気のある劇場で、ロココ朝の内部の美しさは宝石のように輝いていて、王宮を臨むモルダウ河畔のドン・ジョバンニ初演の国立劇場など雰囲気の良いオペラ鑑賞には格好の劇場が他にもあり、オペラファンには、正に、住めば都であろう。
アイーダを最初に見たのは、ロンドンでロイヤル・オペラの舞台で、凱旋行進の場には軍馬が登場するなど壮大な舞台であった。
しかし、やはり、杮落としがこのアイーダだったと言うベローナのローマの野外劇場での「アイーダ」は圧巻で、巨大なアーチ状のグラウンドから聳え立つ擂り鉢状の客席を使っての壮大な舞台は、正に、エジプトの宮殿での、現実のドラマの再現と言った感じで、これに勝るものはないと言う威容である。
この時見たのは、他に「トーランドット」だったが、このヴェローナのアリーナでの野外オペラは、オペラのスペクタクル性を見せてくれる絶好の場である。
何度か「アイーダ」を見た気がしているが、記憶にあるのはこの二つだけである。
ところで、この「アイーダ」だが、スエズ運河開通時にオープンしたカイロの国立劇場からの依頼でヴェルディが作曲したオペラだが、
エジプトの将軍ラダメスが、王女アムネリスを袖にして、王女の侍女(奴隷のエチオピア王女)アイーダと相思相愛となり、国を裏切った罪で墓地に生き埋めにされ、アイーダがそれを追うと言う愛と死をテーマとしたもので、政治的な葛藤が主人公を死に追いやると言うヴェルディ好みの主題である。
今回の舞台は、ヴェローナに匹敵すると言うマチェラータ音楽祭との共同制作と言うことで、この口絵写真(公式ホームページより借用)はやや大掛かりになっているが、小さな東京文化会館のジャパン・バージョンは、正面に、真ん中に入り口の開いた白いピラミッド型のセットと左右にオベリスク風の円柱があるくらいで、極めてシンプルであり、ピラミッドの頂上が明るくなるかどうかの差くらいで、最初から最後まで、これで押し通している。
尤も、壮大な野外劇場では、舞台転換が無理なので、シェイクスピア劇でも良くあるように、同じ舞台セットで通す以外にないのであろう。
群集は、神官たちも含めて、衣装は白一色で通し、随所で素晴らしい舞を見せてくれた裸のダンサーたちが、エチオピアの捕虜も掛け持っており、好対照である。
趣向として面白かったのは、凱旋行進の場で、左右の舞台端に3人ずつのラッパが華麗な放列を敷いていたことである。
勿論、チェコのオーケストラであるから、非常に流麗で艶やかな深みのあるサウンドを聴かせてくれたのだが、先入観かもしれないが、欧米のオーケストラは、日本のと違って、木管金管とも管セクションの安定した美しさは、比べようもない。
ブダペストでも感じたのだが、やはり、ハプスブルグ朝時代の名残か、ウィーン音楽の影響が濃厚で、帝国傘下の東欧のオーケストラは、非常に素晴らしい音楽を聴かせてくれると思っている。
変な表現だが、クライダーの情感たっぷりのアリアに、付きつ離れつ西本がオーケストラを歌わせていたサウンドの美しさは、格別で、宝塚のトップスターと紛うばかりのダイナミックで切れの良いタクト・スタイルの何処からあのような、時には夢を見、時には恋の闇路に慟哭し、時には使命感に輝くと言った物語を紡ぎ出せるのか、感激して聴いていた。
クライダーのアイーダは、あのパバロッティやドミンゴさえそうだが、やはり、出だしはやや不安定だったが、そこは、世界の名だたるオペラハウスで、トスカやアイーダを歌って観衆を熱狂させ続けている大歌手の貫禄で、実に情感たっぷりの歌を聞かせてくれた。
アイオワ大卒のアメリカ人でありながら、チューリッヒで本格的な勉強をして、レオノーラで脚光を浴びて、ロイヤル・オペラなどヨーロッパからキャリアをスタートさせ、遅れてMETには、蝶々夫人でデビューしたと言う。この時のニューヨーク・タイムズのレビューが残っているが、やはり、悲劇のヒロインとしての悲しさの表現には眼を見張るものがあったと言う。美形でない分、声の魅力と表現力の豊かさが魅力のダイナミック・ソプラノである。
ところで、このプラハ国立劇場のキャストだが、クライダー以外は、東欧ヨーロッパベースの歌手で、それ程欧米では知られていないが、実際に、ハンガリーやチェコのオペラハウスで聴いていて、随分、水準が高いと思っている。
ラダメスを歌った堂々たる体躯のエフ・エスラリなど、パバロッティばりの素晴らしいサウンドで場内を圧倒する迫力であり、それが、剛直一本やりの武将と言うだけではなく、冒頭のアリア「浄きアイーダ」など実に叙情たっぷりで、メリハリの利いた凄いテノールの醍醐味を聴かせてくれた。
オテロ、ドン・ホセ、デ・グリュー、カラフ、サムソン、ピンカートン、リカルド、とにかく、テノールのタイトルロール総なめの東欧きっての歌手だと言う。
更に、感激したのはエチオピア王アモナスロのヤクプ・ケットウネルの素晴らしく張りのあるバリトンで、はるかに年長の娘アイーダのクライダーを食うくらいの荒削りだが迫力のあるサウンドと若々しい精悍な井出達が実に魅力的である。
エジプトの王女アムネリスを歌ったスロバキアの名花ヨラナ・フォガショヴァーは、この二人よりはキャリアを積んでいる分、広くヨーロッパで活躍しているのだが、名だたるオーケストラとの共演でソロ歌手としての出番が多い。
あの細面の美人で、ややクールな顔立ちであるから、権力を持った王女として立つアイーダの恋敵としての表現力十分で、今まで、これほどまでに、アイーダとの恋の鞘手をビビッドに表したこのような役者歌手をあまり見たことがなく実に上手い。
他の歌手の素晴らしさも勿論だが、バレーの素晴らしさ、合唱、オーケストラの素晴らしさも呼応して生み出されたスケールの大きな「アイーダ」であった。
西本智美の指揮を、今度はオーケストラで聴きたいと思っている。