今月の国立劇場の文楽では昼の第一部は、かなり空席があるのだが、夜の第二部の公演の方は、人気が高くて沸いている感じである。
やはり、プログラムの関係であろうか、国立劇場でも32年ぶりの公演だと言う加藤清正をテーマにした「八陣守護城」が、ポピュラーではなく、それに、玉女や和生や清十郎と言ったエース級の人形遣いの熱演や、咲大夫と燕三の名調子をもってしても、
第二部の方は、吃又の抜け絵の「土佐将監閑居の場」、お園の口説きの「酒屋の段」、それに、阿古屋が琴、三味線、胡弓を演じる「阿古屋琴責の段」と言ったお馴染みの有名舞台に、人間国宝を筆頭に、素晴らしい三業の演者たちが芸を競うのであるから、人気の出るのも当然であろう。
まず、土佐将監閑居の場だが、今の文楽は、近松門左衛門の原作とは大分違った改作で、最後の方は歌舞伎とも違っていて面白い。
原作では、浮世又平の吃音は治らず終いだが、歌舞伎では、節がつくと吃らないことになり、この文楽では、更に故事を引いて、将監が、餞別にと手水鉢を真っ二つに切ると吃りが治ることになっている。
とにかく、宮中お抱えの絵師仲間の争いで勅勘を受けて山科でわび住いをしている将監から、土佐の名字を貰いたくて、観光客相手に大津絵を売りながら糊口をしのいでいる極貧の浮世又平夫婦が、手土産を持って見舞いに日参しているのだが、弟弟子に先を越されてしまって、絶望して、この世の名残に決死の覚悟で、石塔と定めた手水鉢に描いた自画像が、突き抜けて反対側に浮き出ると言う奇跡が現出して、認められると言う話。
幸田露伴ののっそり十兵衛を思わせる物語なのだが、土佐の名字を貰いたくて吃音でままならないながらも必死になって師匠に苦衷を訴える浮世又平を、昼の部で豪快な加藤正清を遣った玉女が、一転して、非常にキメ細かく世話物の貧しい絵描きを演じており、夫思いの健気で優しい女房おとくを、付きつ離れつ甲斐甲斐しく、人間国宝の文雀が演じていて感動的であり、それに増幅して、人間国宝の住大夫の語りと錦糸の三味線が、難しい吃音を操りながら、時には肺腑を抉り、時には、感涙を催させ、深い感動を与える。
ただ一点だけ気になったのは、クライマックスとなる自画像が御影石を抜けるシーンだが、
”・・・又平うなづき筆を染め、石面に差し向かひ、『これ生涯の名残の絵、姿は苔に朽ちるとも、名は石魂に止まれ』とわが姿を我が筆の、念力や徹しけん。厚さ尺余の御影石。裏へと通って筆の勢ひ、墨も消えず両方より一度に書いたるごとくなり 将監大いに驚き入り・・・”
と住大夫が語り続けるので、あまりにも間が短すぎて、すぐに、背後の衾が開いて将監夫妻が出て来てしまって、ワンテンポ・タイミングがずれてから、絵抜けをおとくが見つけて驚嘆して、手探りでにじり寄って又平の手を引いて抜け絵を見せて狂喜すると言うアクションが続くことになって、歌舞伎のような、感動の余韻が薄れてしまうのである。
次の「艶容女舞衣」の「酒屋の段」の見どころは、何と言っても、嫁になりながら一度も夫と情を交わしたことのない処女妻お園が、「今頃は半七様、どこにどうしてござらうぞ。今更返らぬことながら、・・・」と、夫の憂き目は自分故にと、自らを責めて泣き咽ぶ「お園のクドキ」のシーンで、簔助の遣うお園がせつせつと胸の苦衷をかき口説き訴えかける悲しさ哀れさが堪らないほど感動を呼び、その人形とも思えないお園が醸し出す悲哀に満ちた優雅さ女らしさ神々しいような美しさが絶品であり、これだけ観るだけでも観劇の価値はある。
”こそは入相の 鐘に散り行く花よりも、あたら盛りをひとり寝の、お園を連れて父親が、・・・”茜屋の門口に佇むお園の登場から舞台が高揚し、正に絵になる素晴らしい舞台で、それに、切場の嶋大夫と富助、人間国宝源大夫と藤蔵の語りと三味線が、更に輪をかけて感動的であり、話としては、現代離れはしているが、親子の情、夫婦の情など、人間の愛おしさが理屈抜きに胸に迫って堪らなくなる。
最後は、『壇浦兜軍記』の「阿古屋琴責の段」で、勘十郎の遣う阿古屋は、傾城の中でも大役の一つとされていて、豪華な打掛や俎板帯という典型的な傾城の姿で登場するのだが、私は、歌舞伎で一度、玉三郎の舞台を観たのだが、阿古屋の玉三郎は、舞台上で実際に琴・三味線・胡弓を見事に演奏したので感激したのを覚えている。実際には、阿古屋の心情も表現しなくてはならないとかで、歌舞伎では非常に難しい役なのであろうが、文楽では、実際の三曲は、三味線を弾く人間国宝鶴澤寛治の孫である鶴澤寛太郎が弾いていた。
7年前に、国立劇場で見た時には、簔助が阿古屋の主遣いで、勘十郎が左を遣っていた。
この阿古屋は、人形遣いの三人とも、出遣いなので、顔が見えるのである。
私の席が、寛太郎にかなり近かったので、人形と寛太郎の指遣いを両方見ながら聞いていたのだが、人形が実際に演奏しているように見せるためには、三曲の演奏の実際を知っていなければ、中々うまく行かないのではないかと思う。
前回と今回と見ていて、勘十郎の手つきが一番正確だったような気がしている。
ところで、勘十郎の阿古屋だが、登場の時点から、正に、遊女の中でも最上級の貫録十分で、花魁道中の雰囲気で出て来て、一歩も臆することなく詮議する代官秩父庄司重忠(和生)と岩永左衛門(玉志)に対する。
お尋ね者の景清の行方を吐かせるために阿古屋を詮議するのだが、三曲を演じさせて、その演奏に微塵も狂いがないので、知らないと判断して放免すると言うこれだけの話なのだが、非常に、見栄えのする素晴らしい舞台だと思う。
実際の太夫は、京都島原の輪違屋でかしの式を観たくらいで、良く分からないが、勘十郎の阿古屋は、堂々たる貫録で、流石にと思って見ていた。
やはり、プログラムの関係であろうか、国立劇場でも32年ぶりの公演だと言う加藤清正をテーマにした「八陣守護城」が、ポピュラーではなく、それに、玉女や和生や清十郎と言ったエース級の人形遣いの熱演や、咲大夫と燕三の名調子をもってしても、
第二部の方は、吃又の抜け絵の「土佐将監閑居の場」、お園の口説きの「酒屋の段」、それに、阿古屋が琴、三味線、胡弓を演じる「阿古屋琴責の段」と言ったお馴染みの有名舞台に、人間国宝を筆頭に、素晴らしい三業の演者たちが芸を競うのであるから、人気の出るのも当然であろう。
まず、土佐将監閑居の場だが、今の文楽は、近松門左衛門の原作とは大分違った改作で、最後の方は歌舞伎とも違っていて面白い。
原作では、浮世又平の吃音は治らず終いだが、歌舞伎では、節がつくと吃らないことになり、この文楽では、更に故事を引いて、将監が、餞別にと手水鉢を真っ二つに切ると吃りが治ることになっている。
とにかく、宮中お抱えの絵師仲間の争いで勅勘を受けて山科でわび住いをしている将監から、土佐の名字を貰いたくて、観光客相手に大津絵を売りながら糊口をしのいでいる極貧の浮世又平夫婦が、手土産を持って見舞いに日参しているのだが、弟弟子に先を越されてしまって、絶望して、この世の名残に決死の覚悟で、石塔と定めた手水鉢に描いた自画像が、突き抜けて反対側に浮き出ると言う奇跡が現出して、認められると言う話。
幸田露伴ののっそり十兵衛を思わせる物語なのだが、土佐の名字を貰いたくて吃音でままならないながらも必死になって師匠に苦衷を訴える浮世又平を、昼の部で豪快な加藤正清を遣った玉女が、一転して、非常にキメ細かく世話物の貧しい絵描きを演じており、夫思いの健気で優しい女房おとくを、付きつ離れつ甲斐甲斐しく、人間国宝の文雀が演じていて感動的であり、それに増幅して、人間国宝の住大夫の語りと錦糸の三味線が、難しい吃音を操りながら、時には肺腑を抉り、時には、感涙を催させ、深い感動を与える。
ただ一点だけ気になったのは、クライマックスとなる自画像が御影石を抜けるシーンだが、
”・・・又平うなづき筆を染め、石面に差し向かひ、『これ生涯の名残の絵、姿は苔に朽ちるとも、名は石魂に止まれ』とわが姿を我が筆の、念力や徹しけん。厚さ尺余の御影石。裏へと通って筆の勢ひ、墨も消えず両方より一度に書いたるごとくなり 将監大いに驚き入り・・・”
と住大夫が語り続けるので、あまりにも間が短すぎて、すぐに、背後の衾が開いて将監夫妻が出て来てしまって、ワンテンポ・タイミングがずれてから、絵抜けをおとくが見つけて驚嘆して、手探りでにじり寄って又平の手を引いて抜け絵を見せて狂喜すると言うアクションが続くことになって、歌舞伎のような、感動の余韻が薄れてしまうのである。
次の「艶容女舞衣」の「酒屋の段」の見どころは、何と言っても、嫁になりながら一度も夫と情を交わしたことのない処女妻お園が、「今頃は半七様、どこにどうしてござらうぞ。今更返らぬことながら、・・・」と、夫の憂き目は自分故にと、自らを責めて泣き咽ぶ「お園のクドキ」のシーンで、簔助の遣うお園がせつせつと胸の苦衷をかき口説き訴えかける悲しさ哀れさが堪らないほど感動を呼び、その人形とも思えないお園が醸し出す悲哀に満ちた優雅さ女らしさ神々しいような美しさが絶品であり、これだけ観るだけでも観劇の価値はある。
”こそは入相の 鐘に散り行く花よりも、あたら盛りをひとり寝の、お園を連れて父親が、・・・”茜屋の門口に佇むお園の登場から舞台が高揚し、正に絵になる素晴らしい舞台で、それに、切場の嶋大夫と富助、人間国宝源大夫と藤蔵の語りと三味線が、更に輪をかけて感動的であり、話としては、現代離れはしているが、親子の情、夫婦の情など、人間の愛おしさが理屈抜きに胸に迫って堪らなくなる。
最後は、『壇浦兜軍記』の「阿古屋琴責の段」で、勘十郎の遣う阿古屋は、傾城の中でも大役の一つとされていて、豪華な打掛や俎板帯という典型的な傾城の姿で登場するのだが、私は、歌舞伎で一度、玉三郎の舞台を観たのだが、阿古屋の玉三郎は、舞台上で実際に琴・三味線・胡弓を見事に演奏したので感激したのを覚えている。実際には、阿古屋の心情も表現しなくてはならないとかで、歌舞伎では非常に難しい役なのであろうが、文楽では、実際の三曲は、三味線を弾く人間国宝鶴澤寛治の孫である鶴澤寛太郎が弾いていた。
7年前に、国立劇場で見た時には、簔助が阿古屋の主遣いで、勘十郎が左を遣っていた。
この阿古屋は、人形遣いの三人とも、出遣いなので、顔が見えるのである。
私の席が、寛太郎にかなり近かったので、人形と寛太郎の指遣いを両方見ながら聞いていたのだが、人形が実際に演奏しているように見せるためには、三曲の演奏の実際を知っていなければ、中々うまく行かないのではないかと思う。
前回と今回と見ていて、勘十郎の手つきが一番正確だったような気がしている。
ところで、勘十郎の阿古屋だが、登場の時点から、正に、遊女の中でも最上級の貫録十分で、花魁道中の雰囲気で出て来て、一歩も臆することなく詮議する代官秩父庄司重忠(和生)と岩永左衛門(玉志)に対する。
お尋ね者の景清の行方を吐かせるために阿古屋を詮議するのだが、三曲を演じさせて、その演奏に微塵も狂いがないので、知らないと判断して放免すると言うこれだけの話なのだが、非常に、見栄えのする素晴らしい舞台だと思う。
実際の太夫は、京都島原の輪違屋でかしの式を観たくらいで、良く分からないが、勘十郎の阿古屋は、堂々たる貫録で、流石にと思って見ていた。