熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ジム・オニール著「次なる経済大国」(1)

2012年05月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   BRIC'sは、最早、新興国ではない。この古い考え方から抜け出すために、「成長国市場 the new growth markets」と言うコンセプトを考案したのだと言う。
   この「成長国市場」のメンバーは、BRIC'sの4か国と、韓国、インドネシア、メキシコ、トルコである。
   次の成長国市場の予備軍は、エジプト、ナイジェリア、フィリピンであり、
   残りのネクスト・イレヴンN-21は、バングラディッシュ、イラン、パキスタン、ベトナムである。

   ジム・オニールは、人口動態と生産性の重要な関連性に注目しており、テクノロジーの発展によって齎されたグローバリゼーションが、万人が恩恵を得るものと考えているので、意図的に人口大国を選んで、次なる経済大国として列挙している。
   そして、生産性向上の潜在的可能性は、先進国より発展途上国においてかなり大きく、また、欧米でも労働人口と労働時間の拡大が経済成長を牽引して来たので、労働力が若くて、拡大傾向にある国では、生産効率が高まるため、実質GDPが大きく増加すると考えているのである。

   尤も、生産性向上に成功した国としなかった国との違いを分ける重要な要因として、安定したマクロ経済的バックグラウンド、インフレ抑制策や健全な国家財政、協力で安定した政治制度、貿易や外国直接投資にたいする開放制、最新テクノロジーの適用、高等教育などの健全な政策などを上げているのだが、N-11には、人口だけが多いだけで、このような健全性から程遠い国が加えられている。
   殆ど投資家のレーダーに引っかからないと指摘するナイジェリア、バングラディッシュ、ベトナムも、夫々に異なるが、どの国も興味深い潜在力を持ち、投資家も注目すべきだとしているのだが、エジプト、パキスタン、イランなど極めてカントリー・リスクの高い国を交える等、そのままでは納得できない。
   最近、BRICSと言う呼称で脚光を浴びているSの南アフリカに対して辛口評価なのは、人口が少ないからであろうか。

   どの国であれ、BRIC's大国並みになるためには、膨大な人口、強い成長の兆し、高い成長環境スコアGESが必要だが、N-11の諸国には、これらを満たしていないと言う。
   GESは、著者たちの編み出した成長指数で、13項目のマクロ、ミクロの経済変数を数値化したものであるが、どちらかと言うと文明が発展し成熟した経済社会環境を持つ社会への道標で、現実にも、BRIC'sの国でも、この数値は低いようであり、N-11の数値に至っては、かなり低いと言う。

   ジム・オニールが、BRIC'sの中で、最も優等生だと考えているのは中国で、この宿敵中国の目覚ましい成功によって、インドの多くの政策担当者が刺激を受けて、世界経済に幅広く拘わるようになって成長し、中国の成功は、同様に、N-11諸国のいくつかを刺激していると言う。

   ジム・オニールは、人類の未来については、極めて楽観的で、欧米でかなり勢力を持つ新興国危険論など一蹴して、グローバリゼーションの進展も、N-11などの台頭も、総て先進国にとっても良いことであり、2050年のBRIC's経済予測で心配なのは、飢えた新しい世界を満たすだけの資源がないことだが、これまで、マルサスの恐れた最悪の事態が一度も訪れて来なかったように、テクノロジーの発展が総てを解決してくれると考えている。

   私は、BRIC'sの経済成長と大国への台頭の最大の要因は、政治革命にあると考えており、特に、その国のトップのあり方で、中国の小平、インドのマンモハン・シン、ロシアのウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン、ブラジルのフェルナンド・エンリケ・カルドーゾとルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァたちの政治的指導力と強引な改革革新が、経済改革に火を灯したのだと思っている。
   それに、ベルリンの壁の崩壊とICT革命によって始動したグローバリゼーションの進展が後押しして、完全にグローバルベースで、地球経済をフラット化してしまったからである。
   かって、ロストウが説いた「経済発展段階説」など今昔の感だが、私は、今こそ、政治経済学の回帰だと思っている。

   この本のタイトルは、「THE GROWTH MAP」で、邦訳本の「次なる経済大国」と言う様なN-11に主眼を置いた本ではなく、N-11を取り込んだ「成長国市場」について論じた本で、BRIC'sの現状や世界経済との関わりを主眼とした経済発展マップであり、次なる経済大国への誘いを期待して読むと失望する。
   
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日本経済における寡占の可否

2012年05月12日 | 政治・経済・社会
   日本経済につては、全幅の信頼を置いて、その活力と将来展望には、全くの疑いを持っていない増田悦佐の「それでも「日本は死なない」これだけの理由」を読んでいると、「新日鐵と住友金属工業の合併は天下の愚策」とか「独占企業の横暴で国民がバカを見る」と言った調子で、独占企業の悪を糾弾している。
   欧米では、各業種で事実上の独占体制を維持している企業が多く、市場に対して価格支配力を持っているから、自社に利益を極大化する商品を売るので、利益率の高いのは当然だが、独占が齎す高利益率に慣れると、緩急開発や販売活動と言った地道な努力を怠り、「規模の経済」をフル活用して、より安い商品を消費者に提供するなどと言うことは絵空事になる。
   新日鐵と住金が合併すれば、新会社が大きな価格支配力を握ることとなって、日本経済にとっては、事態を深刻化させるだけだと言うのである。
   このケースは、公取が承認し、今年、10月1日に、新日鉄住金が発足することになっている。

   日本では、多くの産業分野で、ガリバー型寡占や準独占で価格支配力を持った企業が少なく、これは、独占企業が多い欧米より、企業間競争によって同じ品質のものを安く買えるから、社会全体にとって文句なしに良い。
   寡占企業同士の競争の激しさが、このデフレ環境の中でも、品質に妥協せず、より安いより良い製品を開発し、業界での地位を高める企業の成長を促し、日本企業の強みになっている。
   激しい寡占競争の結果として慢性的に企業利益が低いのは、日本の利点であって、この利点を認めずに、大手企業だけが儲かり、消費者が損ばかりする欧米型の経済に強引に変えてしまおうと言うのが、外資系経営コンサルタントで、M&Aなどは金融機関が儲かるだけである。
   特許出願件数でサムソンが凋落したのは、国民経済の形を日本型の財閥グループ間の切磋琢磨から、欧米型の一人勝ち経済に変えてしまったことの弊害だと言うのである。

   日本人は、昔から競争すれば共倒れになるから談合してでも調整しようと、競争にはネガティブな考え方をしており、欧米特にアングロサクソン系では、競争が金科玉条のように称えられてきた筈なのに、逆に、日本の方が激烈な寡占競争下にあり、欧米の方が独占傾向が強いと言うのは面白い現象である。
   
   ところで、グローバリゼーションの進展で、企業の競争原理も大きく様変わりして、「国内では独占的シェアをしめるかもしれないが、グローバル・ベースでは、シェアが小さくて、国際競争力の欠如によって駆逐される心配があるので、シェアは、国内だけで考えてはダメである」と言う議論が台頭してきている。
   そんな考え方に立てば、合併後の新日鐵住金のシェアは、拡大するのだが、トップのアルセロール・ミタルには、まだ、はるかに及ばない。
   グローバル・ベースでは、例え最強ではなくても、日本では、強力な価格支配力を持つことになり、増田氏の説く独占による国内経済への弊害は当然のこととして出てくる可能性がある。

   ところで、少し次元は違うのだが、独占禁止法の罪として、公取の厳格な法に基づく競争原理の追及は非常時を迎えている日本には、相応しくないと主張するのが、「救国のレジリエンス」の藤井聡教授である。
   「震災を想像すれば、公取が躍起になって実現しようとしている、すべての企業をバラバラに分断して、ギスギスした無機質なマーケットの中で、互いに激しい競争を差せるような状態を維持し続けることが、必ずしも「公に正しい」こととは言えない。」と言うのである。
   万一の震災が発生してしまえば、そのマーケットに入っているすべての企業が協力しながら、その難局を克服して行くことが求められるので、普段から、過剰に競争ばかりするのではなく、一定の提携をきちんと結んでおくのが、グローバル化した今日において特に必要となっているのであるから、もっと、独禁法の適用を緩めよと言うのである。
   当然、藤井教授は、新日鐵と住金の合併には賛成である。

   日本の経済は、旧財閥や金融その他経済グループのワンセット主義のために、あらゆる業界において、夫々のグループを代表する企業間の極めて激しい寡占競争下で進展してきており、そのことが日本経済の活力となり経済成長を促進してきたことは否めないが、しかし、熾烈な過当競争故に、無駄を生み出し、極めて非効率な側面を惹起してきたことも事実である。
   ウイナー・テイクス・オールと言うか、その業界において、断トツの一位でなければ、利益基調を維持できなくなってしまった極めて厳しいグローバリゼーション時代の企業活動においては、フェアな競争原理の維持は必須だが、国内市場のみならず、世界的な規模での競争環境を十分考慮しながら、独禁法を適用することも大切であろう。
   私自身は、ワンセット主義の弊害だと思うのだが、とにかく、一つの産業に、あまりにも多くの企業が存在し、激しい過当競争に明け暮れているのは、非常に大きな企業活動の無駄であり経営資源の浪費であると思っているので、必ずしも、呉越同舟の合併が良いとは思えないが、何らかの形で、企業数を整理すべきだと思っている。
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中国で潤うラグジュアリー・ビジネス

2012年05月10日 | 経営・ビジネス
    中国は、最初は安い労働力から利益を得ようと先進国の企業がラッシュして、輸出主導で経済発展が齎されたが、最早、コストの低さを利用して、収益を向上させるチャンスは、製造業においては消えつつある。
   中国市場における多国籍企業のアプローチも様変わりして来て、最近では、膨大な上に拡大しつつある人口は、ブランド品を欲し、買えるだけの力をそなえるようになり、ブランド力を持つ企業に最大のビジネスチャンスが巡って来たと、ジム・オニールは指摘している。

   GSのウィル・ハッチングスによると、中国では、1400人に1人が億万長者で、その数は北京だけでも20万人に近く、今後15年で、世界ででさらに5億人がラグジュアリー品の購買者になり、その内の2億人は中国人だと言う。
   中国政府は、2011年にまとめた5か年計画において、国内消費の拡大を、経済の優先事項の一つに掲げたので、益々、この傾向に拍車がかかる。

   これまで、プラハラードの「ボトム・オブ・ピラミッド」論の膨大な最底辺BOP市場の開拓や、ゴビンダラジャンやGEのリバース・イノベーションなど、どちらかと言えば、新興国のボリューム・ゾーン以下の市場に目を向けた経営戦略を論じて来たのだが、台頭しつつある膨大な購買力を持った上澄みの富裕層に向けての多国籍企業の戦略を考慮する必要性が出て来たと言うことである。
   
   このような現象は、私自身、昔ブラジルに駐在していた時に、青木建設が、現地の建設会社と合弁で、シーザー・パーク・ホテルを建設して成功を収めたケースで見ている。
   新興国と言うか発展登場国の市場で、全体が貧しく、一握りの富裕層の居る二重市場の場合で、富裕層をターゲットとした市場でも結構ビジネスになると言う例である。
   サンパウロの高級ショッピング街に、部屋数200室くらいの殆どパブリック・スペースさえない小さなホテルを建設したのだが、当時は、ブラジルの奇蹟に沸いたブームではあったが、高級ホテルと言えども、空調冷暖房は最悪で騒音対策もなく施設としては非常に悪かったので、まともな日本並みのホテルを建てたので、レートは結構高かったが、当初から稼働率は非常に高くて、一挙に採算ベースに乗せてしまった。
   これに気を良くして、リオ・デ・ジャネイロやパナマなどにもチェーン展開して、土木会社でありながら、ホテル業界に進出して不動産開発でかなり成功を収めたのだが、のめり込みすぎた所為か、とうとう、破綻してしまったのだが、要するに、客の多くは外国人富裕層やビジネス客であったとしても、比較的貧しかったブラジルでも、一握りの富裕層のために、差別化した高級ビジネスを行えば、立派にビジネスとして成立すると言うことである。

   このような新興国において台頭しつつある富裕層をターゲットにして、どのようなビジネス展開をするのか、これからの多国籍企業の課題であり、現状のブランドを維持しながら行くべきか、或いは、市場のニーズに沿ったブランド戦略を遂行して行くのか、選択が迫られている。
   
   オニールは、彼らは、世界の大手高級ブランドに魅力を感じるだろうが、同時に、自国の高級ブランドがあれば積極的に利用するであろうから、そのようなブランドを打ち立てた中国企業が生まれれば、非常に有望だと考えて、フランスと中国合弁の小さな宝飾企業に投資したのだと言う。
   さて、この考え方はどうであろうか。
   日本には、昔から舶来品に対する根強い願望や嗜好があって、いくら品質が良くなって遜色がなくなっても、長い間、外国のブランド製品を凌駕することが出来なかった。

   中国人による日本でのショッピング・ツアーの凄まじさには、大変なものがあるようだが、これは、日本なら本物が間違いなしに買えると言うことにあるらしい。
   カメラなどは、多くは、キヤノンやニコンなどの高級一眼レフのようであり、正に、オニールが指摘するようにブランド志向である。
   ところが、自動車にしろ、コンシューマー・エレクトロニクス製品にしろ、製品の質は高くても、特に世界のトップレベルのブランド品との差別化に乏しく、ファッション性や芸術性などのソフト面での魅力に欠ける帰来があって、日本の工業製品の高級ブランド・イメージは、もう一つと言ったところである。
   
   いずれにしろ、日本が最も得意とする質の高い大量生産の工業製品では、コモディティ化が激しくて、価格競争が熾烈を極めるレッド・オーシャンでの戦いとなるだけであるので、他の追随を許さないような高度な製品を目指すなり、或いは、もっとファッション性を高めてクリエイティブな製品を開発してブランド性を高めるなど、日本企業の中国市場に向けて、台頭著しいラグジュアリー市場を攻略すべき新しい戦略が求められていると言うことであろう。
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トマト栽培日記2012~(2)ミニトマト・アイコを植える

2012年05月08日 | トマト・プランター栽培記録2012
   毎年植えていて、それなりに収穫出来て、まずまずのミニトマトであるサカタのアイコ(レッドとイエロー)の苗を買って来てプランター植えした。
   ラグビーのボールのような長円形のやや大き目のミニトマトで、特に味が良いとかと言う訳ではないのだが、気に入っているので、いわば、定番のトマトなのである。
   何故か、サカタの接ぎ木苗がなかったので、ジャルジンの苗を買ったのだが、問題なかろう。

   園芸店には、沢山のトマト苗が並んでいるのだが、テキストやTVの講師が言う様な、双葉が残っていて一番花が咲いている葉の茂ったしっかりした苗などと言ったものはなく、小さなポットに植えられた良く似た苗が、トレ―にびっしり並んでいて、選ぶのが大変で、それに、無理をすると葉を落としたり茎を折ってしまう。
   皆同じように見えるので、適当に苗を選んで買って来るのだが、まずまず、余程の事がなければ、それなりに育ってくれて、それなりに実が成る。
   
   ところがである。スタートから失敗話をせねばならない。
   先週植えたトマト苗だが、翌朝見ると、丁度、肥料のやり過ぎた後のように、茎と葉がねじれて巻き上がってしまっているのに気がついてびっくしてしまった。
   たった数時間の間で、一夜明けただけなのに、異常な舞い上がり絡みようである。
   肥料配合済みの培養土を使って植えたのだが、たった、一日で肥料が利く筈がないし、今まで使っていた土なので、こんなことが起こった例がない。
   問題は、デルモンテの苗に黒い斑点が浮いていたので気になり、良くも考えずに、D2オリジナルと銘打った花と野菜の殺菌殺虫スプレーをかけたのが、悪かったとしか思えない。
   何故なら、同じプランター植えしたトマト苗は、何の変化もないし、唯一の違いは、前日にスプレーをかけたかかけなかったの差である。
   数日、そのままにしておいたが、益々、巻き上がって茎が黒ずみ始めて枯れ模様になって来たので、結局、デルモンテのビタミンエース、ミニのトゥインクル、そして、料理用のサントリーのズッカの6本を廃却した。
   普通は、噴霧器で庭全体の薬剤散布はするので、スプレーを使うのは、偶のことで、はじめての失敗であったのだが、殺虫殺菌剤が異常だったのか質が悪かったのか、或いは、スプレーし過ぎたのか、一寸、理解に苦しむケースであった。
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坂東三津五郎著「歌舞伎の愉しみ」

2012年05月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   菊五郎劇団で育ったので、やはり、江戸の世話物を演じることが多かったとか、「世話物は、21世紀に生き残れるのか」と言う章から始まっているのがこの本で、三津五郎の歌舞伎に対する思い入れたっぷりの語り口が、非常に含蓄があって面白いし、それに、読み終えたら、それなりに、歌舞伎通に近づいたような気持ちになれるのが良い。

   時代物は江戸から時を遡った歴史劇で、様式的な演出・演技で演じられるのに対して、世話物は庶民を中心に、ほぼ同時代の江戸の風俗を描いた芝居で、転じて、写実的な演出や演技を「世話」と言い、様式的な演出や演技を「時代」と言うようだが、その世話物でも、時代が変わってしまって、歌舞伎本来の姿で、観客には理解されなくなってしまいつつある。このままでは、生き残れるのだろうかと言う問題意識である。
   例えば、「河内山」でのスリリングで最大の見せ場は、最上級の座敷である上書院での18万石の大名と一介の数寄屋坊主とのあまりにも身分違いの対決である「書院の場」の筈が、北村大膳に見破られるが開き直って「馬鹿め」と捨て台詞を残して退出する「玄関先の場」が見所になっているし、「髪結新三」でも、無頼漢の新三が大家の説得にころりと行くのも、家主と店子の関係や江戸の町の仕組みなど江戸時代の身分制度や価値観が少しでも分かっていると、もっと芝居が面白くなるのだが、さすれば、お客は勉強する必要があり、そう言えば、客が観たくなくなるし減ってしまう。
   
   舞台に対して厳しい観客の審美眼に耐え抜いて生きて来た歌舞伎の伝統や型は、非常に大切であり維持して行く必要があるが、客が喜んでの歌舞伎であるから、時代が変わり客の嗜好が変って来ている以上、時代を受け止めて現実に対処しながら日々を戦って行くことも大切であると言う。
   古典をきちんと継承して行くことと、復活を含めて新作をきちっと作っていくこと。この二つを両輪に進めて行かなければ、歌舞伎は活力を失って行くと思うと結論付けている。

   三津五郎は、日本舞踊坂東流の家元であるから、踊りについて語っているのだが、私には良く分からないし興味も薄い。
   しかし、踊りを観るのは、理屈ではない、理解するより感じて欲しいのだと言う。
   日本人は、四季に溢れた美しい国に住んでいるので、視覚に嗅覚を混ぜて、五感で感じる力で、自然を楽しんでいる。現代人は、その自然を受け止めようとする感性を失いつつあるのだが、森羅万象ことごとくに神が宿ると感じ、自然のお蔭で生きているのだと言う謙虚な気持ちを持って、理解するよりも感じて生きている日本人には、踊りの良さを感じられる筈だと言うことであろう。

   時代物の多くは、元々人形浄瑠璃の演目を歌舞伎化しているので、歌舞伎の先輩に教わるのみならず、文楽の豊竹咲大夫に教えを請うていると言う。
   柄も大きくないし器用なので、二枚目の役者になるのかなあと思っていたら、樋口や熊谷がやれるようになり、弁慶をやっているうちに、男同士がこうぐっと腹に感情を抑え込んで対峙する芝居が好きになって、「柄」から言えば恋愛ものに向きそうだが、武将と言うか男同士の芝居の方が「仁」にあっているのだと言って、恋愛ものには燃えないらしい。

   義太夫狂言には、主人公がこれまでの行動は、実はこういう訳でこう言う考えからだったんだと明かす「モドリ」があるのだが、この一種のカタルシスに客の感動を呼べないのは、上演時間の関係で大切な場面をカットしてしまっているからだと言う。
   芝居の筋や背景が全部わかっている客なら良いが、アラカルトのミドリ番組で、長い狂言芝居のさわりだけ見せるので、前後左右話の続きが分からず消化不良を起こすこととなっているので、「熊谷陣屋」の前には「陣門」「組打」を、「寺子屋」の前には「寺入り」を入れるのが良いと言うことである。
   私の経験でも、初期の段階では、解説書やプログラムを読んだくらいでは、歌舞伎の筋や内容を理解するのは無理であるし、分からなければ面白くもないし、興味を持って観て楽しめなどと言うのは到底無理な話で、まして、時代を飛び越えた、時には、奇想天外な荒事があるのだから、やはり、歌舞伎鑑賞には、それなりの勉強と年季が必要なのである。

   面白いのは、歌舞伎と文楽の違いで、「拵え疲れ」を語っていることで、文楽は、人形を取り換えるだけで良いが、歌舞伎は、一旦舞台から引っ込んでから、化粧を治したり衣装を替えたり出る場所を変えたりと大変な奮闘をするので、疲れるのみならず時間が掛かるし、舞台裏は大わらわで、どうしても、上演時間が伸びてしまうのだと言う。
   ところで、台詞だが、台詞を台詞として喋っているうちはダメで、その役の生きている言葉になっていないと客席には聞こえないのだと言う。
   そうかといって、客は、役者を見に来ているので、何でも新劇のようにその役になり切るのがベストでないところが歌舞伎の難しいところのようである。
   この台詞であるが、歌舞伎には、台詞が入っていない役者が多すぎて、とにかく、プロンプターが喧しすぎる。三津五郎は、後輩の役者に、平家物語を読めとか、歴史書を読んで勉強しろと言っているようだが、勉強不足にも問題があるのであろう。

   荒事について、
   「うまい」は禁物で、拙い方が良い。技巧を封じて、肚があってはダメで空っぽにして、「怒」の一字で、ひたすら声と肉体にたよれば良い。役づくりはしない方が良く、肉体と声を鍛えて、芝居に中身がない分、文句なしに声で引っ張っていかなければならない。と言っている。
   初代の吉右衛門は、知的な俳優で、技巧が必要な熊谷や宗五郎の役は上手かったが、頭をからっぽにした荒事に名品がないと言うのだが、やはり、團十郎の演技にリアリズムと心理描写が不足しているのは、荒事と言えば團十郎、成田屋と言う伝統のなせる業であろうか。

   まだまだ、話題が尽きないのだが、とにかく、調べ物が好きで勉強家の三津五郎の話であるから、非常に面白い。
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五月花形歌舞伎・・・椿説弓張月

2012年05月06日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場とは違って、ミドリと言う歌舞伎の演目の代表的な場面を並べて番組を組む松竹としては珍しい通し狂言「椿説弓張月」が、新橋演舞場の舞台にかかった。
   三島由紀夫が、曲亭馬琴の原作に想を得て割腹自殺する寸前に創作して演出も担当したと言う意欲的な歌舞伎で、三島好みの派手でパンチの利いた舞台である。
   実際には、この歌舞伎版には満足していなくて、文楽のために浄瑠璃版を書き始めたのだが、市ヶ谷の事件のために、未完に終わってしまった。

   主人公の鎮西八郎為朝(染五郎)の話は、軍記物語の「保元物語」に詳しいのだが、要するに、源平の運命を分けた保元・平治の乱の前哨戦の保元の乱で、崇徳上皇に加担した源氏側で唯一生き延びた為朝を主人公にした物語である。
   この為朝は、背丈七尺の大男で、強弓の使い手で、勇猛で傍若無人な豪傑ぶりが有名で、敗戦で逃亡中に捕えられるのだが、武勇を惜しまれて助命され、弓を射ることができないように肘を外されて伊豆大島に流刑となる。
   為朝は、傷が癒えると再び暴れ始め、島の代官の三郎大夫忠重の婿となり伊豆七島を支配するのだが、乱暴狼藉の訴えで、討伐の院宣が下り、追討軍に追い詰められて、抵抗しても無駄であろうと悟り、9歳の嫡子・為頼を刺し殺し、自分も自害して果てる。
   余談ながら、本日のNHK大河ドラマ「平清盛」で、豪快に強弓を引絞って放つ為朝の偉丈夫なワンシーンが放映されていた。

   ところが、琉球王国の正史『中山世鑑』では、源為朝が琉球へ逃れ、その子が初代琉球王舜天になったとしているので、この話を脚色して曲亭馬琴が『椿説弓張月』を書いたので、この三島由紀夫版も、この伊豆での戦いで九死に一生を得た為朝伝説の後日談がテーマとなっている。
   この歌舞伎は、上中下の3部に分かれており、上の伊豆国大嶋の場は、妻簓江(芝雀)と子為頼(玉太郎)の死など追討劇の場で、西への小舟での旅立ちで終わるので、従来の時代物歌舞伎の雰囲気と全く変わらないのだが、冒頭の仮名手本忠臣蔵の大序を思わせる人形もどきの演出など、色々な歌舞伎の手法を鏤めた場面展開があって面白い。

   趣向を凝らして派手なスペクタクルな見せ場を展開してくれるのは、中の巻で、猿之助のスーパー歌舞伎張りのシーン展開が楽しませてくれる。
   この中の巻以降で重要な役割を果たすのが、妻の白縫姫(七之助)だが、為朝は、保元の乱の前には、13歳の時、父・為義に勘当されて九州に追放されて、そこで大きくなって、肥後国阿蘇郡の平忠国の婿となったと言うことになっているので、妻と子供に再会と言う設定は有り得るので、何の疑問もないのだが、   
   映画などでは、内乱を逃れて移り住んでいた琉球の王女だったと言う話になっているようで、この舞台でも、平家討伐への船旅で大嵐に遭遇して、海神の怒りを鎮めるために、自ら身を投げるのだが、琉球の王家では王寧女(七之助)が、王子の乳母阿公(翫雀)の悪巧みによって殺されてしまい、そこに白縫姫の霊である蝶が飛んできて王寧女は白縫姫として蘇ると言う話で展開されて行く。

   さて、この白縫姫だが、初演の時に、当時10歳代で無名に近かった玉三郎が起用されて素晴らしい藝を演じて、一世を風靡した記念すべき舞台であったと言う話が一般的には有名だが、中川右介の「坂東玉三郎」によると事情が少し違うようである。
   まず、玉三郎のキャスティングだが、当時の国立劇場の担当者・織田紘二が、元は別の俳優の予定だったが、海老蔵の襲名披露公演が重なっていたので、主な役者は歌舞伎座に出ることになっていたと語っていること。
   中の巻で、源氏を裏切った武藤太(薪車)の裸の上半身に、侍女たちに木槌で竹釘を打ち込ませて血潮を吹き飛ばさせるシーンをよそに、平然と琴を弾き続ける玉三郎の白縫姫に対して、キュッと面を切れと剛直なものを求めたがぐにゃぐにゃしていて満足できなかったと三島が武智に語っていたと言うこと。
   実際には、三島は、玉三郎を絶賛した文章を書き残しているので、満足したのではあろうが、本音としては、玉三郎や歌右衛門を含む歌舞伎全体に対して絶望して、「剛直なものが何もなかった」と歌舞伎版「椿説弓張月」について語り、完全に男の声のみの文楽に希望を託して浄瑠璃版の制作に入ったと言うのは、非常に示唆的ではあると思う。

   ところで、白縫姫が、冷酷にも命じたこの武藤太を虐め抜いて殺す竹釘殺戮の場だが、三島が最も期待したシーンと言うことらしいが、正に、マゾサドの極致。
   侍女が誰かを甚振るシーンでは、厳つい立役の侍女が演じる場合が普通なのだが、この場合には、女形の綺麗な(?)侍女が入れ代わり立ち代わり無表情で木槌を打ち込み、筒状の竹釘から絵の具がちょろっと流れると言う形なので、迫力に欠けるのみならず、薪車の武藤太の演技はまずまずとしても、第一、白縫姫の七之助が、どっちつかずの曖昧な演技なので、三島が満足する筈がないと思って見ていた。

   この白縫姫だが、あの天下無双の荒武者為朝の妻になるのだから、婿取りが決まった時、影に武装した侍女を隠して、入ってきた為朝に、次から次に打ち掛からせて品定めしたと言うくらいの豪の者であるにも拘らず、そのあたりの白縫姫を、通り一辺倒の綺麗な赤姫で通していた七之助の演技の工夫の不足や未熟さが気になった。
   巡り逢える筈などなかった為朝との再会、海神の怒りを鎮めるために人身御供として身を投げ、蝶の化身となって大海原で翻弄される息子たちを助け、はたまた、王寧女に乗移ると言う魂魄の激しさ凄まじさ、と言った気品と妖気と剛直さと愛情の豊かさなど極めて起伏の激しい大きな役どころを、僅かな上演時間に一挙に開花させなければならないのは大変なことだが、それをやり果せなければ、三島は満足しない筈。
   その意味では、玉三郎の卓越さは凄かったのである。

   三津五郎は、歌舞伎見物とは、本当は役者の芸を観に行くところなのに、歌舞伎と言うエンターテインメントを観に行く姿勢になってしまうのは寂しいと言っている。
   大海原で暴風雨に翻弄される海上シーンや、黒蝶に変身した白縫姫の助けで巨大な怪魚の背に乗って琉球に向かうスペクタクル・シーンばかりが呼び物では困るのである。
   この「椿説弓張月」なら、さしずめ、「染五郎が良かった。為朝が素晴らしかった。」と言うことなのであろうが、この為朝を演じたのは、猿之助以外は、松本白鸚と幸四郎だから、謂わば、高麗屋三代が演じても何の違和感もないし、染五郎の起用は、一番無難で適切なキャスティングであろうと思うが、前述したように、為朝は、背丈2メートル以上もある桁外れの勇猛で傍若無人な豪傑で、貴公子然とした洗練された線の細い役柄ではない。
   三島が、白縫姫に、剛直なものを期待してこの歌舞伎を書いたのなら、鎮西八郎為朝像は、推して知るべしで、そのあたりの未消化な不満は、やはり、「花形歌舞伎」であって、「大歌舞伎」ではないと言うところにあるのであろうかと思っている。
   
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わが庭の歳時記~牡丹が咲いた

2012年05月05日 | わが庭の歳時記
   わが庭のぼたんが一気に咲いたのだが、皐月雨にうたれて、可哀そうに翌朝には、たっぷりと水を含んだ花弁の重さに耐え兼ねて枝が折れたり、薄い一重の大きな花弁は、水にぬれたティッシュ・ペーパーのようになって、見る影もない。
   雨が降り始める前に、何本か切り花にして花瓶に生けたのが、口絵写真だが、枝が華奢な割に花が重くて、すぐに形が崩れてしまって、いくら、花道の素養のない私でも、一寸気になるような姿になってしまう。
   わずか数本で、大きな花瓶が覆い尽くされてしまう豪華さを愛でるべきかも知れないと思っている。
   
   偶々、昨年生まれた次女の長男、すなわち、私の孫の初節句でもあるので、鎧飾りに華を添える形で、横に並べてみたのだが、良い記念になったと喜んでいる。
   横にあった紫の大輪の花弁が散ったのだけれど、既に庭の牡丹は風雨に晒されて傷んでおり、丁度、黄色い牡丹が一株咲いたので、一輪加えたので雰囲気が大分変わった。
   チューリップや椿などもそうなのだが、切り花にした方が、花持ちが良いようである。
   

   庭の牡丹は、まだ、黄色が2株開花していないが、他の牡丹は、株によっては1~2輪残っている程度で、ほんの1週間で終わってしまった。
   豪華に咲き乱れる花なので、枯れた花の姿は、無惨と言う外なく、美を維持し続けると言うことは、自然界では、大変なことなのであろう。
   今年、咲かなかった株は、白と黄色が1本ずつで、株が、まだ、小さいので来年待ちと言うことであろう。
   この一方の黄色のハイヌーンは、もう既に随分年月が経つのだが、成長して大株にならずに、その年の枝が花を咲かせた思うと消えてしまい、また、翌年根元から枝を伸ばすのを繰り返している。
   わが庭に咲いた牡丹を紹介してみたいと思う。

   
   
   
   
   
   
   
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BRIC’s論誕生とその後の雑感~ジム・オニール

2012年05月04日 | 政治・経済・社会
   BRIC'sと言う造語をぶち上げたゴールドマン・ザックスのジム・オニールが、近著「次なる経済大国 The Great Map」で、BRIC'sを選定した時の4か国への思いや、その後の推移について書いているので、考えてみたい。
   ところで、この本では、BRIC'sに続く発展国集団としてN-11 すなわち ネクスト11を上げている。N-11とは、バングラディッシュ、エジプト、インドネシア、イラン、韓国、メキシコ、ナイジェリア、パキスタン、フィリピン、トルコ、ベトナムで、これらの国の政府債務や財政赤字はおおむね健全で、安定した貿易ネットワークがあり、膨大な数の国民が豊かさへの階段を上がっており、従来の「新興国市場」と言うコンセプトから離れて、「成長国市場」として考えるべきだと言う。
   私自身は、これらの国の多くが非常にカントリー・リスクの高い国もあって、BRIC'sと同じような次元では考えられないのだが、この点は、ブックレビューで論じたい。

   興味深いのは、1997年以降のアジア通貨危機の時に、殆どのアジア諸国が経済危機に直面した時に、当然経済危機に巻き込まれて混乱した筈の中国が、経済危機を食い止めたと言う事実。通貨危機の要因であった円安阻止のためにアメリカに圧力をかけて介入させるなど異常な機敏さと世界認識を示して、世界経済のために重要な役割を演じて、自国経済を守ろうとしたと言う指摘で、最早、G5やG7の時代ではなく、G20への移行の中で、新興国中国などの台頭を意識し始めて、それが、BRIC's認識に繋がって行ったと言うことである。

   人口増加が成長の源泉だと言う考え方が基本にあって、長期的な人口趨勢、特に、労働人口動向が最も信頼できる指標で、4ヵ国の人口が約30億人と言うBRIC'sの人口が潜在力を議論する上での出発点であったと言う。
   それに、経済成長の基本である生産性の向上に成功するためには、安定したマクロ経済的バックグラウンド、インフレ抑制策や健全な国家財政、強力で安定した政治制度、貿易や外国直接投資に対する開放制、最新テクノロジーの適用、高等教育などの健全な政策等が揃っておれば問題ないのだが、このBRIC's選定のためには、先進国の生産レベルに追いつく速度、各国の投資率、人口動態を重視したと言う。

   2001年以降、ジム・オニール達は何度かBRIC'sについてレポートを発表しているが、2003年のレポートで公表した、世銀の「世界開発指標データベース」を基に、マクロ5、ミクロ8の13項目を計測した成長環境スコア(GES)分析で、中国が最高で、ロシア、ブラジル、インドの順だったと言う。
   中国は、マクロ経済要因の安定性や、市場の開放度、教育でのスコアは高かったが、腐敗やテクノロジーでは低く、ブラジルは、政治の安定性と寿命は高かったが、教育と財政赤字のスコアが低く、ロシアの弱点は、政治の安定性、腐敗、インフレにあり、インドは、法治性は高かったが、教育、テクノロジーの利用、財政状況や市場の開放性についてはスコアが低かったと言う。
   この指数は年によって異なるのだが、世界全体では必ずしも高くはなく、BRIC'sは、どの国もGESを高める必要があり、さもなければ、潜在力を発揮できないと言う指摘が興味深い。

   BRIC's選定で、一番疑問があったのは、万年、「未来の国」であったブラジルのようである。
   やはり、ハイパー・インフレと通貨の不安定など経済基盤の脆弱性が問題で、ブラジル人自身も半信半疑でBRIC'sに含めないようにと懇願したとかと言うことである。
   今でも、ブラジルの高金利故でのレアルの過大評価や、オランダ病が懸念されているのだが、やはり、最大の転機は、カルドーゾ大統領のレアル・プランの果敢な遂行によるインフレ抑制と国家財政の改善であろうが、その後の発展には目を見張るものがあったとしても、世紀末に一時危機的な状態になり、BRIC's論を立ち上げた2001年には、まだ、将来の帰趨が予測し辛かったのであろうと思う。
   インフレ・ターゲット政策の成功がブラジルの経済政策の勝利だと言うことで、オニールは、インド政府が、この政策を一顧だにしないと経済政策全般に対する評価の低いのが面白い。
   それに、政治風土の変容が重要で、ルーラ大統領の貧困撲滅政策や成長推進政策などによる経済基盤の底上げの効果も功を奏しており、ジルマ・ルセフ政権の課題は、成長を確実に持続できるようなGSEの改善だと言う。
   しかし、ブラジルの経済成長の多くは、豊かな天然資源や農産物などコモディティの好況に恵まれた帰来があって、企業にとって足枷とも言うべき多くのブラジル病の存在など、多くの課題を抱えていることは事実で、先行き、順風満帆とは言えないようである。

   ロシアについては、楽観論者を見つけるのは難しいと言う。
   まず、最大の問題は人口動態で、死亡率が極端に高く平均寿命も短く、人口が急激に減少する可能性があり、経済にには展望がないと思われると言う。
   もう一つは、政治の問題で、オリガーキ(新興財閥)と政府の関係、反政府運動家の粛清、企業活動に対する国家の関与の強化、政治の腐敗など、外資に取っては非常にカントリーリスクが高い。
   それに、石油と天然ガスへの過度の依存で、コモディティ価格如何によって国家経済が翻弄されるのみならず、私など、国際競争力のある産業なり企業の育成を怠って来たのみならず、海外の有能な多国籍企業の参入を積極的に許してこなかったことに問題があると思っている。
   オニールの指摘で面白いのは、ロシア国民が、西洋型の民主主義を有難いとは思っておらず、エリツィンやゴルバチェフより、いくら強権的威圧的であっても富の増加を図ってくれるプーチンの方が称賛され尊敬されると言うことである。

   インドは、人口動態から言って最も望ましい国で、それに、信頼できる法制度を持ち、英語を話す人口が多く、テクノロジー企業は世界に進出していると言う。
   尤も、貧困の深刻さや、物事を進めるうえでの困難さは度を越しているが、過去10年で、同国が大きな経済危機に見舞われたことがないのは明るいニュースだとも言う。これは、インド経済の牽引力は、輸出や外国投資ではなく、自国の消費であり、他のBRIC's諸国と比べて、はるかに自己充足的であることにある。
   それに、インドの指導者の中には、経済成長は必ずしも良いものではなく、環境汚染や金融市場の危険性など、悪影響が多くて危険だと考える人が結構多いのだと言うのも面白い。
   インドの指導者には、自由貿易に対する懸念が強く、外資の導入にも消極的で、規則や法的規制などによって、インド企業への大規模投資は難しいと言うことだし、インドの官僚制度の酷さには定評があると言う。ビジネスのし易さや腐敗防止、透明性の評価が低いので、外資にとっては、必ずしも恵まれた投資先ではない言うのである。
   オニールは、流通業界の閉鎖性について、ウォルマート、テスコ、カルフールなどのインド市場参入困難を例証している。
   インフラの酷さもインド特有のようだが、一人っ子政策で、人口が減少し老齢化して行く中国と違って、若年人口が多くて爆発しそうなエネルギーを秘めたインドが、遠い将来、中国を凌駕すると言う予測も根強い。
   多くのトップを輩出しているアメリカにおけるインド人実業家の活躍や、有能なインド人学者やジャーナリストの台頭、國際機関での絶大なインド人勢力の存在など、私自身は、益々発言力を増している印僑の活躍とその影響力の凄さに注目すべきだと思っている。
   
   さて、中国だが、世界銀行と中国国務院発展研究センターが、共同で経済見通し報告書をまとめ、中国が国有企業の大規模­改革を行わないと、2030年には深刻な経済危機に陥るなどと警告したのだが、今や、グローバル経済の帰趨を征しているとも言うべき中国経済の快進撃について、その将来に関しては悲喜こもごも両論が展開されている。
   オニールも、中国の驚くべき成長のカギは、人口であって、生産性を高める大規模な労働人口の存在、特に、何百人もの都市への流入が、世界の製造王国の台頭に貢献したとしているが、今後の労働人口の激減が、GDP成長率を低下させ、成長が緩やかになるのは確実だとしている。
   しかし、人口動態は決定的なものではなく、一人っ子政策の見直しや更なる都市への人口の流入、高等教育による生産性の向上なども考えられ、問題は成長鈍化の規模と程度であってそれ程悲観視はしていないようである。
   この本で、オニールは、中国の快進撃を日本のケースと随所で比較しているのだが、日本の内向き閉鎖傾向に対して、中国は、ビジネスであれ、政治であれ、観光であれ、外の世界と積極的にコミュニケ―ションを取ろうとすることで、その姿勢に感銘を受けると言う。英語についても、大望を叶えるために積極的に受け入れ、閉ざさせた文化的アイデンティティの背後に隠れずに、世界と積極的にかかわろうとする強い意志を示すと言うのである。
   中国の経済データが信用できないとか、不動産バブルや輸出主導から内需の拡大が必須だとか、成長より質を優先する政策の実行の必要性など説いているが、オニールは、中国の若者のエネルギーに接すると楽観論者になると結んでいる。
   私は、オニールが、「8000万人の党員を抱える中国共産党は、世界最大の政党であるだけではなく、世界最大の商工会議所だ」と言っているように、世銀レポートの指摘するように、殆どの産業を支配し経済を独占している官僚と国営企業の利権コンプレックスの趨勢が問題で、豊かになり聡明になって文明に開化した国民が、それに対してどう対応するのかが、問題だと思っている。
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映画「わが母の記」

2012年05月02日 | 映画
   公開直後に、邦画を見ることは少ないのだが、予告編を何度も見ていて興味を持ったので、「わが母の記」を見に出かけた。
   山田監督が、代表的な日本映画の家族篇の100本をNHKで紹介していたが、まず、この映画もこの中に入るだろうし、日本のファミリー生活の一面を活写した代表的な映画であろうと思う。

   私自身は、若い時に、「天平の甍」や「敦煌」などの井上靖作品を読んでおり、その後、特に、敦煌など西域やシルクロードに出かけた印象記や旅行記を好んで読んでいたので、井上作品には、特別な思いがあって、そのあたりの片鱗に触れたくて映画を見たと言う面もある。
   「孔子」「花壇」その他小説も何冊かあるが、私の手元にあるのは、シルクロード行・上下などのある「井上靖歴史紀行文集」4巻で、他に「日本の旅」「北からヨーロッパへ」などがあって、私などの視点とは違った捉え方の紀行文が面白い。
   この映画でも、娘の留学でアメリカ行が出ていたが、何故か、何回か出かけているアメリカの紀行文は掲載されていない。

   ところで、今でこそ、シルクロードへの旅行は誰でも行けるのだが、あの当時は、中国政府によって殆ど門戸を閉ざされていたし、NHKの「シルクロード」が正にベールに隠れた謎の文化遺産を垣間見せてくれる放送であり、私など、万難を排して、その放映時間には、テレビの前に座った。
   この紀行文集は、井上靖が亡くなった翌年1992年の刊行だが、それ以前は、まだ、シルクロードは遠くて、井上靖や司馬遼太郎、歴史学者たちの本や記事などを通して、西域や遠いヨーロッパとの東西文化文明交渉史に触れていたので、非常に貴重であった。
   ところが、不思議なもので、1980年に北京へ行き、その後、ヨーロッパへ度々出張し、長く生活していると、別な面からシルクロードが浮かび上がり、オリエントへの興味が薄れて行って、東西交渉史に対する私の関心が、現に遺産や遺物が現存して生きているもっと人間臭いヨーロッパ方面に比重が移って行ったのである。
   尤も、大英博物館やパリのギメ美術館などを訪れては、オリエントの文化遺産を追っかけてては、いたけれど。

   さて、映画であるが、実際の自叙伝的映画でもないし、作家井上靖を描いているのではないので当然だが、私のイメージであった学者然とした資料の山の中に埋もれながら熟考推敲を重ねている作家井上靖とは、大分、違っていた。
   実際に、井上靖の自宅で、井上靖が小説を書いていた書斎をそのまま使って撮影したと言うことなので、非常に興味を持ったのだが、後で、実生活と作品としての小説とは違っていて当然だと言う気がし、怒った時には、ちゃぶ台をひっくり返すなど大変怖かったらしいと言うことも分かった。

   役所広司の演じる主人公伊上洪作だが、井上靖と思うとイメージが全く違うのだが、誰かが言っていたが、失楽園も演じる役所広司だと思えば、大変な芸達者であるのだが、非常に、重量感のある淡々とした冴えたキャラクター表現が素晴らしい。
   役所としては、特に演技をする必要もなく地で行ってやれる役柄であろうが、実質的には、この映画の主な登場人物は、秘書で運転手の瀬川(三浦貴大)以外は総て女性陣なので、その存在感は貴重であり、それを感じさせないところが実力なのであろう。

   母親の八重を演じた樹木希林だが、実に感動的で上手い。
   富士フィルムのコマーシャルほかで一世を風靡し、フィルムがデジタルに駆逐された今でも、国民的な日本の女性として、映像界で君臨し続けている実力そのままの独壇場で、どこまでが正気の母で、どこからがボケ老母で、はたまた、どこが樹木希林なのか、うまく言えないが、虚実皮膜で、境目が全く分からない流れるような普段着風の演技の中にちらっと光る輝きがあって、息子の役所広司を嗚咽にむせばせる。
   風雪に耐えて老齢に達した女優のいぶし銀のような芸の輝きと言おうか。昔、吉永小百合は芸をしなくても居るだけで様になるが、私は一生懸命に芸をしないとダメなのだと語っていたが、どうしてどうして、巧まぬ存在感だけで十分である。
   この口絵写真は、ホームページから借用したのだが、何とも言えない樹木希林の表情が、作品の総てを物語っている。

   三女の琴子を演じた宮あおいが、一番、祖母八重を大切にして面倒を見た家族なのだが、無口で気が強い一本気の優しい女性を好演しており、祖母八重、父、それに、夫となる秘書の瀬川との絡みが一番多いので、出番の多い重要な役どころで、あの「篤姫」の時もそうだが、非常に聡明で天性の女優だと思うのだが、全く演技を感じさせない堂々たる存在感を示している。

   私が全く知らなかった女優が、妻の美津を演じた赤間麻里子で、控え目だが、実に素晴らしい演技で、主人公が母に捨てられたと思い続けて苦しんでいた根幹とも言うべき秘密を、「八重は海を恐れていて死ぬと思っており、船で台湾へ家族全員が渡った時に、万一の時のことを考えて、伊上家で一番大切な跡取りの洪作を国に残して土蔵のばっちゃんにあずけたのだと言うことを、結婚の時に聞いた」と、さらりと言ってのける洪作との受け答えの、クールで優しさ温かさの籠った表情が堪らない程魅力的であった。

   私は、男なので、どうしても、映画でも舞台でも、女優さんを、女性としての魅力で見てしまうのだが、志賀子(キムラ緑子)、桑子(南果歩)、郁子(ミムラ)、紀子(菊池亜希子)、貞代(真野恵里菜)の皆さんの素晴らしさは言うまでもなく、綴ると蛇足になるので、失礼させて頂く。
   山口百恵・三浦友和夫妻の子息の三浦貴大の爽やかで素直な演技も好ましく、将来が楽しみである。

   とにかく、スペクタクルがあったり活劇があったり、スケールがある訳ではなく、淡々とした昭和の文豪の母との思い出をテーマとしたある意味では非常に地味な映画なのだが、ジーンと胸に響いて温かい余韻を残す滋味深い佳作映画である。
   







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