熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

能・狂言の鑑賞に少し慣れて

2012年05月29日 | 生活随想・趣味
   日本に帰ってからは、と言っても、もう随分経つのだが、それまでのオペラやクラシック音楽、シェイクスピア戯曲鑑賞から、一気に、歌舞伎と文楽に切り替えて、それに、この半年くらい前から、狂言から入って、能楽鑑賞にも幅を広げて、最近では、国立能楽堂には、月に3回程度は通うようになった。
   まだ、一度、式能に出かけたくらいで、高砂や羽衣、砧、巴、海人、藤戸、嵐山・・・と言ったスタート段階なのだが、心なしか、能楽堂の雰囲気にも慣れて、それに、能舞台の進展を追いながら、少しづつ、曲そのものを楽しめるようになってきた。

   良いのか悪いのか分からないが、私は、何か新しいことを始めようとすると、読書家の性癖であろうか、どうしても、関連本を読んで、理解を深めようとしてしまう。
   歌舞伎でも、あるいは、シェイクスピアでも何でも、とにかく、劇場に出かけて、舞台そのものに接して、少しづつ経験を積みながら、関心を深めていけば良いと言われるのだが、実際には、そんなに易しいものではないと思っている。
   これも、最近行き始めたのだが、比較的分かり易いと思われる落語でさえも、客席で皆が笑っているのに、ついて行けないことがあるので、それ相応の理解力と感受性、それに、経験が必要なのだと言うことがよく分かる。

   ところで、これまで随分色々なパーフォーマンス・アートや舞台芸術の鑑賞を、それも、外国でも、沢山観たり聴いたりして来たのだが、私にとって、能楽は、最も特殊な総合芸術だという気がしている。
   プリマ・アクター、アクトレスが登場し、音楽の伴奏が入り、ギリシャ劇のコロスに似た合唱団のような地謡が加わる等、劇形態の舞台芸術では、最もオペラに近いような気がするが、しかし、オペラは、いわば、音楽劇と言うか楽劇と言うか、セリフが歌曲に変わったと考えても、それほど間違っているとも思えない。
   しかし、能楽の場合には、曲の成り立ちから、公演形態から言っても、随分、他の舞台芸術とは違っていて、初心者の私には、まず、最初に能楽堂に入った瞬間から、別世界に入ったようなカルチュア・ショックを覚えた。
   実際には、シェイクスピア戯曲を能楽の曲に転換した舞台があるようなので、テーマや主題については、差はないにしても、とにかく、猿楽や田楽からの継承はあるにしても、室町と言う独特な時代に生まれ、その後武士に寵愛庇護されて発展してきた歴史そのものにも、その特質が根ざしているのかも知れないと思っている。

   さて、能楽関係の本だが、初歩的な解説書からノウハウ本から始めたのだが、私が興味を持って読めたのは、観世銕之丞八世および九世、観世清和、梅若玄祥の書かれた本で、自伝的なことや、能の歴史や宗家のことども、曲や能舞台のこと、芸術論等々と幅が広いのだが、最高の芸術を極めた能役者にして始めて開陳できる実に含蓄のある滋味豊かな内容で、分かった分からないと言った次元を超えて、能への傾斜を誘う本で、読後の満足感も充実している。
   もう一つ興味深かったのは、実際に能を学んで能楽にのめり込んだ(?)白洲正子、馬場あき子、林望の方々が書かれた能に関する本で、どちらかと言えば、鑑賞者の立場にたって、豊かな知識と芸術論を交えながら解説風に展開されている本で、非常に面白い。

   能楽鑑賞の前には、まず、岩波講座「能・狂言」の能鑑賞案内と狂言鑑賞案内を開いて、当該の曲の解説を読んで、その後、前述の本の中に書かれておれば、その曲に関する記事を再読する。
   実際には、最も参考になるのは、国立能楽堂で発行されているパンフレットではある。
   岩波講座の本には、大概の曲の解説は網羅されてはいるが、先月の、世阿弥自筆本による復曲能で初演の「阿古屋松」や、老体で見る高砂の「高砂」の老体バージョンなどないのは当然であり、仕方がないから、例えば、阿古屋などは、原典の平家物語に当たる。
   日本の古典や、万葉集はじめ勅撰和歌集、中世以前の日本の歴史等、復習を兼ねて勉強を始めないと、中々、能・狂言の鑑賞は覚束無いとも感じ始めている。

   ところで、この辺の能楽本をどう探すかなのだが、国立能楽堂には、ロビーに、書籍やDVDの販売コーナーがあって、結構沢山の本を並べていて参考になる。
   しかし、本を探すのに一番良いのは、やはり、アマゾンである。
   能楽で検索すると沢山の本が表示されるので、目星をつけてタイトルをクリックして解説を読みながら、しらみつぶしに当たるのであるが、これこそ、一網打尽で、大体気に入った本が出てくるので、買えば良い。
   絶版なら、古書店が展示しておれば、古書ではあるが、手に入るのだが、正に、ネットショップのロングテイル商法の勝利である。
   三省堂に行っても、丸善に行っても、紀伊国屋に行っても、行けば分かるが、能楽関係等品揃えは貧弱で、能楽堂の方が揃っている。
   今や、私の書架の方が、まともな能楽本は、多いかも知れないと思っているのだが、シェイクスピア本にしてもそうだが、私が死ねば、娘たちは、すぐに、ブックオフを読んで処分するのであろうから、複雑な気持ちになっている。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする