熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ポール・コリアー著「民主主義がアフリカを殺す」(1)

2010年02月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   非常に扇情的な題名の本だが、サブタイトルは、「最底辺の10億人の国で起きている真実」。原題は、「Wars, Guns, and Votes Democracy in Dnangerous Places」。
   コリアーの先の著書「最底辺の10億人 The Bottom Billion」で、四つの罠、すなわち、紛争の罠、天然資源の罠、劣悪な隣国に囲まれた内陸国の罠、そして、小国における悪いガバナンス(立法、司法、行政に及ぶ広義の統治)の罠などに陥って貧困と治安悪化などの呪縛から抜け出せない最底辺の10億人を現実を活写して、我々先進国の人間は何をなすべきかを提言した。
   この本は、更に、最底辺の10億の人々の恐るべき現実を掘り下げて、我々先進国の人間に取っては平和と発展のための拠り所である筈の民主主義が、これらの国や人々にとっては、平和どころか危険性を高めている、すなわち、暗殺、暴動、政治ストライキ、ゲリラ活動から内戦まで、民主制が政治的暴力を促進している現実を突きつけて、この暴挙に対峙して如何に平和を実現すべきかを問うている。
   現実にも、国連やアメリカは、紛争や危険地域では、積極的に選挙の実施を推進しているが、イラクやアフガニスタン、もっと典型的なウガンダの選挙の現実を見れば、如何に民主主義の傘を来た治安悪化と暴力追認の茶番劇の場となっているかが良く分かる。

   コリアー論を進める前に、興味深い指摘は、所得レベルが中程度の国では、逆に、民主主義が一様に政治的暴力を抑制することを発見したとして、その閾値の所得水準は、一人当たり年間2700ドル、一日7ドルで、これを手がかりに、所得が上がると安全度を増すと言う民主制の右あがりのラインと、逆に所得が下がる独裁政権下の右下がりの二本のラインが描けると言う。
   これを、現在最も成長を続けている中国に当て嵌めると、最近3000ドル超まで急上昇したので、このまま進んで行って、民主化を遂げない限り年を追うごとに、その目覚しい経済成長が政治的暴力の傾向を高めると言えようと言うのだが、どうであろうか。
   
   コリアーは、民主主義の最底辺国において果たす役割を、銃―火に油を注ぐ武装、戦争―破壊の政治経済学、クーデター―誘導装置なきミサイル、の3点に焦点を絞って追求し、その暴力と破壊の凄まじさを描いているが、その後の、アフリカのシンガポールとも言われて発展街道を驀進していたコートジボアールが、一気に破綻国家へ転落して言った様子の描写なども、問題の深刻さを伝えていて、息を呑む。

   私が興味を持ったのは、経済に関する経済学者コリアーの見解で、低開発国であればあるほど、そのリスクは高く、それはあらゆる考え得る限りの誤った解釈を排除した後でさえ変わらなかったと言うことである。
   貧困は極めて危険であること、所得水準の低さだけではなく、成長速度も関係あり、低所得の国同士の場合、国民一人当たりの成長が早いほど、成長が停滞もしくは減退している国よりも、武力衝突のリスクは著しく低い。
   当然ではないかと言うことだろうが、膨大な資料からの分析であり、これは希望が持てる、経済開発が平和を推進すると言う確固たる信念の表明でもあろう。
   弱貧国の経済的苦境の促進は、決して、人類にとって、公共財の平和安全のためにも、益なき選択だと言うことでもある。

   内戦について、暴力衝突はその動機となりそうな問題に対処するだけでは防げず、唯一、武力衝突事態の発生を困難にすることでしか阻止できない、反乱が容易かコンなんかは基本的につまるところ、反乱勢力に武器と資金の入手方法があるかどうかで、反乱勢力に対する効果的に対抗できる能力がその国家にあるかどうかである。
   この発展から逆戻りの武力闘争を如何に根絶するか、何十年も無法状態無政府状態に放置してきたソマリアの現状が、如実に物語っているのかも知れない。(次に続く)
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