前著「21世紀の歴史」は、未来の人間から見た世界と言う壮大なテーマで世界の歴史を展望した文明史観であった筈なのに、世界金融危機を予見した書であると言う評判で話題になっていたのだが、今回の著書では、「史上初の世界金融危機はこうして勃発した」と「資本主義が消滅しそうになった日」と2章を割いて、日付入りのドキュメンタリー・タッチで克明にアメリカを中心にして世界金融危機をトレースしながら分析し、大恐慌を避ける為に、どのような「金融危機後の世界」を構築すべきか、非常にユニークな持論を展開していて面白い。
ジャック・アタリは、現在のグローバル世界は、グローバル法制やルールなしのグローバル市場の下にあり、更に、アメリカ一極集中の時代が終わったと捉えている。
特に重要なのは、ベルリンの壁の崩壊と冷戦の終結によって、世界市場は益々グローバル化する一方であるにも拘らず、いかなる分野においても、それを統べる世界規模の法制度やルールが存在しないことで、今回の金融危機も、この必要とされる法の整備を怠った為に、金融の無法地帯が増殖し、「合法性が欠如した経済」、非合法な経済や犯罪的な経済が拡大した結果勃発したのだと言う。
私が、まず、興味を持ったのは、ジャック・アタリが、
「史上初と言えるグローバルな金融危機は、きわめて簡単に言えば、アメリカ社会が自国の中産階級に対して、きちんとした賃金を与えられなかったために発生したのである。」と言っていることである。
危機へと導いた一連の出来事は、アメリカでの社会的格差の拡大からスタートしたと言う指摘で、これが需要にブレーキをかけたので、この20年間は、需要はサラリーマンの借金で維持され、その借金は、借金によって購入された資産を担保としてきたので、監視されることのない新たな金融商品の無秩序な開発増殖等金融機関の放縦によって危機的な事態に突入したのだと言うのである。
やはり、フランスの識者だけあって、労働者や中小企業などに対しては理解があり、技術者や研究者の社会的地位の向上を唱える一方、今回の世界的金融危機は、金融機関等のインサイダーの強欲の成せる業だと考えているので、銀行職を慎ましやかで退屈な職種に格下げし、この目的を遂行するために、金融機関の所得に対して、厳密な上限を設けるべきだと言っているのが面白い。
ジャック・アタリは、
市場と民主主義によって形成された「市場民主主義」は、当然ながら調和の取れたものではない。
個人の自由の実践に依拠する市場民主主義は、効率性においては市場に信頼を置き、正義については民主主義に信頼を置くことで、他のすべての価値観より優先させて来たが、すべての分野で個人の自由を擁護してきたので、優先される価値観を不誠実や貧欲に変えてしまい、雇用の安定や法の秩序を破壊し、利他主義と真っ向からぶつかることになった。
情報の非対称性が問題で、情報を独り占めにしたインサイダー、すなわち、銀行家、金融アナリスト、民間投資家たちが、市場を支配して、利益追求のみを目指して突っ走ったと言うのである。
更に悪辣なのは、インサイダーたちが全員債務から逃げ出し、現金化を急いだので、金融システムは麻痺状態に陥ったにも拘らず、国家の支援を取り付け、国家に、国民の税金で彼らの損失を補填させ、彼らが食い物にしてきたシステムを救済させたので、支配的地位は安泰だと言う。
このような考えに立てば、当然考えられる解決策は、法整備によって市場のバランスを取り戻す以外に方法はない。
地球規模になった市場に対して、法整備を施すこと。すなわち、出来る限りの民主的な統治制度を地球規模で構築することである。
これらに必要な法制度を整備し、ルールに反する対象を、すべて管理・処罰することの出来る地球規模の取り締まり制度や司法制度を構築することが前提となる。
ジャック・アタリは、最後に、地球の気候システムや環境問題、飢餓撲滅、生物の種の多様性の維持など、経済危機を超えた地球規模の危機につても論及している。
愈々、世界政府の時代が視野に入って来たと言うべきか、経済のグローバル化が進めば進むほど、グローバルベースでの統治機構の必要性が増すと言う事であろう。
ジャック・アタリは、現在のグローバル世界は、グローバル法制やルールなしのグローバル市場の下にあり、更に、アメリカ一極集中の時代が終わったと捉えている。
特に重要なのは、ベルリンの壁の崩壊と冷戦の終結によって、世界市場は益々グローバル化する一方であるにも拘らず、いかなる分野においても、それを統べる世界規模の法制度やルールが存在しないことで、今回の金融危機も、この必要とされる法の整備を怠った為に、金融の無法地帯が増殖し、「合法性が欠如した経済」、非合法な経済や犯罪的な経済が拡大した結果勃発したのだと言う。
私が、まず、興味を持ったのは、ジャック・アタリが、
「史上初と言えるグローバルな金融危機は、きわめて簡単に言えば、アメリカ社会が自国の中産階級に対して、きちんとした賃金を与えられなかったために発生したのである。」と言っていることである。
危機へと導いた一連の出来事は、アメリカでの社会的格差の拡大からスタートしたと言う指摘で、これが需要にブレーキをかけたので、この20年間は、需要はサラリーマンの借金で維持され、その借金は、借金によって購入された資産を担保としてきたので、監視されることのない新たな金融商品の無秩序な開発増殖等金融機関の放縦によって危機的な事態に突入したのだと言うのである。
やはり、フランスの識者だけあって、労働者や中小企業などに対しては理解があり、技術者や研究者の社会的地位の向上を唱える一方、今回の世界的金融危機は、金融機関等のインサイダーの強欲の成せる業だと考えているので、銀行職を慎ましやかで退屈な職種に格下げし、この目的を遂行するために、金融機関の所得に対して、厳密な上限を設けるべきだと言っているのが面白い。
ジャック・アタリは、
市場と民主主義によって形成された「市場民主主義」は、当然ながら調和の取れたものではない。
個人の自由の実践に依拠する市場民主主義は、効率性においては市場に信頼を置き、正義については民主主義に信頼を置くことで、他のすべての価値観より優先させて来たが、すべての分野で個人の自由を擁護してきたので、優先される価値観を不誠実や貧欲に変えてしまい、雇用の安定や法の秩序を破壊し、利他主義と真っ向からぶつかることになった。
情報の非対称性が問題で、情報を独り占めにしたインサイダー、すなわち、銀行家、金融アナリスト、民間投資家たちが、市場を支配して、利益追求のみを目指して突っ走ったと言うのである。
更に悪辣なのは、インサイダーたちが全員債務から逃げ出し、現金化を急いだので、金融システムは麻痺状態に陥ったにも拘らず、国家の支援を取り付け、国家に、国民の税金で彼らの損失を補填させ、彼らが食い物にしてきたシステムを救済させたので、支配的地位は安泰だと言う。
このような考えに立てば、当然考えられる解決策は、法整備によって市場のバランスを取り戻す以外に方法はない。
地球規模になった市場に対して、法整備を施すこと。すなわち、出来る限りの民主的な統治制度を地球規模で構築することである。
これらに必要な法制度を整備し、ルールに反する対象を、すべて管理・処罰することの出来る地球規模の取り締まり制度や司法制度を構築することが前提となる。
ジャック・アタリは、最後に、地球の気候システムや環境問題、飢餓撲滅、生物の種の多様性の維持など、経済危機を超えた地球規模の危機につても論及している。
愈々、世界政府の時代が視野に入って来たと言うべきか、経済のグローバル化が進めば進むほど、グローバルベースでの統治機構の必要性が増すと言う事であろう。