昨日の日経朝刊に、『首相、内部留保へ課税「検討」』という見出しの記事が載っていた。
現実味は乏しくとしながらも、「大企業対象、月初の否定から一変 「雇用重視」の党方針意識?」とのサブタイトル記事で、共産党の志位委員長の「2010年度予算組み換えを要求する提案」を受けての発言である。
旧来の自公政権が「構造改革」で進めてきた「強い企業をもっと強くすれば、経済が成長し、暮らしも良くなる」と言う路線が立ち行かなくなったので、大企業の過度な内部留保を還元させる政策が必要だとする共産党の見解に対して、首相が、「大企業の内部留保に適当な課税を行うことを検討して見たい」と応えた。
連合を母体の一つとする民主党としては、この共産党の見解に同調しても不思議はないが、根本的な問題は、日本経済が、既に、老衰し切ってしまって崩壊の危機に直面しており、貧しいパイを、中小企業や勤労者の取り分を増やせば良いと言った分配方法を変更すれば済むような悠長な段階にはないと言うことである。
既に、新年度の国家予算において、国債発行額が税収を上回っており、国家財政の赤字額が、GDPの2倍に接近しつつあり、尚且つ、経済成長率が好意的に見て今後2~3%で推移するとするならば、益々、日本経済は破局への道を直進し、肝心の国債の暴落危機に瀕するとしか考えられない。
日本の個人金融資産が、1500兆円あるので、差し引き心配ないと言った議論が実しやかに論じられているが、これは、バランスシート上の数字であって、既に、何らかの形で殆ど使われてしまっている。
後述するが、同じことは、企業の内部留保にも言えることで、借金ではない株主資本の一部ではあるけれど、既に、殆ど何らかの形で資産などに形を変えており、課税されれば、キャッシュフローにマイナスとなり、企業経営を圧迫する要因となることは言うまでもない。
私自身は、国家財政がこんなに悪化し、格差拡大によって国民生活が困窮度を増した原因は、電信柱の長いのも、ポストの赤いのも、すべて、「日本経済が老衰化して、経済成長から見放されてしまったこと」が悪いのだと思っている。
従って、日本経済を再生して国民生活を立て直すためには、今、何をなすべきか。その一つは、世界に冠たる優良な日本の大企業に活を入れることによって、国民のクリエイティブ精神を高揚させてイノベーションを追求する成長戦略を推進することだと思っているので、その大企業の成長意欲を削ぐような「内部留保課税」などは、角を矯めて牛を殺す愚行以外の何ものでもないと思っている。
社会保障関連の支出を別にすれば、日本の法人税率は、先進国中最も高く、国際競争力強化と外資導入促進のためには、この引き下げが、絶対必要な緊急の課題となっている。
更に、これに追い討ちをかけて、内部留保課税によって、二重課税をしようとしているのであるから、何をか況やである。
私が、企業の株主であれば、何故、本社を税金の安い海外に移して節税し、利益の増大と株主のために企業価値の向上を図らないのか、善管注意義務違反(?)ではないかと、経営者に経営責任を追及したいと思っている。
共産党の主張には、企業の内部留保の積み上げで潤沢になったにも拘らず、且つ又、その多くが株主への配当や経営者の報酬などに回ってしまって、賃金給与として、従業員に分配還元されていないので、ペナルティとして内部留保課税を課して、従業員への賃金給与を上げさせよう、そうすれば、格差の解消にもなり、有効需要が増えて経済が上向くと言う考え方があるのであろう。
同じような見解は、早大の「公開会社法の意義を検証する」シンポジウムで、民主党の峰崎直樹財務副大臣が、さも、鬼の首を取ったかのように、ロナルド・ドーア著「誰のための会社にするか」の資料「株主天下への軌跡」を示して、90年度から00年度にかけて、大企業の役員給与+賞与と配当の伸び率が異常に高くなっており、従業員給与の伸びが如何に低いかを、得々と説いていた。
その後の講師池尾和人慶大教授が、元々母数が低いから伸び率が高くなるのは当たり前だと指摘していたのだが、要するに、極論すれば、世界の趨勢から言って、以前には、あまりにも役員報酬や株主への配当が低過ぎたと言う事実の裏返しであって、グローバル水準に近づいたと考えるべきであろう。
後述するが、残念だけれども、グローバリゼーションのために、生産性の低い日本の労働賃金は、むしろ、下落するのが当たり前で、これが、現実化して格差社会の拡大を招いていると言うことである。
共産党が、同時に、経済危機からくらしを守るために、雇用と中小企業の安定をはかるとして、非正規社員から正社員への雇用転換などの他に、全国一律の最低賃金制度を確立して、自給1000円に引き上げるよう提言している。
そのために、中小・零細企業へ必要な賃金助成を行うとしていることについては良いとしても、既に、グローバル経済の潮流が世界中を飲み込んでしまっており、要素価格平準化定理が作用している以上、世界中に、同一職種同一賃金の法則が働いてしまっていて、日本だけ最低賃金を人為的に上げてみても、国際競争力の喪失と市場からの退場を余儀なくされて、雇用のみならず、経済の悪化を招くだけとなる。
バーコードをなぞるだけのような単純労働は、発展途上国の労働者なみの賃金に平準化してしまい、それ以上の賃金を支払うような企業は、(また、国際水準以上の賃金給与を支払う企業は、既に、日本は異常に水準が高いので、)世界市場から駆逐されてしまうと言う厳粛な事実を無視出来ないのである。
日本の労働者の給与水準を上げ待遇を良くするためには、日本経済の活力をフル回転させて国際競争力をアップし、労働者の技術能力を向上させて世界に冠たる生産性の高さを誇る以外に道がないのだと言うことを肝に銘じることである。
ジャック・アタリがいみじくも指摘しているが、市場原理が悪い訳ではない。経済発展のためには、この市場原理に加えて、厚生と民主主義の要素を加えるべきだと言うことである。
市場原理を軽視し、市場原理に泣く経済は、グローバリゼーションの時代には、生きて行けない。
さて、内部留保だが、企業が得た利益から、配当や税金を支払って残った剰余金を蓄積した資金を指すのだが、これに、税金をかけると当然二重課税になり企業の活動意欲を削ぐであろうし、果たして、適切な内部留保とは、どの水準なのか、業態も違えば業種によっても違うし、企業によって千差万別であり、その基準設定など至難の業である筈である。
しかし、この内部留保を云々する前に、その母体である利益とは、一体、企業にとって何を意味するのか理解する必要がある。
私の手元には、1973年にピーター・ドラッカーが著した「MANAGEMENT TASKUS・RESPONSIBITITIES・PRACTICES」(翌年、邦訳二巻本「マメジメント」が出版)があるが、この「第一部 課題(TASKS) 6 ビジネスとは何か」の章で、利益の機能について、利益とは、業績の評価であると同時に、社会的責任を果たす原資であり将来のためのコストであると、明確に、述べている。(同書p71~73 諸説あろうが、私は、この説を取る。)
利益は、企業がマーケティング、革新、生産性向上を行った結果であり、重要な経済的機能を果たしているとして、その機能を次のように列記。
①業績の評価基準
②(将来の)不確実性リスクのためのプレミアム
③より多くのより良い将来のジョブ(雇用)を生み出すための原資
④(健康から国防、教育からオペラと言った)社会の経済的満足とサービスのためのコスト(社会的責任コスト+α)
更に、ドラッカーは、企業自身の将来リスクをカバーするために必要な利益と、企業が事業を継続して、その資源の富を産む能力を損なわないようにするために必要な利益を「必要最小利益」と規定して、経営陣は、この利益確保のために、創造的な企業家でなければならないとしており、およそ、適正利益を確保できない経営者は、善管注意義務違反であり忠実義務違反であるとまで言っている。
創造的な企業家精神を発揮して、価値の創造によって利益を確保追求して行くことが企業の目的であると考えていたドラッカーにとっては、より良い企業への将来の発展成長のためには、利益は、必須な将来コストだと言う認識が強烈であった。
世界最高のビジネスモデルと最高の技術を誇っていたトヨタの躓きを考えれば、ドラッカーの利益は将来コストであると言う真実が、痛いほど良く分かる筈である。
(追記)写真は、雪の朝の「紅妙蓮寺」椿。
現実味は乏しくとしながらも、「大企業対象、月初の否定から一変 「雇用重視」の党方針意識?」とのサブタイトル記事で、共産党の志位委員長の「2010年度予算組み換えを要求する提案」を受けての発言である。
旧来の自公政権が「構造改革」で進めてきた「強い企業をもっと強くすれば、経済が成長し、暮らしも良くなる」と言う路線が立ち行かなくなったので、大企業の過度な内部留保を還元させる政策が必要だとする共産党の見解に対して、首相が、「大企業の内部留保に適当な課税を行うことを検討して見たい」と応えた。
連合を母体の一つとする民主党としては、この共産党の見解に同調しても不思議はないが、根本的な問題は、日本経済が、既に、老衰し切ってしまって崩壊の危機に直面しており、貧しいパイを、中小企業や勤労者の取り分を増やせば良いと言った分配方法を変更すれば済むような悠長な段階にはないと言うことである。
既に、新年度の国家予算において、国債発行額が税収を上回っており、国家財政の赤字額が、GDPの2倍に接近しつつあり、尚且つ、経済成長率が好意的に見て今後2~3%で推移するとするならば、益々、日本経済は破局への道を直進し、肝心の国債の暴落危機に瀕するとしか考えられない。
日本の個人金融資産が、1500兆円あるので、差し引き心配ないと言った議論が実しやかに論じられているが、これは、バランスシート上の数字であって、既に、何らかの形で殆ど使われてしまっている。
後述するが、同じことは、企業の内部留保にも言えることで、借金ではない株主資本の一部ではあるけれど、既に、殆ど何らかの形で資産などに形を変えており、課税されれば、キャッシュフローにマイナスとなり、企業経営を圧迫する要因となることは言うまでもない。
私自身は、国家財政がこんなに悪化し、格差拡大によって国民生活が困窮度を増した原因は、電信柱の長いのも、ポストの赤いのも、すべて、「日本経済が老衰化して、経済成長から見放されてしまったこと」が悪いのだと思っている。
従って、日本経済を再生して国民生活を立て直すためには、今、何をなすべきか。その一つは、世界に冠たる優良な日本の大企業に活を入れることによって、国民のクリエイティブ精神を高揚させてイノベーションを追求する成長戦略を推進することだと思っているので、その大企業の成長意欲を削ぐような「内部留保課税」などは、角を矯めて牛を殺す愚行以外の何ものでもないと思っている。
社会保障関連の支出を別にすれば、日本の法人税率は、先進国中最も高く、国際競争力強化と外資導入促進のためには、この引き下げが、絶対必要な緊急の課題となっている。
更に、これに追い討ちをかけて、内部留保課税によって、二重課税をしようとしているのであるから、何をか況やである。
私が、企業の株主であれば、何故、本社を税金の安い海外に移して節税し、利益の増大と株主のために企業価値の向上を図らないのか、善管注意義務違反(?)ではないかと、経営者に経営責任を追及したいと思っている。
共産党の主張には、企業の内部留保の積み上げで潤沢になったにも拘らず、且つ又、その多くが株主への配当や経営者の報酬などに回ってしまって、賃金給与として、従業員に分配還元されていないので、ペナルティとして内部留保課税を課して、従業員への賃金給与を上げさせよう、そうすれば、格差の解消にもなり、有効需要が増えて経済が上向くと言う考え方があるのであろう。
同じような見解は、早大の「公開会社法の意義を検証する」シンポジウムで、民主党の峰崎直樹財務副大臣が、さも、鬼の首を取ったかのように、ロナルド・ドーア著「誰のための会社にするか」の資料「株主天下への軌跡」を示して、90年度から00年度にかけて、大企業の役員給与+賞与と配当の伸び率が異常に高くなっており、従業員給与の伸びが如何に低いかを、得々と説いていた。
その後の講師池尾和人慶大教授が、元々母数が低いから伸び率が高くなるのは当たり前だと指摘していたのだが、要するに、極論すれば、世界の趨勢から言って、以前には、あまりにも役員報酬や株主への配当が低過ぎたと言う事実の裏返しであって、グローバル水準に近づいたと考えるべきであろう。
後述するが、残念だけれども、グローバリゼーションのために、生産性の低い日本の労働賃金は、むしろ、下落するのが当たり前で、これが、現実化して格差社会の拡大を招いていると言うことである。
共産党が、同時に、経済危機からくらしを守るために、雇用と中小企業の安定をはかるとして、非正規社員から正社員への雇用転換などの他に、全国一律の最低賃金制度を確立して、自給1000円に引き上げるよう提言している。
そのために、中小・零細企業へ必要な賃金助成を行うとしていることについては良いとしても、既に、グローバル経済の潮流が世界中を飲み込んでしまっており、要素価格平準化定理が作用している以上、世界中に、同一職種同一賃金の法則が働いてしまっていて、日本だけ最低賃金を人為的に上げてみても、国際競争力の喪失と市場からの退場を余儀なくされて、雇用のみならず、経済の悪化を招くだけとなる。
バーコードをなぞるだけのような単純労働は、発展途上国の労働者なみの賃金に平準化してしまい、それ以上の賃金を支払うような企業は、(また、国際水準以上の賃金給与を支払う企業は、既に、日本は異常に水準が高いので、)世界市場から駆逐されてしまうと言う厳粛な事実を無視出来ないのである。
日本の労働者の給与水準を上げ待遇を良くするためには、日本経済の活力をフル回転させて国際競争力をアップし、労働者の技術能力を向上させて世界に冠たる生産性の高さを誇る以外に道がないのだと言うことを肝に銘じることである。
ジャック・アタリがいみじくも指摘しているが、市場原理が悪い訳ではない。経済発展のためには、この市場原理に加えて、厚生と民主主義の要素を加えるべきだと言うことである。
市場原理を軽視し、市場原理に泣く経済は、グローバリゼーションの時代には、生きて行けない。
さて、内部留保だが、企業が得た利益から、配当や税金を支払って残った剰余金を蓄積した資金を指すのだが、これに、税金をかけると当然二重課税になり企業の活動意欲を削ぐであろうし、果たして、適切な内部留保とは、どの水準なのか、業態も違えば業種によっても違うし、企業によって千差万別であり、その基準設定など至難の業である筈である。
しかし、この内部留保を云々する前に、その母体である利益とは、一体、企業にとって何を意味するのか理解する必要がある。
私の手元には、1973年にピーター・ドラッカーが著した「MANAGEMENT TASKUS・RESPONSIBITITIES・PRACTICES」(翌年、邦訳二巻本「マメジメント」が出版)があるが、この「第一部 課題(TASKS) 6 ビジネスとは何か」の章で、利益の機能について、利益とは、業績の評価であると同時に、社会的責任を果たす原資であり将来のためのコストであると、明確に、述べている。(同書p71~73 諸説あろうが、私は、この説を取る。)
利益は、企業がマーケティング、革新、生産性向上を行った結果であり、重要な経済的機能を果たしているとして、その機能を次のように列記。
①業績の評価基準
②(将来の)不確実性リスクのためのプレミアム
③より多くのより良い将来のジョブ(雇用)を生み出すための原資
④(健康から国防、教育からオペラと言った)社会の経済的満足とサービスのためのコスト(社会的責任コスト+α)
更に、ドラッカーは、企業自身の将来リスクをカバーするために必要な利益と、企業が事業を継続して、その資源の富を産む能力を損なわないようにするために必要な利益を「必要最小利益」と規定して、経営陣は、この利益確保のために、創造的な企業家でなければならないとしており、およそ、適正利益を確保できない経営者は、善管注意義務違反であり忠実義務違反であるとまで言っている。
創造的な企業家精神を発揮して、価値の創造によって利益を確保追求して行くことが企業の目的であると考えていたドラッカーにとっては、より良い企業への将来の発展成長のためには、利益は、必須な将来コストだと言う認識が強烈であった。
世界最高のビジネスモデルと最高の技術を誇っていたトヨタの躓きを考えれば、ドラッカーの利益は将来コストであると言う真実が、痛いほど良く分かる筈である。
(追記)写真は、雪の朝の「紅妙蓮寺」椿。