正月の歌舞伎は、初春の祝いを兼ねて、華やかな舞台が展開されるのだが、昼の部の最後は、いわば、恒例の曽我物の代表「寿曽我対面」で、正に、磨き抜かれた様式美の極致を魅せて素晴らしい。
工藤祐経の吉右衛門は、悪と言うよりは重厚なる風格を備えた重臣と言った感じで座を引き締め、敵を討つ兄弟で柔和で大人しい和事の曽我十郎の梅玉と荒々しい荒事の曽我五郎の三津五郎の芸の対照、それに、コミカルで道化回しの小林朝比奈の歌昇や優雅で豪華な大磯の虎の芝雀などを筆頭に、芸達者な役者たちが、華麗な舞台を展開していて、錦絵の連続シーンを見ているような感じにさせてくれる。
わびさびが、日本芸術の精神のように言われているが、実際の日本芸術の華は、歌舞伎に代表されるような絢爛豪華な極彩色の世界でもあると言うことであろうか。
ところで、この舞台の話は、至って単純で、18年前に工藤が討った河津三郎の遺児である曽我兄弟の十郎五郎が、朝比奈の仲介で、祐経の巻狩の総奉行就任の祝宴を興じているところへ招き出でられ、仇を討とうとして逸る五郎を十郎に諭して朝比奈が押し止める。祐経は、兄弟に杯を与え、源氏の重宝友切丸の探索が先決であり、巻狩が終わるまで待てと、年玉がわりに狩場の通切手「通行手形」を渡して再会(すなわち、討たれること)を約する。
これだけの話だが、とにかく、歌舞伎の様式美や約束事など歌舞伎のあらゆる芸のエッセンスを凝縮したようなシーンの連続で、西洋演劇に慣れた観客には、最初は、どこが良いのか分からない程、日本の舞台芸術の華を詰め込んだ舞台なのである。
兄弟の父親の実名は、河津祐泰だが、母満江が、曽我祐信と再婚して、兄が曽我十郎として家督を継いだので曽我兄弟となっている。実際には、仇討後、討たれたり斬首されたりしており、二人の後見が北条時政であったこともあり、頼朝の宿所を襲って暗殺を謀ったと言う話なども残っているなど生々しい話があって、歌舞伎とは違った展開をしていて興味深い。仇討とは、悲惨で壮絶なものなのである。
曽我兄弟については、高名な経済学者である市村真一教授から、ある合宿で、正調黒田節だと言って、「吉野山も嵐山も 花が咲かねば ただの山 曽我兄弟も大石も 仇討たねば ただの人」と教えて貰ったのが最初で、いやに鮮明に覚えている。
今回の舞台で、面白かったのは、冒頭の「御摂勧進帳」で、あの安宅関での義経・弁慶一行と富樫左衛門との遭遇舞台の「勧進帳」と同じ題材を基にした芝居なのだが、そのバリエーションが面白い。
シェイクスピア戯曲でも歌舞伎でも、台本があっても古い芝居と言う芝居は、上演される毎に脚色されたり改変されて、どんどん、改作や別バージョンが生まれているのだが、これもその類で、いつものスタンダード・ナンバーたる決定的なシーンを楽しもうと思って期待して見ていても、肩透かしを食うことがあり、ベター・バージョンを見ることは少ない。
今回は、関所の詮議役が、富樫(歌六)だけではなく、猜疑心の強い斎藤次祐家(彌十郎)が登場しており、弁慶(橋之助)の偽勧進帳読み上げや義経(錦之助)打擲に心を打たれて通過を許す富樫に反発して、腹の虫が納まらない斎藤次が、弁慶に縄をかけて止め置く。弁慶は、義経一行が、安全なところまで落ち延びたのを見計らって縄を切り、番卒や家来の首を切って天水桶に投げ込み、二本の金剛杖でかき回すと言う豪快な荒事が加わるので、「芋洗い勧進帳」と呼ばれている。
お馴染みの山伏の井出達と違って荒事に近い恰好で登場する橋之助の弁慶は、中々、豪快で大きな舞台を見せていて、これまでの弁慶役者とは違った新境地の弁慶像を作り出していて興味深い。
颯爽とした品格のある歌六の富樫と、憎々しくて意地の悪いしかし能吏の彌十郎の灰汁の強い性格俳優ぶりとが好対照で面白く、それに、最後の芋洗いの弁慶と番卒たちとの立ち回りのサービス精神旺盛な馬鹿馬鹿らしさも、新春ならの趣向であろうか。
「妹背山婦女庭訓」は、「三笠山御殿」の場で、冒頭は、鎌足の家来金輪五郎が漁師鱶七(團十郎)が登場して蘇我入鹿(左團次)との傍若無人の対面で、入鹿の妹橘姫(芝雀)の帰還と苧環の糸に引かれて辿り着いた鎌足の息子淡海(芝翫)との夫婦約束のシーン、最後は、恋しい求馬(淡海)を追いかけて来た杉酒屋の娘お三輪(福助)が官女たちに散々辱められ甚振られて嫉妬に狂い、金輪五郎に淡海の巧の為と殺されて行くシーンと続く。
お三輪は、疑着の相が現れた女の血が、白い牝鹿の生血を母親が飲んで生まれた入鹿の魔力を打ち消すとして生贄にされて、淡海の北の方と鱶七に称されて死んで行くのだが、この舞台の主役は、この悲劇の田舎娘お三輪で、少し前に、簔助の素晴らしい舞台を見たのだが、福助も歌右衛門の薫陶を受けて伝統の芸を継承しており、実に上手い。
淡海に一途に会いたいばかりに官女たちのあらぬ限りの嫌がらせに耐え忍ぶ初心な田舎娘から、男の不実に泣き男を取られた悔しさと、散々に苛め抜かれた屈辱に蛇となって狂い死にせんばかりの形相で突き進み、鱶七に脇腹を抉られる断末魔の姿、そして、高貴の北の方として死んで行く喜びと、淡海ではなくただの求馬を愛して一目会いたいと希いながら果てようとする揺れ動く心の綾を、福助は実に感動的に表現していた。
豪快でスケールの大きな團十郎の鱶七は決定版であろうし、公家悪の極致とも言うべき左團次の入鹿も重厚な舞台を見せていたが、私には、淡々と優雅な求馬を演じていた芝翫のクラシカルな若殿ぶりや、淑やかで初々しい芝雀の橘姫の二人の演じたお互いの素性を明かしながらの愛のシーンは、錦絵のからくりを見ているようで面白かった。
その芝翫が、今日から休演と言うことだが、私にとっては幸いであった。
(追記)富十郎さんが、急逝されたと言う訃報を朝のニュースで見て劇場に出かけたのだが、劇場にも訃報情報が掲示されていた。
あれほど、お元気だったので信じられない気持ちで、非常に残念で仕方がないが、ご冥福を心からお祈り申し上げたい。
工藤祐経の吉右衛門は、悪と言うよりは重厚なる風格を備えた重臣と言った感じで座を引き締め、敵を討つ兄弟で柔和で大人しい和事の曽我十郎の梅玉と荒々しい荒事の曽我五郎の三津五郎の芸の対照、それに、コミカルで道化回しの小林朝比奈の歌昇や優雅で豪華な大磯の虎の芝雀などを筆頭に、芸達者な役者たちが、華麗な舞台を展開していて、錦絵の連続シーンを見ているような感じにさせてくれる。
わびさびが、日本芸術の精神のように言われているが、実際の日本芸術の華は、歌舞伎に代表されるような絢爛豪華な極彩色の世界でもあると言うことであろうか。
ところで、この舞台の話は、至って単純で、18年前に工藤が討った河津三郎の遺児である曽我兄弟の十郎五郎が、朝比奈の仲介で、祐経の巻狩の総奉行就任の祝宴を興じているところへ招き出でられ、仇を討とうとして逸る五郎を十郎に諭して朝比奈が押し止める。祐経は、兄弟に杯を与え、源氏の重宝友切丸の探索が先決であり、巻狩が終わるまで待てと、年玉がわりに狩場の通切手「通行手形」を渡して再会(すなわち、討たれること)を約する。
これだけの話だが、とにかく、歌舞伎の様式美や約束事など歌舞伎のあらゆる芸のエッセンスを凝縮したようなシーンの連続で、西洋演劇に慣れた観客には、最初は、どこが良いのか分からない程、日本の舞台芸術の華を詰め込んだ舞台なのである。
兄弟の父親の実名は、河津祐泰だが、母満江が、曽我祐信と再婚して、兄が曽我十郎として家督を継いだので曽我兄弟となっている。実際には、仇討後、討たれたり斬首されたりしており、二人の後見が北条時政であったこともあり、頼朝の宿所を襲って暗殺を謀ったと言う話なども残っているなど生々しい話があって、歌舞伎とは違った展開をしていて興味深い。仇討とは、悲惨で壮絶なものなのである。
曽我兄弟については、高名な経済学者である市村真一教授から、ある合宿で、正調黒田節だと言って、「吉野山も嵐山も 花が咲かねば ただの山 曽我兄弟も大石も 仇討たねば ただの人」と教えて貰ったのが最初で、いやに鮮明に覚えている。
今回の舞台で、面白かったのは、冒頭の「御摂勧進帳」で、あの安宅関での義経・弁慶一行と富樫左衛門との遭遇舞台の「勧進帳」と同じ題材を基にした芝居なのだが、そのバリエーションが面白い。
シェイクスピア戯曲でも歌舞伎でも、台本があっても古い芝居と言う芝居は、上演される毎に脚色されたり改変されて、どんどん、改作や別バージョンが生まれているのだが、これもその類で、いつものスタンダード・ナンバーたる決定的なシーンを楽しもうと思って期待して見ていても、肩透かしを食うことがあり、ベター・バージョンを見ることは少ない。
今回は、関所の詮議役が、富樫(歌六)だけではなく、猜疑心の強い斎藤次祐家(彌十郎)が登場しており、弁慶(橋之助)の偽勧進帳読み上げや義経(錦之助)打擲に心を打たれて通過を許す富樫に反発して、腹の虫が納まらない斎藤次が、弁慶に縄をかけて止め置く。弁慶は、義経一行が、安全なところまで落ち延びたのを見計らって縄を切り、番卒や家来の首を切って天水桶に投げ込み、二本の金剛杖でかき回すと言う豪快な荒事が加わるので、「芋洗い勧進帳」と呼ばれている。
お馴染みの山伏の井出達と違って荒事に近い恰好で登場する橋之助の弁慶は、中々、豪快で大きな舞台を見せていて、これまでの弁慶役者とは違った新境地の弁慶像を作り出していて興味深い。
颯爽とした品格のある歌六の富樫と、憎々しくて意地の悪いしかし能吏の彌十郎の灰汁の強い性格俳優ぶりとが好対照で面白く、それに、最後の芋洗いの弁慶と番卒たちとの立ち回りのサービス精神旺盛な馬鹿馬鹿らしさも、新春ならの趣向であろうか。
「妹背山婦女庭訓」は、「三笠山御殿」の場で、冒頭は、鎌足の家来金輪五郎が漁師鱶七(團十郎)が登場して蘇我入鹿(左團次)との傍若無人の対面で、入鹿の妹橘姫(芝雀)の帰還と苧環の糸に引かれて辿り着いた鎌足の息子淡海(芝翫)との夫婦約束のシーン、最後は、恋しい求馬(淡海)を追いかけて来た杉酒屋の娘お三輪(福助)が官女たちに散々辱められ甚振られて嫉妬に狂い、金輪五郎に淡海の巧の為と殺されて行くシーンと続く。
お三輪は、疑着の相が現れた女の血が、白い牝鹿の生血を母親が飲んで生まれた入鹿の魔力を打ち消すとして生贄にされて、淡海の北の方と鱶七に称されて死んで行くのだが、この舞台の主役は、この悲劇の田舎娘お三輪で、少し前に、簔助の素晴らしい舞台を見たのだが、福助も歌右衛門の薫陶を受けて伝統の芸を継承しており、実に上手い。
淡海に一途に会いたいばかりに官女たちのあらぬ限りの嫌がらせに耐え忍ぶ初心な田舎娘から、男の不実に泣き男を取られた悔しさと、散々に苛め抜かれた屈辱に蛇となって狂い死にせんばかりの形相で突き進み、鱶七に脇腹を抉られる断末魔の姿、そして、高貴の北の方として死んで行く喜びと、淡海ではなくただの求馬を愛して一目会いたいと希いながら果てようとする揺れ動く心の綾を、福助は実に感動的に表現していた。
豪快でスケールの大きな團十郎の鱶七は決定版であろうし、公家悪の極致とも言うべき左團次の入鹿も重厚な舞台を見せていたが、私には、淡々と優雅な求馬を演じていた芝翫のクラシカルな若殿ぶりや、淑やかで初々しい芝雀の橘姫の二人の演じたお互いの素性を明かしながらの愛のシーンは、錦絵のからくりを見ているようで面白かった。
その芝翫が、今日から休演と言うことだが、私にとっては幸いであった。
(追記)富十郎さんが、急逝されたと言う訃報を朝のニュースで見て劇場に出かけたのだが、劇場にも訃報情報が掲示されていた。
あれほど、お元気だったので信じられない気持ちで、非常に残念で仕方がないが、ご冥福を心からお祈り申し上げたい。