今日の日経朝刊第二部に、大学3年生の就職先志望総合ランキングが、掲載されていた。
目を疑ったのは、我々が就職先を選んでいた頃と、殆ど同じような職種や企業が名前を連ねていることで、この半世紀近くの時代の変化は、一体何であったのかと言う思いである。
東京海上、三菱東京UFJ,三井住友、日本生命、全日空、JTBと言った順序だが、変わっているところと言えば、製造業が幾分後退し、素材産業や建設・開発・不動産関連が完全に消えてしまっていることくらいで、「規模」「一流」「安定」を目指していると言うから、要するに、皆が知っている有名大企業に集中するので変わらないのかも知れない。
しかし、安定と言っても、金融機関を筆頭にして、上位にランクされている企業の大半は、殆どが経営危機に直面した経験のある企業で、第一、衰退産業に属していると言っても過言ではなく、成長性と将来性には多くを期待できない。
その上、現在は、図体が大きいかも知れないが、グローバル・スタンダードで考えれば、決して、経営が一流でもなければ安定もしていない企業も多くて、日本経済と同じで、将来のキャリア・ディベロップメントや生活の安定に必ずしもプラスになるとは思えない。
尤も、私の場合も、成長期で就職には全く心配のない時代だったのだが、遣り甲斐があるであろうと思って、経営危機に陥っていた大企業を回ったけれど、採用しないと言うので諦めた記憶がある。
しかし、あの当時は、昇り龍の日本経済であったから、経営建て直しは比較的容易であったのだが、現在では、全く事情が違っており、泥舟に乗れば必ず沈むし、超一流のグローバル企業であっても、瞬時に崩壊してしまう。
当時、我々同期の京大経済学部の卒業生200人の半分の100人は銀行に、残りの半分の50人は商社に、そして、残りが、製造業や官庁など他に散らばって行った。
その少し前の年代では、証券会社へ行く人が多かったが、いずれにしても、今の学生の選択と同じで、名前の知れた有名企業への就職が大半であった。
良くも悪くも、一流大学を出て一流企業に就職する、そんな時代であったのである。
ところで、現在の学生たちの企業選びの重視点は、「仕事がおもしろそうだ」と言うことで、続いて、「規模が大きい」「社風がよい」と言うことらしい。
就職観に対する重視項目は、「自分の生活と仕事を両立させたい」とか、「社会に貢献できる仕事がしたい」と言う。
半世紀以上も前の我々の時代でさえ分からなかったのに、仕事が面白そうだとか社風が良いなどと言ったことが分かる筈がないし、第一、21世紀に入ってからのグローバル環境の激動はあまりにも急で、将来どんな世界になるか全く見通せる筈がない。
最初の就職先は、あくまで、社会生活への導入部に過ぎず、学生時代に、十分余裕と柔軟性のある基礎的な能力と実力を備えておいて、実社会に入ったら、艱難辛苦の挑戦を受けて立ち、頑張って活路を切り開く以外に道はないと覚悟すべきである。
後で振り返ってみれば、全く想像だにしなかった人生を歩き、全く思いもつかなかったような世界になっている筈である。
考えて見れば、勉強などせずに、全学連で暴れていたような友や、有名ではない大学を出たりして、就職先に恵まれなかったと思えるような友人たちの方が、その後、はるかに表舞台で活躍している場合が多い。
ガラパゴス化した日本だけは、何十年前の大企業も今でも大企業で残っているが、下克上のアメリカでは、GEやIBMくらいであろうか、しかし、中身は様変わりである。
マイクロソフトもグーグルも影も形もなかった筈だし、かってはエクセレント・カンパニーと誉めそやされた企業の殆どは、消滅してしまっている。
インターネットのお陰で、アマゾンが世界一の本屋となり、それに、紙媒体の本より電子ブックの方が売り上げが多くなったと言うし、ネットショッピングの隆盛で、無用となった有名百貨店がばたばた消えて行く時代であるから、日本の大企業の明日など全く分からない。
もっともっと、世界に視野を広げて想像力を豊かにして、自分の未来像を目を凝らして洞察することで、豊かで確実な基礎能力さえ備えておけば、間違っても、後で取り返しがつくので、まず、何をしたいのか考えることだろうと思う。
街角の小さな店が、ある日突然、大化けする時代なのである。
それやこれやで、この学生たちの就職希望先ランキングを見て、感じたのは、正直なところ、若くて有為な青年たちが、何と消極的で夢がなく、大きな挑戦と試練を受けて立つ気概がないのかと言うことで、いくら、グローバル時代の人材の育成だとかイノベーション立国だと掛け声をかけてみても、これでは、世界を背負って立とうと言う高邁な精神は生まれて来ないであろう。
現代学生気質においても、日本の明日は、それほど期待できないと言うことかも知れない。
目を疑ったのは、我々が就職先を選んでいた頃と、殆ど同じような職種や企業が名前を連ねていることで、この半世紀近くの時代の変化は、一体何であったのかと言う思いである。
東京海上、三菱東京UFJ,三井住友、日本生命、全日空、JTBと言った順序だが、変わっているところと言えば、製造業が幾分後退し、素材産業や建設・開発・不動産関連が完全に消えてしまっていることくらいで、「規模」「一流」「安定」を目指していると言うから、要するに、皆が知っている有名大企業に集中するので変わらないのかも知れない。
しかし、安定と言っても、金融機関を筆頭にして、上位にランクされている企業の大半は、殆どが経営危機に直面した経験のある企業で、第一、衰退産業に属していると言っても過言ではなく、成長性と将来性には多くを期待できない。
その上、現在は、図体が大きいかも知れないが、グローバル・スタンダードで考えれば、決して、経営が一流でもなければ安定もしていない企業も多くて、日本経済と同じで、将来のキャリア・ディベロップメントや生活の安定に必ずしもプラスになるとは思えない。
尤も、私の場合も、成長期で就職には全く心配のない時代だったのだが、遣り甲斐があるであろうと思って、経営危機に陥っていた大企業を回ったけれど、採用しないと言うので諦めた記憶がある。
しかし、あの当時は、昇り龍の日本経済であったから、経営建て直しは比較的容易であったのだが、現在では、全く事情が違っており、泥舟に乗れば必ず沈むし、超一流のグローバル企業であっても、瞬時に崩壊してしまう。
当時、我々同期の京大経済学部の卒業生200人の半分の100人は銀行に、残りの半分の50人は商社に、そして、残りが、製造業や官庁など他に散らばって行った。
その少し前の年代では、証券会社へ行く人が多かったが、いずれにしても、今の学生の選択と同じで、名前の知れた有名企業への就職が大半であった。
良くも悪くも、一流大学を出て一流企業に就職する、そんな時代であったのである。
ところで、現在の学生たちの企業選びの重視点は、「仕事がおもしろそうだ」と言うことで、続いて、「規模が大きい」「社風がよい」と言うことらしい。
就職観に対する重視項目は、「自分の生活と仕事を両立させたい」とか、「社会に貢献できる仕事がしたい」と言う。
半世紀以上も前の我々の時代でさえ分からなかったのに、仕事が面白そうだとか社風が良いなどと言ったことが分かる筈がないし、第一、21世紀に入ってからのグローバル環境の激動はあまりにも急で、将来どんな世界になるか全く見通せる筈がない。
最初の就職先は、あくまで、社会生活への導入部に過ぎず、学生時代に、十分余裕と柔軟性のある基礎的な能力と実力を備えておいて、実社会に入ったら、艱難辛苦の挑戦を受けて立ち、頑張って活路を切り開く以外に道はないと覚悟すべきである。
後で振り返ってみれば、全く想像だにしなかった人生を歩き、全く思いもつかなかったような世界になっている筈である。
考えて見れば、勉強などせずに、全学連で暴れていたような友や、有名ではない大学を出たりして、就職先に恵まれなかったと思えるような友人たちの方が、その後、はるかに表舞台で活躍している場合が多い。
ガラパゴス化した日本だけは、何十年前の大企業も今でも大企業で残っているが、下克上のアメリカでは、GEやIBMくらいであろうか、しかし、中身は様変わりである。
マイクロソフトもグーグルも影も形もなかった筈だし、かってはエクセレント・カンパニーと誉めそやされた企業の殆どは、消滅してしまっている。
インターネットのお陰で、アマゾンが世界一の本屋となり、それに、紙媒体の本より電子ブックの方が売り上げが多くなったと言うし、ネットショッピングの隆盛で、無用となった有名百貨店がばたばた消えて行く時代であるから、日本の大企業の明日など全く分からない。
もっともっと、世界に視野を広げて想像力を豊かにして、自分の未来像を目を凝らして洞察することで、豊かで確実な基礎能力さえ備えておけば、間違っても、後で取り返しがつくので、まず、何をしたいのか考えることだろうと思う。
街角の小さな店が、ある日突然、大化けする時代なのである。
それやこれやで、この学生たちの就職希望先ランキングを見て、感じたのは、正直なところ、若くて有為な青年たちが、何と消極的で夢がなく、大きな挑戦と試練を受けて立つ気概がないのかと言うことで、いくら、グローバル時代の人材の育成だとかイノベーション立国だと掛け声をかけてみても、これでは、世界を背負って立とうと言う高邁な精神は生まれて来ないであろう。
現代学生気質においても、日本の明日は、それほど期待できないと言うことかも知れない。