先週末から、東京ドームで恒例の世界らん展日本大賞2010が開かれていて、ファンで賑わっている。
ヨーロッパから帰国してから、毎年通い続けているのだが、もう何年になるのであろうか。
写真を撮るのが楽しみで出かけているのだが、それまでは、外国の植物園の温室や、オープン庭園で、自然に近い形で育てられていたらんしか見ることがなかったのだが、これだけ、豪華に、どちらかと言えば、人工的に育てられたらんを見せられると、その美しさのみならず、驚異とも言うべき他はない。
近所だったので、私がよく訪れていたキューガーデンのむんむんする温かい温室には、かなりの種類のらんが自然の姿で植えられていて、ジャングルに入ったような感じだったのだが、これは、元々植物学のメッカとも言うべき世界的な研究教育機関だから当然であろう。
今回のらん展にも、高校生による非常に意欲的な素晴らしいディスプレィ作品「源流」が目を引いたのだが、これは、あまりにも美し過ぎて、天国の花園であり、むし暑くて居た堪れないようなジャングルとは違っているのだが、それなりに面白い。
眼前ま近に素晴らしいらんの花が展開されているこの世界らん展と違って、あのキューガーデンでは、中々、写真が撮りにくかったのだが、その写真も未整理のフィルムとプリントの山に埋もれてしまってどこにあるのか探せないのが残念である。
ところで、この世界らん展でも素晴らしいらんの細密画と言うべきボタニカル・アートが展示されているのだが、キューガーデンでは、やはり、当時は、らんの花や株も貧弱だったのでオトナシイ絵が多かったような気がするのは、時代の推移であろうか。
今、キューガーデンでは、地球温暖化など気候異変と環境破壊のために、植物がどんどん消滅して行って、種の多様性が崩壊する心配があるので、世界中から植物の種を集めて保存する運動を展開していると聞く。
人間の努力で、花はどんどん美しくなり、穀物や果物はどんどん美味しくなってきているが、神様がお創りになった姿からどんどん遠ざかってしまっているのだが、果たして、幸せなことなのであろうか。
人間が、何万年も自然の中で食べてきた動植物から離れて、人工的な加工食物を食べ始めてから、病気がちになり、逆に医薬品漬けで寿命を延ばしてきたのだが、それを文明の進歩と言うこの皮肉。
自然界からどんどん遊離して行き造花のように美しく豪華になって行くらんの花の群舞を楽しみながら他愛もないことを考えてしまった。
今年度の日本大賞は、80以上もの花房に、2000個もの黄色い小さな花を左右に広げてたわわに着けたデンドロビュームで、1メートル25の上背のある豪華な花なので、アルプススタンドの上からでも良く見える。
しかも、このらんは、江尻光一さんの話では、自然の花、原種だと言うのだから驚く。
らんの良し悪しは良く分からないが、盆栽の凄さに何時も驚いているので、栽培者の人並み外れた技量と忍耐・努力には感嘆せざるを得ない。
私が住んでいる千葉県には、らんの栽培農家があって、贈り物のらんを探しに行ったことがあるのだが、やはり、農業県で、らんの栽培が盛んなようである。
私は、最近は、週日の夕方、15時からのイブニング・チケットを買って入場することにしており、閉館17時半前の1時間くらいになると、一挙に人が減るので、十分にらんの観賞を楽しめる。
らん展の後半になると、かなりのらんが萎れたり傷み始めるので、出来れば、早い時期に出かけるのが良い。
雨交じりの寒さに厳しい日であったので、何時もの人出の半分くらいの感じだったが、私のように花を見るだけではなく、らんの花や関連商品や化粧品、写真、ワイン、食べ物などと言った沢山の出店やブースに集まって、ショッピングなどを楽しんでいる人も多い。
それに、この日は、假屋崎省吾さんの講演会やオーキッド・クイーンの米倉涼子さんの登場などと言った催しもあって、その方にも人が集まっていて、東京ドーム全体がお祭りムード一杯である。
ところで、写真だが、私など芸術写真でも記録写真でもなく、気の向くままに、カメラを向けてシャッターを切っているだけで、カメラも花モードに固定したままのノーフラッシュ撮影で、適当にズームを操作してアングルを決めていると言ったところなので、すべからく駄作である。
偶々、光の具合で気に入った写真が撮れることがあるのだが、それはまぐれ。
広角で撮れば、全体像は撮れるが、名札や隣近所の花も画面に入ってくるので、五月蝿くなり、結局、望遠レンズで花の一部を大写しにすることになる。
立派なカメラを抱えて大きなカメラバックを背負った熱心な人が沢山来ていたが、プロ並みの被写体があるとは思えないので、熱心なセミ・アマチュアなのであろう。
キヤノンが、お客さんに、らんのディスプレイの前で写真を撮ってポストカードやカレンダーにしてお土産にプレゼントしていたが、使っていたカメラは、ハイスペックのコンパクト・カメラだったし、写真を撮っている人の過半は、携帯電話で撮っていて、これが結構良い写真であり、カメラの質も、ここまで進化したのかと言う思いである。
結局、閉館ぎりぎりまで、何となく、ぶらぶらしていたのだが、人の引いた展示会場ほど寂しいものはない。「ペルシャの市場」のメロディが、聞こえてくるような感じである。
ヨーロッパから帰国してから、毎年通い続けているのだが、もう何年になるのであろうか。
写真を撮るのが楽しみで出かけているのだが、それまでは、外国の植物園の温室や、オープン庭園で、自然に近い形で育てられていたらんしか見ることがなかったのだが、これだけ、豪華に、どちらかと言えば、人工的に育てられたらんを見せられると、その美しさのみならず、驚異とも言うべき他はない。
近所だったので、私がよく訪れていたキューガーデンのむんむんする温かい温室には、かなりの種類のらんが自然の姿で植えられていて、ジャングルに入ったような感じだったのだが、これは、元々植物学のメッカとも言うべき世界的な研究教育機関だから当然であろう。
今回のらん展にも、高校生による非常に意欲的な素晴らしいディスプレィ作品「源流」が目を引いたのだが、これは、あまりにも美し過ぎて、天国の花園であり、むし暑くて居た堪れないようなジャングルとは違っているのだが、それなりに面白い。
眼前ま近に素晴らしいらんの花が展開されているこの世界らん展と違って、あのキューガーデンでは、中々、写真が撮りにくかったのだが、その写真も未整理のフィルムとプリントの山に埋もれてしまってどこにあるのか探せないのが残念である。
ところで、この世界らん展でも素晴らしいらんの細密画と言うべきボタニカル・アートが展示されているのだが、キューガーデンでは、やはり、当時は、らんの花や株も貧弱だったのでオトナシイ絵が多かったような気がするのは、時代の推移であろうか。
今、キューガーデンでは、地球温暖化など気候異変と環境破壊のために、植物がどんどん消滅して行って、種の多様性が崩壊する心配があるので、世界中から植物の種を集めて保存する運動を展開していると聞く。
人間の努力で、花はどんどん美しくなり、穀物や果物はどんどん美味しくなってきているが、神様がお創りになった姿からどんどん遠ざかってしまっているのだが、果たして、幸せなことなのであろうか。
人間が、何万年も自然の中で食べてきた動植物から離れて、人工的な加工食物を食べ始めてから、病気がちになり、逆に医薬品漬けで寿命を延ばしてきたのだが、それを文明の進歩と言うこの皮肉。
自然界からどんどん遊離して行き造花のように美しく豪華になって行くらんの花の群舞を楽しみながら他愛もないことを考えてしまった。
今年度の日本大賞は、80以上もの花房に、2000個もの黄色い小さな花を左右に広げてたわわに着けたデンドロビュームで、1メートル25の上背のある豪華な花なので、アルプススタンドの上からでも良く見える。
しかも、このらんは、江尻光一さんの話では、自然の花、原種だと言うのだから驚く。
らんの良し悪しは良く分からないが、盆栽の凄さに何時も驚いているので、栽培者の人並み外れた技量と忍耐・努力には感嘆せざるを得ない。
私が住んでいる千葉県には、らんの栽培農家があって、贈り物のらんを探しに行ったことがあるのだが、やはり、農業県で、らんの栽培が盛んなようである。
私は、最近は、週日の夕方、15時からのイブニング・チケットを買って入場することにしており、閉館17時半前の1時間くらいになると、一挙に人が減るので、十分にらんの観賞を楽しめる。
らん展の後半になると、かなりのらんが萎れたり傷み始めるので、出来れば、早い時期に出かけるのが良い。
雨交じりの寒さに厳しい日であったので、何時もの人出の半分くらいの感じだったが、私のように花を見るだけではなく、らんの花や関連商品や化粧品、写真、ワイン、食べ物などと言った沢山の出店やブースに集まって、ショッピングなどを楽しんでいる人も多い。
それに、この日は、假屋崎省吾さんの講演会やオーキッド・クイーンの米倉涼子さんの登場などと言った催しもあって、その方にも人が集まっていて、東京ドーム全体がお祭りムード一杯である。
ところで、写真だが、私など芸術写真でも記録写真でもなく、気の向くままに、カメラを向けてシャッターを切っているだけで、カメラも花モードに固定したままのノーフラッシュ撮影で、適当にズームを操作してアングルを決めていると言ったところなので、すべからく駄作である。
偶々、光の具合で気に入った写真が撮れることがあるのだが、それはまぐれ。
広角で撮れば、全体像は撮れるが、名札や隣近所の花も画面に入ってくるので、五月蝿くなり、結局、望遠レンズで花の一部を大写しにすることになる。
立派なカメラを抱えて大きなカメラバックを背負った熱心な人が沢山来ていたが、プロ並みの被写体があるとは思えないので、熱心なセミ・アマチュアなのであろう。
キヤノンが、お客さんに、らんのディスプレイの前で写真を撮ってポストカードやカレンダーにしてお土産にプレゼントしていたが、使っていたカメラは、ハイスペックのコンパクト・カメラだったし、写真を撮っている人の過半は、携帯電話で撮っていて、これが結構良い写真であり、カメラの質も、ここまで進化したのかと言う思いである。
結局、閉館ぎりぎりまで、何となく、ぶらぶらしていたのだが、人の引いた展示会場ほど寂しいものはない。「ペルシャの市場」のメロディが、聞こえてくるような感じである。